自閉症の息子と健常児を比べるのをやめられない母。「うらやましい」という思いは「妬ましい」に、やがて「憎たらしい」へとエスカレートしそうに…

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文部科学省の学校基本調査(2021年度)によると、自閉症・情緒障害特別支援学級には小学校で12万266人、中学校では4万4842人の児童生徒が通っているとされ、この数は増加傾向にあるとされます。今回は、医師で作家の松永正訓先生が、幼児教育や子育てに関して著作活動や講演活動をしている立石美津子さん(=本文「母」)と自閉症を抱える息子さん(=本文「勇ちゃん(仮名)」)の実体験を紹介します。立石さんいわく「健常児を見ることは自分にとって、とても大きな負担」だそうで――。
第8回日本医学ジャーナリスト協会賞・大賞を受賞した『発達障害に生まれて-自閉症児と母の17年』* * * * * * *健常児を見るのがつらい健常児を見ることは母にとって大きな負担になった。勇ちゃんと健常児はあまりにも違った。健常児を見て、うらやましいという思いは、妬ましいに変化し、それが憎たらしいにまでエスカレートしそうになった。自分は自閉症という障害を受け入れたはずだった。しかし保育園で健常児と我が子を比較してしまうことを母はやめられなかった。それが大きなストレスになった。ママ友との会話はしだいに噛み合わなくなってきた。「うちの子、お姉ちゃんの真似ばっかりして困っちゃうの」そう言われると母は心の中で呟いた。「何でそれが困るの? 人の真似をするということは人に関心がある証拠。うちの子は、人に関心を持たないから真似なんて全然できない」また、こういうママ友もいた。「最近、汚い言葉を覚えてしまって、そんな言葉ばかり言うのよ」母は黙ってこう思った。「汚い言葉だって出るだけマシ。うちの子は一言も喋らない……」しだいに気力が湧かなくなっていく食べ物に関して好き嫌いを嘆く親もいた。しかし母から見ればそんなことは贅沢な悩みのうちだった。「うちの勇ちゃんは、食物アレルギーで卵や牛乳が少しでも入っていたらダメ。それこそ命がけで食事をしている。その上、味覚が異常に過敏で度を越えた偏食。納豆とシュウマイしか食べない。好き嫌いなんてもんじゃないわ」また自分の子が描いた絵を自慢する親もいた。いや、自慢ではなく単に事実を伝えただけなのかもしれないが、母にはそれが自慢に感じられた。勇ちゃんはまともにお絵かきができなかった。ママ友との会話はつらいものに変化していった。週に2回療育へ行くときだけが心が解放される時間だった。健常児のママの存在も、健常児の存在も母にはうっとうしいものでしかなかった。抗うつ剤は効果がなかった。母の気分は沈み、憂うつな時間が長くなり、何かのきっかけですぐに涙が流れた。しだいに気力が湧かなくなっていくことが自分ではっきりと分かった。玄関にうずくまる朝8時に勇ちゃんを保育園に置いてくる。玄関で勇ちゃんを保育士に預ける。夕方5時に迎えに行くと、勇ちゃんは玄関にうずくまっていた。担任の保育士から、「今日も保育室に入れず朝からずっとここにいます」と言われた。その言葉に母は凍りつく思いだった。母は勇ちゃんのお迎えの時間がしだいに苦痛になっていった(写真提供:Photo AC)この頃、母は幼児教室で幼い子どもたちに指導する仕事をしていた。自分が会社に行っていろいろな人に会い、または仕事の関係で多くの訪問先で人と会話し、そしてランチを食べて、変化のある一日を過ごしている。ところが息子は朝からずっとここにいる。なんて不憫(ふびん)なんだろうか。そう思うと母は胸が締めつけられる思いだった。仕事に出かけるのは気分転換にならなかった。園での勇ちゃんの様子がどうしても気になった。保育園にはライブカメラが設置されていた。無線で保護者のパソコンに園内の様子が映し出され、カメラの向きも遠隔操作できる最新システムを取っていた。母はこのライブカメラを見ることにした。仕事の合間に何度も画面に目をやった。するとあるときは、やはり一日中玄関で勇ちゃんはうずくまっていた。またあるときは、保育室に入ってもほかの子と交わっていなかった。みんなが整列して歌を歌っていても、勇ちゃんは寝そべって絵本を広げていた。また、みんなが椅子に座って担任の話を聞いているときに、勇ちゃんは部屋の中を歩き回っていた。比べることはどうしてもやめられなかった母は情けなくなった。とても見ていられなかった。ところが目はパソコンの画面に行ってしまう。勇ちゃんの様子が気になって、カメラを切り替え、どこに息子がいるのかを探し、その様子を見続けた。そして落胆することのくり返しだった。母は勇ちゃんのお迎えの時間がしだいに苦痛になっていった。園に向かうと胸がザワザワする。もし、保育士から「今日も保育室に入れませんでした」と言われたらどうしよう……「また集団行動が取れませんでした」と報告されたらどうしようと思うと、園に足を踏み入れることすら恐怖になった。保育士からそんなことを言われないで済むようにと祈りながら、母はパソコンの画面を食い入るように見つめた。勇ちゃんと健常児を比べることはどうしてもやめられなかった。ダメとは分かっていてもやめられなかった。仕事中でも同じだった。幼児教室に通ってくる子どもたちを見ると、なんてちゃんとしているのだろうと思わず息子と比べていた。自分は勇ちゃんにあれほど、胎教から始めて英才教育を施したのに自閉症が明らかになってしまい、ごく普通に、あるいは適当に育てられてきた子どもの方はまったくの健常児として勉強をしている。なんていう皮肉な運命なのだろうかと母の気持ちはますます沈んだ。※本稿は、『発達障害に生まれて-自閉症児と母の17年』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。
