ガーシーこと東谷義和が世に出てきたことにより、われわれ大衆の間でもすっかり知られることとなった、”アテンダー″。芸能人と一般人、または芸能人同士をつなげる役割を果たす彼らの存在は、公然と異性と交遊しづらい芸能人にとっては、これまでかなり重宝されてきたことだろう。
SNSが普及し、誰もが芸能人に自らメッセージを送れるようになる前、自身もアテンダー、そして芸能人と交際するいわゆる”プロ彼女″として暗躍していたのが40代女性のAさん。
Aさんがいわゆる”芸能人″と初めて接触を持ったのは、今から20数年前。なんと高校生のころだという。当時、北陸の地方都市に住んでいたAさんが、高校3年生の夏休み、テレビ越しに応援していた大手芸能事務所に所属するBの単独ライブを見に劇場に行ったころに話はさかのぼる。
その日の単独ライブは、観客参加型のクイズ形式の企画があった。Aさんは解答者として自ら手を挙げ、舞台に上がった。そのことが大きくその後の人生を変えることになる(以下「 」内はすべてAさんの発言)。
「ライブ自体は何事もなく普通に終わったのですが、アンケート用紙に”壇上に上げていただいて、ありがとうございました。すごく楽しかったです″みたいな感じのコメントに、PHSの番号を添えて写真シールも貼ったんですよね。
そうしたら、 その日の夜に、スタッフを名乗る人から電話がかかってきて、”今打ち上げやってるんだけど来ませんか″って。 後から聞いたら、その人もスタッフじゃなくて後輩芸人だったみたいです」
都内に住む姉の家に泊まっていたAさんは、弾む気持ちを抑えられず会場に向かった。
「お姉ちゃんが『そんなチャンスないから行ってきなよ。親から連絡が来たら、あとは私がなんとかしてあげるから』って言ってくれて。それで打ち上げに参加したのが始まりですね。後になり『ファンの中に気に入った子がいたら連絡する』、そういったことが日常的に行われているんだということがわかりました」
BはAさんにとって芸能人とのファーストコンタクトだった。Bが芸人を辞めた今でも20年来の友人だという。その後、受験勉強が始まったAさん。彼らとの本格的な交流が始まったのは、箱根駅伝常連校の都内有名私立大学へ進学してからのことだった。ここから約4年間、彼女はアテンダーとしての日々を送ることになる。
「大学への入学が決まって、Bさんから一気に人脈が広がっていきました。”せっかく大学生になったんだから、誰か可愛い子紹介してよ″って。周りも派手な友だちが多かったのもあって、”じゃあ、私には芸人さんのだれだれさんが好きだから紹介してよ″みたいな感じで、交換条件をつけてどんどん人脈が広がっていったんです。
こういうことがあると、”簡単に芸能人とつながれるんだ″って、有名人と関わることが日常的とまではいかないけど”別に遠い存在の人たちじゃないんだ″って思うようになっていきましたね」
彼らと接触することのハードルが下がったAさんは、自らも人脈を広げるべく行動を起こすようになった。
「もともと、スポーツが好きだったのもあって、”これ、別に芸人さんじゃなくてもいけるんじゃない?″って、地方までサッカーの試合を見に行って、出待ちして連絡先を渡すようになったんです。当時はそんなのは珍しかったのか、面白いぐらいにあちらからも連絡が来て”これは楽しいな″って。J1リーグとか、日本代表の選手と随分遊びました」
そんな風に、「芸人」と「サッカー選手」に的を絞り活動範囲を広げたAさんは、徐々に広がる人脈と比例して、生活もどんどん派手になっていったと言う。
「アテンダーは夜中に呼ばれることが多いから、家もすぐに動ける港区になります。私も麻布十番に住んでいました。郊外に住んでいる子なんかは、私の家や港区に住んでいる友人の家を『待機所』と呼んで、”今日、連絡来そうだよね″って、待っていることもあったりして。
彼らと遊ぶときは、高級なお店っていうよりは、身を隠せて、秘密を守ってもらえる店で遊ぶことが多かった。そうなると、やっぱり港区とか恵比寿が多かったです。大体ビルの2階にある、ちょっと隠れ家っぽい居酒屋さんで、知っている人じゃないと辿り着かないようなお店」
以降、現在バラエティー番組に引っ張りだこで、特技の絵画で個展を開き活躍しているお笑いコンビのXや、大物兄弟コンビYとの交際を経て、芸能人との恋愛における酸いも甘いも噛み分けたAさん。
「芸能人には、必ずと言っていいほど、自分と同じような別の女性の存在がいる」と、当時を振り返りながら言う。
その後は交際には発展させず、複数人で旅行に行ったり、宅飲みを楽しんだりと、カジュアルな付き合いを好んでいったAさん。中には、晩年にコンビの解散を発表した芸人Zの姿も。
「みんなのお父さんみたいな感覚で、お兄ちゃんっていうか。もちろんZさんも独身だったし、当時住んでいた恵比寿のマンションに遊びに行ったり、熱海に旅行に行ったり、楽しかったですね」
それから、テレビマンと付き合ったAさんは、日常的に遊んでいた港区から離れ、以降、アテンダーとしての役割を果たすことはなくなった。
現在都内で自営業を営むAさんは、当時をこう振り返る。
「結局は、承認欲求を満たしたかったんですよね。お金も地位もある男性と遊ぶことによって、自分のことも引き上げてほしかったんだと思います」
それでは、SNSが発達して以降、本当にアテンダーは必要がなくなっているのだろうか。最後にAさんに質問すると、意外な答えが返ってきた。
「私、今でもそんな人は絶対にいると思います。SNSの発達で変わったとすれば、そこにさらに参入する人を増やしたこと。昔、私たちが連絡先を書いた紙を手渡ししに行っていたのがSNSのDMに変わって、当時は写真シールだったのが、今はポスト(投稿)になっただけ。その一般人たちも、今度はアテンダーになっていく」
「昔ながらの人も、絶対にまだ残ってる」そう、確信めいた言葉を力強く放つAさん。徹底して暗躍し続ける人と、そこにSNSを通じて新規参入する人。
DMから偶然につながったたった一度の芸能人との交流が、また次の交流へと欲望を刺激していく。むしろSNSの登場により承認欲求が肥大化し続ける現代では、そんな交流がさらに氾濫しているのかもしれない。
若い港区女子たちの承認欲求が満たされない限り、アテンダーはこれからも形を変えて成立していくのだろうか。
取材・文:本間 美帆