元アルコール依存症の筆者。ストロング系缶チューハイを飲み続けて心身に起きた異変とは?(筆者撮影)
アサヒビール(以下、アサヒ)が「今後発売する缶酎ハイの新商品のアルコール度数を8%未満に抑える方針」と、共同通信等の取材に答えたことで、再びアルコール度数が8%以上の缶チューハイ、いわゆる「ストロング系」に注目が集まっている。
29日公開の前編(「アサヒが撤退「ストロング系」はなぜ広がったのか」)ではこれまでのストロング系の歴史を振り返りながら、同社の「健全で持続可能な飲酒文化を目指し、高アルコール商品の展開を控えることにした」というコメントは「負け惜しみでは?」ということを指摘したが、後編ではストロング系にハマった筆者が「酒に飲まれていくまで」の過程を紹介していきたい。
かつての筆者は毎晩仕事帰りにコンビニに寄るのが楽しみだった。というのも、毎月のように新たなストロング系のブランドが各社から出ていたからである。
サントリーの「-196℃ ストロングゼロ(以下、ストロングゼロ)」は季節ごとにさまざまなフレーバーが登場。1缶飲めば「ガツン」と体中にアルコールが一気に回り、すぐに酩酊状態に陥ることができた。
また、サッポロの「99.99」は辛口クリアで直接飲むと苦いのだが、アイスクリームコーナーにある森永製菓の「アイスボックス」に入れて飲むと、ほどよい甘さが混ざることで文字通り「ジュース」のように飲めたのだ。
さらに、件のアサヒの「クリアクーラーSTRONGレモン&ライムサワー」のように、コンビニやスーパーによって、販売されているストロング系も変わってくる。そのため、帰省するたびに、九州で当時テスト販売されていたコカ・コーラの「檸檬堂」を飲むのが楽しみのひとつでもあった。
そして、サントリーから「こだわり酒場のレモンサワーキリッと辛口」が出たときは、「ようやく、普通に飲める9%が出た!」と驚いたものだ。
学生時代に酒の味を覚えた筆者は、飲み会で羽目を外して記憶をなくすほど、酒を飲むのが好きだった。なにかと理由をつけて仲間たちとコンパを開き、気づいたら住んでいるアパートの屋外に設置してあった洗濯機に「くの字」で寝ていたこともある。
そして、社会人になって学生時代のような活発さと社交性が失われて以降は、飲み会で酒を飲まなくては人と打ち解けることができなくなった。
というよりも、社会人になってから一気に飲む量が増えた。それは「飲み会が多い」などではなく、「嫌なことがあったらお酒を飲んで寝て忘れよう」という気持ちになったからだ。
学生時代から「眠れないので酒を飲む」ことはあったが、社会人になってからは「酒を飲まないと眠れない」状態になってしまった。単純にプレッシャーや嫌味に弱いのだ。
当初はアルコール度数25%の芋焼酎や37.5%の韓国産のウォッカなど、度数の強い酒をラッパ飲みしては無理やり眠りについていたのだが、徐々に胃が荒れてくるのと飲む量が増えていったため、「いずれ一晩で一升瓶を飲み干してしまうのではないか?」と怖くなってしまった。
アルコール依存症への平均的なプロセスだが、「機会飲酒」から「習慣飲酒」に変わってしまったのだ。
この時点ですでに酒に飲まれていたのは明らかだが、時を同じくして『ニュースウオッチ9』(NHK)やウェブメディア「BuzzFeed」の国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所薬物依存研究部部長、薬物依存症センターセンター長である松本俊彦氏のインタビューなどで「ストロング系が危ない」ということを知った。
当時、20代前半だった筆者は給料も少なく、貯蓄もない。
それにもかかわらず、毎晩、度数の高い酒を飲んでいたわけなのだが、飲むペースが早くなるとその分、出費が増える。
そこで、試しにストロング系の缶チューハイをいくつか買って飲んでみたところ、何缶か飲んだところで酔いが回ったようで、気づいたら眠りについていた。
「これは焼酎やウォッカを飲むより、コスパがいいや」
そこからは、冒頭で紹介したようなストロング系を毎晩飲む生活が始まった。瓶の酒は1000円を超えるのに、飲みすぎると最悪2日でなくなるが、ストロング系は500ml缶でも200円しないため、持ち金のなかった筆者にとっては救いになった。コンビニで売っているペットボトルのコーラよりもストロング系は安いのである。
それに、原液を直接飲むわけではなく、人工甘味料で味付けされたアルコールのため、胃が荒れることもなく、飲み切りの缶なので飲み過ぎる心配もない……。
