静岡県の川勝平太知事が、県内に生息するいずれも絶滅が危惧される野生生物の保護について、「リニア問題」が関わるか否かで全く正反対の主張を繰り広げている。
その生物とは、太平洋に生息するアカウミガメと、大井川に生息する川魚・ヤマトイワナだ。アカウミガメは国際自然保護連合(IUCN)や環境省から、ヤマトイワナは静岡県の絶滅危惧種にそれぞれ指定されている。
この2種類の生き物について川勝知事は、片方では絶滅も辞さない開発を進めようとし、もう一方では「自然に影響を与える」として保護を求めるという「ダブルスタンダード」を披露しているのだ。
まず、アカウミガメの保護保全を求める声を紹介する。
川勝知事は、アカウミガメの産卵地として知られる浜松市の遠州浜海岸に隣接する遠州灘海浜公園篠原地区に「大型ドーム球場」建設の計画を進めている。
浜松市、浜松市議会、浜松商工会議所、浜松市自治会連合会は、建設促進期成同盟会を結成して、球場建設を川勝平太知事に複数回にわたり、強く要望した。
もともと同地区に野球場建設を約束したのは、川勝知事である。
当初、夜間照明施設のある球場を想定していたが、アカウミガメへの影響の声が上がると、川勝知事は「ドームで覆えば、ウミガメなど野生動物も光から守られる。これで全く問題なし」と大型ドーム球場建設に前のめりとなった。
ただ、膨大な建設費と需要予測などの不透明な点も多く、これまで明確な姿勢を示してこなかった。
県は本年度、3000万円をかけて、多額の費用を見込む大型ドーム球場建設を前提に、需要予測や民間活力を生かしたPFI(民間の資金と経営能力、運営などを活用する公共事業の手法)事業の実施可能性調査を行ってきた。
近く、報告書がまとめられる。
さらに来年度も、都市公園を整備するため、事業認可に関わる調査費2200万円の予算を計上する予定であり、計画は順調に進んでいるようだ。
地元経済界の期待を受けて、大型ドーム球場にこだわる川勝知事は昨年2月16日の会見で、「(より詳細な需要予測が出る)来年の今ごろには基本計画を出せるようにしたい」と述べた。
このため、2月20日開会の静岡県議会2月定例会で、「大型ドーム球場」建設を表明する可能性が高いとみられている。
このような動きの中で、アカウミガメの保護活動を続けるNPO団体などが2月13日、静岡県庁を訪れ、川勝知事宛に約1万3000筆の署名を携えて、大型ドーム球場反対の要望を行った。
わざわざ多額の費用を掛けてドーム球場という照明の光が漏れない施設にするのに、アカウミガメにどんな影響があるのか?
アカウミガメは、2億年以上も前から地球に生き続けてきた希少生物であり、絶滅の危機にさらされている。
13日に県庁を訪れた、30年以上もアカウミガメの保護保全を続けるサンクチュアリジャパンの馬塚丈司代表は「ドーム球場だからといって、すべての光が遮断されるわけではない。ドームの電飾光や周辺施設、駐車場、車の照明などの光が海岸に漏れ、子ガメに悪影響を与える」と、大型ドーム球場に「ノー」を突きつけた。
アカウミガメは人間の目に見える可視光線だけでなく、赤外線、紫外線、青色光、短波など人間の目には見えない光にも集まる習性がある。
特に、蛍光灯、水銀灯など紫外線を発する照明設備や、紫外線に近い短波長の光を発するLED(発光ダイオード)から受ける影響が高いという。
馬塚氏によると、「子ガメは夜間に生まれ、月の光に向かう」と思われているのは間違いであり、一日中時間に関係なく生まれ、日中に生まれた子ガメは太陽光の紫外線に導かれて海に入るという。
一方、夜に生まれた子ガメが海に向かわず、人工光の紫外線の強い内陸方面に向かうと、二度と海には帰れない。
