36人が犠牲になった2019年の京都アニメーション放火殺人事件で、殺人罪などで起訴された青葉真司被告(45)は事件で大やけどを負い、一時は生死の境をさまよった。
5日から裁判員裁判が京都地裁で始まるのを前に、治療にあたった元主治医は「九死に一生を得たからこそ、命の重みを受け止めたと信じたい」と真実が語られることを願っている。(浅野榛菜)
「青葉被告を法廷に届けるのが医師の職務。その一心だった」。鳥取大病院高度救命救急センター教授の上田敬博さん(51)は、青葉被告と向き合った4か月間をそう振り返る。
上田さんは当時、近畿大病院(大阪府大阪狭山市)に勤務していた。事件翌日の19年7月19日、京都の病院関係者から「診てほしい患者がいる」と打診された。上田さんはやけど治療のスペシャリスト。その場で青葉被告のことだと直感した。
京都からヘリで運ばれ、集中治療室で対面した青葉被告は、全身の9割以上に重いやけどを負っていた。「救命は難しいかもしれない」。そう思ったが、事件時に身につけていたウエストポーチ周辺のごく一部の皮膚がやけどを免れていた。残った皮膚の細胞を培養で増やし、シート状にした表皮をやけどした部分に少しずつ移植する手法を取った。
平成以降最悪の犠牲者数を出した殺人事件の容疑者。失敗できない重圧とも戦いながら細心の注意を払い、手術は計12回に及んだ。
◇ 青葉被告が意識を取り戻したのは、事件から1か月ほどたったころだった。9月に入ると、「ああ」と声を出せるようになった。その時、青葉被告は驚いた様子で、涙を流したという。「死にたくないという思い、生き延びたことへのうれしさだったのではないか」と上田さんは感じた。
10月には会話もできるようになった。警察から、事件に関する話をすることは止められていた。しかし、上田さんは「どんな理由があっても人の命を奪うことは許されない。それで解決することは何もない」と説いた。青葉被告から返事はなかったが、上田さんの目を見て真剣に聞いているように見えた。
青葉被告はその後も順調に回復し、リハビリにも取り組んでいた。「なんでここまで自分に向き合ってくれるのか」。上田さんに、そんな言葉をかけることもあった。上田さんは「ほかの患者にも同じことをしているだけ」と答えた。
青葉被告は車いすに座れるほどに回復し、11月中旬に京都市内の病院へ移った。付き添った上田さんは車中で「少しは自分の考えが変わったか」と聞いた。青葉被告からは、こう返事があったという。
「変わらざるを得ない」
◇ あれから3年10か月。鳥取に勤務先が移った後も、青葉被告のことはずっと気にかかっていた。青葉被告は20年5月の逮捕時に初めて犠牲者の数を知ったとされる。命の重み、罪の大きさに気づいてくれたのではないか――。本人の言葉を直接聞きたいと、大阪拘置所にいる青葉被告に接見を申し込んだり、手紙を送ったりしたが、反応はない。
まもなく青葉被告は法廷に出向き、自らの言葉で語る。上田さんは「なぜあんな事件を起こす状況になったのか。全てを法廷で語ってほしい。そして、自らが起こしたことを心から後悔し、遺族や被害者に謝罪の言葉を述べてほしい」と語った。
■動機と責任能力 焦点
青葉被告の裁判員裁判は京都地裁で5日に始まり、来年1月25日の判決まで予備日を含めて最大32回の公判が予定されている。
青葉被告は2019年7月18日午前、京都市伏見区の京アニ第1スタジオに放火し、36人を殺害、34人を殺害しようとしたなどとして、殺人と殺人未遂、建造物侵入、現住建造物等放火、銃刀法違反の計五つの罪で起訴された。
捜査段階では、動機について「応募した小説を盗まれた。京アニに恨みがあった」と供述していた。しかし、京アニ側は「応募作品と類似作品はない」と否定しており、青葉被告が法廷で何を語るか注目される。
また、京都地検は起訴前、鑑定留置を実施し、刑事責任能力があったと判断した。弁護側も起訴後に精神鑑定を地裁に請求しており、裁判では刑事責任能力の有無や程度を争う見通しだ。