韓流だけじゃない!「新大久保」知られざる大変貌

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新大久保で「MICスーパー」を経営するダス・ポンコズ・コマルさん(筆者撮影)
東京・新大久保といえば、コリアンタウンとして知られていますが、近年は外国人が経営するエスニック食材店が増えるなど変貌を遂げています。なぜ新大久保に外国人経営者が集まるのか。新大久保在住のライターの室橋裕和さんがリポートします。
「らっしゃい、らっしゃーい!」
威勢のいい声が、店内に響く。声の主は日本人ではない。バングラデシュ人のダス・ポンコズ・コマルさんだ。東京・新大久保にあるアジアの食材がびっしりと並ぶ「MICスーパー」の店主である。
ガチ中華とネパール居酒屋と、日本人とネパール人が営む八百屋と並んで「MICスーパー」はある(筆者撮影)
忙しく立ち働くダスさんに、ベトナム人のお客が声をかけてくる。調味料について尋ねているらしい。
「これ、けっこう辛いよ」「大丈夫かな」
2人の会話は日本語だ。多国籍な人々が行き交うここ東京・新大久保では、外国人同士でも日本語が共通語として話されている。
そんな街を反映するように店の商品も多種多様。インドの米やスイーツ、スパイス、タイやベトナムの調味料、アジア各国のスナック、マンゴーやココナツといった南国の果物、見たことのないナゾの野菜……。
店頭には格安の野菜や果物が並ぶ(筆者撮影)
「肉はみんなハラル(イスラム教の戒律に則って処理され、食べてもいいとされるもの)ですね。とくに冷凍の鶏モモはよく売れます」
宗教を問わず幅広く売れる鶏肉は、この手のエスニック食材店の「鉄板」だ。それに、どんな民族でもよく使う、ジャガイモやキャベツ、人参、玉ねぎといった野菜は店頭の目立つところに陳列している。しかもけっこう安いのだ。
見慣れない野菜も発見。「コールラビ」といってベトナム人に人気らしい(筆者撮影)
日本人客には合わせ調味料がよく売れるそうだ(筆者撮影)
「入り口にあるものが安かったら、じゃあ中も見てみようって思うでしょ」
日本のスーパーマーケットでも取り入れている戦略なのである。なお野菜や果物はすぐ近くにある淀橋市場や、板橋市場などから日本人の業者を介して仕入れているそうだ。こうしたエスニック食材店でも、取引を通じた日本人との付き合いは欠かせない。
新大久保はいまや、エスニックビジネスの超激戦区となっている。さまざまな国のレストランが並ぶだけでなく、印象的なのは食材店の多さだ。インド、ベトナム、韓国、中国、ネパール、タイ、それにインドネシアやパキスタンといったハラル(イスラム教の戒律で食べることを許されたもの)の店など、30軒以上のエスニック食材店がしのぎを削る。
新大久保には写真のようなエスニック食材店が至るところにある(筆者撮影)
とりわけJR新大久保駅とJR大久保駅の間がすごい。ほんの300メートルほどなのに、周辺の路地も含めると20軒ほどの食材店がひしめく。週末になると、買い物にやってきたさまざまな顔立ちの外国人で賑わう。
「MICスーパー」もそんな一角にあるが、過当競争と思えるこのエリアに、ダスさんはなぜ出店したのだろうか。
「ここはそれだけ人が集まる街なんです」
新大久保は日本人女性にとっては「韓流の街」だが、それは日本に住むアジア系外国人にとっても同じで、やっぱり「遊びにくる街」なのである。
これだけエスニック食材店やアジアのレストランが密集している場所はほかにない。近頃ではサリーなどの民族衣装やアクセサリーを売る店もいくつかできており、ベトナムや中国のカラオケ屋もあれば、ネパールスタイルの美容院もある。故郷に仕送りするための送金ショップも並ぶ。
そんな新大久保にやってきて人と会い、買い物や食事を楽しみ、送金などの用事も済ませて、またそれぞれの街に帰っていく。それも都内や近郊だけでなく、日本全国から集まってくるのだそうだ。
「地方に住んでいる外国人が、東京に遊びにきたから新大久保も行ってみよう、なんてこともあります。ここはそういう街なんです。みんな知ってる」
その性格は年を追うごとに強まっているように思う。僕は新大久保に住んで6年になるが、ここ3年ほどで外国人経営の店は目に見えて増えた。そして多様化してきている。だからダスさんもまだまだ伸びしろを感じ、ここで勝負を賭けたのだろう。
だが競争は厳しい。「MICスーパー」は周囲に乱立する同業者と差別化するため、とくに野菜類を豊富に仕入れ、値段も他店の様子を見ながら安く設定している。そして深夜1時まで店を開けている。
「ほかの店は夜10時とか11時に閉まるからね。その後から来るお客さんも多いんです」
MICスーパー店内にはおよそ1000種の商品が並ぶが「まだまだ増やしたい」とダスさんは言う(筆者撮影)
豆の種類も実にさまざま。南アジアでは欠かせない食材だ(筆者撮影)
新大久保はまた留学生の街でもある。日本語学校がたくさんあるのだ。働きながら学ぶ苦学生も多い。彼らがアルバイトを終える深夜に開いている店があるというのはありがたい。だから終電まで営業するのだ。なかなかたいへんだが、ダスさんは「大丈夫、ダイジョブ」と笑う。僕と同じく近所に住んでいるので、少なくとも通勤の苦労はないようだ。
「MICスーパー」があった場所は以前、回転寿司屋だった。僕もときどき行っていたので閉店を残念に思ったものだが、地元住みのダスさんもそれをよく見ていて、店舗が空くと同時に速攻で不動産屋に駆け込んだ。
「でも、先にネパール人が手を付けていたんですよ」
