【吉村 昭彦】結局、「新型コロナでは使えなかった」としても…120年前に日本人が発見した「血清療法は今でも超重要」である納得の理由

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

はじめての日本人ノーベル賞受賞者は、1949年に物理学賞を受賞した湯川秀樹が有名ですが、それ以前にも有力な受賞候補者がいたことをご存知でしょうか? じつは、1901年の第1回から候補にあがっていたのが、医学博士で細菌学者の北里柴三郎です。惜しくも受賞はなりませんでしたが、日本の近代医学の発展に大きく貢献しました。
さて、1月29日は、その北里柴三郎の誕生日です。そこで、今回は、北里の、ノーベル賞受賞候補の理由ともなった功績を振り返り、病原体から体を護る「免疫」の働きとしくみを見てみましょう。
*本記事は、ブルーバックス『免疫「超」入門』から、内容を再構成・再編集してお届けします。
2020年3月、新型コロナウイルス感染症が猛威を振るい始めたころ、俳優のトム・ハンクスさんが滞在先のオーストラリアで感染したことを公表しました。彼は回復しアメリカに戻った後、自分の血清(血液を分離したときにできる上澄みの黄色い液体成分。血漿とほぼ同じ)を研究機関に提供しました。
回復した患者の血清中には、ウイルスに結合してウイルスが細胞に潜り込むのを阻害する「抗体」が含まれています。ハンクスさんは、ほかの患者の治療や研究に使って欲しいと、血清を提供したのです。回復した人の血清を投与して治療する方法は「血清療法」と呼ばれています。
遠心分離後の血液サンプル。透明な黄色い部分が血漿。 photo by gettyimages
ここで抗体の歴史を少し振り返ってみましょう。抗体の発見には、ある日本人が大きな役割を果たしていたのです。
2024年に発行される新千円札の肖像画になる北里柴三郎博士です。
北里博士は1853年に熊本県阿蘇郡に生まれ、1874年に東京医学校(現・東京大学医学部)入学、1883年に卒業しています。
その後1886年に、近代細菌学の開祖とも呼ばれるドイツのロベルト・コッホ博士のもとに留学し、破傷風の原因となる破傷風菌の純粋培養(1種類の細菌だけを分離して培養すること)に成功するなど、細菌学者として頭角を現しました。そして1890年に世界で初めて血清療法を確立したのでした。
破傷風菌は酸素があると増えることができない嫌気性のため、普段は地中などにいて、めったに悪さをしません。しかし、農作業中などにけがをして破傷風菌が傷口から入り込むことがあります。破傷風菌に感染すると、けいれんや呼吸困難を生じ、致死率は50%に達するとされる非常に毒性の高い細菌です。
破傷風菌のの顕微鏡写真 photo by gettyimages
北里博士は破傷風菌の研究から、細菌そのものが人を死に至らせるのではなく、細菌がつくる毒素が人を死に至らせることに気が付きました。
そこで、毒素を含んでいる破傷風菌の培養液を少しずつ実験動物に注射していく、という実験を行いました。そして、その実験動物は致死量の毒素を与えても死なないことを見いだしました。
さらに、そのようにして毒素を投与しても死ななくなった動物の血清を破傷風菌に感染した別の動物に投与すると、その動物は死なずに回復したのでした。これは極めて重要な発見です。人に対しても同様で、血清の投与によって破傷風菌に感染した患者を救うことができました。血清療法の確立です。
そして、北里博士は、もう一つの重要な発見をしていました。
北里博士は、毒素を投与しても死ななくなった動物の血清中に毒素を無毒化する物質があると考え、これを「抗毒素」と名付けました。それが、今でいう「抗体」です。
北里博士の研究は、抗体を世界で初めて発見し、同時に破傷風という致死性の高い病気の治療法を確立したのですから、ノーベル賞に値する業績といえます。ところが1901年の1回ノーベル生理学・医学賞は、なんと北里博士の同僚のエミール・ベーリング博士に贈られました。
エミール・ベーリング博士 photo by gettyimages
ベーリング博士は、当時ヨーロッパで猛威を振るっていたジフテリア菌による感染症に対して血清療法を確立しました。しかし、それは北里博士が指導したもので、1890年に発表した血清療法についての最初の論文も北里博士とベーリング博士の連名になっています。なぜ北里博士ではなく、ベーリング博士がノーベル賞を受賞したのでしょうか。
当時のヨーロッパでは破傷風よりもジフテリアの方が脅威であったこと、第1回のノーベル賞は一つの部門に1人しか受賞できなかった(現在は3人まで)ことなどが理由として挙げられますが、東洋への偏見があったのではないかともいわれています。
その後、血清療法は、多くの細菌感染症や、毒を持つ生物による刺し傷やかみ傷の治療に使われました。しかし最近では、破傷風やヘビ毒、クラゲ毒など、限られた対象にしか使われていませんでした。
それが、トム・ハンクスさんの例を紹介したように、新型コロナウイルス感染症で再び脚光を浴びました。新型コロナウイルスに感染し回復した人の血清を重篤な患者に投与して治療するということで、まさに血清療法の再来です。
しかし、新型コロナウイルスに感染した人の血清中の抗体の量や種類はまちまちで、必ずしも高い治療効果が証明されませんでした。
感染者の血清中には、新型コロナウイルスに対する多種多様な抗体が存在します。抗体はウイルスに結合して、ウイルスが細胞に潜り込めないように妨害します。ウイルスの感染力をなくすことを「中和」といい、その能力(中和活性)は抗体によってまちまちです。
そこで、高いウイルス中和活性を持つ抗体を2~3種類選び出し、それぞれ均一の抗体(モノクローナル抗体あるいは単クローン抗体と呼びます)を人工的に大量に産生し、それを混ぜて重篤な患者に投与するというのが、抗体カクテル療法です。名前にカクテルとあるのは、複数の抗体を混ぜて使うからです。
複数の抗体を混ぜて使うことで、ウイルスが変異を起こしても、抗体のどれかは結合できて効果があると期待されます。ドナルド・トランプ前アメリカ大統領が感染したときにこの抗体カクテル療法を受けた、と報道されています。
しかし、2022年に感染が拡大したオミクロン株に対しては、抗体カクテル療法はあまり使われていません。
* * *
外から病原体などの異物が侵入したときに、生体内で起こる一連の防御反応を「免疫応答」と言いますが、「抗体」はウイルスに対する免疫応答でとても重要な働きをしているのです。
この抗体について、もう少し詳しくみてみましょう。オミクロン株で、抗体カクテル療法が使われなくなった理由も明らかになるでしょう。
免疫「超」入門 「がん」「老化」「脳」のカギも握る、すごいシステム

ウイルスなどの病原体がどのように感染を起こし、免疫がどのように働くのか、その複雑なしくみを、基本から正しくわかりやすく解説します。アレルギーのメカニズムや期待されるがんの免疫療法についても取り上げます。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

SNSでもご購読できます。