沖縄県宮古島市で11日、航空自衛隊のアクロバット飛行チーム「ブルーインパルス」による展示飛行が行われ、多くの市民や観光客らが華やかな航空ショーを楽しんだ。
だが、沖縄県が「軍事利用につながる」として3000メートル滑走路のある同市の下地島空港を使わせないなど、自衛隊活動に対する県の非協力的な姿勢が浮き彫りとなる一面もあった。
こんな強風でも…
宮古島市の上空をブルーインパルスが飛行するのは今回が初めて。この日は強風で中止も危ぶまれたが、午前11時半過ぎに6機が同市の宮古空港を離陸、約15分間にわたりさまざまな隊列飛行を展開した後、そのまま那覇市の空自基地へ飛び去った。
2歳の娘と見学した宮古島市の主婦、工藤結芽(ゆめ)さん(25)は「かっこよかった。こんな強風でも飛んでくれてありがとう」。京都市から訪れた元公務員の石塚雅美さん(61)は「海の上を飛ぶ姿は圧巻そのもの。見に来たかいがあった」と話していた。
今回の飛行は、宮古島市に空自の分屯基地が開設されて50年となる節目を記念して行われた。当初は那覇市から宮古島市まで往復する計画だったが、曲芸飛行の時間が少ないため地元経済団体などが下地島空港の利用を求めていた。
パイロット養成用に建設された下地島空港は、宮古空港に比べ旅客機の離着陸が少なく、民間への影響もほとんどない。離島では異例の3000メートル滑走路が整備されており、空自も利用に前向きだった。
ところが、下地島空港を管理する県が難色を示し、計画が一時白紙になる事態に。地元経済団体などが奔走し、宮古空港を利用することで決着したが、沖縄での今後の自衛隊活動に禍根を残したといえそうだ。
「屋良覚書」に抵触?
下地島空港をめぐっては沖縄の本土復帰前の昭和46年、当時の琉球政府(屋良朝苗(ちょうびょう)行政主席)と日本政府が、同空港を訓練や民間航空以外に利用する目的はないとする取り決め(屋良覚書)を交わしている。
空港利用の権限が県にあることを示したものだが、革新勢力などは屋良覚書について、「空港の軍事利用を認めない取り決め」と受け止め、これまで国会でも何度か議論になってきた。
今回、県が空港利用に難色を示したのも屋良覚書が原因で、玉城デニー知事が「ブルーインパルスも自衛隊の傘下部隊。運用状況で軍事利用となり、屋良覚書の趣旨から認められない」との見解を示していた。
玉城氏を支える県内の革新勢力の一部は、宮古空港の利用にも激しく反対している。
反対派は11日、同空港のフェンス外側などで抗議集会を開き、駐機中のブルーインパルスに向かって約100人が「島を戦場にするな」などとシュプレヒコールを上げた。
自衛隊も利用を
一方、沖縄を含む南西諸島周辺の安全保障環境は急速に悪化しており、半世紀前の覚書を持ち出すこと自体、「県は現実から目を背けている」(自民党県連関係者)との指摘があるのも事実だ。
政府は有事の際の国民保護のため、宮古島など先島諸島にある空港や港湾施設を自衛隊が柔軟に利用できるよう、関係機関と協議を進めたい考えだ。
浜田靖一防衛相も先月、「有事や災害などの際、空港や港湾施設は大変重要な役割を担う。(自衛隊などが)日頃から訓練を重ねる必要があり、柔軟に利用できることが重要だ」との認識を示していた。
そうした中、ブルーインパルスの曲芸飛行にさえ難色を示した県の対応は、南西諸島の防衛力整備のブレーキにもなりそうだ。

屋良覚書 沖縄の本土復帰前年の昭和46年、下地島空港の建設にあたり当時の琉球政府(屋良朝苗主席)と日本政府(当時の運輸省)が交わした取り決め。?空港の使用方法は管理者である琉球政府が決める?国は航空訓練と民間航空以外に空港を使用する目的はなく、これ以外の目的に使用することを琉球政府に命令する法令上の根拠を持たない?緊急時や万が一の事態はその限りではない-と定められている。