二子玉川ライズのビル群と二子玉川駅(写真:zafira/PIXTA)
無駄に物価が高い?おしゃれなだけで中身がない?それ、ただの「住まず嫌い」かもしれません――。東急沿線に約40年住み続けた筆者が東急線と沿線の街々について正直ベースで書き下ろした『なぜ東急沿線に住みたがるのか』(交通新聞社新書)の一部を抜粋して紹介します。
40年も東急の沿線、それも自由が丘から近いところに住み続けてきた理由はなんだろう。
相模原市から大岡山に引っ越したときは、大岡山を選んだというよりもたまたまいいタイミングで空き物件があったからにすぎなかった。ほかの街でもよかった。大岡山という街をよく知らなかった。
住んでいるうちにいろんな事がわかってきた。たとえば大岡山という街区は目黒区に属しているけれども大岡山駅があるのは大田区北千束であること、大岡山北口商店街も目黒区ではなく大田区に属することなども住んでしばらくして知った。
この街に親や親戚がいるわけでもない。通った学校が近かったわけでもない。それでも住み続けてきたのは、やはり居心地がいいからにつきる。
ほどよいにぎやかさとでもいおうか。東急沿線には起点の渋谷を除くとそれほど大きな街はない。
自由が丘は雑誌やテレビでよく取り上げられる街だけれども、にぎやかなのは駅周辺のエリアだけだし、そのにぎやかさも、たとえばバブル時代の原宿竹下通りのようなものではない。わざわざ遠くから来た人は「えっ、こんなもの」と肩透かしを食らったような気持ちになるかもしれない。
自由が丘には自由が丘デパートはあっても百貨店はないし、大型商業施設もない。飲食店や洋服店、生活雑貨店などが通りに並んでいる。道路はどこも狭く一方通行が多い。路上駐車は少ないが、それは路駐があるとたちまち渋滞してしまうからだ。
しかし、この狭い通りにいろんな店が並んでいるというところが自由が丘の魅力だ。清潔さと猥雑さのバランスがいい下北沢とも共通する。自由が丘には街路を歩く楽しみがある。ヴァルター・ベンヤミンの『パサージュ論』を思い出す。
対照的なのは二子玉川かもしれない。玉川島屋の百貨店とショッピングセンターが中心だったところに、大型商業施設のライズができて街が広がり人の流れも変わった。タワーマンションが並び、公園も整備された。路面店は島屋の裏手のほうに並んでいるが、存在感は薄い。大型施設中心の街だ。
二子玉川を「にこたま」と呼ぶか「ふたこ」と呼ぶか。バブルのころは自由が丘を「がおか」とか「おかじゅう」と呼ぶ人がいたけれど、最近は聞かない。
でも「ふたこたまがわ」は長いので「にこたま」「ふたこ」と略したくなる。ただ、二子新地という駅もあるから、略すのなら「にこたま」のほうがいいと思う。というわけでぼくは「にこたま」を使っています。
ついでにいうと東急沿線には「むさこ」問題がありますね。武蔵小山の略なのか武蔵小杉の略なのか。どちらも目黒線の駅なのでまぎらわしい。武蔵小山は「むさこ」で武蔵小杉は「こすぎ」というべきだという人もいる。これについては、だったら略さずに武蔵小山・武蔵小杉といえばいいではないか、というのがぼくの意見だ。
二子玉川についても「にこたま」はバブル臭がするから略さないほうがいいという意見も目にしたことがある。バブル臭かどうかはともかく、略称は仲間内の符丁みたいであまりいい感じはしない。西荻窪に住んでいたころ、吉祥寺のことを「じょーじ」と呼ぶ人がいてなんだかなと思った。もっとも、西荻窪は「にしおぎ」というけど。
等々力に住んでいた5年間は二子玉川によく行った。徒歩で行くことも自転車で行くこともあった。等々力通りを進むと上野毛駅前。そのまま環八を渡って坂を下る。坂の途中に宮城まりこさんのお屋敷。門扉に♪がついている。坂の左側は上野毛自然公園。以前は坂を下りきったところに都立高校や自動車教習所があった。右折すると二子玉川。
二子玉川に行くということは島屋に行くということと同義語だった。それも本館ではなく南館・SC館に入っているショップを覗いて回るのだった。
ひところはほとんどの洋服を南館のビームスやシップスで買っていた。文具の伊東屋、紀伊國屋書店、眼鏡のフォーナインズでもよく買い物をした。南館が拡張されてからは、レストランにもときどき行った。本館地下の和菓子店もよく行った。
駅の南側(というか、正確には東側)には東急ストアと東急ハンズがあった。ハンズは渋谷に比べると小さな規模の店だったが、それでもちょっとした金物や工具を買うのに便利だった。
この40年で二子玉川の東側が大きく変わった。ぼくが大岡山に引っ越したときは、まだ遊園地「二子玉川園」があった。それが1985年に閉園して、跡地は二子玉川タイムスパークと名づけられ、ナムコワンダーエッグやいぬたま・ねこたま、テニスコート、レストランなどができた。等々力に引っ越した98年ごろもワンダーエッグやいぬたま・ねこたまはあった。
