「奄美大島から来た猫たちです」
墨田由梨さんがそう声をかけると、通りすぎる人たちは「へー」と目を丸くして足を止める。そしてケージの中にいる猫に視線を移す。墨田さんは、動物愛護団体の一人だ。
やってきた人が質問する。
「どうやってここまで来たの?」「空輸です」「きれいな猫ねぇ」「外にいたとは思えないでしょう。南国育ちだからか、穏やかでいい子ばかりなんです」
“子”とは猫のこと。なおも熱心な口調で、墨田さんはこの猫たちの説明を続ける。優しい家族に引き取られて、猫に幸せになってほしい――そういう熱い思いが、そばにいるさして猫好きでない私にまで伝わってくる。
しかし訪れる人の大半は、「かわいい」と言ってしばらくケージの中にいる猫を見ると、あいまいな笑みを浮かべて去っていく。「抱っこできますよ」という言葉に反応するのは少数だ。
東京都内で9月18日、「赤坂サカスいぬねこ里親会」が行われた。一般的には「譲渡会」といわれることが多いが、飼い主のいない犬猫の里親(新しい飼い主)を探すイベントだ。全国の動物愛護団体や獣医師が、主には行政の保護施設(名称はさまざまで、例えば東京都なら東京都動物愛護相談センター)の犬や猫を自分たちがいったん引き取り、こういったイベントで飼育を希望する人たちに譲渡する。引き取らなければ、飼い主のいない犬や猫はいずれ「殺処分の対象」となってしまうからだ。
この日の「ねこ里親会」は屋内で開催され、広さが50mプールほどの空間に、6つの団体がブースをかまえた。各ブースにそれぞれの団体が保護した猫たちがいる。
よくあるのは、各地域で一つの動物保護団体が定期的に譲渡会を開催する形なので、今回のような複数の団体が参加するケースは珍しいという。今年5月も同様の開催をし、約700人が来場したのだとか。今日も13時開催の前から、入り口にたくさんの人が並んでいた。お祭りのように賑わっている。
私は奄美大島で捕獲されたノネコ(「野生猫」という定義)を譲渡する「あまみのねこひっこし応援団」のブースにいさせてもらった。ここには8つのケージが並び、各ケージに1匹ずつ、計8匹の猫がいる。冒頭の墨田さんを含めた15人ほどのボランティアが、猫のケアやブースにくるお客さんへの対応に追われていた。
その一人、神坂由紀子獣医師は「来場者の多くは、ただ猫を見たいだけ」なのだと説明する。神坂獣医師は、全国に先駆けて「飼い主のいない猫」問題に取り組んできた「ちよだニャンとなる会」の顧問として、譲渡会も初回から担当したという。
「その時も多くの人が並んだので、来場者を15分単位で入れ替えました。1回につき30人で、開催4時間で約480人が訪れたんですよ。譲渡会には15匹くらいの猫がいましたが、そのうち6、7匹の里親さんが決まりました。480もの人が来ても、だいたい里親が決まるのはそれくらいの割合です」
今日も30分単位で50人ごとの入れ替え制。つまり1時間で100人が訪れる。13時から19時30分まで行うから、昨年と同じように700人近くの来場を見込んでいるのだろう。猫たちは多くの人に見つめられ、騒がしい環境でひたすらケージの中にいなければならず、相当ストレスを受けているように感じられる。どこかに隠れようと、ケージの中でもがく猫もいた。
「たしかに猫たちも大変ですが、でも里親さんが決まったらその先には幸せが待っていますから。だから譲渡会はやったほうがいいです」と、神坂獣医師。
冒頭の墨田さんも、「譲渡会がないと猫の里親を見つけるのは難しい」という。
「インターネットで『里親募集サイト』がありますし、コロナ禍ではオンラインで譲渡会もやりましたが、やっぱり直接お会いしたほうが猫を送りだす私たちも里親になる人も、お互いに安心ですよね。もちろんリアルで行うのは手間も時間もかかりますが、私たちは猫が好きだから“いいおうち”を見つけてあげたいんです。大変だけど楽しんでやっていますよ」
そう言って笑う。長い間、決まらなかった子(猫)の里親が決定した時は、自然と拍手が起きるのだという。そう、猫好きな人のエネルギーはすごい。
ブースの前に出てお客さんの隣に立ち、ひときわ熱心に接客していたのは、梶澤恵子さん。「一匹の里親を決めたら、また新しい一匹を保護できて、殺処分から救えますから」と開催前に意気込みを語っていた。梶澤さんはペットショップで働いた経験をもち、現在は動物病院で勤務しているというだけあって、さすが接客が板についている。
「どんな猫をお探しですか」「ブースの裏で抱っこもできますよ」
にこやかに話しかけながら、訪れた人の不安や要望を聞き出している。猫を飼えない人には、里親が決まるまでのボランティアを勧めている。なるほど、それはいいアイデアだと思った。
熱心に猫を見つめる来場者の中には「飼っていたペットが死んでしまって……」という人がちらほらいた。「新しいペットを迎えたい」と考えた時、「保護猫」が選択肢にあがり、今日ここに来たというわけだ。
