【亀山 早苗】「夫婦ふたり暮らしが、びっくりするほどつまらなくて」58歳妻が離婚ではなく「卒婚」を選んだワケ

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熟年になって離婚するのは、手続きを考えるとめんどうだし、経済的に子どもたちに迷惑をかけることにもなりかねない。だが、夫とふたりきりでこの先を仲良く過ごしていく自信はなかったら、どうすればいいのだろう。
そんな漠然とした不安をもつ人が多いからだろうか、「卒婚」というゆるやかな夫婦の形が注目されている。雑誌「ハルメク」が女性150人に行ったアンケートでは、卒婚をすでに実行中の人、これから実践したいと考えている人あわせて、「卒婚」肯定派が66.7%との結果が出た。
本稿では、悩みに悩んで「卒婚」を夫に提案、紆余曲折を経てようやく実現にこぎつけたという女性の事例を紹介する。
ミキコさん(58歳・仮名=以下同)は、結婚して30年になる。3歳年上の夫との間には、27歳の長女、25歳の長男がいる。ふたりとも就職して、家を出て独立した。
「ふたりともまだ独身ですが、長女は大学を卒業するとさっさとひとり暮らしを始めました。長男は専門学校を出て遠方に就職しています。4年前から夫婦ふたり暮らしになったんですが、これがびっくりするほどつまらなくて(笑)」
Photo by iStock
ミキコさんが大学卒業後に入社した会社で知り合ったのが夫となった人だ。同じ部署で仕事をするうち親しくなった。典型的な職場恋愛からの結婚だった。結婚後はミキコさんが異動となり、第一子を妊娠したときに仕事を辞めた。
「本当は辞めたくなかった。部署も違うんだし、会社としても辞めなくていいという話だったのに夫が嫌がったんですよ。気持ちはわからなくはなかったし、私もつわりがひどかったので少し休みたくなって安易に辞めてしまった」
長男が産まれてから改めて仕事を探したが、なかなか正社員の道は見つからなかった。しかたがなくパートとして、独身時代の仕事を活かせる職に就いた。それでも4年近い専業主婦生活から解放されたような気がして、多忙ではあったが充実していたという。
「私は向いてないんですよ、専業主婦が。子どもたちのことは自分の命より大事だけど、私は自分のすべてを子どもと夫に尽くすのには違和感がありました。いつか子どもたちは大きくなって離れていく。そのときに私をかまって、と子どもに縋るような人間にはなりたくなかった。自分の人生を歩くことを諦めてなかったんだと思う」
夫は仕事が多忙なせいもあり、子どもが赤ちゃんのころはほとんど育児に手を出さなかったし、家事にも積極的に関わろうとしなかった。子どもが歩いてしゃべれるようになってようやく、子どもと一緒に遊んだり行動したりするようになっていった。
「家事に関してはほぼ諦めていました。夫に何か手伝ってもらったとしても、どうせやり直しになるのだから、だったら私がやったほうが早い。本当はこれ、ダメなんですよね。時間がかかってもいいから、若いときから家事に関わらせたほうがよかったと今なら思います。でも当時はそんな余裕がなかった、時間的にも精神的にも」
夫はまじめで実直なタイプだ。子どもたちにも規律とか約束を守ることとかを教えこんでいた。だが、ミキコさんは子どもは子どもらしくあったほうがいいと思っていた。子育てに関しては、いつもぶつかっていたという。
「人を型にはめるのが、私にはどうしても納得できなくて。その子のよさを引き出して伸ばしていくのが親の務めだと思っていた。それに年齢に合ったマナーができていればそれでいい。誰に会っても元気に『こんにちは』と言える子であればいいと思っていた。
でも夫はきちんと立ち止まって、適切な声量でこんにちはと頭を下げるんだと型から教えていくわけです。そういうのが私は嫌でしたね」
夫が忙しいのをいいことに、学校行事にもあまり夫を誘わなかった。夫は子どもたちに緊張を強いるところがあるのも気になっていた。横暴というわけではないのだが、微妙に子どもたちに対して「父親風」を吹かすのだ。それをからかうことも許さない雰囲気があった。
「夫の父親が非常に厳格な人だったらしいんです。だから夫も、どうしたら子どもたちと対等に話せるのかがわからない。いつでも上からものを言う」
それはミキコさんに対しても若干あった。ひどい言い方だと傷つくほどではない、だが、少しだけイラッとしたりモヤモヤしたりの連続だった。
「夫はワイシャツがピシッとしているのが好きだったから、いつもクリーニングに出していたんです。アイロンかけは大嫌いだったから(笑)。すると夫は、『さすが働く主婦だな』って。本人的にはたぶん冗談を言ってるつもりなんだろうけど、私としてはムッとします。
あるいは子どもが小さいころ、家族で出かけたときに帰りが夜になる。私はどこかで食べて帰りたい。子どもたちもそう。だけど夫は早く家に帰り着くことしか考えていない。帰ってから食事の用意するのは大変だからというと、『いや、何でもいいから。簡単なもので』って。
その簡単なものを作るのは私なわけですよ。食べて帰ればみんなが楽できるのにと言っても『家のほうがいい』と。そこでどうしても外食してしまおうと言い張ることができなかったのは私の弱さかもしれませんが……」
仕事から帰っても、家族でのレジャーから帰っても、彼女だけがいつも座る時間もないままにキッチンに立っていた。それでも当時は若かったし、なんとか無理がきいた。
そして子どもたちは巣立っていった。
「夫とふたりきりになっても、基本的には私に座る時間がないのは変わらない。人数が4人から2人になっただけ。半年もたたないうちに、あれ、なんか違うなと思い始めました」
ミキコさんは40代半ばでチャンスがあったので、迷わず正社員を選んだ。子どもたちが巣立ったころは責任ある立場にもなっていた。それなのに残業のたびに、夫に「今日は遅くなる」と連絡しなくてはいけない。夫は遅くなるとしても連絡も寄越さないのに。
「この年になっても自由ではいられないのかと愕然としたんです。ふらりと旅に行きたくても、いちいち夫の了解を得なければいけない。なんだか釈然としなかった。私も単純なので、そうだ、離婚すればいいのかもと思ったんです。ひとりになりたい。そればかり考えるようになりました」
娘にそんな話をしたら、娘は「いいんじゃない? おかあさんの人生だから好きにすれば? でもめんどくさいでしょ。卒婚にすればいいよ」とアドバイスされた。
「卒婚。そんな手があるのかと目から鱗が落ちました。幸い、一軒家だし、1階と2階に分かれて住めばいい。そこからどんどんシミュレーションするようになりました。
最初は私が1階に住もうと思ったんです。キッチンもお風呂もトイレも1階だから。でもそうすると、夫がいちいち2階から降りてくる。そのたびに覗かれるような気分になる。じゃあ、私が2階に住もうと決めました」
* * *
ミキコさんがそう決めたとはいえ、さすがにこれは夫の了解を得ないと話が始まらない。後編記事〈「自分の人生を生きるのがこんなに楽しいとは…」離婚せずに「卒婚」を選んだ58歳妻の歓喜と不安〉では、彼女が夫にどう話を切り出したのか、卒婚生活の実際などをお伝えする。

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