「人間関係リセット症候群」というものをご存じでしょうか。
これは人間関係に行き詰まるとすぐにSNSのアカウントをブロックしたり、連絡をすべて遮断したりして関係性を遮断する人のことです。場合によってはSNSのアカウントを作り替えたり、メールアドレスや電話番号を変更したりして、これまでの人が連絡を取れないようにする人もいます。
なぜ、このように人間関係をすぐリセットしたがる人が少なくないのでしょうか。じつはこうした問題の背景には、「現代社会の人間関係に隠れている構造的な問題」があります。
早稲田大学文学学術院の教授であり、新刊『友だちがしんどいがなくなる本』を上梓した人々の孤立問題や人間関係を研究し続ける社会学者・石田光規氏が、「人間関係リセット症候群」の背景、そして現代社会における人間関係のシステムを解説します。
現代社会の人づき合いのベースにある判断基準のひとつに「メリット/デメリット」「コスト/パフォーマンス」があります。要するに、「自分にメリットのある人とだけ友だちになる」「コスパのいい人とだけ友だちになる」というロジックです。
このような判断基準が生まれるのは、友だちづき合いがそもそも「自由」なものだからです。
たとえば「家族」や「職場の上司・部下」などは環境によって関係性が最初から規定されており、その関係性はなかなか自分の力で自由に変えることができません。
一方、「友だち」はその基準があいまいで、かつ自由です。すべての人が誰と友だちになるか、あるいは誰と友だちにならないかを選ぶことができます。このような状況で、人々が「どうせなら『いい友だち』がほしい」と考えるようになるのは自然なことです。
じつは、最近多い、映画やドラマの倍速視聴をする人々の行動原理もこれと同じです。いまはオンデマンドやサブスクリプションサービスが増え、お金に縛られず、多くの人が自由に映像コンテンツを視聴できるようになりました。
見たいものを好きなときに見られる自由が手に入ったからこそ、できるだけ少ない時間で、自分にとって「よいもの」を見ようと吟味するようになったのです。
人々の人間関係がかつてよりも自由になった大きな理由のひとつが、インターネットとSNSの発達です。
インターネットで検索すれば新たな出会いの場はいくらでも見つかります。また一昔前なら仲間を見つけるのに苦労するニッチな趣味を持っている人も、いまはSNSで発信したりすればすぐに仲間を見つけられます。
このように、新しい人間関係を構築するのが簡単になったがゆえに、「意見が合わない」「返信が遅い」「気分を害した」などの些細な理由ですぐに人間関係をリセットするハードルが下がったのです。
またコロナ禍は、こうしたメリットやコスパ重視の人間関係のあり方を加速させました。
コロナ禍では「不要不急」の接触は悪とみなされ、「必要緊急」な接触だけが社会的に認められました。コロナ禍という非常事態が、日本社会に住む人々全員に対して、「私にとって必要な(メリットのある)つながりとはなにか?」を吟味するように促したのです。
この結果、私たちはだれかと直接会うとき、それ相応の理由(つまりメリット)を求められるようになりました。オンライン交流の簡単さが、対面での交流のハードルを上げたのです。こうして私たちの人間関係には、コスパの論理が深く入り込むようになりました。
人間関係の在り方をより自由にした要因はまだあります。
ひとつはインターネットの発達にも関連することですが、技術の発展による集団の解体です。長い歴史を振り返れば、私たちの社会は集団を中心に作られてきました。
人々が農業を営んでいたころは、地域・親族といった集団の中で協力して生活していました。人々が会社で働くようになってからも、所属する集団が企業になったり家族が小さくなったりしただけで、「集団生活が中心」というライフスタイルは継続されました。
しかし科学技術が発達してサービス業が充実すると、いままで誰かに頼らざるを得なかったことを機械やサービス業が解決してくれます。困ったことがあったらお金を払って業者に頼む時代です。いまや、お金があればほとんど人と会わずに生活することが可能です。
そして、こうした集団の解体を後押しした思想があります。それは「一人ひとりの気持ちや考えを大切にする」という価値観です。この価値観に従えば、私たちはなるべく人に何かを頼む、押し付けることを避けなければいけません。そうしなければ、「相手の気持ちや都合を大切にしていない」と判断されうるからです。
友だちとの会話でも、相手の意見を否定したり、自分の考えを押し付けないように気をつけている人も多いでしょう。また、意見の相違があったときには「まあ、人それぞれだからね」というような言葉でお茶を濁す人も多いと思います。
じつは人間関係をリセットしたくなるのは、そうした「人とつながらなくても生きられる社会」のなかで、人とつながりたいと願っている人でもあります。
現代社会で友だちをつくろうとすると、「自分と友だちになるメリットを保持、主張すること」や「相手を尊重して適切なコミュニケーションを取ること」など、いろいろとしんどい気遣いをしなければいけません。
その気遣いに疲れてしまうと、人間関係をリセットしたくなる衝動に駆られるのです。そしてなにより、こんなふうに場の空気を読んで相手を気遣う関係が「真の友だち」ではないことを、だれよりも本人がいちばんよくわかっています。
この流れでこわいのは、「気遣い」と「リセット」がループを引き起こす可能性があることです。仮に疲れて関係をリセットしても、やはりさみしさを感じて新たな人間関係を築きたくなる人はいます。
こうして「気遣い」と「リセット」の終わらないループが起こります。
こうした問題は個人のコミュニケーション能力の不足が原因ではありません。そもそも私たちの社会がそういった人間関係を求める構造になっているのです。私は、現代社会は特定の場の「人を集める力」が弱まりすぎてしまった気がしています。
そもそも友だちというのは、プラトンの時代から「つくるのが難しいもの」とされてきました。友だちとは、多くの対話や対立を経て、奇跡的に授かるつながりです。しかも、いったん友だちになれても、そのつながりがずっと続く保証はありません。
そのくらい繊細なつながりを個々人の努力だけで築き、維持する。これはまさに「無理ゲー(実行不可能な行為)」にほかなりません。現代を生きる人々はみんな、この無理ゲーへの参加を強いられているのです。
社会と思想の変容は、現代社会の人間関係をより「自由」なものにしました。こうした変化にはもちろんよい側面もありますが、「人間関係リセット症候群」はそのネガティブな側面が顕在化した現象であるといえるでしょう。
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