5月9日放送のトーク番組「踊る!さんま御殿!!」(日本テレビ系)で、司会の明石家さんまが香川県出身の中野美奈子の発言に対抗するかたちで「うどんの本場は大阪」と発言をしたことで、にわかに「うどんの本場は大阪?香川?」論争が勃発。一般的には “うどんといえば香川”のイメージが強いが、大阪の人々はどう思っているのか? 大阪人100人にアンケートを実施した。

香川県は自衛隊の炊事訓練でも手作りうどん まず前提として、今回の論争は香川が優勢といってよさそうだ。 というのも、今回の“うどんの本場論争”の火付け役である明石家さんまは、5月13日に放送された自身がパーソナリティを務めるラジオ番組「MBSヤングタウン土曜日」でこの話題に改めて言及。 しかし、村上ショージやモーニング娘。’23の横山玲奈ら共演者から「うどんといえば香川」と意見されると、あっさり「負けた。俺だけか、うどんは関西やって言ってるの」と白旗をあげている。 実際に大阪の街で100人に「うどんの本場はどこ?」とアンケートを取ってみると以下のような結果となった。 香川 76人(男性42人:女性34人) 大阪 15人(男性15人) 名古屋 1人(男1人) 不明(わからない、答えたくない等) 8人(男1人:女7人) 讃岐うどん(写真はイメージです) 渦中(?)の大阪でも香川派が圧倒しており、論争は決着したに等しい。 では、香川(讃岐うどん)派の意見を紹介しよう。 「うどんと聞いたら、頭の中にポンと『讃岐』『香川県』が浮かんでくる。条件反射やなあ。これは大阪に限らず、もう全国民がそうなんちがう?」(40代女性) 「香川県が元祖なん違う? それに大阪のうどんおいしいですか? 普通やと思うけどなあ」(20代男性) 「ちょっと前まで香川県の善通寺駐屯地にいたけど、自衛隊の炊事訓練でも手打ちうどんを作ってた。そんなことやるの香川県だけやと思います」(20代男性) 「香川県いうたら、うどん以外なんもないところやん。大阪にはうどん以外においしいもんがいっぱいある。たこ焼き、お好み焼き、すき焼き、てっちり、てっさ……うどんぐらい香川県にゆずったげてもええんとちゃいまっか?(笑)」(50代男性) 実は大阪うどんのほうが歴史が古い? うどんの歴史を紐解いてみても、平安時代に空海が中国の饂飩(うどん)を故郷の讃岐国に持ち帰ったことが讃岐うどんの発祥という伝説がある。 しかし、現在につながる大阪うどんと讃岐うどんのどちらの歴史が古いかというと、意外にも大阪うどんのほうが古いとの説もある。大阪のうどん事情に詳しい、とあるうどん店店主はこう話す。 「大阪のうどんの歴史は古く、明治時代に『松葉屋』という店できつねうどんが誕生しています。それが大阪中に広まっていき、当時の大阪はまさしく“うどんの本場”にふさわしい場所でした」 1946年創業の老舗「道頓堀今井」。当時から続く看板メニューは甘辛く煮込んだ分厚い揚げがのる「きつねうどん」。当時はうどんといえば大阪だったそうだ 一方、讃岐うどんが香川県で浸透したのは、大阪のきつねうどんよりはるかに遅い戦後なのだと、別のうどん店店主が話す。 「香川県に名産品をつくろうと、昭和25年から30年にかけて、うどんづくりの名人たちが香川をまわって作り方を広めたのが讃岐うどんの原点です。 その名人のひとり、竹川二短男(ふくお)さんが1950年に香川県高松市で『川福』といううどん店を創業。 その息子さんが独立して1968年に大阪の心斎橋で今も残る『川福流手打うどん 川福本店』をオープンすると、そのコシのある麺を食べた大阪人は驚愕、瞬く間に人気店になりました。これを機に大阪で讃岐うどんの知名度が上がることになり、その後は讃岐うどんの本場、香川県への日帰りうどんツアーや“うどん県”といった県のPR活動もあって、『うどん=香川』という現在のイメージが確立されました」 うどん県民もうならせる新勢力「かすうどん」 となると、歴史の古さは大阪、その後の覇権は讃岐ということなのだろうか。 ところで、明石家さんまはなぜ「うどんの本場は大阪」との発言したのか。その真相は大阪に讃岐うどんを流行らせた「川福」に隠されているとの情報も。 「さんまさんは芸人になりたての大阪時代、『川福』に何度も来店するほどお気に入りだったと聞いています」(前出、うどん店店主) 大阪で讃岐うどんを流行らせた「川福流手打うどん 川福本店」のざるうどん。明石家さんまが何度も来店するほどお気に入りとの情報も しかし、きつねうどんを生んだプライドのある大阪は、他県から流入してきた讃岐うどんに浸食されっぱなしではない。 この流れを変えたのが1995年にオープンした“かすうどん”の元祖「加寿屋」だ。 「『油かす』とは大阪の南河内地方で昔から食されてきた郷土料理です。 牛の腸を油でじっくりと時間をかけて揚げ、余分な油分が抜けて肉の旨味が凝縮された、美味でしかも栄養価も高い食材です。 (中略) この『かすうどん』は、1995年の当社店舗のオープンより瞬く間にたくさんのファンを生みました。最近では当社を真似たかすうどん店が多くオープンしているほどです」(加寿屋ホームページより) 「加寿屋」のかすうどん。大阪人にとってはもはやお馴染みのグルメに もはや大阪グルメに欠かすことはできない存在となっており、実際、今回のアンケートでも本場がどこかはともかくとして、かすうどんが一番おいしいと答えた人が複数人いた。 「香川県出身の彼女の両親は『大阪のうどんは(味がいまいちで)食えんなぁ』と言っていましたが、『かすうどんだけは別格でおいしい。また大阪に行ったら食べたい』と言うてました」(30代男性) うどん県民にも認められるほどの、かすうどん。今後、こちらが全国的な覇権を握るようなことがあれば、うどんの本場論争がもうひと盛り上がりすることになるかも。 取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班
5月9日放送のトーク番組「踊る!さんま御殿!!」(日本テレビ系)で、司会の明石家さんまが香川県出身の中野美奈子の発言に対抗するかたちで「うどんの本場は大阪」と発言をしたことで、にわかに「うどんの本場は大阪?香川?」論争が勃発。一般的には “うどんといえば香川”のイメージが強いが、大阪の人々はどう思っているのか? 大阪人100人にアンケートを実施した。
香川県は自衛隊の炊事訓練でも手作りうどん まず前提として、今回の論争は香川が優勢といってよさそうだ。 というのも、今回の“うどんの本場論争”の火付け役である明石家さんまは、5月13日に放送された自身がパーソナリティを務めるラジオ番組「MBSヤングタウン土曜日」でこの話題に改めて言及。 しかし、村上ショージやモーニング娘。’23の横山玲奈ら共演者から「うどんといえば香川」と意見されると、あっさり「負けた。俺だけか、うどんは関西やって言ってるの」と白旗をあげている。 実際に大阪の街で100人に「うどんの本場はどこ?」とアンケートを取ってみると以下のような結果となった。 香川 76人(男性42人:女性34人) 大阪 15人(男性15人) 名古屋 1人(男1人) 不明(わからない、答えたくない等) 8人(男1人:女7人) 讃岐うどん(写真はイメージです) 渦中(?)の大阪でも香川派が圧倒しており、論争は決着したに等しい。 では、香川(讃岐うどん)派の意見を紹介しよう。 「うどんと聞いたら、頭の中にポンと『讃岐』『香川県』が浮かんでくる。条件反射やなあ。これは大阪に限らず、もう全国民がそうなんちがう?」(40代女性) 「香川県が元祖なん違う? それに大阪のうどんおいしいですか? 普通やと思うけどなあ」(20代男性) 「ちょっと前まで香川県の善通寺駐屯地にいたけど、自衛隊の炊事訓練でも手打ちうどんを作ってた。そんなことやるの香川県だけやと思います」(20代男性) 「香川県いうたら、うどん以外なんもないところやん。大阪にはうどん以外においしいもんがいっぱいある。たこ焼き、お好み焼き、すき焼き、てっちり、てっさ……うどんぐらい香川県にゆずったげてもええんとちゃいまっか?(笑)」(50代男性) 実は大阪うどんのほうが歴史が古い? うどんの歴史を紐解いてみても、平安時代に空海が中国の饂飩(うどん)を故郷の讃岐国に持ち帰ったことが讃岐うどんの発祥という伝説がある。 しかし、現在につながる大阪うどんと讃岐うどんのどちらの歴史が古いかというと、意外にも大阪うどんのほうが古いとの説もある。大阪のうどん事情に詳しい、とあるうどん店店主はこう話す。 「大阪のうどんの歴史は古く、明治時代に『松葉屋』という店できつねうどんが誕生しています。それが大阪中に広まっていき、当時の大阪はまさしく“うどんの本場”にふさわしい場所でした」 1946年創業の老舗「道頓堀今井」。当時から続く看板メニューは甘辛く煮込んだ分厚い揚げがのる「きつねうどん」。当時はうどんといえば大阪だったそうだ 一方、讃岐うどんが香川県で浸透したのは、大阪のきつねうどんよりはるかに遅い戦後なのだと、別のうどん店店主が話す。 「香川県に名産品をつくろうと、昭和25年から30年にかけて、うどんづくりの名人たちが香川をまわって作り方を広めたのが讃岐うどんの原点です。 その名人のひとり、竹川二短男(ふくお)さんが1950年に香川県高松市で『川福』といううどん店を創業。 その息子さんが独立して1968年に大阪の心斎橋で今も残る『川福流手打うどん 川福本店』をオープンすると、そのコシのある麺を食べた大阪人は驚愕、瞬く間に人気店になりました。これを機に大阪で讃岐うどんの知名度が上がることになり、その後は讃岐うどんの本場、香川県への日帰りうどんツアーや“うどん県”といった県のPR活動もあって、『うどん=香川』という現在のイメージが確立されました」 うどん県民もうならせる新勢力「かすうどん」 となると、歴史の古さは大阪、その後の覇権は讃岐ということなのだろうか。 ところで、明石家さんまはなぜ「うどんの本場は大阪」との発言したのか。その真相は大阪に讃岐うどんを流行らせた「川福」に隠されているとの情報も。 「さんまさんは芸人になりたての大阪時代、『川福』に何度も来店するほどお気に入りだったと聞いています」(前出、うどん店店主) 大阪で讃岐うどんを流行らせた「川福流手打うどん 川福本店」のざるうどん。明石家さんまが何度も来店するほどお気に入りとの情報も しかし、きつねうどんを生んだプライドのある大阪は、他県から流入してきた讃岐うどんに浸食されっぱなしではない。 この流れを変えたのが1995年にオープンした“かすうどん”の元祖「加寿屋」だ。 「『油かす』とは大阪の南河内地方で昔から食されてきた郷土料理です。 牛の腸を油でじっくりと時間をかけて揚げ、余分な油分が抜けて肉の旨味が凝縮された、美味でしかも栄養価も高い食材です。 (中略) この『かすうどん』は、1995年の当社店舗のオープンより瞬く間にたくさんのファンを生みました。最近では当社を真似たかすうどん店が多くオープンしているほどです」(加寿屋ホームページより) 「加寿屋」のかすうどん。大阪人にとってはもはやお馴染みのグルメに もはや大阪グルメに欠かすことはできない存在となっており、実際、今回のアンケートでも本場がどこかはともかくとして、かすうどんが一番おいしいと答えた人が複数人いた。 「香川県出身の彼女の両親は『大阪のうどんは(味がいまいちで)食えんなぁ』と言っていましたが、『かすうどんだけは別格でおいしい。また大阪に行ったら食べたい』と言うてました」(30代男性) うどん県民にも認められるほどの、かすうどん。今後、こちらが全国的な覇権を握るようなことがあれば、うどんの本場論争がもうひと盛り上がりすることになるかも。 取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班
