かつては「良い子」「手のかからない子」が我慢を重ねたすえに、不登校になることが多かった。しかし、最近は大人から適切に叱られないために「自分の問題が認められない」子どもたちが学校に馴染めなくなることが増えているという。16年間現場を見つめてきたスクールカウンセラーが、不登校の最新状況を解説する。【藪下遊/スクールカウンセラー】(全3回の1回目)
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主に小学校、中学校、高校などで、スクールカウンセラーとして16年間ほど活動し、子どもたちの不適応に対応してきました。子どもたちの抱える不適応のひとつに、不登校があります。
不登校の子どもは、ここ数年ずっと増加し続けており、特にコロナ禍明けは「激増」と表現してよいくらいです。文部科学省の調査によると、令和4年度の全国の小中学校の不登校児童生徒数は、約29万9000人に上るといいます。わかりやすく言うと、小学校では2クラスに1人くらい、中学校では1クラスに2~3人が不登校であることを示しています。
なお、この数字はあくまでも「不登校」の児童生徒の数になります。文科省によると、不登校とは「何らかの心理的、情緒的、身体的あるいは社会的要因・背景により、登校しないあるいはしたくともできない状況にあるために年間30日以上欠席した者のうち、病気や経済的な理由による者を除いたもの」です。そのため、この数字には毎日遅刻しつつ学校に来ている、毎日放課後に少し学校に顔を出す、などの児童生徒は含まれていません(どんな形にせよ学校に来れば、その日は出席扱いになるから)。ですから、文科省のデータよりも、ずっと多い数の「不登校傾向」の児童生徒がいることも理解しておいてほしいと思います。
子どもが不登校になる背景は様々です。
かつては、空気を読んで自分の気持ちを抑え込むような、周囲からすると「良い子」「手のかからない子」が、こころの中ではかなり無理をしており、自我が強く表出し始める10歳前後にこころのバランスを崩して不登校になる……というパターンが多く見られました。
ですが、前述のように不登校の子どもの数が激増する中で、こうした「よくあるパターン」は過去のものになり(と言っても、いなくなったわけではありませんが)、それまではあまり見られなかったパターンの不登校が出てきました。具体的な例を挙げていきましょう。
【小学校3年生女子児童の事例】
休日に友達を招いて自宅で遊んでいたが、ちょっとした出来事からケンカになり、友達に彫刻刀を突きつける。
休み明け、彫刻刀を突きつけられた児童の親から学校に連絡があり、学校は家庭に連絡するが、女児もその親も大きな問題だとは思っておらず、謝罪もしないままこの出来事はうやむやになる。だが、この出来事があって以来、友達は本人と距離を取るようになり(無視などではないが、以前ほど親密に過ごさず、休日も遊ばなくなった)、そのことをもって本人は「いじめ」と認識し、登校しづらい日が出てきている。学校側が、当該出来事について話し合い、締めくくることの大切さを伝えるが、親も本人も「自分(子ども)は悪くない」と耳を傾けようとせず、状況が長引いてしまっている。
この事例において、周囲が彫刻刀を突きつけた女子児童から遠ざかるのは「当たり前」と言ってよいですし、その状況を作ったのは女子児童本人です。親には、こうした女子児童の行いに対して、きちんと問題意識を持って「心配だ」「良くないことだよ」などと伝え、女子児童が友達に謝罪できるよう働きかけることが求められます。学校側が伝えているように、きちんとこの問題を「締めくくる」ことができれば、その後の友達との関係も、以前とまったく同じとはいかないまでも、多少の改善は見られたことでしょう。
しかし、実際には親子共に「問題を認めない」というスタンスを堅持し、その結果、周囲が遠ざかって、学校が過ごしにくい場になるという悪循環を生んでしまっています。また、この状況で「いじめがあるから学校に行けない」というのは、自分の問題から目を逸らしているように思われても仕方ありません。
ですが、いじめ防止対策推進法でいじめと思しき事案には調査が義務付けられており、また、学校もいじめに対して敏感に対応するようになってきているため、「いじめられた」という訴えがあれば、学校は必ず調査を行うことになります。ただ、こういう事例においていじめの調査を行えば、周囲が更に遠ざかるというリスクがあるので難しいところです。
最近の学校では、このように「自分の問題を認められない」というあり様や、ときには「向こうが悪い」という外罰的な姿勢を見せることで、学校生活にうまく適応できない例が多くなっています。本稿では、不登校を主な題材としてこうした傾向を示していますが、これは不登校に限るものではなく、多くの学校不適応の要因になっているものでもあります。
なぜ「自分の問題を認められない」や「外罰的な姿勢」などのあり様が子どもたちに出てきているのでしょうか?
