今年6月、横浜中華街の名店「聘珍楼」が破産手続きを行ったというニュースが報じられ、多くのファンを悲しませた。1884年に創業された同店は、1990年代に総料理長の周富徳氏がたびたびテレビ番組に出演したことで、お茶の間でもその名が知られていた名店だ。
だが今、横浜中華街ではこうした閉店・休業の事態は「聘珍楼」に限ったことではない。名店が続々と閉店や長期休業の苦境に立たされているのである。一方で、コロナ禍の外出自粛が緩和されるとともに若者客を中心に賑わいを取り戻しており、ディズニーランド感覚で自撮りをしたり、チャイナドレスのコスプレ姿で通りを歩いたりする若い女性の姿も目立っている。
果たして現在、“横浜中華街経済”はどうなっているのだろうか。そこで今回は、食品業界事情に詳しいフードアナリストの重盛高雄氏に話を伺い、横浜中華街の現状を解説していただいた(以下、「」内は氏のコメント)。
筆者撮影
激動の時代を生き抜いてきた横浜中華街まずは、横浜中華街という場所がどのように生まれたのかについて教えていただこう。「幕末の1859年に港が開かれたことで、横浜はアメリカやイギリスなど、世界中から外国人が訪れる外国人居留地となりました。日本の言語や商売に馴染みのない彼らを仲立ちしたのが、彼らに随伴した中国人。なかでも中国の広東や上海から来た人たちが多く、彼らは“華僑”(中国国籍を持ちながら長期で外国に滞在している人々)と呼ばれ、この地で大きなコミュニティを形成していったのです。1899年の条約改正に伴い居留地は撤廃されることになりましたが、コミュニティは旧居留地の外に広がり続けました。それと同時に、華僑の増加で日本人失業者の増加を危惧した政府の指示で、彼らが営む理髪・洋裁・料理業など一定の職業制限が行われ、未熟練のものは就業してはいけないという趣旨の制限も設けられました。その後、同地は1923年の関東大震災で多くの建物が倒壊。加えて1945年の第二次世界大戦時の空襲で一度焼け野原に戻されてしまいます」第二次世界大戦後、旧居留地周辺はますます華僑たちの街として栄えていったそうだ。「同地は日本に残った華僑の人たちを中心に、戦後の闇市から復興を遂げ、現在の姿になっていきます。その際、先にお話しした就業制限の影響で、中華料理屋の腕が磨かれたことで、その魅力を生かす動きも活発になり、料理街としても風合いが強くなっていきます。諸外国の中華街は居住民を中心とした内向きのコミュニティであるのに対し、横浜中華街は、就業制限を受けた歴史などから学び、地域社会との交流・協働を意識して発展してきたというのが特徴ですね」 そんな、横浜中華街が最盛期を迎えたのはここ30年ほどだと重盛氏は語る。「最盛期を迎えたのは1990年代以降という印象があります。もともと料理の美味しさで人気の観光地でしたが、お店の料理人たちがテレビで活躍したことで転機を迎えます。今回話題になった『聘珍楼』の周富徳氏などは、1993年からスタートしたフジテレビ系の人気番組『料理の鉄人』などで活躍したスター料理人です。彼らの知名度が上がったことで、中華街へのバスツアーなどが大々的に組まれるようになり、街全体の集客力が拡大しました。そしてインターネットの普及で、それまでテレビや雑誌などでしか得られなかった人気店の情報を、いつでも誰でも手に入れられるようになったのも、横浜中華街の追い風になったと思います。また、ネットで比較的簡単に予約できるようになったことで、団体客以外の層が中華街に足を運びやすくなりましたし、隠れた名店的なお店にもスポットが当たるようになっていったんです」コロナ禍で大きく変わってしまった…コロナ前には絶頂期を迎えていた横浜中華街だが、新型コロナウイルスの感染拡大がその盛り上がりに水を差したのだという。「ほかの街にある多くの飲食店と同じく、横浜中華街の飲食店もコロナ禍に伴う営業制限や外出自粛ムードの影響を大きく受けました。