指示された「キャッシュカードをすり替える」という行為が詐欺にあたることは分かっていた。ターゲットの家に向かう際、何度も引き返そうと思った。そんな心を見透かしたように、指示役から脅迫メールが届く。ある平日の住宅地。スーツを着て銀行員を装った男性(26)は意を決し、高齢女性が1人で暮らす家のインターホンを押した――。
「誰にも言わんどって」方言を使った特殊詐欺、急増
2020年、詐欺の「受け子」としてお金をだまし取ろうとしたとして、札幌市出身の男性が詐欺未遂容疑で現行犯逮捕された。男性はその後、詐欺未遂罪で執行猶予判決を受ける。「軽い気持ちで知人の誘いに乗り、後戻りができなかった」。男性が詐欺に加担した経緯を打ち明けた。
1997年、札幌市で生まれた。気さくな性格で学生時代は友達が多く、成績も優秀。高校の部活動では全国屈指の強豪の部長を務め、リーダーシップも兼ね備えていた。「どんな仕事でもできそう。将来は安泰だね」。周囲から期待や憧れの視線を浴びる優等生だった。
警察官になることを夢見て、法律の知識を学ぼうと大学は法学部に進学。親元を離れ1人暮らしを始めた。しかし、生活は徐々に堕落していく。
アルバイトを始め、自由な時間とお金を手に入れ、酒や遊びも覚えた。高校までとは違って講義を欠席しても、叱ってくれる親はいない。次第に大学から遠ざかっていった。2年の夏に親にも告げずに大学を中退。警察官になる夢は消え、美容師や飲食店の仕事を転々とした。
そんなある日、働いていた飲食店の客から「うまいもうけ話があるからやってみないか」と「バイト」を勧められた。指定された家に行き、銀行員になりすましてキャッシュカードをすり替える――。すぐに詐欺だと気付いた。
ただ、その客とは以前からの知り合いで、過去に理由を付けられ運転免許証の個人情報を見せたことがあった。断れば何をされるかわからない。「一度だけなら捕まらないだろう」と引き受けた。
実行当日。スーツ姿で数年前に夫に先立たれた女性の家に向かった。後ろめたさで足が重くなる。「やっぱりやめよう」。何度も思ったが、指示役からスマートフォンに送られてきたメールを見てはっとした。「実家の住所を特定している。家族がどうなっても知らないからな」。引き返すことはできなかった。
標的の家の近くに着いて、2時間ほどたっただろうか。インターホンを鳴らした。「すみません。銀行の者ですが」。高齢女性が玄関先に出てきた。どこかよそよそしい。違和感を感じたが、「キャッシュカードを少し確認しますね」と平然を装った。
しかし、女性はかたくなにカードを渡してくれない。「バレているのか」。そう悟った瞬間、10人ほどの私服警察官に囲まれた。「こんばんは。お兄さんどこの人ですか」。逃げ出す気もごまかす気も起きず、その場で罪を認めた。
「とんでもないことをしたんだ」。捕まってようやくことの重大さに気付いた。1回限りと、甘い考えで犯行に及んだ自分自身を心底悔いた。「途中でやめようと何度も思ったけど、後戻りできなかった。家族を人質に脅された恐怖もあった」。男性はそう振り返る。
こうした手口は、SNS(ネット交流サービス)で高額な報酬をうたって募られる「闇バイト」で多い。一度手を出せば詐欺グループからの脅迫でやめられず、指示された内容を実行した後に犯罪に加担していたと気付く人も多いとされる。
「自分が犯罪者になるなんて、事件から数年たった今でも信じられない。詐欺の実行犯は、私と似たような『普通』の若者がしている。それは一歩間違えると、誰もがその世界に踏み入ることができるということだと思う」
現在は罪を償い、兵庫県の貿易会社で働く男性。一番の後悔は、自身の犯罪が家族の人生をも振り回してしまったことだという。
「弟も警察官を目指していたみたいで。でも、僕の事件で警察官の夢を諦めてしまったと聞いた」。だが、後ろめたさもあり、事件後は弟と会えていない。「申し訳なかったとしっかり謝りたい」。そう言ってうつむく姿は、たった一度の罪の代償の大きさを物語っていた。【金将来】