《スーパーボランティアの尾畠春夫さん激白》「国は何をしているんだ」能登半島の被災地へ向かわなかった意外な理由

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

新年を迎えてまもない元日、未曾有の大震災が能登半島を襲った。200人を超える犠牲者に家屋の倒壊、石川県内では1月28日時点で約1万4500人が避難所生活を余儀なくされている。
【写真】右目を失明……尾畠春夫さんの現在の姿、大破する前の愛車、自宅内の様子など
これまで石川県は道路のインフラ復旧の遅れ、救助活動の妨げや二次災害の恐れがあるとして、個別のボランティアが被災地へ入ることを控えるよう要請していた。今月27日になり、県が全国から一般募集し、事前登録のあったボランティアが被災地に入り、がれきの片づけなどの復旧作業が始まった。
地震発生から4週間。これまで全国の被災地、捜索現場などに真っ先にかけつけてボランティア活動を行う尾畠春夫さん(84)の姿があった。だが、今回の被災地でその目撃情報は寄せられていない。84歳となった尾畠さんはいったい今──。1月下旬、NEWSポストセブンが大分県の自宅を訪ねた。「中に入って!」尾畠さんはそう記者を自宅へ招き入れると、被災地への思い、今回、現地入りしなかった意外な理由を明かしてくれた。【前後編の前編。後編を読む】
「ずっと食い入るようにテレビを見て、新聞も読んでます。(政府の対応の遅さに)国は何をしているんだと毎日イライラしていますよ」
ニット帽にジャンパーを着た尾畠さんは、時折、語気を強めながら真剣な眼差しで語る。
「(支援物資を積んだ)車が通れないから入れませんと言うけど、車がダメならリヤカーでも何でもいいじゃないですか。リヤカーがだめなら自転車に荷物を積んで押していくとか、できることはあります。私の好きな言葉で『物は有限、知恵は無限』というのがあるけど、国の人はもっと考えないと」
地震発生から連日、震災関連のニュースを注視しているという尾畠さんだが、すぐに能登へ向かうことを断念。そうせざるを得ない事情があった。
「実は去年の12月30日の夜、自宅近くのT字路で事故を起こして、車の前方がぺちゃんこになってしまってね。車屋に持って行ったら『70万円くらいかかる』と言われて、今修理に出してます。事故がなければ現地に入っていたか? それはもちろん現地に行ってます。
自分が被災地行く時は、最低1、2カ月はおるつもりやけど、2時間あったら、出発のための準備はすぐにできますから(自宅にあるナイフやペンチ、ロープなどの工具類ほか、愛用の道具などを見せる)。お手伝いしたいと、常に思っています。30日に車で事故を起こして、その2日後に地震があり、津波が来た。『何でこんな時に!』という忸怩たる思いが強くあります……」
現在も被災地では断水をはじめ、食事の面でも厳しい状況が続いている。自衛隊のほか現地入りしたボランティアが支援を行うなか、一部ボランティアが、被災者用の炊き出しを食べたり、道路渋滞の要因となるなど、批判の声もある。
「もちろん水や食料も全部こっちから持って行きますよ。東日本大震災の時も南三陸に500日おったけど、現地の水は一滴も飲んでません。あそこは避難所の近くに志津川が流れているから、車で行って2リットルのペットボトル10本くらい水を汲んで利用した。沸騰させて飲むのか? 沸騰なんかしませんよ、当然そのまま飲みます」
65歳で仕事を辞め、『学歴も何もない自分がここまでやってこれた。これからは社会へ恩返しをしたい』という思いから始めた尾畠さんのボランティア活動。東日本大震災では、がれきの中に埋もれた家族の写真を拾い集め、2018年には山口県で行方不明になった当時小学1年生の男児を救出。以来、「スーパーボランティア」と呼ばれるようになった。
「ボランティアは『してあげる』でなく『させてもらう』という気持ちじゃないとダメなんです。水一滴でももらってはいけないという覚悟が必要です。被災地の方に飲食を勧められても基本は断りますよ。こちらから『ちょっと水を飲ませてくれ』なんていうのはダメです。現地の人もボランティアがどんな活動をしているか見てますから」
「石ころ1つでもきれいにしたい」──84歳となったスーパーボランティアは、満を持して被災地へ向かう。
(後編に続く)

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

SNSでもご購読できます。