とりわけ被害を受けたのが大型店舗です。中華街ではお店が儲かると2号店、3号店を出店するという傾向があったのですが、当然その分ランニングコストも増大するので、客足減少の影響を受けやすかったと言えます。また、大型店舗の場合は、基本的にバスツアーなど団体客をメインに営業していたので、これがなくなるのは大きなダメージだったはず。それこそ『聘珍楼』は団体客がメインだったので閉店にまで追い込まれてしまったのでしょう」2020年5月の横浜中華街[Photo by gettyimages] コロナ禍が中華街に与えた打撃はこれだけではないと重盛氏は続ける。「従業員が罹患したり濃厚接触者になったりして働けなくなる、というリスクも顕在化しました。また、大型店舗であれば維持するための採算分岐点は高く、ソーシャルディスタンスを前提とした受け入れ客数の半減は、それまでの営業スタイルから考えると経営が成り立たない事態にまで店を追い込んだのだと推察できます」一方、小型店舗は少々事情が異なるようだ。「小型店に関しては、同じように苦しめられてはいますが、大型店舗に比べると食材の備蓄コストも少なく、従業員も少数で回せますし、自粛ムードが徐々に解除されて戻りつつある少人数の客層を捉えているので、まだ耐えられているのだと思います」「若者向け」に変化した横浜中華街の未来大型店舗に比べれば小型店舗はまだ経営体力が残っているようだが、両者に共通する苦悩もあるという。「店内で席に座り、少々お高めの価格でも手の込んだ美味しい中華料理を食べていただくという、昔ながらの中華街スタイルが受け入れられにくくなっているのです。これは、観光地価格でも気兼ねなくお金を落としていた裕福な中高年層が、バスツアーの取りやめなどで一気に減少したのが原因。そもそも中高年層は、新型コロナウイルスに罹患するリスクが若年層よりも高いので、外出自粛が解除されても人通りの多いところにはまだまだ足を運びづらい状況が続いています」 一方で驚くべきことに、中高年層の減少に反比例するように、最近では中華街を訪れる若者層が増加しているという。「今、中華街でお土産や飲茶スタイルをメインにしていたお店を中心に、“食べ歩き”に適した提供スタイルへとシフトする動きが活発になりつつあり、これが若者需要を掴んでいるのです。インスタ映えするいちご飴や、熱々の焼き小籠包などがお手頃価格で個別売りされており、若いカップルや若い女性グループを中心に大行列をつくっています。私も足を運んでその様子をリサーチしたのですが、高級中華の代名詞であった北京ダックが、一巻きで安売りされていたのには隔世の感を覚えましたね。筆者撮影こうしたスタイルが増えているのは、従業員と材料費のコストが少額で済むことや、感染対策が最小限で済むことが理由でしょう。この変化によって、横浜中華街に来る客層が裕福な中高年層から、お財布事情が厳しい若者層に移り変わっていったわけです」街を歩けば行列のできている店がそこかしこにあるため、一見すると往時の活気を取り戻したかのように見えるが、客層や需要に大きな変化が生じていたということか。今後、横浜中華街はどのような未来をたどってゆくのだろう。「コロナ禍の収束が見えない以上、こうした若者向けのスタイルへと変化していく流れは今後も加速していくでしょうし、適応できた店舗は売り上げを伸ばしていくはずです。ただ問題なのは、古くからの中華街スタイルで営業し本格的な中華料理などを提供している店舗です。コロナ禍が過ぎ去るのを指をくわえて待っているだけではダメで、団体客向けではなく個人客にターゲットを変えたり、メニューも限定し単価を下げたりなど、若者層をいかに取り込んでいけるかが生き残りのカギになるでしょう。これまでの客層を捨て去るべきと言っているわけではなく、入りたくても敷居が高いと感じて躊躇している若者層に、店の扉を開いてあげる工夫が必要だということです」 予期せぬ社会の変貌で、その経営スタイルの変革を迫られている横浜中華街。これまで培ってきた魅力で掴みかけている新たな客層を取り入れ、コロナ禍が収束したときには中高年層と若者層を一挙両獲りできれば、かつての人気をも越える街に生まれ変われるのではないだろうか。(文=TND幽介/A4studio)
