※本稿は、弘兼憲史『弘兼流 70歳からのゆうゆう人生「老春時代」を愉快に生きる』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。
「別れる事は美しき哉」
先の記事でそう述べましたが、誤解のないように申し上げますが、なにも世の夫婦に「早く別れなさい」と推奨しているわけではありません。
始終一緒にいてお互いがストレスを感じたり、お互いの言動がやたらと気になったり、その結果、不快な空気が流れてしまうようなら、ライフスタイルをリメイクしてみてはどうかというのが私の考えです。
その意図から私は、近郊に家庭とは別にひとり暮らしのスペースを持つ「デュアルライフ」や「別住」を提案しています。
それが無理なら、ひとつ屋根の下に暮らしながら、お互いの活動時間を意図的にオーバーラップしないようにする。あるいは干渉しあわないように居住空間を独立させるという方法もあります。もちろん、夫は家事一切を自分でこなすのは当然です。
もうひとつ、私が注目しているライフスタイルがあります。
「株式会社アドレス」が運営している「定額住み放題 多拠点生活プラットフォーム」です。1カ月定額料金で全国に点在する住宅の部屋に住めるというシステムです。
礼金、敷金などの初期費用は一切なし。生活に必要な設備、寝具、料理道具などは揃っている。もちろんネット環境も完備。このシステムの利点は、運営する各地の住宅に好きなときに何回でも移り住めるということ。
「いつもの場所がいくつもある、という生き方。」
このキャッチフレーズが示す通り、一カ所での定住ではないのがミソです。
いまシェアハウスがブームですが、さらに一歩進化してひとりで複数のシェアハウスを利用できるということになります。二親等以内の家族、固定のパートナーも無料で利用できますから、「別住」を望む夫婦以外でも利用価値はありそうです。
リモートワークが可能であれば現役世代の「別住」や「ひとり暮らし」にはピッタリといってもいいでしょう。
ロケーションも、海や山などの自然に恵まれていますから、都会の喧騒を離れて暮らしたい人にもおススメでしょう。交通費はかかりますが、気分転換に「短期移住」を繰り返すことも可能です。
コロナ禍はそう簡単には終息するとは思えませんし、新たな感染症の可能性を指摘する専門家もいます。
そうならないことを願うばかりですが、私たちはコロナ禍で、外出自粛、三密回避など極端に行動が制約されたこともありました。そして、これまで常識とされてきたライフスタイル以外のライフスタイルもあることを知りました。
リモートワークはそのひとつです。
以前から、IT関連企業などを中心にリモートワークを導入していた企業はありましたが、少数派にすぎませんでした。けれども「やむにやまれず」急遽(きゅうきょ)、リモートワークに切り替えた企業も、導入してみると不都合がないことに気づきました。
「円滑な業務が可能なのか」「社員が家でサボるのではないか」
聞くところによると、そんな懸念を示していたある会社の総務担当役員が、こういったそうです。
「交通費や打ち合わせ費、残業代が減って、コスト削減になった」
一方では、若い層を中心に「家のほうが仕事もはかどる」という声も上がっているそうです。
また、多くの人が「誰かと会わなくてもそんなに困らない」ということにも気づきました。私たちは、常識が非常識に、非常識が常識になるシーンに立ち会ったといってもいいでしょう。一流企業は一等地に一流の社屋を持つという常識も、近いうちに非常識になるでしょう。
いままで常識とされてきた家族、夫婦、ひとり暮らしの人のライフスタイルも、急速に変わっていくことは間違いありません。
その意味では「いつもの場所がいくつもある、という生き方」は、新しい時代の新しい暮らし方として、十分に検討に値するものだと私は感じます。