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健常児を見ることは母にとって大きな負担になった。勇ちゃんと健常児はあまりにも違った。
健常児を見て、うらやましいという思いは、妬ましいに変化し、それが憎たらしいにまでエスカレートしそうになった。
自分は自閉症という障害を受け入れたはずだった。しかし保育園で健常児と我が子を比較してしまうことを母はやめられなかった。それが大きなストレスになった。
ママ友との会話はしだいに噛み合わなくなってきた。
「うちの子、お姉ちゃんの真似ばっかりして困っちゃうの」
そう言われると母は心の中で呟いた。
「何でそれが困るの? 人の真似をするということは人に関心がある証拠。うちの子は、人に関心を持たないから真似なんて全然できない」
また、こういうママ友もいた。
「最近、汚い言葉を覚えてしまって、そんな言葉ばかり言うのよ」
母は黙ってこう思った。
「汚い言葉だって出るだけマシ。うちの子は一言も喋らない……」
食べ物に関して好き嫌いを嘆く親もいた。しかし母から見ればそんなことは贅沢な悩みのうちだった。
「うちの勇ちゃんは、食物アレルギーで卵や牛乳が少しでも入っていたらダメ。それこそ命がけで食事をしている。その上、味覚が異常に過敏で度を越えた偏食。納豆とシュウマイしか食べない。好き嫌いなんてもんじゃないわ」
また自分の子が描いた絵を自慢する親もいた。いや、自慢ではなく単に事実を伝えただけなのかもしれないが、母にはそれが自慢に感じられた。勇ちゃんはまともにお絵かきができなかった。
ママ友との会話はつらいものに変化していった。週に2回療育へ行くときだけが心が解放される時間だった。健常児のママの存在も、健常児の存在も母にはうっとうしいものでしかなかった。
抗うつ剤は効果がなかった。母の気分は沈み、憂うつな時間が長くなり、何かのきっかけですぐに涙が流れた。しだいに気力が湧かなくなっていくことが自分ではっきりと分かった。
朝8時に勇ちゃんを保育園に置いてくる。玄関で勇ちゃんを保育士に預ける。夕方5時に迎えに行くと、勇ちゃんは玄関にうずくまっていた。
担任の保育士から、「今日も保育室に入れず朝からずっとここにいます」と言われた。その言葉に母は凍りつく思いだった。
母は勇ちゃんのお迎えの時間がしだいに苦痛になっていった(写真提供:Photo AC)
この頃、母は幼児教室で幼い子どもたちに指導する仕事をしていた。自分が会社に行っていろいろな人に会い、または仕事の関係で多くの訪問先で人と会話し、そしてランチを食べて、変化のある一日を過ごしている。ところが息子は朝からずっとここにいる。
なんて不憫(ふびん)なんだろうか。そう思うと母は胸が締めつけられる思いだった。仕事に出かけるのは気分転換にならなかった。園での勇ちゃんの様子がどうしても気になった。
保育園にはライブカメラが設置されていた。無線で保護者のパソコンに園内の様子が映し出され、カメラの向きも遠隔操作できる最新システムを取っていた。母はこのライブカメラを見ることにした。仕事の合間に何度も画面に目をやった。
するとあるときは、やはり一日中玄関で勇ちゃんはうずくまっていた。またあるときは、保育室に入ってもほかの子と交わっていなかった。
みんなが整列して歌を歌っていても、勇ちゃんは寝そべって絵本を広げていた。また、みんなが椅子に座って担任の話を聞いているときに、勇ちゃんは部屋の中を歩き回っていた。
母は情けなくなった。とても見ていられなかった。ところが目はパソコンの画面に行ってしまう。
勇ちゃんの様子が気になって、カメラを切り替え、どこに息子がいるのかを探し、その様子を見続けた。そして落胆することのくり返しだった。
母は勇ちゃんのお迎えの時間がしだいに苦痛になっていった。園に向かうと胸がザワザワする。
もし、保育士から「今日も保育室に入れませんでした」と言われたらどうしよう……「また集団行動が取れませんでした」と報告されたらどうしようと思うと、園に足を踏み入れることすら恐怖になった。
保育士からそんなことを言われないで済むようにと祈りながら、母はパソコンの画面を食い入るように見つめた。
勇ちゃんと健常児を比べることはどうしてもやめられなかった。ダメとは分かっていてもやめられなかった。仕事中でも同じだった。
幼児教室に通ってくる子どもたちを見ると、なんてちゃんとしているのだろうと思わず息子と比べていた。
自分は勇ちゃんにあれほど、胎教から始めて英才教育を施したのに自閉症が明らかになってしまい、ごく普通に、あるいは適当に育てられてきた子どもの方はまったくの健常児として勉強をしている。
なんていう皮肉な運命なのだろうかと母の気持ちはますます沈んだ。
※本稿は、『発達障害に生まれて-自閉症児と母の17年』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。

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