まずは、横浜中華街という場所がどのように生まれたのかについて教えていただこう。
「幕末の1859年に港が開かれたことで、横浜はアメリカやイギリスなど、世界中から外国人が訪れる外国人居留地となりました。日本の言語や商売に馴染みのない彼らを仲立ちしたのが、彼らに随伴した中国人。なかでも中国の広東や上海から来た人たちが多く、彼らは“華僑”(中国国籍を持ちながら長期で外国に滞在している人々)と呼ばれ、この地で大きなコミュニティを形成していったのです。
1899年の条約改正に伴い居留地は撤廃されることになりましたが、コミュニティは旧居留地の外に広がり続けました。それと同時に、華僑の増加で日本人失業者の増加を危惧した政府の指示で、彼らが営む理髪・洋裁・料理業など一定の職業制限が行われ、未熟練のものは就業してはいけないという趣旨の制限も設けられました。
その後、同地は1923年の関東大震災で多くの建物が倒壊。加えて1945年の第二次世界大戦時の空襲で一度焼け野原に戻されてしまいます」
第二次世界大戦後、旧居留地周辺はますます華僑たちの街として栄えていったそうだ。
「同地は日本に残った華僑の人たちを中心に、戦後の闇市から復興を遂げ、現在の姿になっていきます。その際、先にお話しした就業制限の影響で、中華料理屋の腕が磨かれたことで、その魅力を生かす動きも活発になり、料理街としても風合いが強くなっていきます。
諸外国の中華街は居住民を中心とした内向きのコミュニティであるのに対し、横浜中華街は、就業制限を受けた歴史などから学び、地域社会との交流・協働を意識して発展してきたというのが特徴ですね」
そんな、横浜中華街が最盛期を迎えたのはここ30年ほどだと重盛氏は語る。「最盛期を迎えたのは1990年代以降という印象があります。もともと料理の美味しさで人気の観光地でしたが、お店の料理人たちがテレビで活躍したことで転機を迎えます。今回話題になった『聘珍楼』の周富徳氏などは、1993年からスタートしたフジテレビ系の人気番組『料理の鉄人』などで活躍したスター料理人です。彼らの知名度が上がったことで、中華街へのバスツアーなどが大々的に組まれるようになり、街全体の集客力が拡大しました。そしてインターネットの普及で、それまでテレビや雑誌などでしか得られなかった人気店の情報を、いつでも誰でも手に入れられるようになったのも、横浜中華街の追い風になったと思います。また、ネットで比較的簡単に予約できるようになったことで、団体客以外の層が中華街に足を運びやすくなりましたし、隠れた名店的なお店にもスポットが当たるようになっていったんです」コロナ禍で大きく変わってしまった…コロナ前には絶頂期を迎えていた横浜中華街だが、新型コロナウイルスの感染拡大がその盛り上がりに水を差したのだという。「ほかの街にある多くの飲食店と同じく、横浜中華街の飲食店もコロナ禍に伴う営業制限や外出自粛ムードの影響を大きく受けました。とりわけ被害を受けたのが大型店舗です。中華街ではお店が儲かると2号店、3号店を出店するという傾向があったのですが、当然その分ランニングコストも増大するので、客足減少の影響を受けやすかったと言えます。また、大型店舗の場合は、基本的にバスツアーなど団体客をメインに営業していたので、これがなくなるのは大きなダメージだったはず。それこそ『聘珍楼』は団体客がメインだったので閉店にまで追い込まれてしまったのでしょう」2020年5月の横浜中華街[Photo by gettyimages] コロナ禍が中華街に与えた打撃はこれだけではないと重盛氏は続ける。