〈「自分は相手を選んだのに、相手からは選ばれない」競争激化の婚活市場で「勝ち組」になるために最も必要な“2つの要素”〉から続く
現代の日本では、結婚した3組に1組が離婚し、60歳の3分の1がパートナーを持たず、男性の生涯未婚率が3割に届こうとしている。なぜ日本社会では、結婚がこんなにも難しくなってしまったのだろうか?
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ここでは、「難婚社会」の実態に迫った社会学者・山田昌弘氏の著書『パラサイト難婚社会』(朝日新書)より一部を抜粋して紹介する。(全2回の2回目/1回目から続く)
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ちなみに「婚活」という言葉は、2007年にジャーナリストの白河桃子さんとの対談の中で生まれました。そして共著『「婚活」時代』(ディスカヴァー携書)で広まっていきます。もはや昭和時代のように、待っていても「結婚」は降ってこない。就職活動のように自ら行動を起こさなくては結婚できない時代になった、ということを申し上げたかったわけですが、そんな「婚活」ワードの“生みの親”たる私でも、リアルな現場で起きていることは驚きの連続です。
例えば、婚活市場においては、どのような人が結婚に結びつきやすいか。もちろん一定の傾向は存在します。「高身長・高学歴・高収入」の男性はやはり人気です。
『「婚活」時代』で白河さんと私は、「女性もこれからは男性に経済的に依存するのではなく、自ら働いて自立することで、夫婦2人で生きていく覚悟が必要だ」と述べたかったのですが、実際には、「専業主婦を養える男性は一握りだから、急いで婚活すべきだ」という風に捉えられてしまったのが残念な限りです。その結果、上記のような男性が相変わらず人気なのですが、ただ、予想外の現象も起きていました。
それが「必ずしも美人が結婚できるとは限らない」というものです。これは予想外でした。
もちろん、パッと人目を惹く美人は、「モテ」ます。つまり男性からのアプローチ回数は多い。実際、会って話をしたいという申し込みも殺到します。ただ、いざ「結婚」となると、どうも恋愛とは事情が違うようで、なかなか成婚に至らないのです。
女性の「容姿」と「結婚」にはほとんど関連性がないことが、先に述べた調査で明らかにされています(調査結果非公開)。これはいったいどうしたことなのか。実は、研究者の間でもこの結果について議論がなされた結果、有力な仮説が3つほど挙げられています。1つ目は「容姿が優れた女性は、相手の男性に求める基準も高い」というものです。
つまり「これだけ美しい私なのだから、相手もそれなりにイケメンで、高身長で、高収入でなくてはつりあわない」と思うのかどうかはわかりませんが、そんな可能性が考えられるということです。要するに、交際や結婚を申し込まれる回数は多かったとしても、本人が「他にもっと良い人がいるはずだ」と思い込み、男性からの申し込みに対して、なかなかOKを出さない可能性が考えられます。

2つ目の仮説としては、男性側の心理として「容姿が美しいと敬遠する」というものがあります。男性にとって美しい妻は、いわゆる「トロフィーワイフ」として1つの勲章になり得ると言われます。稼ぎが良く実力派な男性ほど、自らの実力を証明する証の1つとして(すなわちトロフィーとして)美しい妻をめとりたがることは、歴史が証明しています。
ただし、その現象は少なくとも現代日本社会の婚活市場においては、あまり当てはまらないようです。むしろ容姿が美しい妻は、「わがままかもしれない」「浮気をする確率が高まるかもしれない」と、男性側が思う可能性もあるのです。
この仮説を補強するデータもあります。とある民間の婚活会社の調査によると、「結婚したくない女性ナンバーワン」に、「お金をかけて綺麗になっている女性」が挙がったのです。つまり、生まれついての美しさに溢れている(と思える)女性ならいざ知らず、いかにもコストをかけてエステに通い、美容室に通い、高価なブランド物のファッションに身を包んでいる(ように見える)女性は、「結婚後も自分の見た目の維持のため、浪費をするかもしれない」と、男性側が敬遠するそうなのです。