また夜間、内陸の人工光の紫外線が強いと海にいる子ガメが方向感覚を失い、再上陸してしまうおそれもあるという。
馬塚氏は「アカウミガメの産卵地である海岸のすぐ隣に大型ドーム球場を建設する必要性が全くわからない。もっと内陸部につくるべきである」と訴えた。
その上で、「2.2万人規模の大型ドーム球場にすれば、2000台以上の大規模な駐車場も整備される計画だ。夏場には多くの若者、家族連れが海岸に殺到するおそれがある」などと危惧した。
つまり、子ガメへの悪影響だけでなく、アカウミガメが産卵する砂浜を保全できなくなるとして、ドーム球場反対の理由を説明した。
今回の要望活動には、川勝知事ではなく、野球場を含む公園計画担当の勝又泰宏・県交通基盤部長が対応した。
勝又部長は「アカウミガメ保護に課題があることは認識できた。知事はいろいろな意見を聞いて判断するが、今回の情報を伝える」などと馬塚氏らの説明に理解を示した。
果たして、紫外線など人間の目に見えない光に反応してしまうアカウミガメ保護を優先するのか、それでもドーム球場建設を表明するのか、あるいはさらに結論を先延ばしにするのか……。2月県議会で、川勝知事の対応が注目される。
一方、同じ絶滅危惧種であるヤマトイワナはどうか。
川勝知事は「南アルプスの保全は国際公約である」として、JR東海のリニアトンネル静岡工区の着工を認めていない。
2014年6月、長野、山梨、静岡3県10市町村につながる南アルプスはユネスコエコパーク(正式には「生物圏保存地域」)に登録されている。
南アルプスを貫通するリニアトンネルは大井川の地下約400メートルを通過する計画だ。南アルプスに生息する水生生物のシンボルがヤマトイワナである。
全長30センチ前後の日本固有種で、大井川上流部だけでなく全国に生息するが、静岡県では絶滅危惧種に指定されている。
大井川ではヤマトイワナ、ニッコウイワナの2種とその交雑種が生息する。
なぜ、ヤマトイワナが絶滅危惧種となったのか?
大きな理由の1つは、ヤマトイワナが大井川上流部の渓流釣りの対象であることだ。
50年以上前から減少の一途をたどったため、地元の静岡市井川漁協が1970年代後半から、静岡県の指導で、大井川に生息していなかった養殖のニッコウイワナを大量に放流した。
この結果、繁殖力の強いニッコウイワナがヤマトイワナを追いやり、またニッコウイワナとの交雑も進んでしまい、ヤマトイワナが消える原因となった。
さらに1995年、大井川源流部に二軒小屋発電所、赤石沢発電所が同時に稼働したことで、その周辺でヤマトイワナは姿を消してしまった。
JR東海のリニアトンネル建設に関係する大井川上流部支流の西俣川と東俣川には、二軒小屋発電所と導水路で結ぶ西俣ダムと東俣ダムが建設されたのだ。
2つのダムによるヤマトイワナへの影響はあまりにも大きかった。
ダム建設のために道路を造り、大量の工事車両が入り、土砂が流れ出した。その周辺のヤマトイワナはすべて絶滅したといわれている。
西俣ダム下流の西俣川の河川維持流量は毎秒0.12トンしかない。
1997年、動植物の生息等に必要な河川環境を保全するための河川法改正以前に決められた数値だから、渇水期にダムからの水が切れてしまい、イワナが大量死したこともあったという。
つまり、ヤマトイワナが絶滅危惧種となったのは、大井川に生息しなかったニッコウイワナを井川漁協が放流したことと、最上流部の電力ダムの影響が大きいのである。
静岡県を含めた地域全体がヤマトイワナを追いやったのが絶滅危惧の原因である。
それなのに川勝知事は、リニアトンネル建設地域では、ほぼ絶滅したとされるヤマトイワナの保全を求めている。
川勝知事の主張にはちゃんとした根拠があるのか?