香川県は自衛隊の炊事訓練でも手作りうどん まず前提として、今回の論争は香川が優勢といってよさそうだ。 というのも、今回の“うどんの本場論争”の火付け役である明石家さんまは、5月13日に放送された自身がパーソナリティを務めるラジオ番組「MBSヤングタウン土曜日」でこの話題に改めて言及。 しかし、村上ショージやモーニング娘。’23の横山玲奈ら共演者から「うどんといえば香川」と意見されると、あっさり「負けた。俺だけか、うどんは関西やって言ってるの」と白旗をあげている。 実際に大阪の街で100人に「うどんの本場はどこ?」とアンケートを取ってみると以下のような結果となった。 香川 76人(男性42人:女性34人) 大阪 15人(男性15人) 名古屋 1人(男1人) 不明(わからない、答えたくない等) 8人(男1人:女7人) 讃岐うどん(写真はイメージです) 渦中(?)の大阪でも香川派が圧倒しており、論争は決着したに等しい。 では、香川(讃岐うどん)派の意見を紹介しよう。 「うどんと聞いたら、頭の中にポンと『讃岐』『香川県』が浮かんでくる。条件反射やなあ。これは大阪に限らず、もう全国民がそうなんちがう?」(40代女性) 「香川県が元祖なん違う? それに大阪のうどんおいしいですか? 普通やと思うけどなあ」(20代男性) 「ちょっと前まで香川県の善通寺駐屯地にいたけど、自衛隊の炊事訓練でも手打ちうどんを作ってた。そんなことやるの香川県だけやと思います」(20代男性) 「香川県いうたら、うどん以外なんもないところやん。大阪にはうどん以外においしいもんがいっぱいある。たこ焼き、お好み焼き、すき焼き、てっちり、てっさ……うどんぐらい香川県にゆずったげてもええんとちゃいまっか?(笑)」(50代男性) 実は大阪うどんのほうが歴史が古い? うどんの歴史を紐解いてみても、平安時代に空海が中国の饂飩(うどん)を故郷の讃岐国に持ち帰ったことが讃岐うどんの発祥という伝説がある。 しかし、現在につながる大阪うどんと讃岐うどんのどちらの歴史が古いかというと、意外にも大阪うどんのほうが古いとの説もある。大阪のうどん事情に詳しい、とあるうどん店店主はこう話す。 「大阪のうどんの歴史は古く、明治時代に『松葉屋』という店できつねうどんが誕生しています。それが大阪中に広まっていき、当時の大阪はまさしく“うどんの本場”にふさわしい場所でした」 1946年創業の老舗「道頓堀今井」。当時から続く看板メニューは甘辛く煮込んだ分厚い揚げがのる「きつねうどん」。当時はうどんといえば大阪だったそうだ 一方、讃岐うどんが香川県で浸透したのは、大阪のきつねうどんよりはるかに遅い戦後なのだと、別のうどん店店主が話す。 「香川県に名産品をつくろうと、昭和25年から30年にかけて、うどんづくりの名人たちが香川をまわって作り方を広めたのが讃岐うどんの原点です。 その名人のひとり、竹川二短男(ふくお)さんが1950年に香川県高松市で『川福』といううどん店を創業。 その息子さんが独立して1968年に大阪の心斎橋で今も残る『川福流手打うどん 川福本店』をオープンすると、そのコシのある麺を食べた大阪人は驚愕、瞬く間に人気店になりました。これを機に大阪で讃岐うどんの知名度が上がることになり、その後は讃岐うどんの本場、香川県への日帰りうどんツアーや“うどん県”といった県のPR活動もあって、『うどん=香川』という現在のイメージが確立されました」 うどん県民もうならせる新勢力「かすうどん」 となると、歴史の古さは大阪、その後の覇権は讃岐ということなのだろうか。 ところで、明石家さんまはなぜ「うどんの本場は大阪」との発言したのか。その真相は大阪に讃岐うどんを流行らせた「川福」に隠されているとの情報も。 「さんまさんは芸人になりたての大阪時代、『川福』に何度も来店するほどお気に入りだったと聞いています」(前出、うどん店店主) 大阪で讃岐うどんを流行らせた「川福流手打うどん 川福本店」のざるうどん。明石家さんまが何度も来店するほどお気に入りとの情報も しかし、きつねうどんを生んだプライドのある大阪は、他県から流入してきた讃岐うどんに浸食されっぱなしではない。 この流れを変えたのが1995年にオープンした“かすうどん”の元祖「加寿屋」だ。 「『油かす』とは大阪の南河内地方で昔から食されてきた郷土料理です。 牛の腸を油でじっくりと時間をかけて揚げ、余分な油分が抜けて肉の旨味が凝縮された、美味でしかも栄養価も高い食材です。 (中略) この『かすうどん』は、1995年の当社店舗のオープンより瞬く間にたくさんのファンを生みました。最近では当社を真似たかすうどん店が多くオープンしているほどです」(加寿屋ホームページより) 「加寿屋」のかすうどん。大阪人にとってはもはやお馴染みのグルメに もはや大阪グルメに欠かすことはできない存在となっており、実際、今回のアンケートでも本場がどこかはともかくとして、かすうどんが一番おいしいと答えた人が複数人いた。 「香川県出身の彼女の両親は『大阪のうどんは(味がいまいちで)食えんなぁ』と言っていましたが、『かすうどんだけは別格でおいしい。また大阪に行ったら食べたい』と言うてました」(30代男性) うどん県民にも認められるほどの、かすうどん。今後、こちらが全国的な覇権を握るようなことがあれば、うどんの本場論争がもうひと盛り上がりすることになるかも。 取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班
まず前提として、今回の論争は香川が優勢といってよさそうだ。 というのも、今回の“うどんの本場論争”の火付け役である明石家さんまは、5月13日に放送された自身がパーソナリティを務めるラジオ番組「MBSヤングタウン土曜日」でこの話題に改めて言及。 しかし、村上ショージやモーニング娘。’23の横山玲奈ら共演者から「うどんといえば香川」と意見されると、あっさり「負けた。俺だけか、うどんは関西やって言ってるの」と白旗をあげている。 実際に大阪の街で100人に「うどんの本場はどこ?」とアンケートを取ってみると以下のような結果となった。 香川 76人(男性42人:女性34人) 大阪 15人(男性15人) 名古屋 1人(男1人) 不明(わからない、答えたくない等) 8人(男1人:女7人) 讃岐うどん(写真はイメージです) 渦中(?)の大阪でも香川派が圧倒しており、論争は決着したに等しい。 では、香川(讃岐うどん)派の意見を紹介しよう。 「うどんと聞いたら、頭の中にポンと『讃岐』『香川県』が浮かんでくる。条件反射やなあ。これは大阪に限らず、もう全国民がそうなんちがう?」(40代女性) 「香川県が元祖なん違う? それに大阪のうどんおいしいですか? 普通やと思うけどなあ」(20代男性) 「ちょっと前まで香川県の善通寺駐屯地にいたけど、自衛隊の炊事訓練でも手打ちうどんを作ってた。そんなことやるの香川県だけやと思います」(20代男性) 「香川県いうたら、うどん以外なんもないところやん。大阪にはうどん以外においしいもんがいっぱいある。たこ焼き、お好み焼き、すき焼き、てっちり、てっさ……うどんぐらい香川県にゆずったげてもええんとちゃいまっか?(笑)」(50代男性) 実は大阪うどんのほうが歴史が古い? うどんの歴史を紐解いてみても、平安時代に空海が中国の饂飩(うどん)を故郷の讃岐国に持ち帰ったことが讃岐うどんの発祥という伝説がある。 しかし、現在につながる大阪うどんと讃岐うどんのどちらの歴史が古いかというと、意外にも大阪うどんのほうが古いとの説もある。大阪のうどん事情に詳しい、とあるうどん店店主はこう話す。 「大阪のうどんの歴史は古く、明治時代に『松葉屋』という店できつねうどんが誕生しています。それが大阪中に広まっていき、当時の大阪はまさしく“うどんの本場”にふさわしい場所でした」 1946年創業の老舗「道頓堀今井」。当時から続く看板メニューは甘辛く煮込んだ分厚い揚げがのる「きつねうどん」。当時はうどんといえば大阪だったそうだ 一方、讃岐うどんが香川県で浸透したのは、大阪のきつねうどんよりはるかに遅い戦後なのだと、別のうどん店店主が話す。 「香川県に名産品をつくろうと、昭和25年から30年にかけて、うどんづくりの名人たちが香川をまわって作り方を広めたのが讃岐うどんの原点です。 その名人のひとり、竹川二短男(ふくお)さんが1950年に香川県高松市で『川福』といううどん店を創業。 その息子さんが独立して1968年に大阪の心斎橋で今も残る『川福流手打うどん 川福本店』をオープンすると、そのコシのある麺を食べた大阪人は驚愕、瞬く間に人気店になりました。これを機に大阪で讃岐うどんの知名度が上がることになり、その後は讃岐うどんの本場、香川県への日帰りうどんツアーや“うどん県”といった県のPR活動もあって、『うどん=香川』という現在のイメージが確立されました」 うどん県民もうならせる新勢力「かすうどん」 となると、歴史の古さは大阪、その後の覇権は讃岐ということなのだろうか。 ところで、明石家さんまはなぜ「うどんの本場は大阪」との発言したのか。その真相は大阪に讃岐うどんを流行らせた「川福」に隠されているとの情報も。 「さんまさんは芸人になりたての大阪時代、『川福』に何度も来店するほどお気に入りだったと聞いています」(前出、うどん店店主) 大阪で讃岐うどんを流行らせた「川福流手打うどん 川福本店」のざるうどん。明石家さんまが何度も来店するほどお気に入りとの情報も しかし、きつねうどんを生んだプライドのある大阪は、他県から流入してきた讃岐うどんに浸食されっぱなしではない。 この流れを変えたのが1995年にオープンした“かすうどん”の元祖「加寿屋」だ。 「『油かす』とは大阪の南河内地方で昔から食されてきた郷土料理です。 牛の腸を油でじっくりと時間をかけて揚げ、余分な油分が抜けて肉の旨味が凝縮された、美味でしかも栄養価も高い食材です。 (中略) この『かすうどん』は、1995年の当社店舗のオープンより瞬く間にたくさんのファンを生みました。最近では当社を真似たかすうどん店が多くオープンしているほどです」(加寿屋ホームページより) 「加寿屋」のかすうどん。大阪人にとってはもはやお馴染みのグルメに もはや大阪グルメに欠かすことはできない存在となっており、実際、今回のアンケートでも本場がどこかはともかくとして、かすうどんが一番おいしいと答えた人が複数人いた。 「香川県出身の彼女の両親は『大阪のうどんは(味がいまいちで)食えんなぁ』と言っていましたが、『かすうどんだけは別格でおいしい。また大阪に行ったら食べたい』と言うてました」(30代男性) うどん県民にも認められるほどの、かすうどん。今後、こちらが全国的な覇権を握るようなことがあれば、うどんの本場論争がもうひと盛り上がりすることになるかも。 取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班