当時は夜遅くに帰ることが多かったため、ひとり暮らしの筆者は夜中まで開いているコンビニや弁当屋で唐揚げ弁当など、揚げ物を買って晩酌していたのだが、ストロング系は揚げ物に合う。
そして、居酒屋で飲むのと違って、家で大量に飲む分には人に迷惑をかけることもないのである。なにより、安い。
毎晩、コンビニでストロング系をどれか1缶選び、それでカロリーの高そうな弁当を流し込む……。
そんな生活を続けていると、人間は徐々に耐性がついてしまうようで、当初は1缶で泥酔状態に入ることができたが、次第に一晩で飲む缶の量も増えていき、結果的に350mlを2缶、500mlを3缶と合計5缶飲み干すようになった(2缶、350mlなのは健康志向なわけではなく、当時はコカ・コーラの9%の檸檬堂がまだ350mlの缶でしかなかったからである)。
アルコール依存症の治療でいわれる、「耐性の形成」だ。
ただ、この接種アルコール量は厚生労働省が定義する「生活習慣病のリスクの高い飲酒量」の男性の1日あたりの純アルコール量である40g以上を優に超えてしまっている。さすがに、これ以上の量を一晩で飲み切ることはできないので、しばらくは毎晩コンビニで5種類のストロング系を選んで帰る日々が続く。
さらに、冒頭でも紹介したが、各コンビニで取り扱っているブランドが異なるため、ストロング系のためにわざわざ遠くのコンビニまで買い物をすることもあった。
もともと、アルコール耐性が強いのか、二日酔いになることはほとんどなかったが、これだけの量を一晩で飲むとアルコールを分解するために丸一日かかるため、日中も吐息は酒臭かったと思う。
アプリの画面。小便を垂らしながら、白目をむいて倒れるシーサー(筆者撮影)
当時、スマートフォンに沖縄県が開発した「うちな~節酒カレンダー」という、日々の飲酒を記録するアプリを入れていた。
これは「どのようなお酒を何杯飲んだのか?」ということを記録して、飲み過ぎを防ぐためのアプリで、例えば「ビールを1缶」飲むと画面上のシーサーがニコニコ顔で「ほろ酔い期」となり、ストロング系を2缶飲めば目がグルグル回っているシーサーが「酩酊期」を示してくれるものだ。
ただ、筆者はこのシーサーに毎晩150g以上のアルコールを飲ませていたため、常に「昏睡期」に陥らせてしまい、シーサーは小便を垂らしながら、白目をむいて倒れていた。
毎晩飲む量は多いが、それでも5缶飲めば泥酔状態で楽しくなり、嫌なことをすべて忘れて、翌朝は少し酒が残っている気はしながらも、普通に生活を送ることができた。
しかし、2020年に新型コロナウイルスが蔓延。出社する必要がなく、テレワークで仕事ができるようになった。多くの報道ではこの「巣ごもり期間」で人々の酒量が増えたといわれているが、いくら家から出なくてもいいからといっても、筆者は昼から飲酒することはなかった。
ただ、巣ごもり期間が長引くにつれて生活リズムが悪化。朝、出勤する必要もなくなったため、昼頃に起き上がり深夜まで仕事をする生活に変わると、必然的に睡眠のメカニズムが壊れていき、ストロング系を5缶飲んでも徐々に眠れなくなった。
さらに、昼過ぎまで寝ていると食欲もなくなるのか、1日1食になってしまった。というか、仕事とプライベートの時間の境目がなくなってしまったのと、人と会えないストレスから夜中にコンビニ(もしくは牛丼屋)の脂っこいお弁当を2つ買い、それを5缶のストロング系で流し込むことしか楽しみがなくなった。むしろ、1日の楽しみは飲酒しかないのだ。
そして、コロナ禍に入って1年が経ち、緊急事態宣言も解除されたが、今度は「時短営業」で飲食店の営業時間が夜20時までになり、その影響で渋谷や新宿の若者たちの路上飲みが増えると「路上飲み防止」などと東京都が言い出した。
それでも、東京五輪はやるというのだから、国や行政のあり方に不満を募らせるようになり、せめてもの「抵抗運動」として帰り道にストロング系を1缶(これで計6缶)飲むことにした。
このアクションが国に与えた影響は何もなかったのだが、当時は繁華街の近くに住んでいたため、毎晩ストロング系の缶を飲みながら帰っていると、ガールズバーやキャバクラのキャッチから声をかけられなくなるのまでは良かったが、「オッス! スト缶(ストロング系の缶の略)のアニキ!」と顔を覚えられてしまった。