アカウミガメとヤマトイワナの違いを明らかにすれば、それがわかる。
アカウミガメは、静岡県の静岡海区漁業調整委員会が海での採捕を禁止している。さらに、希少動植物保護条例の指定種として、海岸での卵を含むすべての採捕を禁じている。
過去には、遠州浜海岸でもアカウミガメを採捕していた。
浜名湖で養殖されるスッポンと違い、日本ではアカウミガメの肉はあまり食用に適しておらず、卵のみが採捕され、築地市場などに送られていた。フランス料理では、高級食材である。
現在では、厳しい罰則規定を設けて、あらゆる採捕を禁じている。つまり、日本では、アカウミガメを人間は「食べてはいけない」のである。
国際保護動物であり、県指定の希少種であり、馬塚さんらの自然保護団体はじめ地域全体でアカウミガメを保護保全している。
となれば、リニアで「環境保護」を叫ぶ川勝知事にとって、大型ドーム球場建設などもってのほかのはずである。
一方、ヤマトイワナは県の絶滅危惧種だが、県は採捕を禁止する希少種に指定していない。
ヤマトイワナはアカウミガメと違って、漁業権魚種なのだ。
サケの仲間の川魚であり、スーパーマーケットなどでめったにお目に掛かれないから、山間部の美味として昔から親しまれてきた。
当然、現在でも、採捕して食べても何ら問題はない。
太平洋のクロマグロが絶滅危惧種に指定されながら、青森県大間のクロマグロが高級食材として食べられるのと同じである。
食べることができないアカウミガメとは全く違うのである。
「ヤマトイワナを守れ」とJR東海に求める張本人の川勝知事が、地元の井川漁協にイワナ漁の免許を出している。
2021年、中部電力・二軒小屋発電所の水利権更新について知事意見を求められた。
川勝知事は2022年1月、「異議なし」と国交省に回答した。
最も重要なのは、知事意見書の中に、「大井川及び西俣川区域は井川漁協の漁業権漁場であり、イワナをはじめとする漁業権魚種が生息している。漁業に支障をきたすことのないように漁協との協議を継続するよう指導されたい」とあることだ。
「イワナ、アマゴなどの漁業に支障がないように」というのが川勝知事の意見である。つまり、「ヤマトイワナを食べろ」という主張であり、それで「ヤマトイワナを守れ」ではあまりにも矛盾する。
リニア問題の県生物多様性専門部会では、一貫してヤマトイワナ保全をテーマに議論してきた。
JR東海はヤマトイワナを頂点とする食物連鎖図を作成して、河川の水生生物全体を守るための対策を示してきた。
県専門部会では毎回、リニア工事の影響を回避させ、ほぼ絶滅したヤマトイワナ復活を求める不毛な議論を繰り返してきた。
何よりも、アカウミガメと違うのは、ヤマトイワナの保護保全を求める地域の団体などは皆無であることだ。
渓流釣りの団体、井川地区の漁協などはヤマトイワナを採捕する側であり、「ヤマトイワナを守れ」と訴えているわけではない。
そもそも採捕して食べてもいい「ヤマトイワナを守れ」という静岡県の主張は説得力に欠けるのだ。
「食べてはいけない」アカウミガメと「食べてもいい」ヤマトイワナの違いをきちんと理解できれば、「南アルプス保全」を唱える川勝知事の姿勢があまりにもおかしいことがはっきりとわかるはずだ。
———-小林 一哉(こばやし・かずや)ジャーナリストウェブ静岡経済新聞、雑誌静岡人編集長。リニアなど主に静岡県の問題を追っている。著書に『食考 浜名湖の恵み』『静岡県で大往生しよう』『ふじの国の修行僧』(いずれも静岡新聞社)、『世界でいちばん良い医者で出会う「患者学」』(河出書房新社)、『家康、真骨頂 狸おやじのすすめ』(平凡社)、『知事失格 リニアを遅らせた川勝平太「命の水」の嘘』(飛鳥新社)などがある。———-
(ジャーナリスト 小林 一哉)