ペットショップで犬や猫を「購入する」と、保護した犬や猫を「譲渡してもらう」は具体的にどう違うのだろうか。
費用は譲渡のほうがおさえられる。ペットショップでは購入にかなりのお金がかかるが、譲渡の大半は数万円だ。猫に対して値段はつかず、譲渡するまでにかかった餌代やワクチン接種、ウイルスチェックなどの医療費の一部を譲渡対象者に請求するケースが多い。「あまみのねこひっこし応援団」では、2万数千円から3万円弱という。
ただし、ペットショップの売れ残りやブリーダーの繁殖犬や猫を「保護猫」「保護犬」と呼ぶ業者もいる。
「“保護犬・保護猫の譲渡”という名前を使い、犬猫自体に値段はつけなくても、抱き合わせでフードを一緒に購入する必要があったり、保険に入らなければいけなかったり。そういったものは本来の譲渡ではありませんので注意してください」(あるボランティアさん)
きちんとした譲渡のハードルは高い。各動物愛護団体が独自の基準を設けていて、例えば高齢者は「譲渡不可」となるケースが少なくない。いまや飼い猫の寿命は20歳以上になるため、飼い主の寿命を超えてしまったり、高齢や病気などの事情で飼育が難しくなったりすることがあるためだ。
年齢などのハードルをクリアしても、譲渡してもらえるとは限らない。
「あまみのねこひっこし応援団」の場合は、里親希望者が「申し込み」を入れると、スタッフから具体的な説明を受けることになる。その際、スタッフは飼い主の“人となり”を見る。面談を通じて、「この人に猫を託せる」とスタッフが判断すれば、後日スタッフが直接里親の家に猫を届ける。それから一週間を目安にトライアル(試し飼育)を行う。その間、里親は毎日猫の様子をLINEで報告しなければいけない――。
それを聞いて正直、私は面倒だと思った。本当にその猫が好き、飼いたいと思えなければ、やっていられないだろう。
しかも、保護された猫は病気をもっていることがある。この日、同団体では8匹中、6匹の猫がエイズもち。猫の前にぶらさがったプロフィールを見ながら、それについて尋ねる人を時折見かけた。
「“FIV陽性”ってなんでしょうか?」
「猫エイズのことです。人間のエイズとは全く違うものですよ」と、神坂獣医師が答える。
「治療が必要なんでしょうか?」「治療は必要ありません。現段階では自分の免疫で抑え込んでいる状態、キャリアといいますが、実は飼い猫になると生涯発症しないケースが多いんです。ほとんどが寿命を全うできますよ。気を付けるのはストレスだけですね」
それでも自分が飼うとなれば、ひるむだろう。健康な猫を飼いたいという気持ちになるかもしれない。
譲渡会が始まってしばらくは、ただ猫を見るだけ、触るだけの人ばかり。だが、2時間経過する頃、ようやく「申し込み」が入った。40代女性とその母親が、エイズをもち、ちょっとやんちゃな「ハントくん」という猫に申し込みをした。今、飼っている猫の遊び相手に迎えたいという。
早速、ハントくんを今日まで預かっていたボランティアさんと、ベテランスタッフの2人が面談を行うことになった。
なお、神坂獣医師に面談を行う際に重視することを尋ねると、「猫が病気になった時に治療できる、平均的な経済力があるか」と「こちらがお願いする脱走対策をしてくれるか」の2点を挙げた。
面談は穏やかに進んでいたが、女性宅に「屋上がある」と聞き、スタッフの顔が曇った。
「屋上には猫が脱走しないような対策が設けられているでしょうか?」
スタッフが尋ねると、女性はこう答える。
「一応、柵はあります。ただ、以前それを飛び越えて隣の家に猫が行ってしまったことがあって……」
女性が肩をすくめる。それに対し、「あまみのねこひっこし応援団」のスタッフは姿勢を正した。
「脱走が一番怖いんです」
ピリッとした口調で続ける。
「自分の縄張りじゃないところで外に出てしまうと、猫はパニックになります。突然道路に飛び出して交通事故が起きるかもしれませんし、もう戻ってこないことあり得ます。大変面倒ですが、私たちがハントくんをお届けするまでに、物理的な脱走対策をお願いすることはできますでしょうか?」
“困った”というように、40代女性とその母親は顔を見合わせる。すでに2匹の猫を飼っていて、これまで無事にやってきたんだから、と言いたいようにも見える。しかし女性はしばらくすると、「わかりました」と言った。
続いて「ケージ」を購入する必要があるのか? と、尋ねる。今は家の中で放し飼いにしているため、ケージを使っていないそうだ。
「そうですね、すでに猫を飼われている場合は、最初はケージ越しに猫同士が対面する形がいいと思います。ケージの購入をお願いできますか?」
スタッフは言う。女性は「探せばあるかなあ」とつぶやいた。
また、スタッフは「ハントくんがもつエイズを、女性の飼い猫に感染させる可能性がゼロではない」ことも告げる。
私ならこの時点で、「もう飼うのはやめます」と言ってしまうかもしれない。面談終了後、女性に話を聞いた。