それが2000年代になってから再開発が進み、風景は一転した。タイムスパークはなくなり、東急ハンズや東急ストアもなくなった。
代わってライズができ、タワーマンションが並んだ。ライズには文教堂書店の大型店と、別の棟に蔦屋家電が入った。蔦屋家電は家電も置く蔦屋書店だ。ライフスタイルの提案がコンセプトらしい。広い公園もできた。
変化というのは恐ろしいもので、新しい建物がいろいろできると、以前はどんな風景だったのか思い出せない。
蔦屋家電ができたばかりのころ、雑誌の仕事で取材した。たしか開店前の8時ごろに取材したのだった。蔦屋家電にはスタバが併設されていて朝7時から営業している。
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こんなに早くから開ける必要があるのかとマネージャーだったか広報担当者だったかに訊ねると、二子玉川には子供を幼稚園(注・保育園にはあらず)に通わせている家庭が多く、子供を幼稚園に送った後の母親たちのために早くから開けるのだといっていた。
彼女たちは朝からフルメイクでオシャレもしているので、そのまま帰るのは忍びないというか、ママ友たちとおしゃべりもしたい。そんな母親たちと、犬の散歩をする人たちのために朝から開けているのだ、と説明された。
そのときは、「またまたぁ、話を盛っちゃって」と内心思いながら「ふむふむ、興味深いお話ですなあ」と頷いていたのだけれども、本当にやってくるのだ、幼稚園マダムたちが。みなさんおきれいで、お召しものも高価そう。センスもよくて。「ニコタマダム」って実在するんだ!と驚いた。
田園調布には田園調布雙葉学園という幼稚園から高校までのお嬢様学校があって、最寄り駅は田園調布か九品仏なのだけど、下校時刻には旗を持って子供たちを誘導する母親たちが通学路の要所要所に立っている。「シャネルのスーツにフェラガモの靴」なんていわれたりもしたけど、それはオーバーとしても、みなさん高価そうな服を着ていらっしゃいます。
奥沢に引っ越してからは頻度が減ったものの、ときどき二子玉川へ行く。渋谷よりも頻度は高い。なぜ渋谷より二子玉川に行くのか。やっぱり渋谷は人が多すぎるし、若い人が多いのでなんだか落ち着かない。
あれはまだ90年代だったと思うけれども、渋谷ロフトの幹部に取材したことがあった。
そのとき彼が渋谷の街の問題点として「過度のヤング化」と話していたのが印象的だった。その少し前にセンター街にチーマーが増えて、トラブルが続発しているというニュースもあった。ガングロのコギャルたちが闊歩していた。「若者の街」というといいイメージがあるが、実業界の大人たちからすると必ずしもそうではないのだなと感じた。
「過度のヤング化」の問題点は2つあり、1つはチーマー同士のトラブルやチーマーと一般人とのトラブル。センター街でチーマーがサラリーマンとおぼしきスーツ姿の男性に土下座させていた、という話も聞いた。もっとも、不良少年によるカツアゲなんていうのは昔から全国どこでも盛り場ならありふれた話で、渋谷だけの話じゃない。ただ、渋谷のコギャルやチーマーがメディアで注目され、それによってさらに若者たちが集まった。「過度のヤング化」の問題点2つめは、渋谷を訪れる人が使うお金が減っていることだった。それはそうだ、若者たちはお金なんて持っていないもの。お金を使う人が来るのは歓迎するけど、使わない人は来ないでほしい、というのが実業界の大人たちの本音だ。かくして2000年代の渋谷は街をどう大人化するかが隠れた課題だったのだと思う。たしかにひところよりセンター街の若者は減ったように思う。とはいえやはりほかの街に比べて若者が多い。だからぼくも無意識に、出かけるなら二子玉川へ、となってしまう。(永江 朗 : ライター・著作家)
「過度のヤング化」の問題点は2つあり、1つはチーマー同士のトラブルやチーマーと一般人とのトラブル。センター街でチーマーがサラリーマンとおぼしきスーツ姿の男性に土下座させていた、という話も聞いた。
もっとも、不良少年によるカツアゲなんていうのは昔から全国どこでも盛り場ならありふれた話で、渋谷だけの話じゃない。ただ、渋谷のコギャルやチーマーがメディアで注目され、それによってさらに若者たちが集まった。
「過度のヤング化」の問題点2つめは、渋谷を訪れる人が使うお金が減っていることだった。それはそうだ、若者たちはお金なんて持っていないもの。お金を使う人が来るのは歓迎するけど、使わない人は来ないでほしい、というのが実業界の大人たちの本音だ。かくして2000年代の渋谷は街をどう大人化するかが隠れた課題だったのだと思う。
たしかにひところよりセンター街の若者は減ったように思う。とはいえやはりほかの街に比べて若者が多い。だからぼくも無意識に、出かけるなら二子玉川へ、となってしまう。
(永江 朗 : ライター・著作家)