昭和46年の渋谷暴動事件で殺人罪などに問われた過激派「中核派」の活動家、大坂正明被告(73)の初公判が25日、東京地裁で開かれる。
事件後に指名手配され、45年に及ぶ逃亡生活を経て潜伏先で逮捕された被告は、全面的に無罪を主張する構えだ。めぼしい物証がない中、公判ではデモ参加者の証言が事実認定の中心になるとみられ、審理の長期化も予想される。(村嶋和樹)
平成29年5月の逮捕後、自身の名前すら明かさず完全黙秘を貫いていた大坂被告。30年3月に東京地裁であった第1回公判前整理手続きで、初めて「大坂正明です」と述べ、本人であることを認めた。
弁護団によると、今月21日に行われた最後の公判前手続きで、初公判から来年3月までの間に計22回の公判期日が指定された。
検察側は、事件で負傷した機動隊員や大坂被告の犯行を目撃したとするデモ参加者、弁護側は現場で被告を見ていないとするデモ参加者など、双方あわせて約30人の証人尋問を請求する方針。被告本人の被告人質問は来年4月以降の見込みという。
最大のポイントとなるのは、大坂被告が警察官殺害の現場にいたことを検察側が立証できるかどうかだ。半世紀前の事件であり物証は極めて乏しく、唯一ともいえるデモ隊を写した現場写真では、被告を特定できていない。
ただ、デモ隊の最高責任者として、殺人罪などで無期懲役が確定した星野文昭元受刑者=服役中の令和元年5月、73歳で病死=の確定判決ではデモ参加者の供述調書が証拠として採用され、大坂被告は警察官殺害の現場に居合わせて「殺せ、殺せ」と怒号を上げていたと認定された。
一方の弁護側は、公判で「デモには参加したが途中で警察車両を単独で追跡しており、デモ隊とは100メートルほど離れていた」と主張する方針。大坂被告は殺害現場を通過したことは認めつつ、すでに事件が終わった後だったと話しているという。
今年8月、大坂被告は支援団体の集会に「私の裁判の証拠は一部の参加者のでたらめな供述調書だけ。脆弱(ぜいじゃく)な証拠の矛盾を暴き出せば、裁判官も無罪判決を出さざるを得なくなる」とする手紙を寄せた。