「虎の尾を踏む」という言葉があります。ご存じでしょうが、非常に危険なことをしてしまうことのたとえです。
考えてみると、夫婦、家族、友人、仕事関係、あらゆる男女関係において、この危険が潜んでいるように私は思います。とくに夫婦関係においては、ちょっとした言動が虎の尾を踏むことになりかねません。
20年、30年と長い間一緒に暮らしてきた夫婦であっても、踏まれると怒りが爆発してしまう「尾」をお互いが持っていることを忘れてはなりません。
もっとも、一度や二度相手の尾を踏んでも、相手が我慢するなり、話し合って誤解を解くなり、謝罪するなりすれば、なにもなかったかのように修復することは可能なのですが、何度も踏んでしまうと夫婦の間にギクシャク感、不快な距離感が生じます。
とくに夫はしばしば妻の尾を踏んでしまいます。
「なぜ、いまになって何十年も前の話を蒸し返して怒りはじめるのだろうか?」
相手は妻にかぎりませんが、あなたが男性なら、想定外の女性の反応に戸惑ったことがあるはずです。
その原因はどうやら「男性脳」と「女性脳」の違いにあるようです。
ここから先はベストセラーになった黒川伊保子氏の著書『妻のトリセツ』(講談社)で知ったことなのですが、女性が過去の話を蒸し返して怒るのは「女性脳」の特徴によるものだというのです。
「すでにケリがついたはずの過去の失敗を、まるで今日起きたことのように語り出し、なじる妻。<中略>女性脳は、体験記憶に感情の見出しをつけて収納しているので、一つの出来事をトリガーにして、その見出しをフックに何十年分もの類似記憶を一気に展開する能力がある。つまり、夫が無神経な発言をしたら、「無神経」という見出しがついた過去の発言の数々が、生々しい臨場感を伴って脳裏に蘇ることになる」(同書より)。
ちょっと引用が長くなりましたが、妻や恋人、あるいはほかの女性を怒らせたり、泣かせたりした過去のシーンを、多くの男性は思い出すのではないでしょうか。
この本ではトリガー、つまりは引き金という言葉を使っていますが、私流の解釈をすれば、女性は何本もの尾を持っているということになるでしょうか。
また、著者の黒川氏はこのほかにも、「男性脳」と「女性脳」の違いをわかりやすく展開したうえで、夫婦間の会話の進め方についても「なるほど」と感じる提案をされています。とくに、妻が悩みや不満を打ち明けたとき、夫がどう対応すべきかを紹介しています。
・妻の話を最後まで聞く・妻の言い分に対して、否定から入らない・論理的な展開を避ける・妻は解決策の提示など望んでいない
夫は得てして、妻の話を最後まで聞かずに、話の腰を折って「だから!」と前置きし、妻の主張を否定しながら、論理で解決策の展開を試みます。それは「男性脳」の特徴のひとつなのだそうです。
しかし、妻が夫に求めているのは「聞いてもらう」と「共感してもらう」であって、論理や解決策の提示などまったく求めていないというわけです。
夫婦間のコミュニケーションの際、「男性脳」と「女性脳」の違いを忘れずにいれば、ギクシャク感、不快感が生じる回数が激減するのではないか。私はそう思います。
かなり前にテレビで観た上方の老夫婦漫才師のネタを記憶しています。
ある日、朝ご飯を食べていると、妻が突然、夫の頭を叩きます。「30年前のあんたの浮気を思い出して腹が立った」のが理由です。次に夫の言葉でオチがきます。
「それ以来、私、朝ご飯のときはヘルメットかぶっています」
男性と女性、その諍いの原因は、どちらが正しいかではないのです。ただ「違う」といことなのです。「そんなことがあったんだ」「大変だったね」と静聴と共感の対応法を男性が忘れなければ、男女の人間関係にヘルメットは不要です。
「別住」というライフスタイルは、決して夫婦間の愛情が消滅することを意味するわけではありません。
