茨城県つくば市で訪問診察を続ける『ホームオン・クリニック』院長・平野国美氏は、この地で20年間、「人生の最期は自宅で迎えたい」という様々な末期患者の終末医療を行ってきた。患者の願いに寄り添ったその姿は、大竹しのぶ主演でドラマ化もされている。
愛する配偶者の死は、残された者に最大のストレスと孤独をもたらすが、「高齢者の場合、配偶者の死が起因となって認知症を発症してしまうことは珍しいことではない」という。今回紹介するケースは、夫の死によって認知症を患い、「色のある世界」を失ってしまった女性の話である。彼女はまだ68歳だった。若くして高齢者施設に入らざるをえない現実に“絶望”していた。
「看取り医がみた、愛する夫を失い認知症になった68歳女性…若くして入所した『老人ホーム』で、涙ながらに「恥ずかしい」と明かしたワケ」に続き、
6500人以上の患者とその家族に出会い、3000人以上の最期に立ち会った“看取りの医者”が、人生の最期を迎える人たちを取り巻く、令和のリアルをリポートする――。
※プライバシー保護のため患者情報の一部を変更しております。予めご了承ください。
認知症を患い、68歳で有料老人ホームに入所することになった元看護師の美恵子さんは、初診時に「こんなところで、暮らさなくてはならないのかと思うと情けないです」と言ってシクシクと泣き出したが、それから2ヵ月がたっても、心の状態は相変わらず落ち込んだままだった。外の空気を吸って貰おうと、気分転換にデイサービスに行かせてみたが、「二度と行きたくない」と部屋で泣いているという報告もあがっていた。
そんな中、事態はさらに悪化した。施設内に彼女が苦手な男性スタッフができてしまったのだ。私も駆け付けたが、
「あの人は怖い人です! 私の部屋に入れないでください」
と訴えてきたのである。理由を聞いても答えようとしない。何度も何度も同じ言葉、同じフレーズで「あの人は怖い人です! 私の部屋に入れないでください」と言ってきた。
ちなみに彼女が嫌がったスタッフは、他の入居者からの評判は悪くない。むしろ好かれることも多く、仕事に対しても誠実だ。もしかしたら言い方が比較的、大声に聞こえるところやぶっきらぼうなところが災いして、美恵子さんには叱られているように聞こえてしまったのかもしれない。認知症患者を受け入れている施設では、大なり小なりこうした事態は何度も起きる。
彼女の希望に沿い、昼間であれば彼女に接触しないようなシフトは組むことも可能だろうが、夜については、彼がひとりで夜勤する場合もあり得るので難しい。何より彼女の病状が悪化しているのが気がかりだった。内服薬を変更したとしても、状況が劇的に変わるとも思えない。
なんとか彼女をなだめすかし、しばらく小康状態が続いた。
初診から3ヵ月ほど経っていたと思う。施設内のレクリエーションの参加を拒否し、食事もままならず、ひがな一日をぼーっと過ごしていた美恵子さんだったが、ある時から立派な木箱を眺めるようになっていた。施設の看護師から聞いた話では、木箱の正体は、英国の老舗文具メーカー「ダーウェント」の100色セットの色鉛筆で、かつて彼女が愛用していたものらしい。
彼女には元々、絵を描く趣味があったようで、娘が少しでも元気づけようと、自宅から持ってきたものだという。ただ蓋を開くわけでもなく、ひたすら木箱をぼんやりと眺めているだけだった。
「絵でも描かれるんですか?」
声を掛けてみると「昔は…ですけどね。大好きだったんですよ。でも今は描けません。色が見えなくなってしまったんです」と言われた。彼女に目の疾患はないと思っていたため驚くと、「夫が亡くなってから、色が消えてしまったのです」と泣き出してしまった。
彼女の机の上には、スタッフが持ってきた塗り絵のプリントが手つかずのまま放置されていた。
自分も、いつか、こういった場所で塗り絵や習字をさせられるのだろうかとも思う。その日も彼女の元気を取り戻す薬にはなり得ない、定期の処方箋を切った。
美恵子さんの診察を開始して5ヵ月ほどが経過した。
その日も、私はいつも通りこの施設に診察に出向き玄関先に立ったのだが、遠くから足早に近づいてくる女性がいた。美恵子さんだった。これまでの彼女の様子を考えれば、信じられない出来事だった。患者が元気なのは私もうれしいが、良い兆候なのか、悪い兆候なのか判断がつかない。逃げるわけにもいかず、