まず前提として、今回の論争は香川が優勢といってよさそうだ。
というのも、今回の“うどんの本場論争”の火付け役である明石家さんまは、5月13日に放送された自身がパーソナリティを務めるラジオ番組「MBSヤングタウン土曜日」でこの話題に改めて言及。
しかし、村上ショージやモーニング娘。’23の横山玲奈ら共演者から「うどんといえば香川」と意見されると、あっさり「負けた。俺だけか、うどんは関西やって言ってるの」と白旗をあげている。
実際に大阪の街で100人に「うどんの本場はどこ?」とアンケートを取ってみると以下のような結果となった。 香川 76人(男性42人:女性34人) 大阪 15人(男性15人) 名古屋 1人(男1人) 不明(わからない、答えたくない等) 8人(男1人:女7人) 讃岐うどん(写真はイメージです) 渦中(?)の大阪でも香川派が圧倒しており、論争は決着したに等しい。 では、香川(讃岐うどん)派の意見を紹介しよう。 「うどんと聞いたら、頭の中にポンと『讃岐』『香川県』が浮かんでくる。条件反射やなあ。これは大阪に限らず、もう全国民がそうなんちがう?」(40代女性) 「香川県が元祖なん違う? それに大阪のうどんおいしいですか? 普通やと思うけどなあ」(20代男性) 「ちょっと前まで香川県の善通寺駐屯地にいたけど、自衛隊の炊事訓練でも手打ちうどんを作ってた。そんなことやるの香川県だけやと思います」(20代男性) 「香川県いうたら、うどん以外なんもないところやん。大阪にはうどん以外においしいもんがいっぱいある。たこ焼き、お好み焼き、すき焼き、てっちり、てっさ……うどんぐらい香川県にゆずったげてもええんとちゃいまっか?(笑)」(50代男性) 実は大阪うどんのほうが歴史が古い? うどんの歴史を紐解いてみても、平安時代に空海が中国の饂飩(うどん)を故郷の讃岐国に持ち帰ったことが讃岐うどんの発祥という伝説がある。 しかし、現在につながる大阪うどんと讃岐うどんのどちらの歴史が古いかというと、意外にも大阪うどんのほうが古いとの説もある。大阪のうどん事情に詳しい、とあるうどん店店主はこう話す。 「大阪のうどんの歴史は古く、明治時代に『松葉屋』という店できつねうどんが誕生しています。それが大阪中に広まっていき、当時の大阪はまさしく“うどんの本場”にふさわしい場所でした」 1946年創業の老舗「道頓堀今井」。当時から続く看板メニューは甘辛く煮込んだ分厚い揚げがのる「きつねうどん」。当時はうどんといえば大阪だったそうだ 一方、讃岐うどんが香川県で浸透したのは、大阪のきつねうどんよりはるかに遅い戦後なのだと、別のうどん店店主が話す。 「香川県に名産品をつくろうと、昭和25年から30年にかけて、うどんづくりの名人たちが香川をまわって作り方を広めたのが讃岐うどんの原点です。 その名人のひとり、竹川二短男(ふくお)さんが1950年に香川県高松市で『川福』といううどん店を創業。 その息子さんが独立して1968年に大阪の心斎橋で今も残る『川福流手打うどん 川福本店』をオープンすると、そのコシのある麺を食べた大阪人は驚愕、瞬く間に人気店になりました。これを機に大阪で讃岐うどんの知名度が上がることになり、その後は讃岐うどんの本場、香川県への日帰りうどんツアーや“うどん県”といった県のPR活動もあって、『うどん=香川』という現在のイメージが確立されました」 うどん県民もうならせる新勢力「かすうどん」 となると、歴史の古さは大阪、その後の覇権は讃岐ということなのだろうか。 ところで、明石家さんまはなぜ「うどんの本場は大阪」との発言したのか。その真相は大阪に讃岐うどんを流行らせた「川福」に隠されているとの情報も。 「さんまさんは芸人になりたての大阪時代、『川福』に何度も来店するほどお気に入りだったと聞いています」(前出、うどん店店主) 大阪で讃岐うどんを流行らせた「川福流手打うどん 川福本店」のざるうどん。明石家さんまが何度も来店するほどお気に入りとの情報も しかし、きつねうどんを生んだプライドのある大阪は、他県から流入してきた讃岐うどんに浸食されっぱなしではない。 この流れを変えたのが1995年にオープンした“かすうどん”の元祖「加寿屋」だ。 「『油かす』とは大阪の南河内地方で昔から食されてきた郷土料理です。 牛の腸を油でじっくりと時間をかけて揚げ、余分な油分が抜けて肉の旨味が凝縮された、美味でしかも栄養価も高い食材です。 (中略) この『かすうどん』は、1995年の当社店舗のオープンより瞬く間にたくさんのファンを生みました。最近では当社を真似たかすうどん店が多くオープンしているほどです」(加寿屋ホームページより) 「加寿屋」のかすうどん。大阪人にとってはもはやお馴染みのグルメに もはや大阪グルメに欠かすことはできない存在となっており、実際、今回のアンケートでも本場がどこかはともかくとして、かすうどんが一番おいしいと答えた人が複数人いた。 「香川県出身の彼女の両親は『大阪のうどんは(味がいまいちで)食えんなぁ』と言っていましたが、『かすうどんだけは別格でおいしい。また大阪に行ったら食べたい』と言うてました」(30代男性) うどん県民にも認められるほどの、かすうどん。今後、こちらが全国的な覇権を握るようなことがあれば、うどんの本場論争がもうひと盛り上がりすることになるかも。 取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班
実際に大阪の街で100人に「うどんの本場はどこ?」とアンケートを取ってみると以下のような結果となった。
香川 76人(男性42人:女性34人) 大阪 15人(男性15人) 名古屋 1人(男1人) 不明(わからない、答えたくない等) 8人(男1人:女7人) 讃岐うどん(写真はイメージです) 渦中(?)の大阪でも香川派が圧倒しており、論争は決着したに等しい。 では、香川(讃岐うどん)派の意見を紹介しよう。 「うどんと聞いたら、頭の中にポンと『讃岐』『香川県』が浮かんでくる。条件反射やなあ。これは大阪に限らず、もう全国民がそうなんちがう?」(40代女性) 「香川県が元祖なん違う? それに大阪のうどんおいしいですか? 普通やと思うけどなあ」(20代男性) 「ちょっと前まで香川県の善通寺駐屯地にいたけど、自衛隊の炊事訓練でも手打ちうどんを作ってた。そんなことやるの香川県だけやと思います」(20代男性) 「香川県いうたら、うどん以外なんもないところやん。大阪にはうどん以外においしいもんがいっぱいある。たこ焼き、お好み焼き、すき焼き、てっちり、てっさ……うどんぐらい香川県にゆずったげてもええんとちゃいまっか?(笑)」(50代男性) 実は大阪うどんのほうが歴史が古い? うどんの歴史を紐解いてみても、平安時代に空海が中国の饂飩(うどん)を故郷の讃岐国に持ち帰ったことが讃岐うどんの発祥という伝説がある。 しかし、現在につながる大阪うどんと讃岐うどんのどちらの歴史が古いかというと、意外にも大阪うどんのほうが古いとの説もある。大阪のうどん事情に詳しい、とあるうどん店店主はこう話す。 「大阪のうどんの歴史は古く、明治時代に『松葉屋』という店できつねうどんが誕生しています。それが大阪中に広まっていき、当時の大阪はまさしく“うどんの本場”にふさわしい場所でした」 1946年創業の老舗「道頓堀今井」。当時から続く看板メニューは甘辛く煮込んだ分厚い揚げがのる「きつねうどん」。当時はうどんといえば大阪だったそうだ 一方、讃岐うどんが香川県で浸透したのは、大阪のきつねうどんよりはるかに遅い戦後なのだと、別のうどん店店主が話す。 「香川県に名産品をつくろうと、昭和25年から30年にかけて、うどんづくりの名人たちが香川をまわって作り方を広めたのが讃岐うどんの原点です。 その名人のひとり、竹川二短男(ふくお)さんが1950年に香川県高松市で『川福』といううどん店を創業。 その息子さんが独立して1968年に大阪の心斎橋で今も残る『川福流手打うどん 川福本店』をオープンすると、そのコシのある麺を食べた大阪人は驚愕、瞬く間に人気店になりました。これを機に大阪で讃岐うどんの知名度が上がることになり、その後は讃岐うどんの本場、香川県への日帰りうどんツアーや“うどん県”といった県のPR活動もあって、『うどん=香川』という現在のイメージが確立されました」 うどん県民もうならせる新勢力「かすうどん」 となると、歴史の古さは大阪、その後の覇権は讃岐ということなのだろうか。 ところで、明石家さんまはなぜ「うどんの本場は大阪」との発言したのか。その真相は大阪に讃岐うどんを流行らせた「川福」に隠されているとの情報も。 「さんまさんは芸人になりたての大阪時代、『川福』に何度も来店するほどお気に入りだったと聞いています」(前出、うどん店店主) 大阪で讃岐うどんを流行らせた「川福流手打うどん 川福本店」のざるうどん。明石家さんまが何度も来店するほどお気に入りとの情報も しかし、きつねうどんを生んだプライドのある大阪は、他県から流入してきた讃岐うどんに浸食されっぱなしではない。 この流れを変えたのが1995年にオープンした“かすうどん”の元祖「加寿屋」だ。 「『油かす』とは大阪の南河内地方で昔から食されてきた郷土料理です。 牛の腸を油でじっくりと時間をかけて揚げ、余分な油分が抜けて肉の旨味が凝縮された、美味でしかも栄養価も高い食材です。 (中略) この『かすうどん』は、1995年の当社店舗のオープンより瞬く間にたくさんのファンを生みました。最近では当社を真似たかすうどん店が多くオープンしているほどです」(加寿屋ホームページより) 「加寿屋」のかすうどん。大阪人にとってはもはやお馴染みのグルメに もはや大阪グルメに欠かすことはできない存在となっており、実際、今回のアンケートでも本場がどこかはともかくとして、かすうどんが一番おいしいと答えた人が複数人いた。 「香川県出身の彼女の両親は『大阪のうどんは(味がいまいちで)食えんなぁ』と言っていましたが、『かすうどんだけは別格でおいしい。また大阪に行ったら食べたい』と言うてました」(30代男性) うどん県民にも認められるほどの、かすうどん。今後、こちらが全国的な覇権を握るようなことがあれば、うどんの本場論争がもうひと盛り上がりすることになるかも。 取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班