一緒に暮らすことの快適さよりも、距離を置いて暮らすことの快適さを選ぶ、と考えればいいだけの話です。長い時間、一緒に暮らした結果、お互いの間に不快な距離感、ギクシャク感が生じる。「顔を見るのもイヤだ」ほどではないにしても、些細なことで不快感や怒りを覚えるようになってしまえば、一緒に暮らしていても愉しいはずがありません。
たとえが的確かどうかはわかりませんが、料理を美味しく仕上げるには「灰汁とり」が大切です。「ちょっと離れて暮らしてみよう」という選択は、長年一緒に暮らしたことで浮かんできた夫婦生活の「灰汁」を取る作業と考えてみてはどうでしょうか。
「別住」が愛情の形の変化であることを物語るエピソードがあります。子どもの自立を契機に、「別住」をはじめたある知人夫婦の話です。紹介します。
もともと、妻である女性が私の知り合いでした。その後、その夫とも面識を持つようになりました。いわゆる共働き夫婦で、それぞれかなりの収入がありました。夫の定年退職、子どもの自立を機に、それまで夫婦で住んでいた家を彼女が出ました。そして、クルマで15分ほどの場所のマンションに移り住みました。
「別住」を切り出したのは妻です。
夫は大手マスコミ系会社で働き、役員にもなりました。定年退職後、子会社の非常勤顧問。妻は現役のグラフィックデザイナーです。
熱烈な恋愛の末、結婚に至ったのですが、ゆっくりと彼女の心の中に疑問、不満が芽生えはじめ、そして結婚36年にして決断したのです。
その理由はふたつありました。
ひとつは、結婚以来、夫が家事、育児、子どもの教育をすべて自分任せにしてきたこと。それを当然のように思っているのか、感謝の言葉はほとんどありませんでした。
そして、もうひとつは夫が「乳離れ」していないことでした。折に触れ「うちのお袋」というタイプ。
夫に対して憎しみが芽生えたわけではありません。彼女はこう表現しました。
「あるのは愛情というよりは、長い間、慣れ親しんできたという感慨。ひと言でいえば、愛着、そう愛着は多少……」
そんな彼女のリクエストに応じた夫ですが、未練なのか、週に2、3回、なにかにかこつけて電話をかけてきます。また月に1回は食事をしながらお互いの近況報告をするような関係です。
ところが、あるとき、夫からの電話が1週間、途絶えました。妻が電話をかけても留守電になっています。血圧が高め、医者からは不整脈を指摘されたこともあります。
「もしや」と気になった彼女は夫の住む家を訪ねました。合鍵で玄関のドアを開けると、夫がいくらか驚いた様子で目の前に立っています。
「あれ、どうしたの? なにかあった?」
彼女の心配をよそに、夫はキョトン。それを見た彼女は口ごもりました。
「電話に出ないから……」
しかし「心配になって見に来た」という言葉は飲み込みました。「まだ愛している」というメッセージと思われたくなかったのです。それでも、夫は嬉しそうだったようです。彼女は「元気そうね。じゃ、帰るから」と即座に立ち去ろうとしました。すると、夫がこんなことをいったそうです。
「いやあ、ひとりで暮らしてみて、キミの大変さがわかったよ。大変だったんだね。……。あ、ありがとう」
私にこのエピソードを話してくれた彼女は、こう結びました。
「ずーっと胸に刺さったままだった棘が抜けた気分です」
「別住」には、夫婦が一緒に暮らしていては経験できないさまざまな「気づき」があります。それは、夫婦間の愛情の変化、そして新しい愛のカタチを知るきっかけになるのではないでしょうか。
「別住」という選択は「灰汁とり」の効果ばかりか「棘抜き」をもたらすこともあるのです。
———-弘兼 憲史(ひろかね・けんし)漫画家1947年、山口県生まれ。早稲田大学法学部卒業後、松下電器産業(現・パナソニック)に入社。74年に漫画家デビュー。作品に『人間交差点』『課長 島耕作』『黄昏流星群』など。島耕作シリーズは「モーニング」にて現在『会長 島耕作』として連載中。2007年紫綬褒章を受章。———-
(漫画家 弘兼 憲史)