「こんにちは。そんなに走ってやってきて、どうしたんです?」
と努めて笑顔で聞くと、
「先生、私の塗り絵を見てください!」
と言われた。
童謡を歌うこと、塗り絵をすることなど、施設のレクリエーションを他の後期高齢者に混じって楽しむことを拒んでいたはずだったので、「塗り絵」と聞いて驚いた。何かに興味を持って頂けたことは喜ばしいが、まだまだ若いのに「それで良かったのか」とも思う。複雑な心境だった。
しかしそれは私の杞憂だった。彼女がもったいぶりながら、ゆっくりとスケッチブックを開いたが、そこにあるのは塗り絵ではなかった。色鉛筆で一から描かれた貴婦人の後ろ姿だったからだ。
美恵子さんは色が分からなくなっており、絵も描けなくなったと聞いていたため、
「これは、美恵子さんが描いたの?」と、本当に驚いて聞くと、
「塗り絵みたいなものです」と少し照れていた。
どうやら娘さんが置いていった旅行雑誌を眺めていたところ、どこかの街の写真が目に留まったらしい。なんとなく眺めていたら、その端っこの方に女性の後ろ姿が映っているのに気づき、この女性を見ていたら、急に色彩が戻ってきたという。
「全てが白黒に見えていたのに、この写真だけ色が戻ったんです。そうしたら、無性に絵を描きたくなってきて、スケッチブックと色鉛筆が入っている木箱を開けたら、色鉛筆の色が見えていました。前の日まで、どれも色が消えていたのに。不思議ですよね」
私に絵心はないため上手に読み取れていないかもしれないが、美恵子さんが描いた絵は、ワンピースを着た後ろ姿の貴婦人で、風が吹いているのか、左手で帽子をおさえていた。決して華やかな色彩ではなく、紫を中心に三色ぐらいの色で描かれているデッサン画に見えた。
背景は何も描きこまれておらず、貴婦人は後ろ姿のために表情もわからないが、逆にそれによって想像が膨らんできて、色々な読み取り方ができるように思えた。
たまたま、美恵子さんがこの絵を描いていたときに、彼女が苦手だと言っていた、あの男性スタッフが声をかけてきたらしく、
「なんか、艶っぽい後ろ姿ですね。この女性は恋人にでも会いに行くのかな。素敵な絵だなぁ…」と呟かれたことで、男性への嫌悪感も吹き飛んでしまったらしい。今では意気投合までしているという。
そんな出来事を、彼女は生き生きとした表情で話してくれた。それを面会に来た娘さんに報告すると、美恵子さんの色々な事情を教えてくれた。
美恵子さんは、どこへ行くのも夫と二人だったという。彼女の“スケッチ旅行”にも夫は喜んで付き添ったそうだ。娘さんが結婚を機に家を出て、2人きりの生活になってからも、おしどり夫婦の生活は変わらず「仲がすごく良かった」らしい。
ところがある日、夫が体調不良を訴えて病院にいったところ、胆管がんを告げられて帰ってきたという。診察時ですでに「手遅れ」だと言われ、2人で過ごす時間は数ヵ月しか残っておらず、お互いが「別れ」を受け入れられる前に、終わってしまったそうだ。
夫の死後、元看護師である美恵子さんは、夫の不調に気づいてあげられなかった自分を責め続け、うつ状態となり、家に引きこもったという。娘にも心を閉ざし、誰とも会わず、家のカーテンを閉じて、昼も夜も関係のない生活を送るようになった。娘さんが気づいたときには、美恵子さんは認知症を患い、ひとりで暮らすこともままならないほどの状態になっていたらしい。
そして娘さんが美恵子さんに差し入れた色鉛筆こそ、スケッチ旅行を楽しむ美恵子さんのために、愛する夫が数年前にプレゼントしたものだった。私がみせられた100色の色鉛筆の芯先はすべてが整えられて尖っていたが、どれも彼女がスケッチするそばで、夫が丁寧にナイフで削ってくれたものらしかった。
彼女は「鉛筆を眺めていたら、存在しないはずの夫の存在を感じて、色鉛筆の色もわかるようになった」と話してくれたが、ではなぜ彼女の色彩は戻ったのか、ここからは私なりの解釈も含めて話したい。
うつ病になると、多くの人が<悲嘆、楽しみ、喜びといった感情を普段のように感じることができなくなる>一方で、<世界が色彩を失い、生きている感覚がなくなったように感じられることもあり、以前は楽しめていた活動に対する興味を失い、楽しめなくなる>という症状を訴える方がいる。つまり、美恵子さんが色を失ったのもうつが原因であることが考えられる。
