さまざまな業界で多様な人材が求められている昨今、警察官の中にも異色の経歴を持つ人物がいる。吉本興業のお笑い芸人から2021年に神奈川県警に転職した大城典也巡査(31)が勤める交番を訪ねた。【聞き手・鈴木悟】
【戦友は「マヂカルラブリー」 30年”お笑い”に魅せられ】 ――芸人の道を志したのはいつからですか。 ◆昔から根っからのお笑い好きだったこともあり、大学を卒業してから吉本興業の芸人養成所に一人で乗り込んだ。ただ、お笑いだけでは生活できない。いくつものアルバイトを掛け持ちしながら、ライブに出ていました。

――芸人時代の思い出はありますか。 ◆礼儀に関しては、警察学校よりも厳しかったかもしれない。「かばんを下ろして目を見てあいさつすること!」「時間の10分前には集合すること!」と徹底的に鍛え込まれた。先輩も怖かったが、1期上の「EXIT」の兼近大樹さんはいつもニコニコしていて、とっても優しかった。 ――なぜ芸人から転職しようと思ったのですか。 ◆芸人として5年以上頑張ったが、日本一の若手漫才を決める「M―1グランプリ」で5年連続1回戦敗退という厳しい現実を突きつけられた。養成所には500人の同期がいて、芽が出たのは現在2、3人。芸人として鳴かず飛ばずの日々を過ごしていた3年前、当時交際していた今の妻の一言をきっかけに、新しい道を進むことを決めた。 ――妻の一言とは。 ◆当時、僕は28歳。芸人をやめようか悩んで相談したら「好きなことを続けて」と意外な言葉が返ってきた。どん底の状況でも僕の気持ちを優先してくれた。この人を大切にしよう。その瞬間、自分の夢よりも彼女のために生きようと思うことができた。 ――なぜ神奈川県警を目指したのですか。 ◆一番の理由は「直接、人のためになりたい」と思ったから。川崎市で生まれ育ち、父が警視庁で警察官をしていたこともあった。35歳まで受験が可能だったため、芸人をやめて2020年9月に採用試験を受けた。 ――合格まで苦労したのでは。 ◆1次試験が筆記で、2次は体力測定、論文、面接がありました。当時、神奈川県警の大卒新規採用の倍率は約5・4倍だった。芸人をやめてから半年以上、地方公務員試験の参考書でひたすら勉強しました。合格発表は12月25日。結婚も決めていたので受かったときは本当にうれしかった。 ――面接ではどんなことをアピールしたのか。 ◆「広報マンとして防犯の情報を発信したい」という話をした。面接官からも「芸人のキャリアをどんどん生かしてほしい」と言ってもらった。ゆくゆくは生活安全部で犯罪の被害を減らせるように防犯の情報発信などの業務に携わっていきたい。 ――芸歴は生きていますか。 ◆漫才の聞き役と同じように、巡査もいろんな人の話を聞かなければならない。トラブルが起きた時に僕は聞き役としてリラックスして話をしてもらうことを心掛けている。そこはお笑いの技術が生きている。 ――6月に川崎署の防犯イベントでコントを披露していた。 ◆突然、署から「防犯のネタを作れるか」と連絡が来た。2週間前に台本の準備を始め、警察官の先輩と即席コンビを組み、お客さんの前でやらせてもらった。防犯とお笑いを融合させることは難しいですが、これからもお笑いを通じた防犯活動によって市民の方々を少しでも笑顔にできるように、突き詰めていきたい。 ――自らのキャリアに悩んでいる人に向けてメッセージを。 ◆僕もお笑いで結果が出なくて、あがき続けた。でも、妻の一言によって別の視点を持つことができた。なかなか自分の夢を捨てるのは難しいが、結局は自分で選ぶ道。あがいて結果が出なければ、全く違うことにチャレンジすればいい。どんな選択だって、いずれ正解だったと思う日が来ると思うから。大城典也(おおき・ふみや)さん 1991年、川崎市高津区に生まれる。明治大学理工学部を卒業し、2014年4月に養成所「吉本総合芸能学院」東京校に入学。「ブリランテ」などのコンビ名でツッコミを担当した。同期には「3時のヒロイン」のかなでなどがいた。19年12月に吉本興業を退社し、20年12月に神奈川県警の採用試験に合格。警察学校を経て、21年9月に川崎署に配属され、南町交番勤務。