香川
76人(男性42人:女性34人)
大阪 15人(男性15人) 名古屋 1人(男1人) 不明(わからない、答えたくない等) 8人(男1人:女7人) 讃岐うどん(写真はイメージです) 渦中(?)の大阪でも香川派が圧倒しており、論争は決着したに等しい。 では、香川(讃岐うどん)派の意見を紹介しよう。 「うどんと聞いたら、頭の中にポンと『讃岐』『香川県』が浮かんでくる。条件反射やなあ。これは大阪に限らず、もう全国民がそうなんちがう?」(40代女性) 「香川県が元祖なん違う? それに大阪のうどんおいしいですか? 普通やと思うけどなあ」(20代男性) 「ちょっと前まで香川県の善通寺駐屯地にいたけど、自衛隊の炊事訓練でも手打ちうどんを作ってた。そんなことやるの香川県だけやと思います」(20代男性) 「香川県いうたら、うどん以外なんもないところやん。大阪にはうどん以外においしいもんがいっぱいある。たこ焼き、お好み焼き、すき焼き、てっちり、てっさ……うどんぐらい香川県にゆずったげてもええんとちゃいまっか?(笑)」(50代男性) 実は大阪うどんのほうが歴史が古い? うどんの歴史を紐解いてみても、平安時代に空海が中国の饂飩(うどん)を故郷の讃岐国に持ち帰ったことが讃岐うどんの発祥という伝説がある。 しかし、現在につながる大阪うどんと讃岐うどんのどちらの歴史が古いかというと、意外にも大阪うどんのほうが古いとの説もある。大阪のうどん事情に詳しい、とあるうどん店店主はこう話す。 「大阪のうどんの歴史は古く、明治時代に『松葉屋』という店できつねうどんが誕生しています。それが大阪中に広まっていき、当時の大阪はまさしく“うどんの本場”にふさわしい場所でした」 1946年創業の老舗「道頓堀今井」。当時から続く看板メニューは甘辛く煮込んだ分厚い揚げがのる「きつねうどん」。当時はうどんといえば大阪だったそうだ 一方、讃岐うどんが香川県で浸透したのは、大阪のきつねうどんよりはるかに遅い戦後なのだと、別のうどん店店主が話す。 「香川県に名産品をつくろうと、昭和25年から30年にかけて、うどんづくりの名人たちが香川をまわって作り方を広めたのが讃岐うどんの原点です。 その名人のひとり、竹川二短男(ふくお)さんが1950年に香川県高松市で『川福』といううどん店を創業。 その息子さんが独立して1968年に大阪の心斎橋で今も残る『川福流手打うどん 川福本店』をオープンすると、そのコシのある麺を食べた大阪人は驚愕、瞬く間に人気店になりました。これを機に大阪で讃岐うどんの知名度が上がることになり、その後は讃岐うどんの本場、香川県への日帰りうどんツアーや“うどん県”といった県のPR活動もあって、『うどん=香川』という現在のイメージが確立されました」 うどん県民もうならせる新勢力「かすうどん」 となると、歴史の古さは大阪、その後の覇権は讃岐ということなのだろうか。 ところで、明石家さんまはなぜ「うどんの本場は大阪」との発言したのか。その真相は大阪に讃岐うどんを流行らせた「川福」に隠されているとの情報も。 「さんまさんは芸人になりたての大阪時代、『川福』に何度も来店するほどお気に入りだったと聞いています」(前出、うどん店店主) 大阪で讃岐うどんを流行らせた「川福流手打うどん 川福本店」のざるうどん。明石家さんまが何度も来店するほどお気に入りとの情報も しかし、きつねうどんを生んだプライドのある大阪は、他県から流入してきた讃岐うどんに浸食されっぱなしではない。 この流れを変えたのが1995年にオープンした“かすうどん”の元祖「加寿屋」だ。 「『油かす』とは大阪の南河内地方で昔から食されてきた郷土料理です。 牛の腸を油でじっくりと時間をかけて揚げ、余分な油分が抜けて肉の旨味が凝縮された、美味でしかも栄養価も高い食材です。 (中略) この『かすうどん』は、1995年の当社店舗のオープンより瞬く間にたくさんのファンを生みました。最近では当社を真似たかすうどん店が多くオープンしているほどです」(加寿屋ホームページより) 「加寿屋」のかすうどん。大阪人にとってはもはやお馴染みのグルメに もはや大阪グルメに欠かすことはできない存在となっており、実際、今回のアンケートでも本場がどこかはともかくとして、かすうどんが一番おいしいと答えた人が複数人いた。 「香川県出身の彼女の両親は『大阪のうどんは(味がいまいちで)食えんなぁ』と言っていましたが、『かすうどんだけは別格でおいしい。また大阪に行ったら食べたい』と言うてました」(30代男性) うどん県民にも認められるほどの、かすうどん。今後、こちらが全国的な覇権を握るようなことがあれば、うどんの本場論争がもうひと盛り上がりすることになるかも。 取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班
大阪
15人(男性15人)
名古屋 1人(男1人) 不明(わからない、答えたくない等) 8人(男1人:女7人) 讃岐うどん(写真はイメージです) 渦中(?)の大阪でも香川派が圧倒しており、論争は決着したに等しい。 では、香川(讃岐うどん)派の意見を紹介しよう。 「うどんと聞いたら、頭の中にポンと『讃岐』『香川県』が浮かんでくる。条件反射やなあ。これは大阪に限らず、もう全国民がそうなんちがう?」(40代女性) 「香川県が元祖なん違う? それに大阪のうどんおいしいですか? 普通やと思うけどなあ」(20代男性) 「ちょっと前まで香川県の善通寺駐屯地にいたけど、自衛隊の炊事訓練でも手打ちうどんを作ってた。そんなことやるの香川県だけやと思います」(20代男性) 「香川県いうたら、うどん以外なんもないところやん。大阪にはうどん以外においしいもんがいっぱいある。たこ焼き、お好み焼き、すき焼き、てっちり、てっさ……うどんぐらい香川県にゆずったげてもええんとちゃいまっか?(笑)」(50代男性) 実は大阪うどんのほうが歴史が古い? うどんの歴史を紐解いてみても、平安時代に空海が中国の饂飩(うどん)を故郷の讃岐国に持ち帰ったことが讃岐うどんの発祥という伝説がある。 しかし、現在につながる大阪うどんと讃岐うどんのどちらの歴史が古いかというと、意外にも大阪うどんのほうが古いとの説もある。大阪のうどん事情に詳しい、とあるうどん店店主はこう話す。 「大阪のうどんの歴史は古く、明治時代に『松葉屋』という店できつねうどんが誕生しています。それが大阪中に広まっていき、当時の大阪はまさしく“うどんの本場”にふさわしい場所でした」 1946年創業の老舗「道頓堀今井」。当時から続く看板メニューは甘辛く煮込んだ分厚い揚げがのる「きつねうどん」。当時はうどんといえば大阪だったそうだ 一方、讃岐うどんが香川県で浸透したのは、大阪のきつねうどんよりはるかに遅い戦後なのだと、別のうどん店店主が話す。 「香川県に名産品をつくろうと、昭和25年から30年にかけて、うどんづくりの名人たちが香川をまわって作り方を広めたのが讃岐うどんの原点です。 その名人のひとり、竹川二短男(ふくお)さんが1950年に香川県高松市で『川福』といううどん店を創業。 その息子さんが独立して1968年に大阪の心斎橋で今も残る『川福流手打うどん 川福本店』をオープンすると、そのコシのある麺を食べた大阪人は驚愕、瞬く間に人気店になりました。これを機に大阪で讃岐うどんの知名度が上がることになり、その後は讃岐うどんの本場、香川県への日帰りうどんツアーや“うどん県”といった県のPR活動もあって、『うどん=香川』という現在のイメージが確立されました」 うどん県民もうならせる新勢力「かすうどん」 となると、歴史の古さは大阪、その後の覇権は讃岐ということなのだろうか。 ところで、明石家さんまはなぜ「うどんの本場は大阪」との発言したのか。その真相は大阪に讃岐うどんを流行らせた「川福」に隠されているとの情報も。 「さんまさんは芸人になりたての大阪時代、『川福』に何度も来店するほどお気に入りだったと聞いています」(前出、うどん店店主) 大阪で讃岐うどんを流行らせた「川福流手打うどん 川福本店」のざるうどん。明石家さんまが何度も来店するほどお気に入りとの情報も しかし、きつねうどんを生んだプライドのある大阪は、他県から流入してきた讃岐うどんに浸食されっぱなしではない。 この流れを変えたのが1995年にオープンした“かすうどん”の元祖「加寿屋」だ。 「『油かす』とは大阪の南河内地方で昔から食されてきた郷土料理です。 牛の腸を油でじっくりと時間をかけて揚げ、余分な油分が抜けて肉の旨味が凝縮された、美味でしかも栄養価も高い食材です。 (中略) この『かすうどん』は、1995年の当社店舗のオープンより瞬く間にたくさんのファンを生みました。最近では当社を真似たかすうどん店が多くオープンしているほどです」(加寿屋ホームページより) 「加寿屋」のかすうどん。大阪人にとってはもはやお馴染みのグルメに もはや大阪グルメに欠かすことはできない存在となっており、実際、今回のアンケートでも本場がどこかはともかくとして、かすうどんが一番おいしいと答えた人が複数人いた。 「香川県出身の彼女の両親は『大阪のうどんは(味がいまいちで)食えんなぁ』と言っていましたが、『かすうどんだけは別格でおいしい。また大阪に行ったら食べたい』と言うてました」(30代男性) うどん県民にも認められるほどの、かすうどん。今後、こちらが全国的な覇権を握るようなことがあれば、うどんの本場論争がもうひと盛り上がりすることになるかも。 取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班
名古屋
1人(男1人)
