【清水 芽々】「私は悪魔と結婚した」「11回骨折」「自分で排便もできない」…長年DVを受けてきた58歳女性が語る「暴力の悪循環」と「この世の地獄」

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今年の4月1日に「配偶者暴力防止法」…いわゆるDV規制法の一部が改正され、支援の枠は拡大された。
DVの悩みをひとりで抱えている方は、最寄りの配偶者暴力相談支援センターに繋がる「DV相談ナビ」(#8008)に電話を掛けることを勧める(今すぐ警察に駆けつけて貰いたいときは110番通報です)。心身への暴力で束縛しようとする相手に「私さえ我慢すれば…」などと考える必要は一切ない。
「自分の歯は半分くらいしか残ってないし、網膜剥離で目が片方見えません。全身6ヵ所を11回骨折していて、そのせいで片足が不自由になり、杖がないと歩けません。度重なる性暴力のせいで私の下半身は深刻な裂傷を負い、自力で排便もできません」
こう話すのは、DV被害者、知念香理奈さん(仮名・58歳)である。長年にわたる夫の暴力を訴えることができず、ひとりで抱え続けた結果、還暦前にもかかわらず、70代…いや80代にすら思えるほど体がボロボロになっていた。DV規制法は2001年に施行されたが、それ以前から被害を受けていた被害者である。
「「歯は半分抜け落ち、片目を失明」「下半身は深刻な裂傷」で血まみれに…還暦前なのに「見た目は80代」!継母と夫から50年以上、乱暴されてきた58歳女性が明かす「壮絶すぎる半生」」より続きます。
娘の誕生は、絶望的な結婚生活の中で見つけた、唯一の幸せと希望でもあったが、夫の暴力は苛烈を極めていった――。
「夫は育児を一切手伝わないどころか、育児にかかりきりで、以前のように夫の世話を焼くことができなくなった私に対して『俺と子どもとどっちが大事なんだ!』と私を殴りつけました」
怒りに任せて手当たり次第モノを投げたり壊したりすることも度々あったという。危険を感じた香理奈さんが子どもかばうと夫はさらに逆上し、「そんなにそいつがいいのか!」と、子どもを抱えて無抵抗状態の香理奈さんに暴力を振るい続ける。
「子どもが、夫の暴力の誘発剤になりつつありました。子どもが生まれたことで地雷が増えたような感じです。私は悪魔と結婚したんだと思いました」
香理奈さんは第一子を出産後、夫の性暴力によって半年もしないうちに妊娠するのだが、生傷が絶えず、肋骨が折れた状態で乳飲み子を育てていく中、そこにひどい悪阻が加わり、心も身体もかつてないほどボロボロになっていった。
そのうえで夫の苛烈な性暴力が続く――。
「体調が悪くて夕飯が手抜きになってしまった日のことです。不貞腐れた夫はお風呂にも入らずに寝てしまいました。なのに、夜中に目を醒まして私におおいかぶさって来たんです。私はその時の夫の体臭に耐えきれず嘔吐してしまいました」
妻の身体を求めたつもりが「吐瀉物まみれ」になり、性行為どころではなくなった夫は烈火の如く怒り出し、「そんなんだったら、今すぐ妊娠を止めろ!」と香理奈さんを殴りつけたという。
「つまり子どもを堕ろせと言うことです」
「言うことを聞かないと殺される」…そう思った香理奈さんは、安定期に入った胎児を中期中絶する。
「可哀想だとは思いましたが、それよりも私は『生き延びて娘を育てないといけない』という思いでいっぱいだったのです」
追いつめられた妻の心情などおかまいなしに、相も変わらず身体を求め続けてくる夫…そんな鬼畜に避妊という配慮があるはずがなく、香理奈さんは再び妊娠した。
「『夫に生ませてもらえるはずがない』と思っていたので、早い段階で中絶するつもりだったのですが、ちょうどその頃、顏や手足など外から見えるところが痣だらけだったこともあって、病院に行けませんでした。それに夫の暴力が原因で放っておいても流産しそうだし…どのみち子供は産まれないだろうと考えていました」
腹部や腰のあたりを激しく蹴られることも多く、乱暴な性加害についてはほぼ毎日行われていたというが、それでも流産することはなかったという。
「必死に私のお腹にしがみついている胎児を想像しました。『よほど生まれたがっているんだな』と思いました。私は堕胎を考えていましたが、そんな子どもの命をどうしても奪うことができなくなりました」
