日本は安全な国だと言われ、日本国民も多くがそれを信じているだろう。だが、ひとつだけ他国と比べても治安が悪いことを認めざるをえないのが、混み合った電車内や駅での痴漢だろう。れっきとした性犯罪であるにも関わらず被害を軽視する風潮がなかなか拭われないため、深刻な性犯罪被害による後遺症はなかなか理解されないため、いつまでも被害者が苦しんでいる現状をライターの宮添優氏がレポートする。
【写真】サザエさんも痴漢撲滅呼びかけ * * * 毎日のように報じられる、痴漢やわいせつ事案。さらに8月に起きた韓国人女性DJへのセクハラ騒動などで、日本は「痴漢大国」になってしまったと感じる読者も多いだろう。反面、そうした報道は女性側のウソだ、日本を貶めようとするマスコミのキャンペーンだと主張して、現実を受け入れない人たちも少なからず存在する。筆者も10年ほど前までは、後者寄りの思考であったことをここに告白するが、我が国を「大国」として認めるしかなくなったのは、複数の被害者の声を、そして普段からどんなに苦しめられ、対策せざるを得なくなっているのか、取材を通じて聞いてきたからである。いつまで経っても消化できない「電車やバスは特に危険だと感じ、ラッシュ時には絶対に乗らなくなりました。でも、そんな生活をずっと続けられないこともわかっていて、これからどうすべきなのかわかりません」 電車やバスの中で、過去に何度も痴漢被害に遭ったという関東在住のフリーター・三島楓さん(仮名・20代)。初めての痴漢被害は中学生の頃で、高校や大学に進学した後も、主に通学中に被害を受け続けた。「高校生くらいの頃までは、気持ち悪いなあとしか思わず、同じく被害に遭った友人達に相談するくらいでした。そのときは服の上からタッチされる程度の被害だったのが、大学生になってからはより過激で悪質なものになっていき、痴漢と盗撮を同時にやる加害者もいたほど。どんどん怖くなっていき、電車に乗ると震えが止まらなくなったんです」(三島さん) 通学困難から斯くして休みがちにはなったものの、何とか大学を卒業し、大手アパレルメーカーへの就職も決まった。しかし、配属先によっては満員電車での通勤が必須となる。会社は「事情は最大限くむ」といってくれたが、結局、満員電車での通勤が決まり、数度出勤したところで精神的にダウンしてしまった。いつ被害に遭うかと気が気でなく、電車やバス、そして飛行機などの公共交通機関を利用できなくなったのだ。「過去の被害だと自分でも思い込んでいましたが、時間が経つほどに思い出されて嫌な気分が去来してくる。自分でもわからないんですが、いつまで経っても”終わったこと”と消化できないんです。もう日常生活がままならず、心療内科に通いカウンセリングを受けています。なるだけ早く社会復帰したいですが、あの恐怖感に苛まれるかと思うと自信がありません」(三島さん) 三島さんのようにダウンまでは至らなかったものの、度重なる痴漢被害の結果、様々なクセがついてしまったと話すのは、関西在住の会社員・金本のぞみさん(仮名・20代)だ。「駅でもデパートでも、エレベーターに乗る前は後ろに男性がいれば先に行ってもらい、後ろには誰もいないか女性だけの状態にするようにしています。夏場は薄着ですから、電車内で吊革につかまると脇の下をじっと見られたり撮影されることもあります。だからつり革や手すりにつかまれず、揺れる車内で体を支えられなくなる。やむを得ず満員電車に乗らなければならないときは、有料のグリーン席にするか、始発駅まで電車で戻って一度改札を出た後、再度入場して空いた電車に着席するようにしています」(金本さん) 金本さんも、高校時代から長らく被害に遭い続けたという一人。痴漢に対する恐怖感をずっと抱いてきて、一時期は空いている電車内であっても、近くに男性がいれば心拍数が上がり、冷や汗が出たほどだった。しかし、このままでは痴漢の思うツボだと感じ、何とか電車やバスにも一人で乗車できるようになった。そのために行ったのが、絶対に痴漢に遭わないための自分なりの「検証と対策」だった。「自分がいつ、どのような状況で痴漢に遭っているのかを検証したんです。これは、自分一人であれば、直視できず辛くてできなかった。救ってくれたのは、被害に遭ったことがある同僚で、検証と対策を一緒に考えてくれました。同僚も”自分の身は自分で守るしかない”と言っていましたが、私も同感です。誰も助けてはくれないんです。その結果、エレベーターでは男性の前に乗らない、吊革につかまらないよう徹底したんですが、痴漢被害に会うことはほぼなくなったものの、なぜ痴漢のために私が遠回りをしたり不便な思いをしなければならないのか、とても理不尽です」(金本さん)ヒットアンドアウェイの痴漢が多いターミナル駅 もはや誰も助けてはくれないから、女性は自身で「痴漢に遭わないための工夫」を強いられている。この「工夫」は我々男性が思う以上に、過酷で深刻ものなのだ。