「従業員が罹患したり濃厚接触者になったりして働けなくなる、というリスクも顕在化しました。また、大型店舗であれば維持するための採算分岐点は高く、ソーシャルディスタンスを前提とした受け入れ客数の半減は、それまでの営業スタイルから考えると経営が成り立たない事態にまで店を追い込んだのだと推察できます」一方、小型店舗は少々事情が異なるようだ。「小型店に関しては、同じように苦しめられてはいますが、大型店舗に比べると食材の備蓄コストも少なく、従業員も少数で回せますし、自粛ムードが徐々に解除されて戻りつつある少人数の客層を捉えているので、まだ耐えられているのだと思います」「若者向け」に変化した横浜中華街の未来大型店舗に比べれば小型店舗はまだ経営体力が残っているようだが、両者に共通する苦悩もあるという。「店内で席に座り、少々お高めの価格でも手の込んだ美味しい中華料理を食べていただくという、昔ながらの中華街スタイルが受け入れられにくくなっているのです。これは、観光地価格でも気兼ねなくお金を落としていた裕福な中高年層が、バスツアーの取りやめなどで一気に減少したのが原因。そもそも中高年層は、新型コロナウイルスに罹患するリスクが若年層よりも高いので、外出自粛が解除されても人通りの多いところにはまだまだ足を運びづらい状況が続いています」 一方で驚くべきことに、中高年層の減少に反比例するように、最近では中華街を訪れる若者層が増加しているという。「今、中華街でお土産や飲茶スタイルをメインにしていたお店を中心に、“食べ歩き”に適した提供スタイルへとシフトする動きが活発になりつつあり、これが若者需要を掴んでいるのです。インスタ映えするいちご飴や、熱々の焼き小籠包などがお手頃価格で個別売りされており、若いカップルや若い女性グループを中心に大行列をつくっています。私も足を運んでその様子をリサーチしたのですが、高級中華の代名詞であった北京ダックが、一巻きで安売りされていたのには隔世の感を覚えましたね。筆者撮影こうしたスタイルが増えているのは、従業員と材料費のコストが少額で済むことや、感染対策が最小限で済むことが理由でしょう。この変化によって、横浜中華街に来る客層が裕福な中高年層から、お財布事情が厳しい若者層に移り変わっていったわけです」街を歩けば行列のできている店がそこかしこにあるため、一見すると往時の活気を取り戻したかのように見えるが、客層や需要に大きな変化が生じていたということか。今後、横浜中華街はどのような未来をたどってゆくのだろう。「コロナ禍の収束が見えない以上、こうした若者向けのスタイルへと変化していく流れは今後も加速していくでしょうし、適応できた店舗は売り上げを伸ばしていくはずです。ただ問題なのは、古くからの中華街スタイルで営業し本格的な中華料理などを提供している店舗です。コロナ禍が過ぎ去るのを指をくわえて待っているだけではダメで、団体客向けではなく個人客にターゲットを変えたり、メニューも限定し単価を下げたりなど、若者層をいかに取り込んでいけるかが生き残りのカギになるでしょう。これまでの客層を捨て去るべきと言っているわけではなく、入りたくても敷居が高いと感じて躊躇している若者層に、店の扉を開いてあげる工夫が必要だということです」 予期せぬ社会の変貌で、その経営スタイルの変革を迫られている横浜中華街。これまで培ってきた魅力で掴みかけている新たな客層を取り入れ、コロナ禍が収束したときには中高年層と若者層を一挙両獲りできれば、かつての人気をも越える街に生まれ変われるのではないだろうか。(文=TND幽介/A4studio)
そんな、横浜中華街が最盛期を迎えたのはここ30年ほどだと重盛氏は語る。