不明(わからない、答えたくない等) 8人(男1人:女7人) 讃岐うどん(写真はイメージです) 渦中(?)の大阪でも香川派が圧倒しており、論争は決着したに等しい。 では、香川(讃岐うどん)派の意見を紹介しよう。 「うどんと聞いたら、頭の中にポンと『讃岐』『香川県』が浮かんでくる。条件反射やなあ。これは大阪に限らず、もう全国民がそうなんちがう?」(40代女性) 「香川県が元祖なん違う? それに大阪のうどんおいしいですか? 普通やと思うけどなあ」(20代男性) 「ちょっと前まで香川県の善通寺駐屯地にいたけど、自衛隊の炊事訓練でも手打ちうどんを作ってた。そんなことやるの香川県だけやと思います」(20代男性) 「香川県いうたら、うどん以外なんもないところやん。大阪にはうどん以外においしいもんがいっぱいある。たこ焼き、お好み焼き、すき焼き、てっちり、てっさ……うどんぐらい香川県にゆずったげてもええんとちゃいまっか?(笑)」(50代男性) 実は大阪うどんのほうが歴史が古い? うどんの歴史を紐解いてみても、平安時代に空海が中国の饂飩(うどん)を故郷の讃岐国に持ち帰ったことが讃岐うどんの発祥という伝説がある。 しかし、現在につながる大阪うどんと讃岐うどんのどちらの歴史が古いかというと、意外にも大阪うどんのほうが古いとの説もある。大阪のうどん事情に詳しい、とあるうどん店店主はこう話す。 「大阪のうどんの歴史は古く、明治時代に『松葉屋』という店できつねうどんが誕生しています。それが大阪中に広まっていき、当時の大阪はまさしく“うどんの本場”にふさわしい場所でした」 1946年創業の老舗「道頓堀今井」。当時から続く看板メニューは甘辛く煮込んだ分厚い揚げがのる「きつねうどん」。当時はうどんといえば大阪だったそうだ 一方、讃岐うどんが香川県で浸透したのは、大阪のきつねうどんよりはるかに遅い戦後なのだと、別のうどん店店主が話す。 「香川県に名産品をつくろうと、昭和25年から30年にかけて、うどんづくりの名人たちが香川をまわって作り方を広めたのが讃岐うどんの原点です。 その名人のひとり、竹川二短男(ふくお)さんが1950年に香川県高松市で『川福』といううどん店を創業。 その息子さんが独立して1968年に大阪の心斎橋で今も残る『川福流手打うどん 川福本店』をオープンすると、そのコシのある麺を食べた大阪人は驚愕、瞬く間に人気店になりました。これを機に大阪で讃岐うどんの知名度が上がることになり、その後は讃岐うどんの本場、香川県への日帰りうどんツアーや“うどん県”といった県のPR活動もあって、『うどん=香川』という現在のイメージが確立されました」 うどん県民もうならせる新勢力「かすうどん」 となると、歴史の古さは大阪、その後の覇権は讃岐ということなのだろうか。 ところで、明石家さんまはなぜ「うどんの本場は大阪」との発言したのか。その真相は大阪に讃岐うどんを流行らせた「川福」に隠されているとの情報も。 「さんまさんは芸人になりたての大阪時代、『川福』に何度も来店するほどお気に入りだったと聞いています」(前出、うどん店店主) 大阪で讃岐うどんを流行らせた「川福流手打うどん 川福本店」のざるうどん。明石家さんまが何度も来店するほどお気に入りとの情報も しかし、きつねうどんを生んだプライドのある大阪は、他県から流入してきた讃岐うどんに浸食されっぱなしではない。 この流れを変えたのが1995年にオープンした“かすうどん”の元祖「加寿屋」だ。 「『油かす』とは大阪の南河内地方で昔から食されてきた郷土料理です。 牛の腸を油でじっくりと時間をかけて揚げ、余分な油分が抜けて肉の旨味が凝縮された、美味でしかも栄養価も高い食材です。 (中略) この『かすうどん』は、1995年の当社店舗のオープンより瞬く間にたくさんのファンを生みました。最近では当社を真似たかすうどん店が多くオープンしているほどです」(加寿屋ホームページより) 「加寿屋」のかすうどん。大阪人にとってはもはやお馴染みのグルメに もはや大阪グルメに欠かすことはできない存在となっており、実際、今回のアンケートでも本場がどこかはともかくとして、かすうどんが一番おいしいと答えた人が複数人いた。 「香川県出身の彼女の両親は『大阪のうどんは(味がいまいちで)食えんなぁ』と言っていましたが、『かすうどんだけは別格でおいしい。また大阪に行ったら食べたい』と言うてました」(30代男性) うどん県民にも認められるほどの、かすうどん。今後、こちらが全国的な覇権を握るようなことがあれば、うどんの本場論争がもうひと盛り上がりすることになるかも。 取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班
不明(わからない、答えたくない等)
8人(男1人:女7人)
讃岐うどん(写真はイメージです) 渦中(?)の大阪でも香川派が圧倒しており、論争は決着したに等しい。 では、香川(讃岐うどん)派の意見を紹介しよう。 「うどんと聞いたら、頭の中にポンと『讃岐』『香川県』が浮かんでくる。条件反射やなあ。これは大阪に限らず、もう全国民がそうなんちがう?」(40代女性) 「香川県が元祖なん違う? それに大阪のうどんおいしいですか? 普通やと思うけどなあ」(20代男性) 「ちょっと前まで香川県の善通寺駐屯地にいたけど、自衛隊の炊事訓練でも手打ちうどんを作ってた。そんなことやるの香川県だけやと思います」(20代男性) 「香川県いうたら、うどん以外なんもないところやん。大阪にはうどん以外においしいもんがいっぱいある。たこ焼き、お好み焼き、すき焼き、てっちり、てっさ……うどんぐらい香川県にゆずったげてもええんとちゃいまっか?(笑)」(50代男性) 実は大阪うどんのほうが歴史が古い? うどんの歴史を紐解いてみても、平安時代に空海が中国の饂飩(うどん)を故郷の讃岐国に持ち帰ったことが讃岐うどんの発祥という伝説がある。 しかし、現在につながる大阪うどんと讃岐うどんのどちらの歴史が古いかというと、意外にも大阪うどんのほうが古いとの説もある。大阪のうどん事情に詳しい、とあるうどん店店主はこう話す。 「大阪のうどんの歴史は古く、明治時代に『松葉屋』という店できつねうどんが誕生しています。それが大阪中に広まっていき、当時の大阪はまさしく“うどんの本場”にふさわしい場所でした」 1946年創業の老舗「道頓堀今井」。当時から続く看板メニューは甘辛く煮込んだ分厚い揚げがのる「きつねうどん」。当時はうどんといえば大阪だったそうだ 一方、讃岐うどんが香川県で浸透したのは、大阪のきつねうどんよりはるかに遅い戦後なのだと、別のうどん店店主が話す。 「香川県に名産品をつくろうと、昭和25年から30年にかけて、うどんづくりの名人たちが香川をまわって作り方を広めたのが讃岐うどんの原点です。 その名人のひとり、竹川二短男(ふくお)さんが1950年に香川県高松市で『川福』といううどん店を創業。 その息子さんが独立して1968年に大阪の心斎橋で今も残る『川福流手打うどん 川福本店』をオープンすると、そのコシのある麺を食べた大阪人は驚愕、瞬く間に人気店になりました。これを機に大阪で讃岐うどんの知名度が上がることになり、その後は讃岐うどんの本場、香川県への日帰りうどんツアーや“うどん県”といった県のPR活動もあって、『うどん=香川』という現在のイメージが確立されました」 うどん県民もうならせる新勢力「かすうどん」 となると、歴史の古さは大阪、その後の覇権は讃岐ということなのだろうか。 ところで、明石家さんまはなぜ「うどんの本場は大阪」との発言したのか。その真相は大阪に讃岐うどんを流行らせた「川福」に隠されているとの情報も。 「さんまさんは芸人になりたての大阪時代、『川福』に何度も来店するほどお気に入りだったと聞いています」(前出、うどん店店主) 大阪で讃岐うどんを流行らせた「川福流手打うどん 川福本店」のざるうどん。明石家さんまが何度も来店するほどお気に入りとの情報も しかし、きつねうどんを生んだプライドのある大阪は、他県から流入してきた讃岐うどんに浸食されっぱなしではない。 この流れを変えたのが1995年にオープンした“かすうどん”の元祖「加寿屋」だ。 「『油かす』とは大阪の南河内地方で昔から食されてきた郷土料理です。 牛の腸を油でじっくりと時間をかけて揚げ、余分な油分が抜けて肉の旨味が凝縮された、美味でしかも栄養価も高い食材です。 (中略) この『かすうどん』は、1995年の当社店舗のオープンより瞬く間にたくさんのファンを生みました。最近では当社を真似たかすうどん店が多くオープンしているほどです」(加寿屋ホームページより) 「加寿屋」のかすうどん。大阪人にとってはもはやお馴染みのグルメに もはや大阪グルメに欠かすことはできない存在となっており、実際、今回のアンケートでも本場がどこかはともかくとして、かすうどんが一番おいしいと答えた人が複数人いた。 「香川県出身の彼女の両親は『大阪のうどんは(味がいまいちで)食えんなぁ』と言っていましたが、『かすうどんだけは別格でおいしい。また大阪に行ったら食べたい』と言うてました」(30代男性) うどん県民にも認められるほどの、かすうどん。今後、こちらが全国的な覇権を握るようなことがあれば、うどんの本場論争がもうひと盛り上がりすることになるかも。 取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班
讃岐うどん(写真はイメージです) 渦中(?)の大阪でも香川派が圧倒しており、論争は決着したに等しい。 では、香川(讃岐うどん)派の意見を紹介しよう。 「うどんと聞いたら、頭の中にポンと『讃岐』『香川県』が浮かんでくる。条件反射やなあ。これは大阪に限らず、もう全国民がそうなんちがう?」(40代女性) 「香川県が元祖なん違う? それに大阪のうどんおいしいですか? 普通やと思うけどなあ」(20代男性) 「ちょっと前まで香川県の善通寺駐屯地にいたけど、自衛隊の炊事訓練でも手打ちうどんを作ってた。そんなことやるの香川県だけやと思います」(20代男性) 「香川県いうたら、うどん以外なんもないところやん。大阪にはうどん以外においしいもんがいっぱいある。たこ焼き、お好み焼き、すき焼き、てっちり、てっさ……うどんぐらい香川県にゆずったげてもええんとちゃいまっか?(笑)」(50代男性) 実は大阪うどんのほうが歴史が古い? うどんの歴史を紐解いてみても、平安時代に空海が中国の饂飩(うどん)を故郷の讃岐国に持ち帰ったことが讃岐うどんの発祥という伝説がある。 しかし、現在につながる大阪うどんと讃岐うどんのどちらの歴史が古いかというと、意外にも大阪うどんのほうが古いとの説もある。大阪のうどん事情に詳しい、とあるうどん店店主はこう話す。 「大阪のうどんの歴史は古く、明治時代に『松葉屋』という店できつねうどんが誕生しています。それが大阪中に広まっていき、当時の大阪はまさしく“うどんの本場”にふさわしい場所でした」 1946年創業の老舗「道頓堀今井」。当時から続く看板メニューは甘辛く煮込んだ分厚い揚げがのる「きつねうどん」。当時はうどんといえば大阪だったそうだ 一方、讃岐うどんが香川県で浸透したのは、大阪のきつねうどんよりはるかに遅い戦後なのだと、別のうどん店店主が話す。 「香川県に名産品をつくろうと、昭和25年から30年にかけて、うどんづくりの名人たちが香川をまわって作り方を広めたのが讃岐うどんの原点です。 その名人のひとり、竹川二短男(ふくお)さんが1950年に香川県高松市で『川福』といううどん店を創業。 その息子さんが独立して1968年に大阪の心斎橋で今も残る『川福流手打うどん 川福本店』をオープンすると、そのコシのある麺を食べた大阪人は驚愕、瞬く間に人気店になりました。これを機に大阪で讃岐うどんの知名度が上がることになり、その後は讃岐うどんの本場、香川県への日帰りうどんツアーや“うどん県”といった県のPR活動もあって、『うどん=香川』という現在のイメージが確立されました」 うどん県民もうならせる新勢力「かすうどん」 となると、歴史の古さは大阪、その後の覇権は讃岐ということなのだろうか。 ところで、明石家さんまはなぜ「うどんの本場は大阪」との発言したのか。その真相は大阪に讃岐うどんを流行らせた「川福」に隠されているとの情報も。 