実は彼女は保護猫を飼うのが「初チャレンジ」という。これまでは近所に捨てられた猫を拾って、育てていたそうだ。いろいろ厳しいことを言われましたね? と水を向けると「保護猫を飼うのはハードルが高いって聞いてましたから」と苦笑いする。
「でも他の動物愛護団体の猫も見ましたが、ハントくんが性格的にうちの猫と相性がいいんじゃないかと思ったのと、奄美大島からわざわざ来たというので申し込みました」
そして、「まあ、たしかにもう少し譲渡のハードルを下げてくれたらなって思います」と、つぶやく。
「私だって猫に逃げられたくないから、自分なりに脱走対策を行っているんです。でも、そう言いたくなる気持ちもわかるんですよ。変な人に譲渡したら大変ですからね」
女性と母親は自分たちを納得させるようにそう言うと、「がんばります」とぺこりと頭を下げ、去っていった。
その後も、30分ごとに50人が来場し、「あまみのねこひっこし応援団」のブースにも次々に人が訪れたが、ついに申し込みはその女性だけだった。
譲渡のハードルが高くなる理由のひとつは、各動物愛護団体が保護した猫を、里親に託すその日まで大切に育てているからだろう。子供を送り出すような心境になるため、つい口を出したくなってしまう。そしてもう一つ、墨田さんはこう力説する。
「ペットショップではその日に連れて帰れるし、飼う人の家を見に来ることもありませんよね。でもそうなると猫が脱走してしまう危険が高くなります。高齢者の方が子猫を飼い始めて、飼い主が亡くなった後にペットだけが家に取り残されて繁殖してしまうこともあります。そのようなことで、最終的に行政が猫を引き取るケースも数えきれないくらい起きています。それらを防ぐためには、譲渡のハードルを高くするしかありません。バランスが難しいですが、何もかもダメということではないんです。私が個人で譲渡するなら、“この人なら大丈夫”と思えるかどうか。もし猫が脱走してしまったら、最後まで諦めずに探し続けることができるか。そういった基準と覚悟で、里親さんに猫を託しています」
きちんと責任もって飼育できる人を見極めなければ、それは新たな殺処分の種になってしまう。譲渡は、する側とされる側で信頼関係が築けるかどうかが重要ということだ。
この日、女優で愛猫家として知られる川上麻衣子さんも来場していた。川上さんは猫好きの人たちが交流できるウェブサイト「にゃなかTOWN」の運営や、一般社団法人「ねこと今日」の代表を務めている。
声をかけると気さくにインタビューに応じてくれたので、保護猫や殺処分についての思いを聞いてみた。川上さんも、「結局は猫よりも、人と人とのつながりが終着点ではないか」という。
「人と猫が共生するには、猫好き、猫嫌いという分け方ではなく、両方の意見と力が必要だと思います。それに保護猫に関するボランティアは、意外と猫嫌いの人も協力的なんですよ。むしろ猫好きには『かわいそう』という視点でできないことがあるけれども、猫嫌いの人のほうが猫がいなくなってほしいから(笑)、現実的にできることを進めてくれたりもします」
18歳の時から、当たり前のようにそばには猫がいた。
「これまで5匹の猫を看取りました。私にとって猫は、命を使って生きるとはどういうことかを教えてくれた“師匠”だと思っています」
そんな川上さんの言葉を聞いて、一列に猫を並べて、好きな猫を選んでいくという人間のおこがましさを感じた。できるなら新しい里親に譲渡される猫の意見も聞いてみたいところだ。中には人に好かれても、「もらわれるのはいやだな」と思っている猫もいるだろう。
動物愛護管理法の基本原則は「人間と動物が共に生きていける社会を目指す」こと。好き嫌いでなく「共生」という視点で考えると、自分にできることがクリアに見え、案外猫から学ぶこともあるのかもしれない。
ちなみに私が猫にまつわる記事を書く時、いつも猫好きな人の熱意に巻き込まれて、通常の仕事より時間と労力をかけてしまう。だから毎回「やらなければよかった」と思う。けれども書き終えると、ほかの記事とは違う反響があるので、やっぱりやめられない。だから猫好きでもないのに、こうして取材をし、記事を書く。その時、猫から「お前はなぜ、今の仕事をしているのか」と、問われているように感じる。
———-笹井 恵里子(ささい・えりこ)ジャーナリスト1978年生まれ。「サンデー毎日」記者を経て、2018年よりフリーランスに。著書に『週刊文春 老けない最強食』(文藝春秋)、『救急車が来なくなる日 医療崩壊と再生への道』(NHK出版新書)、『室温を2度上げると健康寿命は4歳のびる』(光文社新書)、プレジデントオンラインでの人気連載「こんな家に住んでいると人は死にます」に加筆した『潜入・ゴミ屋敷 孤立社会が生む新しい病』(中公新書ラクレ)など。新著に、『野良猫たちの命をつなぐ 獣医モコ先生の決意』(金の星社)がある。ニッポン放送「ドクターズボイス 根拠ある健康医療情報に迫る」でパーソナリティを務める。過去放送分は、番組HPより聴取可能。———-
(ジャーナリスト 笹井 恵里子)