2023年に日本人10万人を対象に実施した調査によると、じつに78・5%の人が「疲れている」と答えたという。だが欧米では、「疲れているのに働く」ことは自己管理ができないだらしない行為と見なされるため、疲労の科学的な研究は軽視されてきた。「疲労」が美徳とされ、お互いを「お疲れさま」と称えあう特異な国だからこそ、日本の疲労研究は世界のトップを走っている。その日本で疲労研究をリードする著者が、数々のノーベル賞級の新研究をなしとげて見えてきた、疲労の驚くべき実像とは。*本記事は、近藤 一博『疲労とはなにか すべてはウイルスが知っていた』(講談社ブルーバックス)を抜粋、編集したものです。
PHOTO by iStock
疲労はさまざまな病気の原因ともなる医学上の重要問題です。では、疲労の問題を解決するために、まず必要なことは何でしょうか?
それは、疲労を科学的に扱うことです。
「疲れても気合でなんとかなる」という日本的な根性論でも、「疲労は自己管理ができていれば問題にならない」といった欧米的な疲労軽視でもなく、疲労というものの実体をしっかりと科学的にとらえて、医学の対象として研究することが必要です。
それでは疲労の実体を科学的にとらえるためにはどうすればよいのでしょうか?
一般的に使用される用語である「疲労」には、2つの意味が含まれています。疲れたという感覚である「疲労感」と、疲労感の原因となる「体の障害や機能低下」です。
このうち、科学の対象としやすいのは、後者のほうです。なぜなら現在の科学はまだ、前者の「感覚」を扱えるほどには発展していないからです。「物質」を見ることでとらえられる体の障害や機能低下ならば、科学、とくに分子生物学といわれる分野が得意としているからです。だから疲労を科学として扱うには、まずは疲労感の原因となる「体の障害や機能低下」を、分子を介してとらえることになります。
ちなみに日本の研究者の多くは、「疲労感」と「疲労」をしっかりと区別しています。テレビで栄養ドリンクの宣伝を見ていても、誠実な製薬会社のCMは、「疲労感を減少させる」ときちんと言っています。「疲労を減少させる」と言うと、誇大広告になるということがわかっているからです。
これに対し、英語で疲労を表す「fatigue」という単語は、ほとんど「疲労感」の意味しかなく、欧米の研究者は「疲労感」と「疲労」を区別しているようには見えません。
この点を見ても、日本の疲労研究は世界を一歩リードしているように思われます。
つけ加えておきますと、本やネットなどで疲労についての文章を読むときは、「疲労感」と「疲労」が区別して使われているかどうか、「疲労」という言葉が本来の意味で使われているかどうかを見きわめる必要があります。区別されていない場合は、書いている人が専門家ではない、専門家が書いてはいるが言葉が煩雑になるのを嫌ってあえて区別していない、海外の文献の翻訳である、などの理由が考えられます。また、悪質な宣伝文句では、このあたりの曖昧さをわざと利用している場合もあるので要注意です。その手口としては、「疲労に〇〇〇!」などと「疲労」という言葉をうたうだけで効くとも効かないとも言わないものや、「個人の感想です」などと、根拠をぼやかすものが典型的です。
なお、「疲労感」のなかでも、とくに気分などの精神的な要素が強い場合には「倦怠感」という言葉を使います。