CA夢見た23歳 命奪われた空港近くの公園 足跡たどり見えたもの

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2004年12月~05年1月に起きた福岡3女性連続殺害事件の被害者の一人、福島啓子さん(当時23歳)は、客室乗務員になりたいという夢を育みながら日々、歩いていた。命日の18日、記者は啓子さんの思いをたどろうと、当時の自宅から命を奪われた現場までの約2・5キロの道のりを歩いた。【柳瀬成一郎】
【写真】亡くなった福島啓子さん
啓子さんは福岡空港で航空機への乗降に使う「旅客搭乗橋」の着脱などの地上支援業務をしていた。普段は自転車通勤をしていたが、前日の雨で自転車を置いたまま帰宅したため、19年前の18日早朝は徒歩で出勤した。父敏広さん(67)=北九州市小倉北区=によると、夢の実現のための学費や両親との海外旅行のために、生活を切り詰めていた。給料から母に毎月1万円を渡した上で、毎月7万円も貯金していたという。昼ご飯は食パン1枚の日も。普段は財布には1000円札1枚が入っている程度だった。
午前5時、国道3号バイパス沿いにある福岡市東区原田の当時の啓子さんの自宅付近を出発した。私も1000円札1枚だけを握りしめ、歩を進めた。
啓子さんは、英会話のCDをヘッドホンで聴きながら歩いていた。普段はすれ違う人には笑顔を振りまき、人との出会いを大切に生きていた。客室乗務員に憧れたのは「世界各地の人に出会えるから」だった。道路沿いには早朝営業の店舗もあり、ウオーキングをする女性もいたが、歩道は所々に暗い場所もあった。啓子さんはタクシーを使わず、事件当日は徒歩を選んだ。時折吹く風は冷たい。道が暗くても冷たい風が吹いても、きっと英会話の声が夢を実現させようとする彼女を元気づけたのだと感じた。
約30分歩き、同市博多区の大井1丁目交差点から左折し、空港へ。約10分歩くと、殺害現場となった大井北公園があった。空港まで残り約1キロだ。「このわずかな距離をなぜ、歩かせてくれなかったのか」と心底思えた。
午後2時半ごろ、父敏広さんと大井北公園で会った。公園は敏広さんが「人との出会いを大切にした娘の足跡を残し、夢を語り合う場にしたい」と福岡市に要望し、23年1月、「夢を語る公園」という愛称が付けられた。
歩き続けた啓子さんの気持ちを敏広さんが代弁してくれた。「ここは啓子が乗りたかった飛行機が上空を飛び交う。公園は夢をかなえるために歩いた途中にある駅のような存在なんです。世界中の笑顔を求めて啓子は歩いた」と。この日、敏広さんは公園で「啓子。お父さんと、これからもたくさん歩き続けようね」と祈った。
福岡3女性連続殺害事件
2004年12月に飯塚市と北九州市で、05年1月に福岡市で、福島啓子さんら3人の女性が相次いで殺害された。県警は05年3月、福島さんの携帯電話を所持していた当時35歳の男性を占有離脱物横領容疑で逮捕。その後、強盗殺人などの容疑で再逮捕した。男性は強盗殺人罪などで死刑が確定し、19年8月に刑が執行された。

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