約50年に及ぶ逃走劇の果てに…。警視庁公安部は26日、1974~75年に発生した連続企業爆破事件の一つに関与したとして、爆発物取締罰則違反容疑で指名手配していた過激派「東アジア反日武装戦線」のメンバー・桐島聡容疑者(70)とみられる男を神奈川・鎌倉市内の病院で発見した。末期がんの闘病中で自ら本名を名乗ったというのだ。
桐島容疑者が関与したとする連続企業爆破は50年も前だ。事件は風化しつつある中、全国に貼られている警察庁の指名手配ポスターで、ロン毛をなびかせるメガネ姿で笑顔の青年は、見覚えのある人も多いだろう。
ポスターには「極左暴力集団 東アジア反日武装戦線」「昭和29年1月9日生まれ」「昭和50年4月19日、東京都中央区内で発生した連続企業爆破事件の犯人です」と記されている。
鎌倉市内の病院で確認された男は偽名で入院中だったが、「桐島聡」を自称している。末期がんの治療中で余命数か月だという。公安部は病院で事情を聴いており、当事者ではないと知り得ない当時の状況などを話しており、DNA型を鑑定している。
過激派に詳しい関係者は「名乗り出たのはザンゲではなく勝利宣言でしょう。余命ギリギリまで逃げ延びて自首したのですから。この50年、他の極左過激派での逃亡犯同様、シンパの支援を受けながらあがめられて生きてきた可能性が高いです。最後に名乗り出て、警察病院のお世話になるというのも勝ち誇った感じです」と指摘する。
東アジア反日武装戦線には「狼」「大地の牙」「さそり」のグループがあり、当時、桐島容疑者は「さそり」に所属していた。3つのグループで8人が逮捕・収監された。現在も国際指名手配中の佐々木規夫容疑者と大道寺あや子容疑者(共に「狼」)は後に日本赤軍に合流した。
「獄中にいる東アジア反日武装戦線のメンバーは亡くなった大道寺将司もいますが、誰も反省、謝罪、賠償をしておらず、再審請求を繰り返しています。桐島容疑者も反省はしてないでしょう」(同)
東アジア反日武装戦線はどのようなグループだったのか。
「極左過激派が『アジア』と『反日』を名乗った最初のケースでしょう。それまでの過激派が反米、反資本主義を旗印にしていたのに加え、このグループは反日本帝国主義です。それだけにターゲットにしたのは、三菱や三井など戦前の国策や軍事産業にかかわってきた企業でした。また昭和天皇の暗殺計画『虹作戦』をたくらんでいたことで知られています」と同関係者は話している。