「さんまさんは芸人になりたての大阪時代、『川福』に何度も来店するほどお気に入りだったと聞いています」(前出、うどん店店主) 大阪で讃岐うどんを流行らせた「川福流手打うどん 川福本店」のざるうどん。明石家さんまが何度も来店するほどお気に入りとの情報も しかし、きつねうどんを生んだプライドのある大阪は、他県から流入してきた讃岐うどんに浸食されっぱなしではない。 この流れを変えたのが1995年にオープンした“かすうどん”の元祖「加寿屋」だ。 「『油かす』とは大阪の南河内地方で昔から食されてきた郷土料理です。 牛の腸を油でじっくりと時間をかけて揚げ、余分な油分が抜けて肉の旨味が凝縮された、美味でしかも栄養価も高い食材です。 (中略) この『かすうどん』は、1995年の当社店舗のオープンより瞬く間にたくさんのファンを生みました。最近では当社を真似たかすうどん店が多くオープンしているほどです」(加寿屋ホームページより) 「加寿屋」のかすうどん。大阪人にとってはもはやお馴染みのグルメに もはや大阪グルメに欠かすことはできない存在となっており、実際、今回のアンケートでも本場がどこかはともかくとして、かすうどんが一番おいしいと答えた人が複数人いた。 「香川県出身の彼女の両親は『大阪のうどんは(味がいまいちで)食えんなぁ』と言っていましたが、『かすうどんだけは別格でおいしい。また大阪に行ったら食べたい』と言うてました」(30代男性) うどん県民にも認められるほどの、かすうどん。今後、こちらが全国的な覇権を握るようなことがあれば、うどんの本場論争がもうひと盛り上がりすることになるかも。 取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班
讃岐うどん(写真はイメージです)
讃岐うどん(写真はイメージです)

渦中(?)の大阪でも香川派が圧倒しており、論争は決着したに等しい。 では、香川(讃岐うどん)派の意見を紹介しよう。 「うどんと聞いたら、頭の中にポンと『讃岐』『香川県』が浮かんでくる。条件反射やなあ。これは大阪に限らず、もう全国民がそうなんちがう?」(40代女性) 「香川県が元祖なん違う? それに大阪のうどんおいしいですか? 普通やと思うけどなあ」(20代男性) 「ちょっと前まで香川県の善通寺駐屯地にいたけど、自衛隊の炊事訓練でも手打ちうどんを作ってた。そんなことやるの香川県だけやと思います」(20代男性) 「香川県いうたら、うどん以外なんもないところやん。大阪にはうどん以外においしいもんがいっぱいある。たこ焼き、お好み焼き、すき焼き、てっちり、てっさ……うどんぐらい香川県にゆずったげてもええんとちゃいまっか?(笑)」(50代男性) 実は大阪うどんのほうが歴史が古い? うどんの歴史を紐解いてみても、平安時代に空海が中国の饂飩(うどん)を故郷の讃岐国に持ち帰ったことが讃岐うどんの発祥という伝説がある。 しかし、現在につながる大阪うどんと讃岐うどんのどちらの歴史が古いかというと、意外にも大阪うどんのほうが古いとの説もある。大阪のうどん事情に詳しい、とあるうどん店店主はこう話す。 「大阪のうどんの歴史は古く、明治時代に『松葉屋』という店できつねうどんが誕生しています。それが大阪中に広まっていき、当時の大阪はまさしく“うどんの本場”にふさわしい場所でした」 1946年創業の老舗「道頓堀今井」。当時から続く看板メニューは甘辛く煮込んだ分厚い揚げがのる「きつねうどん」。当時はうどんといえば大阪だったそうだ 一方、讃岐うどんが香川県で浸透したのは、大阪のきつねうどんよりはるかに遅い戦後なのだと、別のうどん店店主が話す。 「香川県に名産品をつくろうと、昭和25年から30年にかけて、うどんづくりの名人たちが香川をまわって作り方を広めたのが讃岐うどんの原点です。 その名人のひとり、竹川二短男(ふくお)さんが1950年に香川県高松市で『川福』といううどん店を創業。 その息子さんが独立して1968年に大阪の心斎橋で今も残る『川福流手打うどん 川福本店』をオープンすると、そのコシのある麺を食べた大阪人は驚愕、瞬く間に人気店になりました。これを機に大阪で讃岐うどんの知名度が上がることになり、その後は讃岐うどんの本場、香川県への日帰りうどんツアーや“うどん県”といった県のPR活動もあって、『うどん=香川』という現在のイメージが確立されました」 うどん県民もうならせる新勢力「かすうどん」 となると、歴史の古さは大阪、その後の覇権は讃岐ということなのだろうか。 ところで、明石家さんまはなぜ「うどんの本場は大阪」との発言したのか。その真相は大阪に讃岐うどんを流行らせた「川福」に隠されているとの情報も。 「さんまさんは芸人になりたての大阪時代、『川福』に何度も来店するほどお気に入りだったと聞いています」(前出、うどん店店主) 大阪で讃岐うどんを流行らせた「川福流手打うどん 川福本店」のざるうどん。明石家さんまが何度も来店するほどお気に入りとの情報も しかし、きつねうどんを生んだプライドのある大阪は、他県から流入してきた讃岐うどんに浸食されっぱなしではない。 この流れを変えたのが1995年にオープンした“かすうどん”の元祖「加寿屋」だ。 「『油かす』とは大阪の南河内地方で昔から食されてきた郷土料理です。 牛の腸を油でじっくりと時間をかけて揚げ、余分な油分が抜けて肉の旨味が凝縮された、美味でしかも栄養価も高い食材です。 (中略) この『かすうどん』は、1995年の当社店舗のオープンより瞬く間にたくさんのファンを生みました。最近では当社を真似たかすうどん店が多くオープンしているほどです」(加寿屋ホームページより) 「加寿屋」のかすうどん。大阪人にとってはもはやお馴染みのグルメに もはや大阪グルメに欠かすことはできない存在となっており、実際、今回のアンケートでも本場がどこかはともかくとして、かすうどんが一番おいしいと答えた人が複数人いた。 「香川県出身の彼女の両親は『大阪のうどんは(味がいまいちで)食えんなぁ』と言っていましたが、『かすうどんだけは別格でおいしい。また大阪に行ったら食べたい』と言うてました」(30代男性) うどん県民にも認められるほどの、かすうどん。今後、こちらが全国的な覇権を握るようなことがあれば、うどんの本場論争がもうひと盛り上がりすることになるかも。 取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班
渦中(?)の大阪でも香川派が圧倒しており、論争は決着したに等しい。
では、香川(讃岐うどん)派の意見を紹介しよう。
「うどんと聞いたら、頭の中にポンと『讃岐』『香川県』が浮かんでくる。条件反射やなあ。これは大阪に限らず、もう全国民がそうなんちがう?」(40代女性) 「香川県が元祖なん違う? それに大阪のうどんおいしいですか? 普通やと思うけどなあ」(20代男性) 「ちょっと前まで香川県の善通寺駐屯地にいたけど、自衛隊の炊事訓練でも手打ちうどんを作ってた。そんなことやるの香川県だけやと思います」(20代男性) 「香川県いうたら、うどん以外なんもないところやん。大阪にはうどん以外においしいもんがいっぱいある。たこ焼き、お好み焼き、すき焼き、てっちり、てっさ……うどんぐらい香川県にゆずったげてもええんとちゃいまっか?(笑)」(50代男性) 実は大阪うどんのほうが歴史が古い? うどんの歴史を紐解いてみても、平安時代に空海が中国の饂飩(うどん)を故郷の讃岐国に持ち帰ったことが讃岐うどんの発祥という伝説がある。 しかし、現在につながる大阪うどんと讃岐うどんのどちらの歴史が古いかというと、意外にも大阪うどんのほうが古いとの説もある。大阪のうどん事情に詳しい、とあるうどん店店主はこう話す。 「大阪のうどんの歴史は古く、明治時代に『松葉屋』という店できつねうどんが誕生しています。それが大阪中に広まっていき、当時の大阪はまさしく“うどんの本場”にふさわしい場所でした」 1946年創業の老舗「道頓堀今井」。当時から続く看板メニューは甘辛く煮込んだ分厚い揚げがのる「きつねうどん」。当時はうどんといえば大阪だったそうだ 一方、讃岐うどんが香川県で浸透したのは、大阪のきつねうどんよりはるかに遅い戦後なのだと、別のうどん店店主が話す。 「香川県に名産品をつくろうと、昭和25年から30年にかけて、うどんづくりの名人たちが香川をまわって作り方を広めたのが讃岐うどんの原点です。 その名人のひとり、竹川二短男(ふくお)さんが1950年に香川県高松市で『川福』といううどん店を創業。 その息子さんが独立して1968年に大阪の心斎橋で今も残る『川福流手打うどん 川福本店』をオープンすると、そのコシのある麺を食べた大阪人は驚愕、瞬く間に人気店になりました。これを機に大阪で讃岐うどんの知名度が上がることになり、その後は讃岐うどんの本場、香川県への日帰りうどんツアーや“うどん県”といった県のPR活動もあって、『うどん=香川』という現在のイメージが確立されました」 うどん県民もうならせる新勢力「かすうどん」 となると、歴史の古さは大阪、その後の覇権は讃岐ということなのだろうか。 ところで、明石家さんまはなぜ「うどんの本場は大阪」との発言したのか。その真相は大阪に讃岐うどんを流行らせた「川福」に隠されているとの情報も。 「さんまさんは芸人になりたての大阪時代、『川福』に何度も来店するほどお気に入りだったと聞いています」(前出、うどん店店主) 大阪で讃岐うどんを流行らせた「川福流手打うどん 川福本店」のざるうどん。明石家さんまが何度も来店するほどお気に入りとの情報も しかし、きつねうどんを生んだプライドのある大阪は、他県から流入してきた讃岐うどんに浸食されっぱなしではない。 この流れを変えたのが1995年にオープンした“かすうどん”の元祖「加寿屋」だ。 「『油かす』とは大阪の南河内地方で昔から食されてきた郷土料理です。 牛の腸を油でじっくりと時間をかけて揚げ、余分な油分が抜けて肉の旨味が凝縮された、美味でしかも栄養価も高い食材です。 (中略) この『かすうどん』は、1995年の当社店舗のオープンより瞬く間にたくさんのファンを生みました。最近では当社を真似たかすうどん店が多くオープンしているほどです」(加寿屋ホームページより) 「加寿屋」のかすうどん。大阪人にとってはもはやお馴染みのグルメに もはや大阪グルメに欠かすことはできない存在となっており、実際、今回のアンケートでも本場がどこかはともかくとして、かすうどんが一番おいしいと答えた人が複数人いた。 「香川県出身の彼女の両親は『大阪のうどんは(味がいまいちで)食えんなぁ』と言っていましたが、『かすうどんだけは別格でおいしい。また大阪に行ったら食べたい』と言うてました」(30代男性) うどん県民にも認められるほどの、かすうどん。今後、こちらが全国的な覇権を握るようなことがあれば、うどんの本場論争がもうひと盛り上がりすることになるかも。 取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班
