1999年に発生した静岡県富士市タクシー運転手強盗殺人事件の発生から18日で25年を迎えた。
同日は、遺族や静岡県警捜査員らが車両発見現場で献花し、亡くなった田切忠男さん(当時66歳)の冥福(めいふく)を祈った。田切さんの妻・みよ子さん(76)は、最後に夫のために作った料理を今も食べられずにいるなど、深い悲しみの中で四半世紀を過ごしてきた。(貞広慎太朗)
18日午後、みよ子さんは県警の捜査員とともに、富士市大淵のタクシーの発見現場で手を合わせた。「せめて私が生きているうちに何とか解決してほしい」と捜査員たちに訴えた。
最愛の夫を失った悲しみは今も癒えることはない。2月は一番つらい時期だ。現場に足を運べば、やり場のない感情がこみ上げ、あふれる涙が頬を伝う。事件当時、足元程度だった木々もすっかり高くなった。みよ子さんは「私の時間は止まったままだが、木々の高さが時間の経過を教えてくれる」と話す。
田切さんは、みよ子さんが働く喫茶店で夕食をとってから仕事に行くのが日課だった。あの日は、焼きなす、カレイの煮付けなどを作ってあげた。好きだったコーヒーを飲み終えると、客の分も合わせてカップを洗ったという。みよ子さんが初めてのことに驚き、「どうしたの」と聞き、「おれは優しいからね」と笑ったのが最後の会話になった。
田切さんはその夜、タクシーで「大淵方面に向かう」と無線を残して帰らぬ人になった。発生日を思い出すのがつらく、その日に作ったおかずは今も食べられずにいる。
事件後は現実を受け入れられない日々が続いた。夫は「旅行に行っている」と思い込ませた。子どもたちに「くよくよしていたら成仏できないよ」「悔しいならもう少し強くなりなよ」と言われることもあったがこみ上げる思いにうそはつけなかった。「お父さんがいる。そう思わないと気持ちを保てなかった」
最近は足も不自由になり、外出も難しくなった。関東地方に住む息子から、一緒に生活しないかと誘われたが断った。「私が離れてはいけない。お父さんのことが解決すれば人生で思い残すことはない」と言い切り、吉報を待ち続けている。
県警はこれまでに延べ約2万3500人の捜査員を投入。富士署の武藤紀之刑事官は「風化させてはならない。今後も犯人逮捕に向け、捜査を尽くしていく」と話した。情報提供は富士署(0545・51・0110)。
■タクシー会社「安全、経営者が守る」
田切さんが勤めていたシンフジハイヤー(富士市)は事件後、従業員の安全対策に力を入れてきた。事務所には「安全に対するすべての責任は社長にある」と書いた貼り紙を掲げ、三沢賢治社長(75)は「事件を風化させてはいけない」と強調する。
田切さんは、発生の2か月前に知人の紹介で別のタクシー会社から入社したばかりだった。
三沢社長は事件判明後すぐに現場に駆けつけた。斜めに止まったタクシーで、直角まで上がったサイドブレーキや運転席下の血だまりが印象に残る。
二度と悲劇を繰り返すまいと、同社は積極的に安全対策機器の導入に資金をつぎ込んできた。運転席と後部座席を隔てる防護板や全地球測位システム(GPS)を利用した緊急通報装置、運転手の特定の動作で車内の無線が開放される仕組みを取り入れた。
今月14日には、携帯電話の電波を使って、富士市周辺に限定されていた無線の範囲を全国に広げた。グループ会社のタクシーの動きも把握できるようになったという。
同社の従業員は毎年、田切さんの冥福(めいふく)を祈り、現場で手を合わせている。三沢社長は「従業員が殺されるのは家族が殺されるようなつらさだ。安全は経営者が守る。犯人が捕まるまで戦いは続く」と力を込めた。
◆富士市タクシー運転手強盗殺人事件=1999年2月18日、富士市大淵の路上でタクシー運転手田切忠男さん(当時66歳)が何者かに殺害され、売上金が奪われた強盗殺人事件。2010年に刑事訴訟法が改正され公訴時効は撤廃されたが、いまだ犯人の特定には至っていない。