多くの成熟した幸せな大人たちはすっかり忘れてしまっていることですが、子どもにとって「問題」を自分のものと認め、受け容れていくのは大変なことなんです。自分に非があると認めれば、「こんな悪い自分は親に見捨てられてしまうんじゃないか」という不安が生じます。これは決して大袈裟なことではありません。
アメリカの精神科医Sullivan,H.S.は人間の追求する目標の一つに「安全」を挙げています。
人間は1人では生きていけない状態で生まれますから、生存のために周囲の「重要人物(特に母親)」との対人関係における「安全」の保障が絶対的な意味をもつのです。だからこそ、子どもにとって最大の恐怖は「見捨てられること」です。余談ですが、昔は「お前はもらわれっ子だ」とか「橋の下に捨ててくるぞ」などのような脅しがよく家庭内で使われていました。こういう脅しは、見捨てられる恐怖をもつ子どもによく効くのです。言うまでもありませんが、使わない方が良いですよ。
子どもにとって「自分の問題を認める」とは、こうした「安全」が損なわれ、見捨てられるリスクが高い状況であり、だからこそ客観的に自明なことであっても、また、問題を認めないことが明らかな悪循環を生んだとしても、決して非を認めないという事態が起こるわけです。時には、自分の問題を他者に転嫁したり、外を責めることで自分の問題を薄めようとしたりするなど、あの手この手を使うことさえあります。ですが、こうした厄介な言動も「生死がかかっている」という視点で見ると、多少は理解しやすいでしょう。彼らは必死なのです。
では、子どもたちが「自分の問題」を認められるようになるには、どういう体験が必要なのかをお話ししていきましょう。大きく2つの体験が大切になります。
1つは「きちんと問題に向き合ってもらう」という体験です。
親が子どもの問題に注目し、子どもを改善・成長させていこうと働きかけていくことを指します。子どもが問題を起こしたら、それを親が「問題である」と同定し、その問題を改善するために必要なことを示していくわけです。
上記の事例で言えば、友達にしたことを「いけないことだ」ときちんと伝え、必要な手続き(友達への謝罪、子どもがどういう思いで行ったのか話し合う、今後子どもが同様の問題を起こさないために必要なことを考える等)を取っていくことが求められるわけです。
子どもの問題に注目することで「子どもが傷つく」と考える人もいるようですが、本当にそうでしょうか? 私は逆だと思います。「子どもの問題」に触れない、関わらないという態度の方が、長い目で見ればよっぽど子どもを傷つけることになるのです。
子どもに限らず、人間には「良いところ」も「悪いところ」もあります。併せて、「良いところも悪いところも含めて、ちゃんと見てほしい」「悪いところがある自分であっても、捨てられないという安心感を得たい」という欲求も存在するのです。
学校現場では「まるでわざとやってるんじゃないか」と思えるほど問題を繰り返し、親や教員を困らせる子どもがいます。彼らのこころの奥には、もちろん彼ら自身も気づいてはいませんが、「悪いところも含めてちゃんと自分を見てくれよ」という思いがあり、必死になって周囲の大人に訴えかけているように感じられることも少なくありません。
もちろん、子どもの問題に触れたとしても、素直に子どもが認めるなんてあり得ないことです。絶対に良い顔はしませんし、怒ったり泣いたり否認したり、さまざまな反応を見せ、周囲の大人を手こずらせます。結局は喧嘩別れ、物別れになることだって少なくないし、しばらく親子間で不穏な雰囲気になることだってあるでしょう。
でも、それで良いのです。そういった「不穏な雰囲気」でどういうやり取りをするかが重要になってきます。それが、子どもが自分の問題を認められるようになるために必要な体験の2つ目です。
なお、本稿の事例については、(1)本人および親から掲載許可が取れており、本質を失わないことに留意しつつ、個人情報が特定されないように改変を加えたもの、(2)いくつかの類似した事例を組み合わせたものであり、厳密にはフィクションになりますが、実際の事例と遜色のないものになっています。
【子どもに「耳が痛いこと」を言う人がいなくなった時代に親がすべきこと 現役スクールカウンセラーが警鐘】へ続く
引用文献・参考文献Sullivan,H.S.(1953)『Conception of Modern Psychiatry』 中井久夫・山口隆(訳)(1976)『現代精神医学の概念』みすず書房
藪下 遊(やぶした・ゆう)1982年生まれ。仁愛大学大学院人間学研究科修了。東亜大学大学院総合学術研究科中退。博士(臨床心理学)。仁愛大学人間学部助手、東亜大学大学院人間学研究科准教授等を経て、現在は福井県スクールカウンセラーおよび石川県スクールカウンセラー、各市でのいじめ第三者委員会等を務める。「『叱らない』が子どもを苦しめる」(筑摩書房、高坂康雅氏と共著)を上梓。
デイリー新潮編集部