小学校や中学にしろ、高校、大学にしろ「受験」は「何かに挑む」チャンスだ。
何かに真剣に挑んでみるのは、その結果が志望通りでなかったとしても大きな経験を得ることになる。
ただ、中学校は義務教育で受験をしなければ中学校に行けないものではないし、お金も当然かかる。だからこそ「親」の影響がとても大きなものとなり、親だけが突っ走ってしまうこともあると、中学受験が子どもの心を傷つけることになりかねない。
正解がないからこそ、子どもの思いを大切にして「挑戦」する必要があるのだ。
「勉強嫌いの息子の中学受験は、完全に親のエゴでした。でも最後に『中学受験をしてよかった』という息子の言葉を聞いてホッとしています」
こう語るのは、森将人さん。慶應義塾大学を卒業した元大手証券ディーラーだ。「親のエゴ」と言いながら、中学受験をして良かったという言葉が出たのはどうしてなのか。人の体験を参考に、わが子はどうだろうと向き合うことは「自分たちの中学受験」をより良い挑戦にするきっかけにもなりうるだろう。
森さんが体験を率直につづる連載2回目前編では、慶応第一志望と言いながら勉強をあまりせず、友達と同じ一番上のクラスでないことに疑問をもつ息子への不安な思いをつづった。後編では、小学校6年生の夏、森さんが息子の言葉に抱いた違和感とその理由を伝える。
塾で孝多の一番恐れている存在が、算数のクラスを担当する小川先生だ。孝多に変化があるとすぐに連絡してくれる。授業に集中していないときや、忘れものが多いときは、生活に問題がないか勘づくのだろう。
小川先生は熱い男だ。前髪を触りながら話すしぐさに、若さを感じる。まだ30歳前後だろうか。指導は厳しく、話を聞かない生徒や宿題をやってこない生徒はとことん怒られる。授業の前は滅多に緊張しない孝多もピリピリしているが、逆に褒められたときは本当にうれしそうだ。
何度か保護者面談で話したことがあるが、指導方法に自信を持っている様子が心強い。毎週の授業では数時間前から質問する時間を作ってくれるし、授業のない曜日も希望者には指導してくれる。たいてい孝多は、週に4日顔を合わせている。
6年生の夏休み明けに実施された保護者面談は、過去問を解くにあたって志望校を決めるものだった。慶応を受けさせたいという思いではじめた受験だったが、本人の成績が伸びてこない。模試もいくつか受けたが、合格可能性は20%からせいぜい50%だ。
成績が足りていない割に危機意識も乏しく、必死で勉強しようという気持ちが感じられない。第一志望は慶応普通部というものの、本当に合格したいのだろうか。受かる可能性が低いのであれば、はっきりいってほしいというのがぼくの思いだった。
小川先生の回答はシンプルだった。
「第一志望校を親が決めたら、一生恨まれますよ」
志望校に受験するという気持ちがあるからこそ、つらい勉強を乗り越えることができるという。親がはじめた受験でも、最後に決めるのは本人だ。先生は目が怖い、という孝多の言葉がわかった気がした。
勉強の進め方には、妻と孝多にも大きな溝があった。
楽器演奏者でもある妻からすると、受験はしたいが勉強はしたくないという、孝多の中途半端な姿勢が許せない。かといって勉強を教えられるわけでもないので、口出しすれば嫌がられる。何度も衝突するうちに、いつの間にか受験勉強から距離を置くようになっていた。
夏期講習期間中のことだった。9時からの授業が終わったのが19時。帰ってきた孝多は、さすがに疲れた様子だった。夕食をとると、しばらくタブレットを見てから復習開始だ。
この日の授業は算数と国語。出された宿題をはじめたが、なかなか集中できない。冷蔵庫を開けたりトイレに行ったり。ぼくが食器を洗っている間は、シャープペンの針を取り替えては筆箱の整理をし、気づけばウトウトしはじめていた。
眠くなったら、顔を洗うか身体を動かす約束になっている。リビングに出してあるトランポリンは、そんなときの運動用だ。わが家はリビングが吹き抜けになっているので、高くジャンプしても天井に頭をぶつけることがない。
「明日のお昼ご飯食、どうする?」
飛び跳ねながら笑顔で聞いてくる孝多に、ぼくは翌日の弁当のことを思い出した。
妻は仕事で出張が続き、帰ってくるのは3日後だ。夕食は麺類で済ませるとして、問題は弁当だ。孝多はコンビニで買ったおにぎりやサンドウィッチでは嫌だという。友だちと一緒に食べるのが恥ずかしいのだろう。
「何か作れないの?」
「パパ、料理できないからなあ。おかずだけ買ってこようか?」
「冷凍食品じゃ嫌だよ」
孝多は、食べるものに意外とうるさい。よく親のサポートなどいらないといって癇癪を起こすが、家から飛び出して好き嫌いなどいってられるのだろうか。
「弁当を買ってきて、移し替えてあげようか?」
「それでもいいけど、何で料理できないんだよ。それでも親かよ」
孝多は何人か友だちの名前をあげて、パパでも料理するのが当たり前だといった。たしかに仕事仲間の話を聞いていると、料理のできる男性が最近は多い。受験に失敗したらパパのせいだという孝多の小言を、ぼくは何もいえずに聞いていた。
妻がいない数日間の辛抱とはいえ、料理ができないパパで申し訳ないと思う。一方で家計を支えているのは事実だし、子育ても妻任せにしていないつもりだ。自分の守備範囲はしっかり守っていると、いい訳したい気持ちもある。
このスッキリしない思いに似た感情は、少し前にも味わっていた。答案用紙に字を丁寧に書かない孝多に、これでは採点もしてもらえないと注意したときだ。ぼくのいい方が気に入らなかったのか、点数などつけてもらわなくていいといい、受験もやめるといい出した。
「親ガチャ失敗だよ」
孝多はドアを思い切り閉めて、洗面所に行ってしまった。
ウィキペディアをのぞいてみると、親ガチャとは、子どもは親を選べないことを例えたスラングだという。お前の子どもに生まれたくなかったとでもいい直せばいいのだろうか。親がいなければ子どももいないが、そんな正論は興奮した子どもに通用しない。
相手に対する嫌悪感を表現したものであれば、ぼくのどんな言動が孝多をそう思わせてしまったのか。勉強しろとばかりいうところか。時間管理にうるさいところか。孝多のことを思っての注意なのだが、その気持ちは相手に伝わらない。むしゃくしゃした気分を鎮めるために、食器を洗うことにした。
受験をはじめて貴重だと思うのは、洗濯物をたたんだり、散らかったものを片付けたりする作業だ。手を動かしていると、いつの間にかギスギスした気持ちが消え去って、冷静に考えることができるようになる。家事には心を鎮める効用があるのかもしれない。
そういえば母親も、ひたすら食器を洗っている時間があったが、手に負えないぼくや弟のことを考えていたのだろうか。母親の姿を思い出しながら、ケーキを一つやけ食いした。ここ数ヵ月、酒も飲まずに甘いものばかり食べている。休み明け、体重計に乗るのが怖い。
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