5月12日、「ゼルダ休み」「ゼルダ休暇」がネット上のトレンドワードとなり、各種メディアもこの現象を取り上げた。任天堂Switchのゲームソフト「ゼルダの伝説」シリーズの最新作「ゼルダの伝説 ティアーズオブザキングダム」が同日発売され、このゲームをガッツリとプレイするため、金曜日のこの日、休暇を取る人が続出したのだ。この人々は土日もゼルダを楽しんだことであろう。実にこれは素晴らしいことではないか。
【写真を見る】アメリカのオークションで9600万円の値が付いた未開封の「ゼルダの伝説」アイツはやたらと親戚が死ぬな 昨年11月8日もポケモンソフトの新作『ポケットモンスター スカーレット・バイオレット』が発売された時に「ポケモン休暇」が話題になったことはあったが、時代は変化したものである。「休暇」の概念が昭和~平成中期とは異なる状況になったことをこの2つの休暇は示している。労働者の権利としての休暇がついに認められるようになったのである。社会は変わったのか 私が会社員になったのは1997年(平成9年)だが、会社員を辞める2001年までは間違いなく休暇を取るのに相応の理由が必要だった。それこそ骨折か入院するほどの事態でない限り、休むのは憚られた。発熱、風邪、嘔吐、さらにはインフルエンザでさえ休む空気感にはならなかった。鬱病で寝床から起きられない人でさえ「気合が足りん!」などと怒られていたのである。 となると、休むには親戚に“死んでもらう”しかなかった。「岩手に住む伯母が亡くなったので葬式に行かなくてはなりません」などと言い、引け目を感じながら休暇を取ったのである。本当は「岩手の伯母」なんてものはいない。架空の親戚が死んだことにし、なんとか休みを取ろうとしたのである。そして、職場では「アイツはやたらと親戚が死ぬな。もしかして嘘をついているのではないか……」などと悪評を立てられるようになった。認められた「ワクチン休暇」 とにかく「仕事を休む」ということは我がサラリーマン人生にとっては大汚点になりかねないほどの問題だったのだ。しかし、今の時代、授業参観、子供の急な発熱などでもようやく休めるようになった。それだけ「滅私奉公」という言葉が形骸化したことの証左であろう。 私自身、新型コロナ騒動については「アホか!」というスタンスを取り続けてきた。なんでこんなものに全国民が付き合わされ、自粛をさせられたのだ! と。しかし、ワクチンを打った翌日の休暇は完全に認められる雰囲気が登場した。 正直、私のように一発もワクチンを打たず、さらにまったく体調に異変のない人間にとっては噴飯モノのバカげた理由だが、「ワクチン休暇」は認められたのである。いや、そもそも、そんなもん打たないでもお前は元気なはずだったぞ……という助言はどうでもよく、人々はワクチンを打ちまくり、そして休暇を取りまくった。ゼルダだったら仕方ないよね つまり、ワクチンを打った後に発生する高熱は社会的コンセンサスとして「休む」ことが許されたのだ。これは冒頭の「ゼルダ休暇」とも同じである。ゼルダの最新作が出るのであれば、休むのも仕方がない……と理解を示し、休暇届を受理する上司が増えたのであろう。1988年の『ドラゴンクエストIII』と1990年の『ドラゴンクエストIV』発売当日は発売日にこれらゲームソフトを手に入れてプレイすることが重要だったが、今回の「ゼルダ」でも同じことが発生したのだ。 ただ、今回「ゼルダ休暇」は上司から認められた。理由は、個人の権利が認められる社会に少しずつ近づいているからであろう。今、「仮病」ということばはあまり使われなくなっている。それは、仮病をする必要がないからだ。「休むにあたっての相当な理由」「社会が納得する理由」が緩くなったからである。 ドラクエIIIとIVの時代は「ズル休み」は許されなかった。だが、多くの人が仮病を使ってソフトをGETした。あれから約35年、空気は変わった。