「最盛期を迎えたのは1990年代以降という印象があります。もともと料理の美味しさで人気の観光地でしたが、お店の料理人たちがテレビで活躍したことで転機を迎えます。今回話題になった『聘珍楼』の周富徳氏などは、1993年からスタートしたフジテレビ系の人気番組『料理の鉄人』などで活躍したスター料理人です。
彼らの知名度が上がったことで、中華街へのバスツアーなどが大々的に組まれるようになり、街全体の集客力が拡大しました。
そしてインターネットの普及で、それまでテレビや雑誌などでしか得られなかった人気店の情報を、いつでも誰でも手に入れられるようになったのも、横浜中華街の追い風になったと思います。また、ネットで比較的簡単に予約できるようになったことで、団体客以外の層が中華街に足を運びやすくなりましたし、隠れた名店的なお店にもスポットが当たるようになっていったんです」
コロナ前には絶頂期を迎えていた横浜中華街だが、新型コロナウイルスの感染拡大がその盛り上がりに水を差したのだという。
「ほかの街にある多くの飲食店と同じく、横浜中華街の飲食店もコロナ禍に伴う営業制限や外出自粛ムードの影響を大きく受けました。とりわけ被害を受けたのが大型店舗です。中華街ではお店が儲かると2号店、3号店を出店するという傾向があったのですが、当然その分ランニングコストも増大するので、客足減少の影響を受けやすかったと言えます。
また、大型店舗の場合は、基本的にバスツアーなど団体客をメインに営業していたので、これがなくなるのは大きなダメージだったはず。それこそ『聘珍楼』は団体客がメインだったので閉店にまで追い込まれてしまったのでしょう」
2020年5月の横浜中華街[Photo by gettyimages]
コロナ禍が中華街に与えた打撃はこれだけではないと重盛氏は続ける。「従業員が罹患したり濃厚接触者になったりして働けなくなる、というリスクも顕在化しました。また、大型店舗であれば維持するための採算分岐点は高く、ソーシャルディスタンスを前提とした受け入れ客数の半減は、それまでの営業スタイルから考えると経営が成り立たない事態にまで店を追い込んだのだと推察できます」一方、小型店舗は少々事情が異なるようだ。「小型店に関しては、同じように苦しめられてはいますが、大型店舗に比べると食材の備蓄コストも少なく、従業員も少数で回せますし、自粛ムードが徐々に解除されて戻りつつある少人数の客層を捉えているので、まだ耐えられているのだと思います」「若者向け」に変化した横浜中華街の未来大型店舗に比べれば小型店舗はまだ経営体力が残っているようだが、両者に共通する苦悩もあるという。「店内で席に座り、少々お高めの価格でも手の込んだ美味しい中華料理を食べていただくという、昔ながらの中華街スタイルが受け入れられにくくなっているのです。これは、観光地価格でも気兼ねなくお金を落としていた裕福な中高年層が、バスツアーの取りやめなどで一気に減少したのが原因。そもそも中高年層は、新型コロナウイルスに罹患するリスクが若年層よりも高いので、外出自粛が解除されても人通りの多いところにはまだまだ足を運びづらい状況が続いています」 一方で驚くべきことに、中高年層の減少に反比例するように、最近では中華街を訪れる若者層が増加しているという。「今、中華街でお土産や飲茶スタイルをメインにしていたお店を中心に、“食べ歩き”に適した提供スタイルへとシフトする動きが活発になりつつあり、これが若者需要を掴んでいるのです。インスタ映えするいちご飴や、熱々の焼き小籠包などがお手頃価格で個別売りされており、若いカップルや若い女性グループを中心に大行列をつくっています。私も足を運んでその様子をリサーチしたのですが、高級中華の代名詞であった北京ダックが、一巻きで安売りされていたのには隔世の感を覚えましたね。筆者撮影こうしたスタイルが増えているのは、従業員と材料費のコストが少額で済むことや、感染対策が最小限で済むことが理由でしょう。