「親戚はみんな笑っちゃうぐらい貧困。伯父も伯母も全員中卒で、非正規雇用を転々としています。お年玉をもらったこともないし、“高校に行くのは贅沢なこと”と言われて育ったので、長い間、“昭和には大学という制度がなかったんだな”と思っていました」
そう話すのはライターとして活躍するヒオカさんだ。子どもの貧困は教育格差を生み、それは年収の差につながって、社会的損失は40兆円に及ぶとも言われる。貧困問題の当事者である彼女に、日本の貧困層事情を聞いた。
「貧乏なら高卒で働けよ」「おまえだって貧困を飯の種にしてるんだろう?」ヒオカさんが自らの体験を寄稿すると、共感を得る一方で、ネットにはたくさんの誹謗中傷コメントが溢れる。
「 “俺も貧乏だった。抜け出せないのは努力が足りないからだ”というのもめっちゃ多いです。だけど貧困層にはものすごいグラデーションがあって、スタートラインが同じ人なんていません。
親がバイト代を使い込んだり、進学させなかったり、社会人になっても無心に来たり、DV問題も。背負っているものが違うので、自分のケースと他の人の事情は全く関係のない話です。“真面目に働いていればそんな状況には陥らない”と言うなら、エッセンシャルワーカーの賃金の低さはどう説明するんだろうとも思います」
世の中には、予め舗装された道路をサッと走っていく人と、道に空いた穴を埋めてからでなければ歩き出せない人がいる。ヒオカさんの抱くイメージは、そんな感じだ。その穴の数や深さは、人それぞれに違う。
埋めなければならない穴は至る所に空いている。例えば中高時代の部活にしても、ユニフォーム代が払えずにあきらめる人がいる。部活をしないと内申書に書き込める要素が少なくなり、それは進学先や、将来的には就職活動にも影響してくる。
「面接で、なぜ運動部に入らなかったのかと聞かれることも多いけど、部活ができない人がいることを、みんな知らないんですよ。大学でも、友達は“とりあえず公務員試験受けとこう、教員免許取っておこう、ボランティアもやっておこう”と、履歴書に書けることをどんどん貯めていくけど、それは親が学費や生活費を払ってくれて、バイト漬けの生活をしなくていいからできることです」
貧しい人は初期投資ができず、初期費用も持てない。5キロの米を買うお金がないからコンビニのおにぎりを買う。安いものを買えば割高になるとわかっていても生活の全てにおいて選択肢がなく、結局損をする。こういう事象は“貧困税”と呼ばれ、現状からの脱出を難しくしている。
発展途上国で働きたいという夢を持ち、国際関係を学べる大学に入学したが、劣悪な生活環境から体力に自信を失い、海外に行く費用も捻出できず、夢は潰えた。それでも、親に進路の邪魔をされなかったのは恵まれていたとヒオカさんは言う。大学受験は国公立一択。奨学金が降りる前に入学金を払わなければならず、母親は借金をしてお金を工面してくれた。家庭の援助はそこまでで、以降の費用は全部自分で賄った。奨学金の返済は、これから先も果てしなく続く。
実家を出ても一人暮らしをする余裕はなく、キャリーケースひとつでシェアハウスを点々とした。
「シェアハウスは家具などの初期費用がかからないけれど、家賃に比例して環境や民度は下がります。それで身体を壊し、結局医療費が嵩んでしまったり。1個歯車が狂うとドタドタと総崩れする、そんなループが続いていく感覚がありました」
現在ヒオカさんは、オフィスワークのバイトで生計を立てながらライターを続けている。やっと一人暮らしが実現したが、生活は相変わらず苦しい。
先日、政府は住民税非課税世帯への5万円給付を決定した。これに対するヒオカさんの感想はひと言、「バカじゃないの?」。
「政府って本当に非課税世帯にこだわりますよね。ちょっと働いたら外れてしまうから、ワーキングプア世代なんて真っ先に切り落とされる。私のような元非課税世帯の人間からしても、“それは世間も怒るわな”と思います。
同時に、コロナ給付金の議論ではいつも非課税世帯へのバッシングが煽られるので、“給付を受ける側も迷惑だから、もういい加減に非課税世帯に限定するのはやめてくれよ”とも思います」
支援されるべきは真面目で勤勉な貧困層であり、自分の努力不足で貧困に陥っている人は救われるべきではない。そんな考え方が主流となり、暗黙の選別が始まっているとヒオカさんは指摘する。
「どんな不可抗力によってこの状況に陥ったかなんて、第三者が測れることではないと思うんです。なのに一代だけを見て努力が足りないと叩かれて、給付金をもらう人が責められる構図になってしまっている。日本にはドネーション文化が根付いておらず、“働かない人に頑張ってる人のお金が流されてしまう”っていうツイートがバズりやすいのも残酷だなと感じます」
2018年に行われたOECDの調査によると、日本では貧困家庭の子どもが平均所得に到達するのに4世代、または100年以上かかるとされている。そして給付金のたびに叩かれる非課税世帯率は、全体の27%にも昇るのだ。叩くべきは弱者ではなく、格差問題を放置してきた国ではないだろうか。
政策を決める多くの人は“ネイティブ強者”だ。日銀黒田東彦総裁の発言が炎上したことは記憶に新しいが、2008年には高級レストランなどでの会食が批判の的となった麻生太郎首相(当時)が、カップラーメンの相場を知らなかったことも話題になった。強者の目に、弱者の存在は映らないようだ。
「私の基本的なテーマは“不可視化されている痛み”です。宗教2世や外国人労働者の方、ヤングケアラーなど、貧困層だけではなく、“無いものにされている人”はたくさんいます。これからもそれを軸に執筆を続けていけたらと思っています」
ヒオカ ライター。1995 年生まれ。地方の貧困家庭で育つ。note で公開した自身の体験「私が“普通”と違った50 のこと――貧困とは、選択肢が持てないということ」が話題を呼び、ライターの道へ。“無いものにされる痛みに想像力を”をモットーに、弱者の声を可視化する取材・執筆活動を行い、「ダイヤモンド・オンライン」(ダイヤモンド)、「現代ビジネス」(講談社)などに寄稿。若手論客として、新聞、テレビ、ラジオにも出演。
取材・文:井出千昌