――芸人の道を志したのはいつからですか。
◆昔から根っからのお笑い好きだったこともあり、大学を卒業してから吉本興業の芸人養成所に一人で乗り込んだ。ただ、お笑いだけでは生活できない。いくつものアルバイトを掛け持ちしながら、ライブに出ていました。
――芸人時代の思い出はありますか。
◆礼儀に関しては、警察学校よりも厳しかったかもしれない。「かばんを下ろして目を見てあいさつすること!」「時間の10分前には集合すること!」と徹底的に鍛え込まれた。先輩も怖かったが、1期上の「EXIT」の兼近大樹さんはいつもニコニコしていて、とっても優しかった。
――なぜ芸人から転職しようと思ったのですか。
◆芸人として5年以上頑張ったが、日本一の若手漫才を決める「M―1グランプリ」で5年連続1回戦敗退という厳しい現実を突きつけられた。養成所には500人の同期がいて、芽が出たのは現在2、3人。芸人として鳴かず飛ばずの日々を過ごしていた3年前、当時交際していた今の妻の一言をきっかけに、新しい道を進むことを決めた。
――妻の一言とは。
◆当時、僕は28歳。芸人をやめようか悩んで相談したら「好きなことを続けて」と意外な言葉が返ってきた。どん底の状況でも僕の気持ちを優先してくれた。この人を大切にしよう。その瞬間、自分の夢よりも彼女のために生きようと思うことができた。
――なぜ神奈川県警を目指したのですか。
◆一番の理由は「直接、人のためになりたい」と思ったから。川崎市で生まれ育ち、父が警視庁で警察官をしていたこともあった。35歳まで受験が可能だったため、芸人をやめて2020年9月に採用試験を受けた。
――合格まで苦労したのでは。
◆1次試験が筆記で、2次は体力測定、論文、面接がありました。当時、神奈川県警の大卒新規採用の倍率は約5・4倍だった。芸人をやめてから半年以上、地方公務員試験の参考書でひたすら勉強しました。合格発表は12月25日。結婚も決めていたので受かったときは本当にうれしかった。
――面接ではどんなことをアピールしたのか。
◆「広報マンとして防犯の情報を発信したい」という話をした。面接官からも「芸人のキャリアをどんどん生かしてほしい」と言ってもらった。ゆくゆくは生活安全部で犯罪の被害を減らせるように防犯の情報発信などの業務に携わっていきたい。
――芸歴は生きていますか。
◆漫才の聞き役と同じように、巡査もいろんな人の話を聞かなければならない。トラブルが起きた時に僕は聞き役としてリラックスして話をしてもらうことを心掛けている。そこはお笑いの技術が生きている。
――6月に川崎署の防犯イベントでコントを披露していた。
◆突然、署から「防犯のネタを作れるか」と連絡が来た。2週間前に台本の準備を始め、警察官の先輩と即席コンビを組み、お客さんの前でやらせてもらった。防犯とお笑いを融合させることは難しいですが、これからもお笑いを通じた防犯活動によって市民の方々を少しでも笑顔にできるように、突き詰めていきたい。
――自らのキャリアに悩んでいる人に向けてメッセージを。
◆僕もお笑いで結果が出なくて、あがき続けた。でも、妻の一言によって別の視点を持つことができた。なかなか自分の夢を捨てるのは難しいが、結局は自分で選ぶ道。あがいて結果が出なければ、全く違うことにチャレンジすればいい。どんな選択だって、いずれ正解だったと思う日が来ると思うから。
大城典也(おおき・ふみや)さん
1991年、川崎市高津区に生まれる。明治大学理工学部を卒業し、2014年4月に養成所「吉本総合芸能学院」東京校に入学。「ブリランテ」などのコンビ名でツッコミを担当した。同期には「3時のヒロイン」のかなでなどがいた。19年12月に吉本興業を退社し、20年12月に神奈川県警の採用試験に合格。警察学校を経て、21年9月に川崎署に配属され、南町交番勤務。