この変化によって、横浜中華街に来る客層が裕福な中高年層から、お財布事情が厳しい若者層に移り変わっていったわけです」街を歩けば行列のできている店がそこかしこにあるため、一見すると往時の活気を取り戻したかのように見えるが、客層や需要に大きな変化が生じていたということか。今後、横浜中華街はどのような未来をたどってゆくのだろう。「コロナ禍の収束が見えない以上、こうした若者向けのスタイルへと変化していく流れは今後も加速していくでしょうし、適応できた店舗は売り上げを伸ばしていくはずです。ただ問題なのは、古くからの中華街スタイルで営業し本格的な中華料理などを提供している店舗です。コロナ禍が過ぎ去るのを指をくわえて待っているだけではダメで、団体客向けではなく個人客にターゲットを変えたり、メニューも限定し単価を下げたりなど、若者層をいかに取り込んでいけるかが生き残りのカギになるでしょう。これまでの客層を捨て去るべきと言っているわけではなく、入りたくても敷居が高いと感じて躊躇している若者層に、店の扉を開いてあげる工夫が必要だということです」 予期せぬ社会の変貌で、その経営スタイルの変革を迫られている横浜中華街。これまで培ってきた魅力で掴みかけている新たな客層を取り入れ、コロナ禍が収束したときには中高年層と若者層を一挙両獲りできれば、かつての人気をも越える街に生まれ変われるのではないだろうか。(文=TND幽介/A4studio)
コロナ禍が中華街に与えた打撃はこれだけではないと重盛氏は続ける。
「従業員が罹患したり濃厚接触者になったりして働けなくなる、というリスクも顕在化しました。また、大型店舗であれば維持するための採算分岐点は高く、ソーシャルディスタンスを前提とした受け入れ客数の半減は、それまでの営業スタイルから考えると経営が成り立たない事態にまで店を追い込んだのだと推察できます」
一方、小型店舗は少々事情が異なるようだ。
「小型店に関しては、同じように苦しめられてはいますが、大型店舗に比べると食材の備蓄コストも少なく、従業員も少数で回せますし、自粛ムードが徐々に解除されて戻りつつある少人数の客層を捉えているので、まだ耐えられているのだと思います」
大型店舗に比べれば小型店舗はまだ経営体力が残っているようだが、両者に共通する苦悩もあるという。
「店内で席に座り、少々お高めの価格でも手の込んだ美味しい中華料理を食べていただくという、昔ながらの中華街スタイルが受け入れられにくくなっているのです。
これは、観光地価格でも気兼ねなくお金を落としていた裕福な中高年層が、バスツアーの取りやめなどで一気に減少したのが原因。そもそも中高年層は、新型コロナウイルスに罹患するリスクが若年層よりも高いので、外出自粛が解除されても人通りの多いところにはまだまだ足を運びづらい状況が続いています」
一方で驚くべきことに、中高年層の減少に反比例するように、最近では中華街を訪れる若者層が増加しているという。「今、中華街でお土産や飲茶スタイルをメインにしていたお店を中心に、“食べ歩き”に適した提供スタイルへとシフトする動きが活発になりつつあり、これが若者需要を掴んでいるのです。インスタ映えするいちご飴や、熱々の焼き小籠包などがお手頃価格で個別売りされており、若いカップルや若い女性グループを中心に大行列をつくっています。私も足を運んでその様子をリサーチしたのですが、高級中華の代名詞であった北京ダックが、一巻きで安売りされていたのには隔世の感を覚えましたね。筆者撮影こうしたスタイルが増えているのは、従業員と材料費のコストが少額で済むことや、感染対策が最小限で済むことが理由でしょう。この変化によって、横浜中華街に来る客層が裕福な中高年層から、お財布事情が厳しい若者層に移り変わっていったわけです」街を歩けば行列のできている店がそこかしこにあるため、一見すると往時の活気を取り戻したかのように見えるが、客層や需要に大きな変化が生じていたということか。