「うどんと聞いたら、頭の中にポンと『讃岐』『香川県』が浮かんでくる。条件反射やなあ。これは大阪に限らず、もう全国民がそうなんちがう?」(40代女性)
「香川県が元祖なん違う? それに大阪のうどんおいしいですか? 普通やと思うけどなあ」(20代男性) 「ちょっと前まで香川県の善通寺駐屯地にいたけど、自衛隊の炊事訓練でも手打ちうどんを作ってた。そんなことやるの香川県だけやと思います」(20代男性) 「香川県いうたら、うどん以外なんもないところやん。大阪にはうどん以外においしいもんがいっぱいある。たこ焼き、お好み焼き、すき焼き、てっちり、てっさ……うどんぐらい香川県にゆずったげてもええんとちゃいまっか?(笑)」(50代男性) 実は大阪うどんのほうが歴史が古い? うどんの歴史を紐解いてみても、平安時代に空海が中国の饂飩(うどん)を故郷の讃岐国に持ち帰ったことが讃岐うどんの発祥という伝説がある。 しかし、現在につながる大阪うどんと讃岐うどんのどちらの歴史が古いかというと、意外にも大阪うどんのほうが古いとの説もある。大阪のうどん事情に詳しい、とあるうどん店店主はこう話す。 「大阪のうどんの歴史は古く、明治時代に『松葉屋』という店できつねうどんが誕生しています。それが大阪中に広まっていき、当時の大阪はまさしく“うどんの本場”にふさわしい場所でした」 1946年創業の老舗「道頓堀今井」。当時から続く看板メニューは甘辛く煮込んだ分厚い揚げがのる「きつねうどん」。当時はうどんといえば大阪だったそうだ 一方、讃岐うどんが香川県で浸透したのは、大阪のきつねうどんよりはるかに遅い戦後なのだと、別のうどん店店主が話す。 「香川県に名産品をつくろうと、昭和25年から30年にかけて、うどんづくりの名人たちが香川をまわって作り方を広めたのが讃岐うどんの原点です。 その名人のひとり、竹川二短男(ふくお)さんが1950年に香川県高松市で『川福』といううどん店を創業。 その息子さんが独立して1968年に大阪の心斎橋で今も残る『川福流手打うどん 川福本店』をオープンすると、そのコシのある麺を食べた大阪人は驚愕、瞬く間に人気店になりました。これを機に大阪で讃岐うどんの知名度が上がることになり、その後は讃岐うどんの本場、香川県への日帰りうどんツアーや“うどん県”といった県のPR活動もあって、『うどん=香川』という現在のイメージが確立されました」 うどん県民もうならせる新勢力「かすうどん」 となると、歴史の古さは大阪、その後の覇権は讃岐ということなのだろうか。 ところで、明石家さんまはなぜ「うどんの本場は大阪」との発言したのか。その真相は大阪に讃岐うどんを流行らせた「川福」に隠されているとの情報も。 「さんまさんは芸人になりたての大阪時代、『川福』に何度も来店するほどお気に入りだったと聞いています」(前出、うどん店店主) 大阪で讃岐うどんを流行らせた「川福流手打うどん 川福本店」のざるうどん。明石家さんまが何度も来店するほどお気に入りとの情報も しかし、きつねうどんを生んだプライドのある大阪は、他県から流入してきた讃岐うどんに浸食されっぱなしではない。 この流れを変えたのが1995年にオープンした“かすうどん”の元祖「加寿屋」だ。 「『油かす』とは大阪の南河内地方で昔から食されてきた郷土料理です。 牛の腸を油でじっくりと時間をかけて揚げ、余分な油分が抜けて肉の旨味が凝縮された、美味でしかも栄養価も高い食材です。 (中略) この『かすうどん』は、1995年の当社店舗のオープンより瞬く間にたくさんのファンを生みました。最近では当社を真似たかすうどん店が多くオープンしているほどです」(加寿屋ホームページより) 「加寿屋」のかすうどん。大阪人にとってはもはやお馴染みのグルメに もはや大阪グルメに欠かすことはできない存在となっており、実際、今回のアンケートでも本場がどこかはともかくとして、かすうどんが一番おいしいと答えた人が複数人いた。 「香川県出身の彼女の両親は『大阪のうどんは(味がいまいちで)食えんなぁ』と言っていましたが、『かすうどんだけは別格でおいしい。また大阪に行ったら食べたい』と言うてました」(30代男性) うどん県民にも認められるほどの、かすうどん。今後、こちらが全国的な覇権を握るようなことがあれば、うどんの本場論争がもうひと盛り上がりすることになるかも。 取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班
「香川県が元祖なん違う? それに大阪のうどんおいしいですか? 普通やと思うけどなあ」(20代男性)
「ちょっと前まで香川県の善通寺駐屯地にいたけど、自衛隊の炊事訓練でも手打ちうどんを作ってた。そんなことやるの香川県だけやと思います」(20代男性) 「香川県いうたら、うどん以外なんもないところやん。大阪にはうどん以外においしいもんがいっぱいある。たこ焼き、お好み焼き、すき焼き、てっちり、てっさ……うどんぐらい香川県にゆずったげてもええんとちゃいまっか?(笑)」(50代男性) 実は大阪うどんのほうが歴史が古い? うどんの歴史を紐解いてみても、平安時代に空海が中国の饂飩(うどん)を故郷の讃岐国に持ち帰ったことが讃岐うどんの発祥という伝説がある。 しかし、現在につながる大阪うどんと讃岐うどんのどちらの歴史が古いかというと、意外にも大阪うどんのほうが古いとの説もある。大阪のうどん事情に詳しい、とあるうどん店店主はこう話す。 「大阪のうどんの歴史は古く、明治時代に『松葉屋』という店できつねうどんが誕生しています。それが大阪中に広まっていき、当時の大阪はまさしく“うどんの本場”にふさわしい場所でした」 1946年創業の老舗「道頓堀今井」。当時から続く看板メニューは甘辛く煮込んだ分厚い揚げがのる「きつねうどん」。当時はうどんといえば大阪だったそうだ 一方、讃岐うどんが香川県で浸透したのは、大阪のきつねうどんよりはるかに遅い戦後なのだと、別のうどん店店主が話す。 「香川県に名産品をつくろうと、昭和25年から30年にかけて、うどんづくりの名人たちが香川をまわって作り方を広めたのが讃岐うどんの原点です。 その名人のひとり、竹川二短男(ふくお)さんが1950年に香川県高松市で『川福』といううどん店を創業。 その息子さんが独立して1968年に大阪の心斎橋で今も残る『川福流手打うどん 川福本店』をオープンすると、そのコシのある麺を食べた大阪人は驚愕、瞬く間に人気店になりました。これを機に大阪で讃岐うどんの知名度が上がることになり、その後は讃岐うどんの本場、香川県への日帰りうどんツアーや“うどん県”といった県のPR活動もあって、『うどん=香川』という現在のイメージが確立されました」 うどん県民もうならせる新勢力「かすうどん」 となると、歴史の古さは大阪、その後の覇権は讃岐ということなのだろうか。 ところで、明石家さんまはなぜ「うどんの本場は大阪」との発言したのか。その真相は大阪に讃岐うどんを流行らせた「川福」に隠されているとの情報も。 「さんまさんは芸人になりたての大阪時代、『川福』に何度も来店するほどお気に入りだったと聞いています」(前出、うどん店店主) 大阪で讃岐うどんを流行らせた「川福流手打うどん 川福本店」のざるうどん。明石家さんまが何度も来店するほどお気に入りとの情報も しかし、きつねうどんを生んだプライドのある大阪は、他県から流入してきた讃岐うどんに浸食されっぱなしではない。 この流れを変えたのが1995年にオープンした“かすうどん”の元祖「加寿屋」だ。 「『油かす』とは大阪の南河内地方で昔から食されてきた郷土料理です。 牛の腸を油でじっくりと時間をかけて揚げ、余分な油分が抜けて肉の旨味が凝縮された、美味でしかも栄養価も高い食材です。 (中略) この『かすうどん』は、1995年の当社店舗のオープンより瞬く間にたくさんのファンを生みました。最近では当社を真似たかすうどん店が多くオープンしているほどです」(加寿屋ホームページより) 「加寿屋」のかすうどん。大阪人にとってはもはやお馴染みのグルメに もはや大阪グルメに欠かすことはできない存在となっており、実際、今回のアンケートでも本場がどこかはともかくとして、かすうどんが一番おいしいと答えた人が複数人いた。 「香川県出身の彼女の両親は『大阪のうどんは(味がいまいちで)食えんなぁ』と言っていましたが、『かすうどんだけは別格でおいしい。また大阪に行ったら食べたい』と言うてました」(30代男性) うどん県民にも認められるほどの、かすうどん。今後、こちらが全国的な覇権を握るようなことがあれば、うどんの本場論争がもうひと盛り上がりすることになるかも。 取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班
「ちょっと前まで香川県の善通寺駐屯地にいたけど、自衛隊の炊事訓練でも手打ちうどんを作ってた。そんなことやるの香川県だけやと思います」(20代男性)
「香川県いうたら、うどん以外なんもないところやん。大阪にはうどん以外においしいもんがいっぱいある。たこ焼き、お好み焼き、すき焼き、てっちり、てっさ……うどんぐらい香川県にゆずったげてもええんとちゃいまっか?(笑)」(50代男性) 実は大阪うどんのほうが歴史が古い? うどんの歴史を紐解いてみても、平安時代に空海が中国の饂飩(うどん)を故郷の讃岐国に持ち帰ったことが讃岐うどんの発祥という伝説がある。 しかし、現在につながる大阪うどんと讃岐うどんのどちらの歴史が古いかというと、意外にも大阪うどんのほうが古いとの説もある。大阪のうどん事情に詳しい、とあるうどん店店主はこう話す。 「大阪のうどんの歴史は古く、明治時代に『松葉屋』という店できつねうどんが誕生しています。それが大阪中に広まっていき、当時の大阪はまさしく“うどんの本場”にふさわしい場所でした」 1946年創業の老舗「道頓堀今井」。当時から続く看板メニューは甘辛く煮込んだ分厚い揚げがのる「きつねうどん」。当時はうどんといえば大阪だったそうだ 一方、讃岐うどんが香川県で浸透したのは、大阪のきつねうどんよりはるかに遅い戦後なのだと、別のうどん店店主が話す。 「香川県に名産品をつくろうと、昭和25年から30年にかけて、うどんづくりの名人たちが香川をまわって作り方を広めたのが讃岐うどんの原点です。 その名人のひとり、竹川二短男(ふくお)さんが1950年に香川県高松市で『川福』といううどん店を創業。 その息子さんが独立して1968年に大阪の心斎橋で今も残る『川福流手打うどん 川福本店』をオープンすると、そのコシのある麺を食べた大阪人は驚愕、瞬く間に人気店になりました。これを機に大阪で讃岐うどんの知名度が上がることになり、その後は讃岐うどんの本場、香川県への日帰りうどんツアーや“うどん県”といった県のPR活動もあって、『うどん=香川』という現在のイメージが確立されました」 うどん県民もうならせる新勢力「かすうどん」 となると、歴史の古さは大阪、その後の覇権は讃岐ということなのだろうか。 ところで、明石家さんまはなぜ「うどんの本場は大阪」との発言したのか。その真相は大阪に讃岐うどんを流行らせた「川福」に隠されているとの情報も。 