また、『美人が婚活してみたら』(とあるアラ子著/小学館クリエイティブ/2017年)というエッセイ漫画では、美人が婚活パーティに行くたびに「サクラだろう」と言われ、見合いをするたびに「物を売りつけようとしているのでは?」と疑われたという描写があります。
では、3つ目の理由は何か。実は1つ目の理由と表裏一体になりますが、「容姿がいまいちと自分で思っている女性は、早めに手を打つから」という理由が挙げられています。婚活市場では、何人もの男女が出会いと称したマッチングを繰り返します。婚活が長引けば長引くほど、男女共により多くの出会いを経験していくわけで、そこで「自分が美しい」と思っている女性は、「よりハイスペックな男性がいるのでは」と迷うあまりに、なかなか「この人がいい」と決められません。
一方、容姿に自信のない女性は早めの段階で、「容姿が優れない(と自分で思っている)私を選んでくれた人だから」と決断を下すというわけです。結果的に、容姿に自信のある女性は婚活市場に滞在し続け、自信のない女性は早々に結婚していくという仮説です。
あと、もう一点あるとすれば、男性の容姿の好みは女性に比べて多様であることが挙げられます。女性で低身長の男性を好む人は例外的ですが、男性では高身長の女性を好む人もかなりいますし、体型でもスリムな人よりふくよかな人に魅力を感じる男性も一定数いて、「ぽっちゃり婚活」というイベントもあるくらいです。
「容姿の優れた男性」はどうでしょう。面白いことに、こちらは女性と反対に非常に成婚率が高いのです。元来、女性が結婚相手に求める男性側のスペックの断然トップは、「高収入」でしたが、近年増えているのが「優れた容姿」です。
こちらも確たる理由はわかりませんが、考えられる理由としては、「収入が仮に低くても、イケメンなら我慢できる」とか、「格好良い男性を連れて歩くことで自慢できる」「将来生まれる子どもが可愛くなるのでは」などの理由が考えられます。
「子どものため」という理由に関しては、「身長」も無視できません。女性の場合、「身長」は成婚率と因果関係が確認できませんでしたが、男性の場合は少なくとも結婚相談サービスでは、「身長が低いと成婚率が落ちる」現実があることは、心苦しいながら追記しておきましょう。
「女性の高身長」の場合は、先ほどの「容姿」と同じく、「早めに手を打つ」そうなのです。例えば身長が170センチ以上の女性は、自分以上の身長の男性は限られてきますから、早めの段階で「この人あたりならいいだろう」と感じた時点で結婚する人も多いです。
ところが、「男性の低身長」の場合は、当の女性の好みもあるでしょうが、それ以上に、「将来生まれてくる(かもしれない)子ども」への遺伝問題がネックになるようです。将来の自分の子どもが男の子の時、低身長では可哀想という憂慮が、背の低い男性を選ぶことを躊躇させるそうなのです。これも、差別が差別を再生産する1つの例です。
これは余談ですが、「本当の身長をサバよんで登録していた事実が判明した時」の反応が、男女で真っ2つに分かれることも興味深かったです。「女性が身長のサバをよんでいた」場合(本当は168センチなのに、162センチとサバよんでいたような場合)は、男性は一瞬驚くものの、事実は事実として受け入れる傾向が見られました。
ところが、「男性がサバをよんでいた」場合(身長159センチなのに、165センチと偽っていた場合など)は、ほとんどの女性が怒りや失望などネガティブな感情を引き起こしていたのです。「実は低身長だった」事実に対する失望ではなく、「ウソをついていた」事実が、「男らしくない」「潔くない」「正直者ではない」という人格上の欠点として強調されてしまうからのようでした。
ことほどさように、結婚に関する要望・選択肢は多様化しており、さらに今ご紹介したようなわずかな要素でも、男女共に大きく考え方や価値観は異なることがわかります。「未婚」者さえ多数集まれば、自然と「結婚」が成立する時代ではなくなったことが、未婚社会の難しさを表しています。
(山田 昌弘/Webオリジナル(外部転載))