外でストロング系を飲むことに躊躇がなくなってしまい、最寄り駅から2つ前の駅で降りてストロング系を飲み続けながら、帰路につくことが楽しみになった。運動不足の解消にもなるのだが、家に着くとまた5缶飲んでしまう。
振り返ると、当時は相当に危険な状態だった(筆者撮影)
こうなってしまうと、徐々に飲む時間が早まっていき、飲みながら帰りたいがために、18時に仕事を終えたのはいいが、その後日付が変わるまでストロング系を飲みながら歩き回るようになった。もはや、仕事よりも飲むことが優先されてしまう「精神依存の重篤化」である。
いよいよ、「連続飲酒(酒を数時間おきに飲み続け、絶えず体にアルコールのある状態)」に陥ってしまい、テレワークが終了して出社が許可されるようになると、昼間に3缶ストロング系を飲みながら出社して、夕方に休息がてら勤務先周辺を歩き回りながら3缶路上飲み。
そして、帰り道にまた3缶飲みながら帰路につく(飲み歩きしやすいように、冬場はジャケット、夏場は胸ポケットが2つあるシャツを好んで着るようになった。なぜなら、補充の缶はポケットに入れたまま歩けるからだ)。
さらに、家でもまた飲むのだから、1日にもう一体自分の体内にどれほどのアルコールが入っているのかすら、わからなくなってしまった(アプリのシーサーはとっくに倒れている)。
昼間でも酒を飲まないと吐き気とめまいが止まらず、さらに低気圧の日はストロング系を一気飲みすることで、無理やり血流のめぐりを良くしていたため、どこか体調不良があるとコンビニに駆け込み、ストロング系を飲むようになった。毎日10缶程度飲んでいるわけで、ここまで来ると「どのブランドがいい」とか考える余裕もなくなった。
毎晩話しかけてくるガールズバーの店員からも「毎日それ(ストロング系)飲んでるのヤバいっすよ」と心配されるようになる。
ついには、健康診断で飲酒量が多いときに値が上昇する肝機能の指標であるγGTが、一般的に40~60が平均値とされる中、筆者は「2410」という数字を叩き出した。60倍である。
戒めとして、今でもX(旧ツイッター)のヘッダーに使っている(筆者撮影)/外部サイトでは写真をすべて見られない場合があります。本サイト(東洋経済オンライン)内でご覧ください
旧γGTPだと「1157」という数字なのだが、中島らもの『今夜、すべてのバーで』(講談社)にはこんな一節がある。「生きてるのが不思議なくらいの数字だよ、これは。γGTPが1300だって……いったいどれくらい飲んだんだ」「1本くらいですね」「毎日かね」「毎日です」「それを何年くらい」「18からですからね。17年くらいかな」
ちなみに、中島らもが入院したのは36歳のときであるが、当時の筆者はまだ29歳だった。医者からは「30代だったら肝硬変だったよ」という一言と「禁酒」を言い渡され、アルコール依存症の病院を紹介された。正直、「ようやく、この生活が終わる」と思って内心ホッとした。誰かに止めてほしかったのだ。
そして、アルコール依存症の病院で治療薬と睡眠薬をもらったのだが、「あれだけ飲んでいたのだから、アルコール依存症なんだろう」と思いきや、薬を飲み始めた翌日からスパッと酒への執着はなくなった。
仕事柄飲み会の機会も多いが、ノンアルコールを貫いている(筆者撮影)
そこから、1年半が経過したが、薬を飲み始めてから一度もストロング系はおろか酒を一滴も飲んでいない。
飲みたい気持ちも特にないが、これまでの生活がたたってか、今は毎晩350ml缶のアサヒのノンアルコールビール、サントリー「のんある晩酌 レモンサワー」、コカ・コーラ「よわない檸檬堂」、サントリー「ノンアルでワインの休日」の計4缶で睡眠薬を流し込むのが一日の楽しみである。
結局、なにかに依存していないと生きていけないというわけだ。
ここまで読んできてわかると思うが、もはや「ストロング系の危険性」というよりも、ただの「大酒飲みの顛末」というだけである。とはいえ、焼酎やウィスキーだとドクターストップがかかるまでに、もう少し時間がかかっていただろう。というのも、ストロング系のように「安価で手軽に」飲むことができないからだ。
前編でも述べた当たり前のことだが、「お酒は節度を守って楽しむもの」である。その量を筆者は大きく間違えたわけである。決して、ストロング系が悪いわけではないのだが、筆者のように元来の気質として、なにかに依存しがちなタイプがいることも事実だ。ストロング系をゲートウェイとして、誰しもがアルコールに溺れる可能性は十分にあることを覚えておいてほしい。
(千駄木 雄大 : 編集者/ライター)