今回のケースを補足すると、
彼女は愛する配偶者が亡くなった後にうつになり、生活パターンが変化してしまった。例えば、夫と出かける時間が無くなるのはもちろんのこと、決まった時間に起きて、家事をして…というパターンもなくなった。夫の病態が急展開だったため、死を覚悟する時間がなかったのも心に悪い影響を与えている可能性も大いにある。
大家族の時代であれば、子供や孫もいるので、日々の生活に追われることになり、少しは気も紛れるが、核家族化が進んだいまの世の中では、配偶者を亡くせば、そこから「独居」となる。生活は子育てを行った時代の家のサイズでは広すぎる。それが、かえって、寂しさをもたらす。配偶者に、べったりであったケースでは、なおさらである。
うつは、脳の活動性の低下を起こし、「脳血流の低下」や「ストレスホルモンの持続的な放出」などによって、海馬が萎縮する。海馬は記憶や学習に関与する重要な脳領域であり、この部位の萎縮は記憶力の低下や認知機能の障害をもたらす可能性がある。
そして認知症の中には、「仮性認知症」と呼ばれるものがある。うつ病などが原因で記憶力や集中力、判断力の低下など、認知症のような症状が現れる状態のことをいう。
「仮性認知症」には、脳への刺激が減り、「本当の認知症」を発症するリスクが高まるとの報告もある。特に老年期うつ病は認知症へと進展することがあり、海外の研究では仮性認知症の患者の9~25%が毎年認知症に移行してしまうという報告もあるため、仮性認知症の早期発見と治療が非常に重要となってくる。(ただ、その早期発見もなかなか難しいが…)
今回のケースでは、夫の死がうつ病を引き起こし、動作の緩慢や症状から前医によって認知症と診断されている。どちらも、海馬の萎縮が特徴であるため、また症状も被るため判別しにくいのが実情だ。そして現在、症状をみている限り、彼女がいま認知症であることは間違いない。
結論からいえば、彼女に色彩が戻ったのは、一枚の写真に心が動いたからと言える。一時的な改善ではなく、彼女の場合は、以後の診察でも「好調」を維持していた。ただ、色が戻ったからといって、全てが解決するわけではない。なかなか思うように絵は描けず、描いては破り…の日々を繰り返していた。美恵子さんは、
「いまの私は何かを見て、心が動かなければ描けないようです。絶景でも、つまらない風景でも、気持ちがどちらにも動きません」と嘆かれていた。
あの写真の中にいた後ろ姿の女性に自分を重ね合わせたのかもしれない。そこで彼女に「彼女の後ろ姿から、一人旅や、夫に会いにいそいそと出かけた頃の自分を思い出したのか?」と尋ねてもみたが、自分でもわからないようだった。「この老人ホームの中で暮らしていても、感動する描きたい風景には会えないであろう」とも話していた。以上をまとめると、症状が改善した理由として、
1. 心を揺さぶられる写真と出会った。
2. そんな時に絵筆を走らせる状況、スケッチブックと色鉛筆が横にあった。
3. 夫は、スケッチ旅行に付き合ってくれた。しかし、夫は絵を描く人ではなく、妻が書いている姿を見て、喜んでいた。
が考えられそうだ。以上が推測も交えた私の考えだ。
いずれにしても愛する配偶者の死は、残された者に最大のストレスと孤独をもたらす。特に夫婦だけの生活をしていた場合、社会的交流が絶たれ、鬱から脳は不活化し認知機能の低下が加速しやすい。恵美子さんが話す、夫の死後、色彩を失ったというのは、これを表現しているのだと思う。夫の死後、避けられぬストレスに長期に襲われ、認知症は加速していったのだろう。
今回は残された妻の話であったが、我々がよく目にするのは、妻にベッタリであった夫が残されたケースのほうである。大家族の時代ならば、配偶者の死後も他の家族が寄り添い、孤独は少し、避けられたかも知れないが、核家族化の時代、それをカバーできるものはないのかも知れない。
ただ、隣に誰もいなかったとしても、大切な人が残してくれた何かが救ってくれることもあるのだと私は美恵子さんから学んだ。
平野国美医師の連載記事「余命3ヵ月「死ぬ前に弘前ねぷた祭りに行きたい」と訴える70代癌患者に、看取り医が提案した「まさかの代案」」もあわせてお読みください。
余命3ヵ月「死ぬ前に弘前ねぷた祭りに行きたい」と訴える70代癌患者に、看取り医が提案した「まさかの代案」