都内在住の公務員・新谷真紀さん(30代)の「日常」は、痴漢によって大きく変わってしまった。「混んでいる快速や特急には絶対に乗らない。駅と駅の間隔が長く、一度痴漢に目をつけられたら、ずっと逃げられなくなるからです。あと、車内の壁やドア付近にいると、痴漢に追い込まれて逃げられなくなります。混雑している車両内では、移動するフリをして痴漢していく人がいますが、これは我慢するしかないんです。以前、痴漢だと声を上げたことがありましたが、周囲の人は誰も気に留めてくれず、痴漢は”えん罪だ”と捨て台詞を吐いて逃げた。相手が激高して暴力を振るわれる可能性も考えると、とにかく自分の身を守るしかできない」(新谷さん) 新谷さんも、学生時代から何度も痴漢被害を受けてきた。電車に乗れなくなったり、職場に行けなくなることはなかったが、それは新谷さんの涙ぐましい努力の結果だ。「痴漢対策の本やウェブサイトをたくさん見て、自分でも検証しました。今でも守っているのは、電車に乗る際は、ターミナル駅での乗り換えをしないということです。乗換駅なだけあり、証拠が残りにくく、逃げやすいためか、ヒットアンドアウェイの痴漢が多いんです。これは私自身も長年そう実感していたことです。また、公共交通機関はできる限り二人以上で乗るようにもしていますが、こうやって自分で振り返ると、安全に電車やバスに乗ることができるタイミングなんて、ほとんど無いんです。普通の生活はできなくなりましたが、痴漢に遭う不安がない安心は得られたと思っています」(新谷さん) 痴漢という一方的な性犯罪は、被害者の人格を否定する卑劣なものだ。犯行の瞬間だけでなく、いつまでも恐怖と恥辱が続く。それから何年も電車などの公共交通機関だけでなく、人が多く集まる繁華街やコンサート、学校の全校集会にすら参加できなくなることもある。こうした苦しみを考えれば、少しでも防止しようという社会の努力が必要だろう。通勤通学電車の過度な混雑の解消や、女性専用車両、トイレに女性専用個室を設定することには治安を守るために意味がある。 今のところ最大の障害は、いくら訴えても「考えすぎだ」とか「それくらいで」と苦しい気持ちを無かったことにし、ときには「ウソつき」とまで言う、痴漢という性犯罪が頻繁に起きている現実を無いことにしたい風潮だろう。確かに、痴漢冤罪事件が皆無とは言わないが、被害の全体像からみたら少数で、全体の被害を小さくすることが優先されるべきだ。わずかな例外的事例を強調して、被害全体を矮小化するのは、木を見て森を見ずに社会を壊すも同然だろう。まず第一歩として、被害を見て見ぬふりする傍観者だらけという今の社会の「当たり前」を、変えることが必要かもしれない。
* * * 毎日のように報じられる、痴漢やわいせつ事案。さらに8月に起きた韓国人女性DJへのセクハラ騒動などで、日本は「痴漢大国」になってしまったと感じる読者も多いだろう。反面、そうした報道は女性側のウソだ、日本を貶めようとするマスコミのキャンペーンだと主張して、現実を受け入れない人たちも少なからず存在する。筆者も10年ほど前までは、後者寄りの思考であったことをここに告白するが、我が国を「大国」として認めるしかなくなったのは、複数の被害者の声を、そして普段からどんなに苦しめられ、対策せざるを得なくなっているのか、取材を通じて聞いてきたからである。
「電車やバスは特に危険だと感じ、ラッシュ時には絶対に乗らなくなりました。でも、そんな生活をずっと続けられないこともわかっていて、これからどうすべきなのかわかりません」
電車やバスの中で、過去に何度も痴漢被害に遭ったという関東在住のフリーター・三島楓さん(仮名・20代)。初めての痴漢被害は中学生の頃で、高校や大学に進学した後も、主に通学中に被害を受け続けた。
「高校生くらいの頃までは、気持ち悪いなあとしか思わず、同じく被害に遭った友人達に相談するくらいでした。そのときは服の上からタッチされる程度の被害だったのが、大学生になってからはより過激で悪質なものになっていき、痴漢と盗撮を同時にやる加害者もいたほど。どんどん怖くなっていき、電車に乗ると震えが止まらなくなったんです」(三島さん)
通学困難から斯くして休みがちにはなったものの、何とか大学を卒業し、大手アパレルメーカーへの就職も決まった。しかし、配属先によっては満員電車での通勤が必須となる。会社は「事情は最大限くむ」といってくれたが、結局、満員電車での通勤が決まり、数度出勤したところで精神的にダウンしてしまった。いつ被害に遭うかと気が気でなく、電車やバス、そして飛行機などの公共交通機関を利用できなくなったのだ。
「過去の被害だと自分でも思い込んでいましたが、時間が経つほどに思い出されて嫌な気分が去来してくる。自分でもわからないんですが、いつまで経っても”終わったこと”と消化できないんです。もう日常生活がままならず、心療内科に通いカウンセリングを受けています。なるだけ早く社会復帰したいですが、あの恐怖感に苛まれるかと思うと自信がありません」(三島さん)