むしろ、「休むための相応の理由」は「社会が納得する理由」ではあるが、この基準が下がりまくったのだ。「ゼルダだったら仕方ないよね」ということを、上司も認めたのだ。休暇を巡って離婚するケースも こうしたことを考えると、休暇だけで離婚した先輩のことを思い出す。私の先輩女性社員が、突然離婚したことを部署の飲み会で明かした。理由を聞いたところ、こう言った。「私は、夫と半年前に、モルジブへ一緒に旅行に行くことを決めていたの。でも、夫は旅行の2週間前に突然『旅行は行けない』と言い出した」 何があったかといえば、夫は、モーレツサラリーマンであり、妻との旅行よりも、降ってわいてきたデカいプレゼン案件を選んだということだ。妻はこの旅行を本当に楽しみにしていたというのに、「休んだらオレは社内の評価が低くなる」ということから、この旅行を彼はキャンセルした。個々の幸せのために となれば、妻は「もう半年前に決めていたよね。なんで直前に予定を変えるの?」と怒りたくなるだろう。夫も「うるせぇ! オレは仕事を頑張っているんだ!」となる。 結局この議論についてはどちらが正しいかの結論は出ない。だが、この夫婦がその後離婚したことは事実だ。この元妻は「あの時彼がモルジブ旅行に行かないと言ったことでもう私達は無理だと悟った」と言った。 さぁ、「休暇」というものはかつて夫婦関係でさえ破壊するものだったのだ。そういった意味で、私は「ゼルダ休暇」がキチンとまかり通る社会になったことは大歓迎である。なぜなら人間というものは、個々の幸せのために生きているわけであり、自身が所属する組織の利益よりも、個人の幸せこそ重要視されるべきだと思うからだ。 だから、今後とも「ドラクエ休暇」「WBC休暇」「日本シリーズ休暇」「花火大会休暇」などを日本人はバンバン表明すべきである。もっと進めば「イカ釣り休暇」「気力がない休暇」「酒飲みたいから休暇」でもOKである。中川淳一郎(なかがわ・じゅんいちろう)1973(昭和48)年東京都生まれ、佐賀県唐津市在住のネットニュース編集者。博報堂で企業のPR業務に携わり、2001年に退社。雑誌のライター、「TVブロス」編集者等を経て現在に至る。著書に『ウェブはバカと暇人のもの』『ネットのバカ』『ウェブでメシを食うということ』等。最新刊に『よくも言ってくれたよな』(新潮新書)。デイリー新潮編集部
昨年11月8日もポケモンソフトの新作『ポケットモンスター スカーレット・バイオレット』が発売された時に「ポケモン休暇」が話題になったことはあったが、時代は変化したものである。「休暇」の概念が昭和~平成中期とは異なる状況になったことをこの2つの休暇は示している。労働者の権利としての休暇がついに認められるようになったのである。
私が会社員になったのは1997年(平成9年)だが、会社員を辞める2001年までは間違いなく休暇を取るのに相応の理由が必要だった。それこそ骨折か入院するほどの事態でない限り、休むのは憚られた。発熱、風邪、嘔吐、さらにはインフルエンザでさえ休む空気感にはならなかった。鬱病で寝床から起きられない人でさえ「気合が足りん!」などと怒られていたのである。
となると、休むには親戚に“死んでもらう”しかなかった。「岩手に住む伯母が亡くなったので葬式に行かなくてはなりません」などと言い、引け目を感じながら休暇を取ったのである。本当は「岩手の伯母」なんてものはいない。架空の親戚が死んだことにし、なんとか休みを取ろうとしたのである。そして、職場では「アイツはやたらと親戚が死ぬな。もしかして嘘をついているのではないか……」などと悪評を立てられるようになった。
とにかく「仕事を休む」ということは我がサラリーマン人生にとっては大汚点になりかねないほどの問題だったのだ。しかし、今の時代、授業参観、子供の急な発熱などでもようやく休めるようになった。それだけ「滅私奉公」という言葉が形骸化したことの証左であろう。
