鴻上尚史vs.時事通信社長 原稿ボツ騒動の余波、社長は「鴻上氏は大人げない」

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

依頼されて書いた原稿が、修正された挙句、ボツに。そんな悶着について発信したのは鴻上尚史氏(64)だが、これに依頼した側の時事通信の境克彦社長(63)が反撃。だが、大人とは思えないバトルが展開されて……。
***
【写真を見る】鴻上氏のTwitterに掲載された文章 鴻上氏は言わずと知れた劇団「第三舞台」の主宰者で、日本劇作家協会会長でもある。いわば大家と呼ばれる存在で、原稿を寄稿してもらった場合、書き換えることなどはばかられる人、と言い換えることもできる。

ところが、そんな鴻上氏が1月6日、ツイッターとフェイスブックで、こう発信したのである。〈時事通信から、「成人の日によせて」という原稿の依頼が来て書いたのですが、書いた文章に20カ所以上の直しが入りました。「体言止めが美しい」というような理由で、納得できないと申し入れたら決裂しました。せっかく書いた文章なので、ここに載せます。多くの若者に届きますように〉大人になろう! そしてそこには、〈成人、おめでとう。でも、「大人になる」はどういうことでしょうか?〉 で始まる原文が添えられていたが、鴻上氏が言う通りなら、時事通信も大胆である。外部筆者の署名入りの寄稿文、それも事実関係が問われる内容ならともかく、筆者のメッセージに手を加えるのは、一般には個性を殺す行為と受け止められるからである。「添削されたことへの腹いせです」 すると、境社長は社内に配信する「社長ブログ」に「原稿は誰のものか」というタイトルで、これまた大胆な文章を寄せたのである。 鴻上氏のツイートを、〈寄稿文を文化特信部デスクに添削されたことへの腹いせです〉と断じ、〈今回のケースはデスクが勝手に直して配信したものではありません。修正をめぐって見解が一致せず、配信を見送っただけです〉と述べたが、それにとどまらず、境社長はさらに踏み込んでいく。〈元の原稿とゲラを見比べると、体言止めに変えたのは2カ所だけ。わざわざ直さなくていいような箇所もありましたが、新聞用字用語ルールに沿った直しや、予定行数に収めるための些細な修文が大半です。「陰湿な奴ほど、ちゃんとした服装でいじめることをみんな知っています」という一方的な書きぶりも、「ちゃんとした身なりをしていても、いじめをする人はいます」というバランスの取れた表現に変わり、むしろ読みやすくなっていました。まずかったのは、鴻上氏とのやりとりで「言葉の重複はできるだけ避けた方が美しい」などと説教を垂れたことでしょう〉 そして、このブログをこう締めくくったのである。〈今回の鴻上氏の原稿、既視感と違和感もあって、私はあまり感心しませんでした。「大人になるとはどういうことですか」ですって? 大人には大人の対応というものがある。それを知ることじゃないでしょうか〉 そもそも、デスクによる修正が〈些細な修文〉なのか。修正前が〈一方的な書きぶり〉で、修正後に〈バランスの取れた表現〉に変わったのか。その辺り、境社長の主観的見解にすぎないのではないだろうか。鴻上氏の発信を〈添削されたことへの腹いせ〉と断じる点も同様である。「少し大人げないんじゃないか」 鴻上氏に原稿を依頼した記者と、原稿に修正を加えたデスクにも見解を尋ねたいところだが、二人とも、「すべて社長室が対応することになっていますので」 という返答。そこで社長室に聞くと、「鴻上尚史先生に不快な思いをさせてしまったことについては、大変申し訳なく思っております。結果としてこうした事態になってしまい残念です」 と回答したが、ここはあらためて境社長の見解を聞きたい。直撃すると、「(鴻上氏の)やり方が違うんじゃないか、ということです。一方的に社名までさらす必要があったのか。そこだけですよ。少し大人げないんじゃないかという話です。僕らだって、他人の原稿を見て“初稿はひどいものだったよ”なんて、(外には)絶対に言いません。とはいえ、うちの対応にも問題がありました。もう少しコミュニケーションを大事にしないと、あれだけの大家に“美しくない”とか言ったら、そりゃ怒りますよ。その後、手紙で謝罪したと聞いています」 鴻上氏のツイートは「腹いせ」なのか。「そうなんでしょうね。(ブログには)あれだけSNSで拡散されているわけですから、それに対する私の主張を書いただけです」 鴻上氏はどう言うか。だが事務所に聞くと、「投稿した以外で申し上げたいことはないので」 本人に尋ねても、「お断りします」会社の恥を社内に広めた 一方、社名をさらされたと憤りながら、鴻上氏の原稿に対し「感心しなかった」という感想を述べる境社長も、〈大人の対応〉を知っているとは到底思えない。 ところでその後も、境社長のブログについて、「時事労組ニュース」が1月13日付で〈社長ブログ、大丈夫?〉と書くと、境社長がブログで「組合ニュース、大丈夫?」と応酬する始末。時事通信関係者が言う。「鴻上氏との一件は、社長がブログに書かなければ知らなかった社員が多い。鴻上氏の原稿を契約紙に配信できなかったことを重く受け止めていれば、会社の恥を社内に広めなかったはず、という声が目立ちます」 人ごとながら、「大人になる」とはどういうことなのか、考えさせられてしまう状況なのである。「週刊新潮」2023年2月2日号 掲載