今後、横浜中華街はどのような未来をたどってゆくのだろう。「コロナ禍の収束が見えない以上、こうした若者向けのスタイルへと変化していく流れは今後も加速していくでしょうし、適応できた店舗は売り上げを伸ばしていくはずです。ただ問題なのは、古くからの中華街スタイルで営業し本格的な中華料理などを提供している店舗です。コロナ禍が過ぎ去るのを指をくわえて待っているだけではダメで、団体客向けではなく個人客にターゲットを変えたり、メニューも限定し単価を下げたりなど、若者層をいかに取り込んでいけるかが生き残りのカギになるでしょう。これまでの客層を捨て去るべきと言っているわけではなく、入りたくても敷居が高いと感じて躊躇している若者層に、店の扉を開いてあげる工夫が必要だということです」 予期せぬ社会の変貌で、その経営スタイルの変革を迫られている横浜中華街。これまで培ってきた魅力で掴みかけている新たな客層を取り入れ、コロナ禍が収束したときには中高年層と若者層を一挙両獲りできれば、かつての人気をも越える街に生まれ変われるのではないだろうか。(文=TND幽介/A4studio)
一方で驚くべきことに、中高年層の減少に反比例するように、最近では中華街を訪れる若者層が増加しているという。
「今、中華街でお土産や飲茶スタイルをメインにしていたお店を中心に、“食べ歩き”に適した提供スタイルへとシフトする動きが活発になりつつあり、これが若者需要を掴んでいるのです。
インスタ映えするいちご飴や、熱々の焼き小籠包などがお手頃価格で個別売りされており、若いカップルや若い女性グループを中心に大行列をつくっています。私も足を運んでその様子をリサーチしたのですが、高級中華の代名詞であった北京ダックが、一巻きで安売りされていたのには隔世の感を覚えましたね。
筆者撮影
こうしたスタイルが増えているのは、従業員と材料費のコストが少額で済むことや、感染対策が最小限で済むことが理由でしょう。この変化によって、横浜中華街に来る客層が裕福な中高年層から、お財布事情が厳しい若者層に移り変わっていったわけです」
街を歩けば行列のできている店がそこかしこにあるため、一見すると往時の活気を取り戻したかのように見えるが、客層や需要に大きな変化が生じていたということか。今後、横浜中華街はどのような未来をたどってゆくのだろう。
「コロナ禍の収束が見えない以上、こうした若者向けのスタイルへと変化していく流れは今後も加速していくでしょうし、適応できた店舗は売り上げを伸ばしていくはずです。ただ問題なのは、古くからの中華街スタイルで営業し本格的な中華料理などを提供している店舗です。
コロナ禍が過ぎ去るのを指をくわえて待っているだけではダメで、団体客向けではなく個人客にターゲットを変えたり、メニューも限定し単価を下げたりなど、若者層をいかに取り込んでいけるかが生き残りのカギになるでしょう。これまでの客層を捨て去るべきと言っているわけではなく、入りたくても敷居が高いと感じて躊躇している若者層に、店の扉を開いてあげる工夫が必要だということです」
予期せぬ社会の変貌で、その経営スタイルの変革を迫られている横浜中華街。これまで培ってきた魅力で掴みかけている新たな客層を取り入れ、コロナ禍が収束したときには中高年層と若者層を一挙両獲りできれば、かつての人気をも越える街に生まれ変われるのではないだろうか。(文=TND幽介/A4studio)
予期せぬ社会の変貌で、その経営スタイルの変革を迫られている横浜中華街。これまで培ってきた魅力で掴みかけている新たな客層を取り入れ、コロナ禍が収束したときには中高年層と若者層を一挙両獲りできれば、かつての人気をも越える街に生まれ変われるのではないだろうか。
(文=TND幽介/A4studio)