10月25日に衆議院本会議場で行なわれた安倍晋三・元首相への追悼演説。政敵だった野田佳彦・元首相によるスピーチは万雷の拍手を浴び、傍聴席で演説に耳を傾けた安倍昭恵さんは、演説後に野田氏と面会すると「原稿を仏壇に供えたい」と語った。その昭恵夫人が傍聴席で胸に抱えていた「晋三氏の遺影」には、晋三氏やその父・晋太郎氏(元外相、元自民党幹事長)の秘話が詰まっていた。
【貴重写真公開】遺影に使われた昨年6月の撮影の様子のほか、若き日の晋三氏と父・晋太郎氏の貴重な写真も カメラに向かって腕を組み、柔らかい笑顔を向ける晋三氏──追悼演説で昭恵夫人が手にしていた遺影は、9月27日の国葬で祭壇に掲げられた写真とは違っていた。国葬での遺影は選挙ポスター用に撮影された写真だったが、追悼演説での写真は昭恵夫人が自宅にあった亡き夫のカットから選んだという。

この写真が撮影されたのは昨年6月、ある雑誌のインタビュー取材でのこと。シャッターを切ったのは報道写真家の山本皓一氏だ。「議員会館内の会議室をスタジオ風にセットして撮影しました。普通ならインタビューの最中にタイミングをみながら撮影するのですが、この時は晋三さんも“政治家としての集大成の記録”という気持ちがあったのでしょうか。撮影に多くの時間を割いてくれ、撮影中も大変楽しそうにしていた。晋三さんの写真は若い頃から数多く撮影してきましたが、これまでにない柔和な表情が印象的でした」(山本氏) 今年7月に晋三氏が凶弾に倒れてからおよそ2か月後、山本氏はこれまでに撮影した写真をアルバムにまとめて昭恵夫人に届けた。1987年の結婚前後の秘書時代、若手政治家の頃、総理在任中、そして直近の写真……昭恵夫人は晋三氏の母・洋子さんとともに、懐かしそうにアルバムをめくり、数枚を自宅リビングに飾ったという。追悼演説での遺影はそのうちの1枚だった。「遺影として使われることを私は知らなかったのですが、『昭恵さんが山本さんの写真を抱えている』と知らされ、慌てて確認しました。妻の昭恵さんがあの写真に“直近の晋三さんらしさ”を感じてくれたのかな、と」(山本氏)父・晋太郎氏の遺影も撮影していた 山本氏が晋三氏の写真を撮るようになったのは、30年以上前に父・晋太郎氏の密着取材をしていた縁があったからだ。外相や自民党幹事長などを歴任した晋太郎氏の外遊に同行撮影する機会も多く、その時には晋太郎氏の隣にいつも晋三氏の姿があったという。そうした関係もあり、1991年に死去した晋太郎氏の葬儀では、山本氏が撮影した写真が祭壇に飾られた。 そのことを晋三氏がスピーチの“ネタ”に使ったことがあった。2003年、山本氏が著書『来た、見た、撮った! 北朝鮮』で第35回講談社出版文化賞写真賞を受賞した際の記念パーティに駆けつけ、こう挨拶したのだ。「私の父も山本さんに撮ってもらった写真が遺影になりました。他にも何人かの遺影を撮影していまして、 “山本さんの手で撮られると遺影になってしまう”。だから私は山本さんに撮ってもらうのは、もっと後にしてもらいたい(笑)」 当時の晋三氏は幹事長に就任したばかり、「次の総理」の最有力候補として権力の頂点を目指していた頃。晋三氏のジョークに会場は笑いに包まれたのだが、それから19年後に追悼の場で山本氏の写真が使われることになってしまった。「隣でスピーチを聞いていた時は、“私より一回りも若い晋三さんの遺影はあり得ないよ”なんて返しましたが、まさかこんなことになるとは何とも因縁を感じますし、悲しいとしか言いようがありません。それでもこうして私の写真が『安倍晋三の記録』となったことはカメラマンとして感慨深いものがあります」(山本氏) 国会議事堂に最後の別れを告げた晋三氏の写真は、野田氏の追悼原稿とともに自宅に飾られている。
カメラに向かって腕を組み、柔らかい笑顔を向ける晋三氏──追悼演説で昭恵夫人が手にしていた遺影は、9月27日の国葬で祭壇に掲げられた写真とは違っていた。国葬での遺影は選挙ポスター用に撮影された写真だったが、追悼演説での写真は昭恵夫人が自宅にあった亡き夫のカットから選んだという。
この写真が撮影されたのは昨年6月、ある雑誌のインタビュー取材でのこと。シャッターを切ったのは報道写真家の山本皓一氏だ。
「議員会館内の会議室をスタジオ風にセットして撮影しました。普通ならインタビューの最中にタイミングをみながら撮影するのですが、この時は晋三さんも“政治家としての集大成の記録”という気持ちがあったのでしょうか。撮影に多くの時間を割いてくれ、撮影中も大変楽しそうにしていた。晋三さんの写真は若い頃から数多く撮影してきましたが、これまでにない柔和な表情が印象的でした」(山本氏)
今年7月に晋三氏が凶弾に倒れてからおよそ2か月後、山本氏はこれまでに撮影した写真をアルバムにまとめて昭恵夫人に届けた。1987年の結婚前後の秘書時代、若手政治家の頃、総理在任中、そして直近の写真……昭恵夫人は晋三氏の母・洋子さんとともに、懐かしそうにアルバムをめくり、数枚を自宅リビングに飾ったという。追悼演説での遺影はそのうちの1枚だった。
「遺影として使われることを私は知らなかったのですが、『昭恵さんが山本さんの写真を抱えている』と知らされ、慌てて確認しました。妻の昭恵さんがあの写真に“直近の晋三さんらしさ”を感じてくれたのかな、と」(山本氏)

山本氏が晋三氏の写真を撮るようになったのは、30年以上前に父・晋太郎氏の密着取材をしていた縁があったからだ。外相や自民党幹事長などを歴任した晋太郎氏の外遊に同行撮影する機会も多く、その時には晋太郎氏の隣にいつも晋三氏の姿があったという。そうした関係もあり、1991年に死去した晋太郎氏の葬儀では、山本氏が撮影した写真が祭壇に飾られた。
そのことを晋三氏がスピーチの“ネタ”に使ったことがあった。2003年、山本氏が著書『来た、見た、撮った! 北朝鮮』で第35回講談社出版文化賞写真賞を受賞した際の記念パーティに駆けつけ、こう挨拶したのだ。
「私の父も山本さんに撮ってもらった写真が遺影になりました。他にも何人かの遺影を撮影していまして、 “山本さんの手で撮られると遺影になってしまう”。だから私は山本さんに撮ってもらうのは、もっと後にしてもらいたい(笑)」
当時の晋三氏は幹事長に就任したばかり、「次の総理」の最有力候補として権力の頂点を目指していた頃。晋三氏のジョークに会場は笑いに包まれたのだが、それから19年後に追悼の場で山本氏の写真が使われることになってしまった。
「隣でスピーチを聞いていた時は、“私より一回りも若い晋三さんの遺影はあり得ないよ”なんて返しましたが、まさかこんなことになるとは何とも因縁を感じますし、悲しいとしか言いようがありません。それでもこうして私の写真が『安倍晋三の記録』となったことはカメラマンとして感慨深いものがあります」(山本氏)
国会議事堂に最後の別れを告げた晋三氏の写真は、野田氏の追悼原稿とともに自宅に飾られている。