2016年のクリスマスイブに突如乳がん宣告。(ステージB)。晴天の霹靂だった「がん宣告」から約1年間、泣いたり笑ったり怒涛の日々を駆け抜けた、私のがん治療ドキュメンタリーを連載でお届けしています。 今回はついに迎えた手術当日をふりかえります。
◆手術室へ歩いて向かう
眠れない夜を過ごし、ついに手術の朝。手術室まで見送ってくれるべく、夫が早朝に訪ねてきました。
昨晩の夕食は食べたけれど、朝は絶食。水以外のものは口にしてはいけません。なのに夫は付き添いまでの時間「ヒマだから」とちゃっかりコンビニでコーヒーを買ってきて、美味しそうな香りを立てながら飲みはじめました。
朝はコーヒーで目を覚ますのがわたしの日課なのに、今日に限って目の前で飲むのが、さすが空気を読まない我が夫……。と恨めしく思いながらも、早朝から付き添いに来てくれたことには感謝、です。
そうこうしているうちに、手術室に向かうべく看護師さんがお迎えに来ました。痛みがあるわけではないので、手術室までストレッチャーではなく、自分で歩いていくのです。
手術室へ行く専用エレベーターまで夫が見送ってくれ、あとは看護師さんに連れられて手術室へ。夫と次に会うのは乳がなくなった後かと思うと、なんともいえない気持ちがこみ上げます。
◆ドラマのセットのような手術室に大興奮
エレベーターを降りて、手術フロアへ。大規模病院だけあって、長い廊下沿いに手術室がズラーーっと並んでいて圧巻。パッと見ただけでも10室以上はあるように見えます。
手術室が並ぶ廊下を歩いていき、わたしの手術室の前まで案内されました。扉は開いていて、中の設備が丸見え。ドラマで見ている手術室のまんまです。
珍しいものが大好きなわたしがテンションが爆上がりしてしまい、「うわーこれ、ドラマと同じですね!」とハイテンションで手術室をのぞき込んでいました。
そのうち先生が到着し、手術室の前で、執刀医のS先生をはじめ、麻酔科医、付き添いのスタッフ、そして患者のわたしと全員勢ぞろいでミーティングがスタートします。
わたしもミーティングに参加するの? と不思議に思いましたが、いまはインフォームドコンセントや本人確認がとても大事なせいか、術式と手術部位を自分で確認しなくてはならないそう。
◆「右胸全摘であってますね?」と言われて焦る
執刀医の先生に「右胸全摘であってますね?」と確認され、そういえば寝ている間に切られるのかと思うと、間違われたら大変だと思って焦るわたし。
「右って、わたしから見て右ってことですよね? こっちですよね?」と再確認。もうちゃんと絵も描いてあるので大丈夫とは思うけど、何度も確認してしまいました。
本人確認とミーティングが終わり、いよいよ手術室に入ります。自分で台に乗るように言われた瞬間、アドレナリンがドバドバと噴出したようです。
怖いのをかき消すためなのか分からないですが、ナチュラルハイ状態(?)でとにかくワイワイキャーキャーはしゃぎながら、台の上に乗りました。
たぶんジェットコースターで叫ぶと怖さが半減するのと同じ感覚で、わざとはしゃいでいた気がします。静かになると急に怖くなりそうだったから、ノリで行ってしまえ! と。
手術台で麻酔をかけられる瞬間も、なんだかドキドキしながらも、麻酔科医の先生に「これっていくつまで起きてられますかね? 10秒持ちますかね?」と、どうでもいいことを聞いていました。
ですが、いざ麻酔が入ったら、1秒も数えられないで即落ち。そこからきっと手術が始まっていたはず……です。
◆手術は体感時間10秒!

全身麻酔で即落ちしたあとは、当然ですがまったく記憶がありません。どれくらい時間が経ったのかもわかりません。
ですが、肩をたたかれ、名前を呼ばれて起こされた瞬間、激痛が走って起きました。起きた瞬間「いだいっ! なにこれいたい!!! 麻酔効いてんじゃないの!?」と叫んだのが最初だった気がします。
手術の体感時間は、麻酔を打たれる瞬間から起きた瞬間まで、10秒くらい。本当に意識不明状態で何の記憶もなかったので、ラクといえばラクです。
全身麻酔から覚めたときは、少し前まで意識不明だったのに、起こされた瞬間から激しい痛みを感じるのがヘンだなと思いました。名前を言わされて意識が戻ったことが確認されると、休憩室みたいな場所に移動し、しばらく様子見。
「ヒマだなぁ痛いなぁ」と繰り返しながら、やっぱりウトウト現世とあの世を行ったり来たりする感じでした。
◆夫の顔を見て大号泣
しばらくして「病室に戻ります」といってストレッチャーが押されました。麻酔で頭がグワングワンしていて、ストレッチャーが動くとなんだか気持ち悪い……。
手術直後で傷がかなり痛みましたが、これでも点滴で痛み止めを入れているんだそう。この痛み止めで吐き気をもよおす人もいるので、吐き気止めを入れますか? と聞かれ、お願いすることにしました。
病室では夫が待っていました。変わり者の夫は、酸素マスクをしているわたしを珍しそうに眺め「おお戻ったか」とひとこと。わたしが酸素マスクをして朦朧としている姿をスマホでバシャバシャ撮りはじめました。
抵抗できないのを良いことにやりたい放題やってくれて、まったく悪趣味な……とぼんやり思いながらも、まだ動けないし頭も働かないしで抵抗できず、されるがままになっていました。
でも、そんな夫の顔を見ていたら、いきなりいろいろなものがこみ上げてきて、大号泣してしまいました。
「今まで迷惑かけてごめんねー! 私頑張るからーー!」みたいなことを絶叫していた記憶がうっすらありますが、なぜそんなことを叫んだのかは、いまいちわかりません(笑)。
思い返せばあれは完全に「麻酔ハイ」だったなと思います。
◆術後すぐから始まる苦痛の「絶対安静」
術後から丸1日は絶対安静。ストレッチャーから病室のベッドに移されてすぐに、下肢の血栓防止のためにフットマッサージャーが取り付けられました。
一時期話題になったエコノミークラス症候群と同じで、術後長い時間おなじ体勢でいると脚に血栓ができ、肺塞栓症になりやすいんだとか。それを予防するために、マッサージャーがつけられるというわけです。
このマッサージャー、気持ちよいかと思いきや、グワン、グワンとかなり強めの圧がかかります。マッサージはありがたいけれど、ひと晩じゅう、休みなくマッサージされるので、まったく眠れませんでした。
眠いけど、寝落ちするとマッサージに起こされる、の繰り返し。術後は熱は出るわ、傷は痛いわ、じっとしてるのもツラいわ、だけど点滴も管も入って動けないわ、マッサージ機が痛いわで、スマホをいじる気にもならず、麻酔から醒めてから、夜が明けるまではなかなかに地獄でした。
長い夜を過ごし、やっと夜が明けました。
<文/塩辛いか乃 監修/石田二郎(医療法人永仁会 Seeds Clinic 新宿三丁目)>