結局、香理奈さんは安定期を迎えた頃に夫に妊娠を伝えた。
「予想通り、夫は『ふざけるな!堕ろして来い!』と激怒していましたが、前回の経験から中期中絶(*後期流産ともいう)は手続きがすごく面倒(*死産届けを役所に提出し、火葬や埋葬を行わないといけない)なことや、胎児が男児と判明していたことから、独立して会社を作った夫が跡取りとして考えたことも重なって、奇跡的に生ませてもらえることになったのです」
そして無事に男児が誕生――。
意外にも夫は喜んでいたというが、やはり育児にかかりきりになる香理奈さんに対し、不平不満を募らせる一方だった。
「男の子だからなのか、上の子に比べて手がかかりましたし、産後間もない頃に受けた夫の暴力で腰の骨を折ってしまった私は、抱っこや授乳などの世話が十分にできなかったこともあって、赤ん坊は1日中泣いているような状態が続きました。イライラした夫は私に当たり、ケガが増えた私はさらに赤ん坊の世話ができなくなり、その結果赤ん坊は泣き続ける…そんな悪循環でした」
赤ん坊に振り回される日々。
妻は夜の相手どころではなく、自身の安眠さえままならない…そんな状況に業を煮やした夫のDVは激化し、とうとう赤ん坊にまで手を上げるようになる――。
「息子が殺されるのは時間の問題だという気がしましたし、娘も情緒不安定から失語症になりました。私ではとても子どもふたりを守ることができません。泣く泣く息子を養子に出す事に決めました」
「相手は、我が家の事情を知った上で息子を引き取ってくれました。ご夫婦の人柄も素晴らしく、経済的にも恵まれたお宅です。DVの父親に虐待されて育つより、どれだけマシかわかりません」
「すべて私のせいです。私があんな男と一緒になったのが間違いでした。でもいくら嘆いたところで後の祭りです。せめて娘だけは無事に育て上げようと思いました」
香理奈さんは当時まだ20歳を過ぎたばかりだったが、その後も娘の成長を生き甲斐に、暴君な夫と人生を共にした。日常化したDVに麻痺した心と身体では、現状に抗うことは不可能だったのである。
「夫は40代半ばくらいから酒乱気味になり、酔って暴れると手がつけられなくなるので、家から遠ざけるために娘を寮のある学校に入れました。ご近所中から白い目で見られている環境に置いておくのが不憫だったというのもあります」
結果的に香理奈さんは我が子をふたり失うことになった。そして、長年の夫の暴力によって香理奈さんの身体に障害が出てしまった頃、夫は肝臓を壊して入退院を繰り返すようになり、昨年の夏に他界した。
「ようやく長い地獄が終わりました。私の境遇を知った人たちからは『何で逃げなかったのか?』とか『行政に助けを求めれば良かったのに』などと言いますが、DVという言葉が無かった頃から夫に痛めつけられていた私にそんな気力はありませんでした。
帰る家もなかったですし、周りに助けを求めても『関わり合いになりたくない』と言わんばかりでした。警察に逃げ込んだこともありましたが『民事不介入』として何もしてくれませんでした。そういう時代だったんですよ」
40年に及ぶ悪夢のような結婚生活から解放されて、ようやく平穏な暮らしを手に入れた香理奈さんだが、「1日でも早く死にたい」と筆者に漏らす。
「悪魔のような父親のせいで、娘は男性が苦手になり、一生ひとりでいる人生を選ばせてしまった。私は娘にこれ以上苦労をかけたくないのです。娘は逆に『苦労をかけたお母さんに恩返しがしたい』と言ってくれていますが、とんでもないことです」
「死んでまで夫と一緒にいたくない」と、最近墓地を購入した香理奈さんだが、筆者としては決して死に急ぐことなく、母と娘が寄り添う、この穏やかな時間が長く続くことを願っている。
【つづきを読む】「「母さん、やめて」…交通事故で「他界した父」の身代わりに…15歳だった息子が母から受けた「おぞましい行為」」
「母さん、やめて」…交通事故で「他界した父」の身代わりに…15歳だった息子が母から受けた「おぞましい行為」

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