三島さんのようにダウンまでは至らなかったものの、度重なる痴漢被害の結果、様々なクセがついてしまったと話すのは、関西在住の会社員・金本のぞみさん(仮名・20代)だ。
「駅でもデパートでも、エレベーターに乗る前は後ろに男性がいれば先に行ってもらい、後ろには誰もいないか女性だけの状態にするようにしています。夏場は薄着ですから、電車内で吊革につかまると脇の下をじっと見られたり撮影されることもあります。だからつり革や手すりにつかまれず、揺れる車内で体を支えられなくなる。やむを得ず満員電車に乗らなければならないときは、有料のグリーン席にするか、始発駅まで電車で戻って一度改札を出た後、再度入場して空いた電車に着席するようにしています」(金本さん)
金本さんも、高校時代から長らく被害に遭い続けたという一人。痴漢に対する恐怖感をずっと抱いてきて、一時期は空いている電車内であっても、近くに男性がいれば心拍数が上がり、冷や汗が出たほどだった。しかし、このままでは痴漢の思うツボだと感じ、何とか電車やバスにも一人で乗車できるようになった。そのために行ったのが、絶対に痴漢に遭わないための自分なりの「検証と対策」だった。
「自分がいつ、どのような状況で痴漢に遭っているのかを検証したんです。これは、自分一人であれば、直視できず辛くてできなかった。救ってくれたのは、被害に遭ったことがある同僚で、検証と対策を一緒に考えてくれました。同僚も”自分の身は自分で守るしかない”と言っていましたが、私も同感です。誰も助けてはくれないんです。その結果、エレベーターでは男性の前に乗らない、吊革につかまらないよう徹底したんですが、痴漢被害に会うことはほぼなくなったものの、なぜ痴漢のために私が遠回りをしたり不便な思いをしなければならないのか、とても理不尽です」(金本さん)
もはや誰も助けてはくれないから、女性は自身で「痴漢に遭わないための工夫」を強いられている。この「工夫」は我々男性が思う以上に、過酷で深刻ものなのだ。都内在住の公務員・新谷真紀さん(30代)の「日常」は、痴漢によって大きく変わってしまった。
「混んでいる快速や特急には絶対に乗らない。駅と駅の間隔が長く、一度痴漢に目をつけられたら、ずっと逃げられなくなるからです。あと、車内の壁やドア付近にいると、痴漢に追い込まれて逃げられなくなります。混雑している車両内では、移動するフリをして痴漢していく人がいますが、これは我慢するしかないんです。以前、痴漢だと声を上げたことがありましたが、周囲の人は誰も気に留めてくれず、痴漢は”えん罪だ”と捨て台詞を吐いて逃げた。相手が激高して暴力を振るわれる可能性も考えると、とにかく自分の身を守るしかできない」(新谷さん)
新谷さんも、学生時代から何度も痴漢被害を受けてきた。電車に乗れなくなったり、職場に行けなくなることはなかったが、それは新谷さんの涙ぐましい努力の結果だ。
「痴漢対策の本やウェブサイトをたくさん見て、自分でも検証しました。今でも守っているのは、電車に乗る際は、ターミナル駅での乗り換えをしないということです。乗換駅なだけあり、証拠が残りにくく、逃げやすいためか、ヒットアンドアウェイの痴漢が多いんです。これは私自身も長年そう実感していたことです。また、公共交通機関はできる限り二人以上で乗るようにもしていますが、こうやって自分で振り返ると、安全に電車やバスに乗ることができるタイミングなんて、ほとんど無いんです。普通の生活はできなくなりましたが、痴漢に遭う不安がない安心は得られたと思っています」(新谷さん)
痴漢という一方的な性犯罪は、被害者の人格を否定する卑劣なものだ。犯行の瞬間だけでなく、いつまでも恐怖と恥辱が続く。それから何年も電車などの公共交通機関だけでなく、人が多く集まる繁華街やコンサート、学校の全校集会にすら参加できなくなることもある。こうした苦しみを考えれば、少しでも防止しようという社会の努力が必要だろう。通勤通学電車の過度な混雑の解消や、女性専用車両、トイレに女性専用個室を設定することには治安を守るために意味がある。
今のところ最大の障害は、いくら訴えても「考えすぎだ」とか「それくらいで」と苦しい気持ちを無かったことにし、ときには「ウソつき」とまで言う、痴漢という性犯罪が頻繁に起きている現実を無いことにしたい風潮だろう。確かに、痴漢冤罪事件が皆無とは言わないが、被害の全体像からみたら少数で、全体の被害を小さくすることが優先されるべきだ。わずかな例外的事例を強調して、被害全体を矮小化するのは、木を見て森を見ずに社会を壊すも同然だろう。まず第一歩として、被害を見て見ぬふりする傍観者だらけという今の社会の「当たり前」を、変えることが必要かもしれない。