鴻上氏は言わずと知れた劇団「第三舞台」の主宰者で、日本劇作家協会会長でもある。いわば大家と呼ばれる存在で、原稿を寄稿してもらった場合、書き換えることなどはばかられる人、と言い換えることもできる。
ところが、そんな鴻上氏が1月6日、ツイッターとフェイスブックで、こう発信したのである。
〈時事通信から、「成人の日によせて」という原稿の依頼が来て書いたのですが、書いた文章に20カ所以上の直しが入りました。「体言止めが美しい」というような理由で、納得できないと申し入れたら決裂しました。せっかく書いた文章なので、ここに載せます。多くの若者に届きますように〉
そしてそこには、
〈成人、おめでとう。でも、「大人になる」はどういうことでしょうか?〉
で始まる原文が添えられていたが、鴻上氏が言う通りなら、時事通信も大胆である。外部筆者の署名入りの寄稿文、それも事実関係が問われる内容ならともかく、筆者のメッセージに手を加えるのは、一般には個性を殺す行為と受け止められるからである。
すると、境社長は社内に配信する「社長ブログ」に「原稿は誰のものか」というタイトルで、これまた大胆な文章を寄せたのである。
鴻上氏のツイートを、〈寄稿文を文化特信部デスクに添削されたことへの腹いせです〉と断じ、〈今回のケースはデスクが勝手に直して配信したものではありません。修正をめぐって見解が一致せず、配信を見送っただけです〉と述べたが、それにとどまらず、境社長はさらに踏み込んでいく。
〈元の原稿とゲラを見比べると、体言止めに変えたのは2カ所だけ。わざわざ直さなくていいような箇所もありましたが、新聞用字用語ルールに沿った直しや、予定行数に収めるための些細な修文が大半です。「陰湿な奴ほど、ちゃんとした服装でいじめることをみんな知っています」という一方的な書きぶりも、「ちゃんとした身なりをしていても、いじめをする人はいます」というバランスの取れた表現に変わり、むしろ読みやすくなっていました。まずかったのは、鴻上氏とのやりとりで「言葉の重複はできるだけ避けた方が美しい」などと説教を垂れたことでしょう〉
そして、このブログをこう締めくくったのである。
〈今回の鴻上氏の原稿、既視感と違和感もあって、私はあまり感心しませんでした。「大人になるとはどういうことですか」ですって? 大人には大人の対応というものがある。それを知ることじゃないでしょうか〉
そもそも、デスクによる修正が〈些細な修文〉なのか。修正前が〈一方的な書きぶり〉で、修正後に〈バランスの取れた表現〉に変わったのか。その辺り、境社長の主観的見解にすぎないのではないだろうか。鴻上氏の発信を〈添削されたことへの腹いせ〉と断じる点も同様である。
鴻上氏に原稿を依頼した記者と、原稿に修正を加えたデスクにも見解を尋ねたいところだが、二人とも、
「すべて社長室が対応することになっていますので」
という返答。そこで社長室に聞くと、
「鴻上尚史先生に不快な思いをさせてしまったことについては、大変申し訳なく思っております。結果としてこうした事態になってしまい残念です」
と回答したが、ここはあらためて境社長の見解を聞きたい。直撃すると、
「(鴻上氏の)やり方が違うんじゃないか、ということです。一方的に社名までさらす必要があったのか。そこだけですよ。少し大人げないんじゃないかという話です。僕らだって、他人の原稿を見て“初稿はひどいものだったよ”なんて、(外には)絶対に言いません。とはいえ、うちの対応にも問題がありました。もう少しコミュニケーションを大事にしないと、あれだけの大家に“美しくない”とか言ったら、そりゃ怒りますよ。その後、手紙で謝罪したと聞いています」
鴻上氏のツイートは「腹いせ」なのか。
「そうなんでしょうね。(ブログには)あれだけSNSで拡散されているわけですから、それに対する私の主張を書いただけです」
鴻上氏はどう言うか。だが事務所に聞くと、
「投稿した以外で申し上げたいことはないので」
本人に尋ねても、
「お断りします」
一方、社名をさらされたと憤りながら、鴻上氏の原稿に対し「感心しなかった」という感想を述べる境社長も、〈大人の対応〉を知っているとは到底思えない。
ところでその後も、境社長のブログについて、「時事労組ニュース」が1月13日付で〈社長ブログ、大丈夫?〉と書くと、境社長がブログで「組合ニュース、大丈夫?」と応酬する始末。時事通信関係者が言う。
「鴻上氏との一件は、社長がブログに書かなければ知らなかった社員が多い。鴻上氏の原稿を契約紙に配信できなかったことを重く受け止めていれば、会社の恥を社内に広めなかったはず、という声が目立ちます」
人ごとながら、「大人になる」とはどういうことなのか、考えさせられてしまう状況なのである。
「週刊新潮」2023年2月2日号 掲載

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

SNSでもご購読できます。