〈「年収が5本いった年も」代ゼミのカリスマ世界史講師が語る90年代の狂乱の“予備校バブル”のリアル「あの頃に文春があったら終わってたかも…」〉から続く
「僕の人生なんて大したことないですよ」と謙遜する、代々木ゼミナール・世界史講師の佐藤幸夫氏。だが、平坦な人生なら3回も結婚しないはずだ。バブルを背負った予備校講師は、いかなるバツ2を経て現在の結婚生活へ辿りついたのか。謎に包まれた私生活を明かすインタビュー第2弾。(全4本の2本目/3本目を読む)
【当時写真】代ゼミ講師4年目、バブル真っ盛りに「遊んでいた」頃の佐藤さん
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文藝春秋 撮影・末永裕樹
──YouTubeの世界史授業動画では「離婚が2回、今は3回目の結婚生活」とおっしゃってますね。しかも今の奥様は22歳下とか。独身時代は遊んでいましたか?
佐藤 「遊んでない」とは言いません(笑)。僕は初婚が42歳なんですよ。きっと、若い頃は遊びたかったんでしょうね。
──予備校の生徒とつきあったことは?
佐藤 僕ですか? ないない……大学生になるまで待ちますね(笑)。一般論になりますが、受験を終えて大学生になれば、お互いの同意のもとに恋愛関係になることもあるでしょうね。

──たとえば、生徒が「先生のおかげで受かりました!」と報告に来て、「じゃあ、合格祝いに食事行こう」みたいなきっかけで?
佐藤 う~ん……簡単には恋愛に発展しないとは思いますが、「元生徒」とつきあうのは20~30代の予備校講師あるあるで、当時は珍しくはなかったと思います。付き合い続けて結婚するというパターンも少なくなかったですし。そんな感じで僕も教え子とおつきあいをして、42歳で最初の結婚をしたんです。
──最初に結婚したお相手も教え子?
佐藤 はい。実は初回と2回目の結婚相手は、教え子なんです。もちろん、教え子以外の女性ともつきあったんですが、結婚相手は教え子を選んでいました。
最初のお相手は12歳年下で、10年間で4回くらいフラれて、最終的に結婚しました。挙式披露宴は東京白金台の八芳園、新婚旅行はイスラエルとエジプト。当時ではかなりお金をかけたと思いますよ。そりゃあ、一生に一度のつもりでしたから……。
──そうですね。
佐藤 それが、半年で離婚したんです。42歳で結婚して43歳で離婚。で、「次こそは」と2回目に結婚したのが、46歳です。
──2回目のお相手も教え子。

佐藤 はい。16歳年下でした。その方も、世界史の仕事を手伝ってもらいながら仲良くなり、お互いの性格を受け入れたうえで結婚したんですが、結局2年半で別れることに。これもねえ、結婚式は東京湾クルーズで、ハネムーンは世界一周、最初はよかったんですが……。
いや、これはどちらのお相手の時も、僕が悪いんです。おふたりとも素敵な女性でしたし、英語もできたので、一緒に海外に住むという意味では最高でした。ただ、当時の僕はケンカして相手を少しでもイヤだと感じると、シャッターをガラガラと下ろして関係修復を拒否してしまう悪い癖がありました。たぶん、本当はひとりが楽でいいと思っていたのかもしれません。
──その後、3回目の結婚に至るんですね。2回失敗したら「結婚はもういいや」となりそうですが、なぜ3回も結婚を?
佐藤 昔から子どもが欲しいと公言してたんですが、本当にどうしても子どもが欲しかったんです。だから2回目の離婚後は、真剣に婚活しました。50歳を過ぎてましたが、お見合い写真を撮って婚活サイトに登録して。そこで知り合ったのが、今の妻です。結婚して6年めになります。