あの回転寿司屋は長いことネパール人のおばちゃんたちが働いていたので、彼らのほうが情報が早かったのかもしれない。ガックリしたダスさんだったが、数日後に電話が鳴った。不動産屋からだった。
「ネパール人が入る話が流れたから、ダスさん借りない?って」
ただ問題はビルそのものの取り壊しが2025年に決まっていること。借りられるのはそれまでの1年半だ。それでも、人通りの激しい大久保通りの路面店を持てるのだ。
期間が限られているぶん賃料が安いこともあって、「先がちょっと心配だけど」とダスさんは店子になることを決意した。2023年11月のことだ。
そして念願の食材店を開いたのだが、店頭にブースをつくってケバブ屋を入れたのである。その家賃も収入になるというわけだ。当初はウズベキスタン人に貸していたが、いまはトルコ人となっていて、彼らとのやりとりももちろん日本語だ。
いろいろ考えるよなあ……と感心するが、ケバブ屋とのツテがあるのはダスさんがもともと食材の卸を生業としていたからだ。米やスパイス、それに食肉などを扱う。トルコ人たちも取引先の1つだったというわけだ。ほかにもネパール人やベトナム人などさまざな人がビジネス相手だ。
新大久保にはこんな商人が多い。
こうして発進した「MICスーパー」はなかなか好調のようだ。その様子を見て、いろんな人から「自分も新大久保でビジネスをやりたい、相談に乗ってくれ」といった話が舞い込むそうだ。
「同じバングラデシュ人、ネパール人、パキスタン人とか。この前は店を開きたいって韓国人が来て、紹介料を払うから空いている場所を探してほしいって言われましたよ」
それだけ新大久保は、いま外国人から注目されている場所なのだ。アジア系の人々が日本中から集まってくるという特性を活かして、なにか商売ができないかと考える外国人がこの街には多い。食材や送金ビジネスだけではない。僕の知る限りでも、IT関連、人材、翻訳、デザインなどの小さなオフィスが新大久保の雑居ビルに入っている。
「ここはビジネスチャンスの街です。それは間違いない」
そう力強く言うダスさんに「これから新大久保でイケそうなビジネスはなに?」と聞くと「電気製品はいいと思うよ」との答え。言われてみれば新大久保には中古のスマホやタブレットなどを売る店もけっこうある。
「中古のものは秋葉原より安いんですよ。スマホは新大久保からアキバの店に卸していたこともあるくらいです」
なんと新大久保の外国人コミュニティと秋葉原の日本人中古業者が、スマホ取引を介してつながっていたのだ。そんな利点を活かして新大久保に大きな“電脳ショップ”をつくったら、外国人にもデジタルガジェット好きは多いし確かにウケそうだ。
彼ら外国人を商売相手、消費者と見込んでビジネスを展開する日本人も、新大久保には少しずつ出てきている。この分野はまだまだブルーオーシャンなのである。商習慣の違いや言葉の壁から手こずることもあるだろうが、異国にありながらばんばんビジネスを立ち上げ新しいことにトライしていく外国人たちのコシの軽さとエネルギーに、刺激をもらえることは確かだと思う。
ダスさんに「日本人とビジネスをするうえで大事なことは?」と聞くと「時間を守ること」と即答した。街のはんこ屋でちゃんと印鑑もつくっている。
彼のように日本になじみ、経験も長い商人が、新大久保で生きる外国人の1つの典型のように思うが、ダスさんが来日したのは2006年のこと。
「子どものころから日本に興味があったんですよ」
バングラデシュ東部クミッラ出身のダスさんは大学で国文学を専攻する学生だったが、卒業すると日本へ。まずは福岡の日本語学校で言葉を鍛えた。それから東京・吉祥寺にあるビジネス系の専門学校に進学。このときから新大久保で暮らし始めた。
「大久保駅から吉祥寺まで電車で1本だし、新宿でバイトしてたからね」
新宿・紀伊國屋書店の地下にあった「ファーストキッチン」でずっと働いていたそうだ。外国人でも職場が見つけやすい新宿が近いからと、新大久保に暮らす留学生は昔から多い。ダスさんもその1人だった。
卒業後は情報系の大学に入ったのだが、在学中に起業。外国人が会社を立ち上げるには一般的に500万円の出資が必要なのだが、「ファーストキッチン」で稼いだお金と実家からの援助で賄った。住み慣れた街、新大久保に小さなオフィスを構えた。
そしてまず手がけたのが中古の携帯電話やパソコンの販売だったという。日本人の業者から仕入れて、外国人にも日本人にも売る。
「新大久保の駅前でチラシ配ってね。手に取ってくれる人がいたら、話して事務所まで来てもらって」
そんな地道な営業を続け、やがて食品の卸も手がけるようになり、レストランなどさまざまな仕事での経験が、いまのスーパーマーケット経営に活かされている。
この街で成功するために必要なことを尋ねると、「お客さんとの付き合いです」とダスさんは言う。
ふだんからコミュニケーションを取っている人たちが、お客を連れてきてくれる。いろいろな商談も舞い込む。新大久保ではその相手が多国籍というだけで、本質的には下町の商店街なのかもしれない。
「ところで、どこか空いている店舗があったら教えてね」
ダスさんは同じ新大久保住みの僕にも念を押すのを忘れない。まだまだビジネスを拡大させたい。いずれは日本の地方にあるような大型のスーパーマーケットを経営したいのだという。
この街ではダスさんのように野望を抱く異国の商人たちが、抜け目なくビジネスチャンスをうかがっているのである。
(室橋 裕和 : ライター)

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