創業200年を超える老舗和菓子屋「船橋屋」が炎上している。自身の無茶な運転により交通事故を起こした男性が「どこからお前出てきてんだ、この野郎」と逆ギレする映像がネット上に出回り、その男性が“船橋屋8代目の渡辺雅司社長ではないか”と指摘されたのだ。船橋屋は事実を認め、謝罪する声明文を公式サイトで発表した。
【写真】事故現場の生々しい様子と渡辺社長 問題の映像は、ドライブレコーダーによって撮影されたものとみられる。突然突っ込んできた赤いベントレーにぶつけられて、撮影者が乗った車は大きく揺れた。ベントレーから下りてきた男性は、「どこからお前出てきたんだ、この野郎」「てめぇ、なに曲がってきたんだよ」と大声を出し、いきなり喧嘩腰。撮影者が「(信号は)青でしたよ」と指摘すると、男性は「青じゃねーよ。俺がここ来てんだよ」と怒鳴り、映像の最後には、撮影者の車を蹴ったのか、大きな音も入っている。

映像では人物などにモザイク処理がかけられていたが、またたくまにベントレーから下りてきた男性が船橋屋の渡辺雅司社長だと特定されていた。船橋屋といえば、1805年に創業し、東京・亀戸に本店を持つ老舗和菓子屋だ。「船橋屋のくず餅は、江戸名物のひとつに数えられたほどの逸品です。芥川龍之介や永井荷風たち文化人も店に足を運び、特に作家・吉川英治とは深い付き合いがありました。吉川英治が書いた看板は、今も本店に飾られています」(フードライター) 8代目当主にあたる渡辺雅司社長は、敏腕ビジネスパーソンとしてメディア出演の機会も多く、『日経スペシャル カンブリア宮殿』(テレビ東京)で特集されたこともある。「老舗和菓子屋の跡取りとして、お菓子作りというよりも現代的なビジネスのやり方を学んできた方です。立教大学の経済学部を卒業後、三和銀行(現・三菱UFJ銀行)で働き、1993年に満を持して船橋屋に入社しました。かなり合理的な思考をされる方なので、昔ながらの職人たちとは頻繁に揉めていましたが、『6代目も7代目も養子。8代目の自分は、家つきの息子だから怖いものはない』という精神で改革を推し進めました。 ただ、渡辺社長も当時の自分のやり方には“暴君だった”と強引な経営姿勢を反省する部分もあったようです。それからは社内環境を良くすることを重視するようになりました。ちなみに座右の銘は、『われ以外皆わが師』だそうです」(船橋屋の元社員) かつて渡辺社長はインタビューで、入社直後にあたる1990年代半ばの自身の強硬な方針に職人が反発し「気づいたら8割が辞めていました」「『お前らはダメなんだ』としょっちゅう罵倒していて」と明かしていた。 渡辺社長の事故に対して批判の声が殺到した結果、9月27日18時現在、船橋屋のホームページはダウン。事故映像に映る男性が本当に渡辺社長なのかを船橋屋に問い合わせたところ、「社内でも確認中のため、現時点ではお答えできない」とのコメントが返ってきたが、その後、公式に認めた形となった。 なお、渡辺社長は過去に出演したYouTube番組で、車の運転中はクラシック音楽をよく聴くとして、このように魅力を熱弁していた。「運転のときに“ながら”でピアノの音を聞くだけで全然違うんですよ、下りたときの心の安定感が」 事故当時は心の安定感が得られていなかったのだろうか。
問題の映像は、ドライブレコーダーによって撮影されたものとみられる。突然突っ込んできた赤いベントレーにぶつけられて、撮影者が乗った車は大きく揺れた。ベントレーから下りてきた男性は、「どこからお前出てきたんだ、この野郎」「てめぇ、なに曲がってきたんだよ」と大声を出し、いきなり喧嘩腰。撮影者が「(信号は)青でしたよ」と指摘すると、男性は「青じゃねーよ。俺がここ来てんだよ」と怒鳴り、映像の最後には、撮影者の車を蹴ったのか、大きな音も入っている。
映像では人物などにモザイク処理がかけられていたが、またたくまにベントレーから下りてきた男性が船橋屋の渡辺雅司社長だと特定されていた。船橋屋といえば、1805年に創業し、東京・亀戸に本店を持つ老舗和菓子屋だ。
「船橋屋のくず餅は、江戸名物のひとつに数えられたほどの逸品です。芥川龍之介や永井荷風たち文化人も店に足を運び、特に作家・吉川英治とは深い付き合いがありました。吉川英治が書いた看板は、今も本店に飾られています」(フードライター)
8代目当主にあたる渡辺雅司社長は、敏腕ビジネスパーソンとしてメディア出演の機会も多く、『日経スペシャル カンブリア宮殿』(テレビ東京)で特集されたこともある。
「老舗和菓子屋の跡取りとして、お菓子作りというよりも現代的なビジネスのやり方を学んできた方です。立教大学の経済学部を卒業後、三和銀行(現・三菱UFJ銀行)で働き、1993年に満を持して船橋屋に入社しました。かなり合理的な思考をされる方なので、昔ながらの職人たちとは頻繁に揉めていましたが、『6代目も7代目も養子。8代目の自分は、家つきの息子だから怖いものはない』という精神で改革を推し進めました。
ただ、渡辺社長も当時の自分のやり方には“暴君だった”と強引な経営姿勢を反省する部分もあったようです。それからは社内環境を良くすることを重視するようになりました。ちなみに座右の銘は、『われ以外皆わが師』だそうです」(船橋屋の元社員)
かつて渡辺社長はインタビューで、入社直後にあたる1990年代半ばの自身の強硬な方針に職人が反発し「気づいたら8割が辞めていました」「『お前らはダメなんだ』としょっちゅう罵倒していて」と明かしていた。
渡辺社長の事故に対して批判の声が殺到した結果、9月27日18時現在、船橋屋のホームページはダウン。事故映像に映る男性が本当に渡辺社長なのかを船橋屋に問い合わせたところ、「社内でも確認中のため、現時点ではお答えできない」とのコメントが返ってきたが、その後、公式に認めた形となった。
なお、渡辺社長は過去に出演したYouTube番組で、車の運転中はクラシック音楽をよく聴くとして、このように魅力を熱弁していた。
「運転のときに“ながら”でピアノの音を聞くだけで全然違うんですよ、下りたときの心の安定感が」
事故当時は心の安定感が得られていなかったのだろうか。