事件の真相解明が遠のいた。
1970年代の連続企業爆破事件で、指名手配中の桐島聡容疑者(70)を名乗る男が29日朝、入院先の神奈川県内の病院で死亡した。「もっと早く男にたどり着いていれば……」。突然の一報に捜査員らは無念さを口にした。
男が死亡したとの速報を受け、入院先の同県鎌倉市内の病院前には29日午前、テレビカメラなどを構えた報道陣が詰めかけた。
男は数十年前から「内田洋(うちだひろし)」の偽名を使い、同県藤沢市南部の土木工事会社に住み込みで働いていた。末期の胃がんを患い、救急搬送された病院で今月25日、「自分は桐島聡。最期は本名で迎えたい」と名乗り出た。
桐島容疑者は過激派「東アジア反日武装戦線」のメンバーとして、1975年4月、東京・銀座の「韓国産業経済研究所」で手製爆弾を爆発させた疑いで、翌5月に指名手配された。その足取りは約49年間にわたり、判明していなかった。
男は警視庁公安部の任意の事情聴取に事件についても語ったが、意識が遠のくこともあり、十分に話は聞けなかったという。捜査員の一人は「悔しい。本人から話が聞ければ、半世紀前の事件の全容解明が近づいたかもしれない」と語った。
桐島容疑者は広島県出身で、尾道市内の高校卒業後に上京し、事件当時は明治学院大の学生だった。高校の同級生の無職男性(70)は29日、「もし本人であれば聞きたいことがたくさんあった」と残念そうに話した。
桐島容疑者は列車で約1時間かけて通学していた。真面目で目立たないタイプだったが、体育祭などの学校の行事ではクラスメートと一緒に汗を流していた。男性は「普通の生徒だった桐島が、なぜあんな事件に関わったのか。逃亡生活で何を感じていたのか、ずっと疑問だった」と語った。