私自身、新型コロナ騒動については「アホか!」というスタンスを取り続けてきた。なんでこんなものに全国民が付き合わされ、自粛をさせられたのだ! と。しかし、ワクチンを打った翌日の休暇は完全に認められる雰囲気が登場した。
正直、私のように一発もワクチンを打たず、さらにまったく体調に異変のない人間にとっては噴飯モノのバカげた理由だが、「ワクチン休暇」は認められたのである。いや、そもそも、そんなもん打たないでもお前は元気なはずだったぞ……という助言はどうでもよく、人々はワクチンを打ちまくり、そして休暇を取りまくった。
つまり、ワクチンを打った後に発生する高熱は社会的コンセンサスとして「休む」ことが許されたのだ。これは冒頭の「ゼルダ休暇」とも同じである。ゼルダの最新作が出るのであれば、休むのも仕方がない……と理解を示し、休暇届を受理する上司が増えたのであろう。1988年の『ドラゴンクエストIII』と1990年の『ドラゴンクエストIV』発売当日は発売日にこれらゲームソフトを手に入れてプレイすることが重要だったが、今回の「ゼルダ」でも同じことが発生したのだ。
ただ、今回「ゼルダ休暇」は上司から認められた。理由は、個人の権利が認められる社会に少しずつ近づいているからであろう。今、「仮病」ということばはあまり使われなくなっている。それは、仮病をする必要がないからだ。「休むにあたっての相当な理由」「社会が納得する理由」が緩くなったからである。
ドラクエIIIとIVの時代は「ズル休み」は許されなかった。だが、多くの人が仮病を使ってソフトをGETした。あれから約35年、空気は変わった。むしろ、「休むための相応の理由」は「社会が納得する理由」ではあるが、この基準が下がりまくったのだ。「ゼルダだったら仕方ないよね」ということを、上司も認めたのだ。
こうしたことを考えると、休暇だけで離婚した先輩のことを思い出す。私の先輩女性社員が、突然離婚したことを部署の飲み会で明かした。理由を聞いたところ、こう言った。
「私は、夫と半年前に、モルジブへ一緒に旅行に行くことを決めていたの。でも、夫は旅行の2週間前に突然『旅行は行けない』と言い出した」
何があったかといえば、夫は、モーレツサラリーマンであり、妻との旅行よりも、降ってわいてきたデカいプレゼン案件を選んだということだ。妻はこの旅行を本当に楽しみにしていたというのに、「休んだらオレは社内の評価が低くなる」ということから、この旅行を彼はキャンセルした。
となれば、妻は「もう半年前に決めていたよね。なんで直前に予定を変えるの?」と怒りたくなるだろう。夫も「うるせぇ! オレは仕事を頑張っているんだ!」となる。
結局この議論についてはどちらが正しいかの結論は出ない。だが、この夫婦がその後離婚したことは事実だ。この元妻は「あの時彼がモルジブ旅行に行かないと言ったことでもう私達は無理だと悟った」と言った。
さぁ、「休暇」というものはかつて夫婦関係でさえ破壊するものだったのだ。そういった意味で、私は「ゼルダ休暇」がキチンとまかり通る社会になったことは大歓迎である。なぜなら人間というものは、個々の幸せのために生きているわけであり、自身が所属する組織の利益よりも、個人の幸せこそ重要視されるべきだと思うからだ。
だから、今後とも「ドラクエ休暇」「WBC休暇」「日本シリーズ休暇」「花火大会休暇」などを日本人はバンバン表明すべきである。もっと進めば「イカ釣り休暇」「気力がない休暇」「酒飲みたいから休暇」でもOKである。
中川淳一郎(なかがわ・じゅんいちろう)1973(昭和48)年東京都生まれ、佐賀県唐津市在住のネットニュース編集者。博報堂で企業のPR業務に携わり、2001年に退社。雑誌のライター、「TVブロス」編集者等を経て現在に至る。著書に『ウェブはバカと暇人のもの』『ネットのバカ』『ウェブでメシを食うということ』等。最新刊に『よくも言ってくれたよな』(新潮新書)。
デイリー新潮編集部