──今回は教え子じゃないんですね。その方が22歳年下で、今一緒にエジプトで暮らしているという。
佐藤 はい。僕が51歳、妻が29歳で結婚しました。婚活の際に僕が相手に伝えていたのは、「子どもが欲しいこと」と「海外で暮らすかもしれないこと」。妻は調理師と栄養士の資格を持っていて、お互いの希望が合い、結婚にたどりつきました。
今の妻は教え子ではありません。予備校講師の僕も知らないし、まして世界史も知りません。人前での式などはやらなくてもいいと言うし、海外旅行にも特に興味はなく、大卒でもありません。今までにはないタイプですね(笑)。僕の行動にはあまり興味がなくて、「今日は文春の取材に行くよ」と伝えても、「行ってらっしゃい」という反応です。でも、僕にはそれぐらいの温度が心地いいです。
幸い、結婚後すぐに娘を授かって、この3月に息子も生まれたんですよ。里帰り出産なので、エジプト移住以来、今年は一番長く日本に滞在しています。
──佐藤さんは、2021年に家族でエジプトへ移住したんですよね。
佐藤 はい。もともと僕は35年来の世界旅マニアで、30代の頃から将来は海外に住みたいと思っていて。

──でも移住先がエジプトとは、思い切りましたね。
佐藤 よく言われます。でも、自分としてはそうでもないんです。代ゼミで世界史を長年教えるうちに、イスラーム世界の奥深さに惹かれて、「53歳を過ぎたら移住しよう」と。
──「53歳」には、何か特別な理由が?
佐藤 若い頃に入った年利4%の保険が、53歳で満期年齢だったんです。その歳になればある程度まとまったお金が入るし、日本人向けの世界史ガイドという趣味もあるし、まあ、なんとかなるかなあと短絡的に……(笑)。
──予備校講師に加えて、世界史ガイドも?
佐藤 はい。実は予備校講師ってガイド向きな気がするんですよね。面白く、そしてわかりやすく、ガイドブックに書かれているだけではない旨味を入れて文化遺産を案内し、「来てよかった」と思ってもらう、そんなスキルですよね。
ガイドっぽいことは、かれこれ25年間やっています。最初は、大学生になった元生徒やその友達、家族などを集めて、海外に連れていくツアーだったんですよ。当時は円高だったので旅費も安く、たくさんの卒業生が参加してくれました。
──世界史を学んで面白さがわかると、海外に行きたくなりますよね。
佐藤 そうなんです。勉強したモノを実際に自分の目で確かめに行くって、素晴らしいじゃないですか? ガイドブックの知識だけでその場所を眺めるよりも、歴史や文化背景までしっかり知ったうえで眺めると、自分の中の深落ち度が全く違うんですよ。今は一般の方向けに、「世界史講師ゆきおのガイド付き世界史ツアー」を企画しています。

──どんなツアーですか?
佐藤 今はエジプトとトルコの周遊ツアーです。航空券は自分でご準備いただいて現地で合流し、5~6泊で歴史的文化遺産を僕の解説付きで回ります。毎日、ホワイトボードなどを使ったレクチャー、国際情勢やエジプト生活の座談、ビールを飲んだりYouTubeの裏話をしたり、飽きさせませんよ。エジプトツアーは今年6月までに7回やりました。今後もいろいろな世界史ツアー企画を考えてます。
そんなわけで、代ゼミの映像授業と海外世界史ガイドの仕事を続ければ、世界のどこに住んでもやっていけると思ったんです。予定通り53歳を過ぎた2021年に、家族とエジプトへ引っ越しました。
──移住先をエジプトに決めたのはなぜですか?
佐藤 僕は民族や宗教が織り交ざる混在地が好きで、最初はスペインかトルコで考えたんです。ただ、スペインは物価が高くて諦めました。
それならばトルコへと準備を始めたら、現地の知人に「トルコはナショナリズム国家だから、学校ではトルコ語が中心で、英語教育は日本と同じ程度しかやらないからどうかな……」と反対されて。子どもの将来を考えると英語が使えるほうがいいだろうと思い、エジプトが第一候補になったんです。

──エジプトは英語を使うんですか?
佐藤 公用語はアラビア語ですが、ある程度の英語は学校でもやりますし、外国人が多いので英語ができる人が多いです。それに、エジプトは地理的にヨーロッパやアジア、アフリカ、中南米へ旅行がしやすいんですよ。それならば……ということで、娘が1歳の時にカイロに移住しました。今は、カイロに隣接して造られたニューカイロという地域に住んでいます。
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(前島 環夏)