「さんまさんは芸人になりたての大阪時代、『川福』に何度も来店するほどお気に入りだったと聞いています」(前出、うどん店店主) 大阪で讃岐うどんを流行らせた「川福流手打うどん 川福本店」のざるうどん。明石家さんまが何度も来店するほどお気に入りとの情報も しかし、きつねうどんを生んだプライドのある大阪は、他県から流入してきた讃岐うどんに浸食されっぱなしではない。 この流れを変えたのが1995年にオープンした“かすうどん”の元祖「加寿屋」だ。 「『油かす』とは大阪の南河内地方で昔から食されてきた郷土料理です。 牛の腸を油でじっくりと時間をかけて揚げ、余分な油分が抜けて肉の旨味が凝縮された、美味でしかも栄養価も高い食材です。 (中略) この『かすうどん』は、1995年の当社店舗のオープンより瞬く間にたくさんのファンを生みました。最近では当社を真似たかすうどん店が多くオープンしているほどです」(加寿屋ホームページより) 「加寿屋」のかすうどん。大阪人にとってはもはやお馴染みのグルメに もはや大阪グルメに欠かすことはできない存在となっており、実際、今回のアンケートでも本場がどこかはともかくとして、かすうどんが一番おいしいと答えた人が複数人いた。 「香川県出身の彼女の両親は『大阪のうどんは(味がいまいちで)食えんなぁ』と言っていましたが、『かすうどんだけは別格でおいしい。また大阪に行ったら食べたい』と言うてました」(30代男性) うどん県民にも認められるほどの、かすうどん。今後、こちらが全国的な覇権を握るようなことがあれば、うどんの本場論争がもうひと盛り上がりすることになるかも。 取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班
「香川県いうたら、うどん以外なんもないところやん。大阪にはうどん以外においしいもんがいっぱいある。たこ焼き、お好み焼き、すき焼き、てっちり、てっさ……うどんぐらい香川県にゆずったげてもええんとちゃいまっか?(笑)」(50代男性)
実は大阪うどんのほうが歴史が古い? うどんの歴史を紐解いてみても、平安時代に空海が中国の饂飩(うどん)を故郷の讃岐国に持ち帰ったことが讃岐うどんの発祥という伝説がある。 しかし、現在につながる大阪うどんと讃岐うどんのどちらの歴史が古いかというと、意外にも大阪うどんのほうが古いとの説もある。大阪のうどん事情に詳しい、とあるうどん店店主はこう話す。 「大阪のうどんの歴史は古く、明治時代に『松葉屋』という店できつねうどんが誕生しています。それが大阪中に広まっていき、当時の大阪はまさしく“うどんの本場”にふさわしい場所でした」 1946年創業の老舗「道頓堀今井」。当時から続く看板メニューは甘辛く煮込んだ分厚い揚げがのる「きつねうどん」。当時はうどんといえば大阪だったそうだ 一方、讃岐うどんが香川県で浸透したのは、大阪のきつねうどんよりはるかに遅い戦後なのだと、別のうどん店店主が話す。 「香川県に名産品をつくろうと、昭和25年から30年にかけて、うどんづくりの名人たちが香川をまわって作り方を広めたのが讃岐うどんの原点です。 その名人のひとり、竹川二短男(ふくお)さんが1950年に香川県高松市で『川福』といううどん店を創業。 その息子さんが独立して1968年に大阪の心斎橋で今も残る『川福流手打うどん 川福本店』をオープンすると、そのコシのある麺を食べた大阪人は驚愕、瞬く間に人気店になりました。これを機に大阪で讃岐うどんの知名度が上がることになり、その後は讃岐うどんの本場、香川県への日帰りうどんツアーや“うどん県”といった県のPR活動もあって、『うどん=香川』という現在のイメージが確立されました」 うどん県民もうならせる新勢力「かすうどん」 となると、歴史の古さは大阪、その後の覇権は讃岐ということなのだろうか。 ところで、明石家さんまはなぜ「うどんの本場は大阪」との発言したのか。その真相は大阪に讃岐うどんを流行らせた「川福」に隠されているとの情報も。 「さんまさんは芸人になりたての大阪時代、『川福』に何度も来店するほどお気に入りだったと聞いています」(前出、うどん店店主) 大阪で讃岐うどんを流行らせた「川福流手打うどん 川福本店」のざるうどん。明石家さんまが何度も来店するほどお気に入りとの情報も しかし、きつねうどんを生んだプライドのある大阪は、他県から流入してきた讃岐うどんに浸食されっぱなしではない。 この流れを変えたのが1995年にオープンした“かすうどん”の元祖「加寿屋」だ。 「『油かす』とは大阪の南河内地方で昔から食されてきた郷土料理です。 牛の腸を油でじっくりと時間をかけて揚げ、余分な油分が抜けて肉の旨味が凝縮された、美味でしかも栄養価も高い食材です。 (中略) この『かすうどん』は、1995年の当社店舗のオープンより瞬く間にたくさんのファンを生みました。最近では当社を真似たかすうどん店が多くオープンしているほどです」(加寿屋ホームページより) 「加寿屋」のかすうどん。大阪人にとってはもはやお馴染みのグルメに もはや大阪グルメに欠かすことはできない存在となっており、実際、今回のアンケートでも本場がどこかはともかくとして、かすうどんが一番おいしいと答えた人が複数人いた。 「香川県出身の彼女の両親は『大阪のうどんは(味がいまいちで)食えんなぁ』と言っていましたが、『かすうどんだけは別格でおいしい。また大阪に行ったら食べたい』と言うてました」(30代男性) うどん県民にも認められるほどの、かすうどん。今後、こちらが全国的な覇権を握るようなことがあれば、うどんの本場論争がもうひと盛り上がりすることになるかも。 取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班
実は大阪うどんのほうが歴史が古い? うどんの歴史を紐解いてみても、平安時代に空海が中国の饂飩(うどん)を故郷の讃岐国に持ち帰ったことが讃岐うどんの発祥という伝説がある。 しかし、現在につながる大阪うどんと讃岐うどんのどちらの歴史が古いかというと、意外にも大阪うどんのほうが古いとの説もある。大阪のうどん事情に詳しい、とあるうどん店店主はこう話す。 「大阪のうどんの歴史は古く、明治時代に『松葉屋』という店できつねうどんが誕生しています。それが大阪中に広まっていき、当時の大阪はまさしく“うどんの本場”にふさわしい場所でした」 1946年創業の老舗「道頓堀今井」。当時から続く看板メニューは甘辛く煮込んだ分厚い揚げがのる「きつねうどん」。当時はうどんといえば大阪だったそうだ 一方、讃岐うどんが香川県で浸透したのは、大阪のきつねうどんよりはるかに遅い戦後なのだと、別のうどん店店主が話す。 「香川県に名産品をつくろうと、昭和25年から30年にかけて、うどんづくりの名人たちが香川をまわって作り方を広めたのが讃岐うどんの原点です。 その名人のひとり、竹川二短男(ふくお)さんが1950年に香川県高松市で『川福』といううどん店を創業。 その息子さんが独立して1968年に大阪の心斎橋で今も残る『川福流手打うどん 川福本店』をオープンすると、そのコシのある麺を食べた大阪人は驚愕、瞬く間に人気店になりました。これを機に大阪で讃岐うどんの知名度が上がることになり、その後は讃岐うどんの本場、香川県への日帰りうどんツアーや“うどん県”といった県のPR活動もあって、『うどん=香川』という現在のイメージが確立されました」 うどん県民もうならせる新勢力「かすうどん」 となると、歴史の古さは大阪、その後の覇権は讃岐ということなのだろうか。 ところで、明石家さんまはなぜ「うどんの本場は大阪」との発言したのか。その真相は大阪に讃岐うどんを流行らせた「川福」に隠されているとの情報も。 「さんまさんは芸人になりたての大阪時代、『川福』に何度も来店するほどお気に入りだったと聞いています」(前出、うどん店店主) 大阪で讃岐うどんを流行らせた「川福流手打うどん 川福本店」のざるうどん。明石家さんまが何度も来店するほどお気に入りとの情報も しかし、きつねうどんを生んだプライドのある大阪は、他県から流入してきた讃岐うどんに浸食されっぱなしではない。 この流れを変えたのが1995年にオープンした“かすうどん”の元祖「加寿屋」だ。 「『油かす』とは大阪の南河内地方で昔から食されてきた郷土料理です。 牛の腸を油でじっくりと時間をかけて揚げ、余分な油分が抜けて肉の旨味が凝縮された、美味でしかも栄養価も高い食材です。 (中略) この『かすうどん』は、1995年の当社店舗のオープンより瞬く間にたくさんのファンを生みました。最近では当社を真似たかすうどん店が多くオープンしているほどです」(加寿屋ホームページより) 「加寿屋」のかすうどん。大阪人にとってはもはやお馴染みのグルメに もはや大阪グルメに欠かすことはできない存在となっており、実際、今回のアンケートでも本場がどこかはともかくとして、かすうどんが一番おいしいと答えた人が複数人いた。 「香川県出身の彼女の両親は『大阪のうどんは(味がいまいちで)食えんなぁ』と言っていましたが、『かすうどんだけは別格でおいしい。また大阪に行ったら食べたい』と言うてました」(30代男性) うどん県民にも認められるほどの、かすうどん。今後、こちらが全国的な覇権を握るようなことがあれば、うどんの本場論争がもうひと盛り上がりすることになるかも。 取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班
うどんの歴史を紐解いてみても、平安時代に空海が中国の饂飩(うどん)を故郷の讃岐国に持ち帰ったことが讃岐うどんの発祥という伝説がある。 しかし、現在につながる大阪うどんと讃岐うどんのどちらの歴史が古いかというと、意外にも大阪うどんのほうが古いとの説もある。大阪のうどん事情に詳しい、とあるうどん店店主はこう話す。 「大阪のうどんの歴史は古く、明治時代に『松葉屋』という店できつねうどんが誕生しています。それが大阪中に広まっていき、当時の大阪はまさしく“うどんの本場”にふさわしい場所でした」 1946年創業の老舗「道頓堀今井」。当時から続く看板メニューは甘辛く煮込んだ分厚い揚げがのる「きつねうどん」。当時はうどんといえば大阪だったそうだ 一方、讃岐うどんが香川県で浸透したのは、大阪のきつねうどんよりはるかに遅い戦後なのだと、別のうどん店店主が話す。 「香川県に名産品をつくろうと、昭和25年から30年にかけて、うどんづくりの名人たちが香川をまわって作り方を広めたのが讃岐うどんの原点です。 その名人のひとり、竹川二短男(ふくお)さんが1950年に香川県高松市で『川福』といううどん店を創業。 その息子さんが独立して1968年に大阪の心斎橋で今も残る『川福流手打うどん 川福本店』をオープンすると、そのコシのある麺を食べた大阪人は驚愕、瞬く間に人気店になりました。これを機に大阪で讃岐うどんの知名度が上がることになり、その後は讃岐うどんの本場、香川県への日帰りうどんツアーや“うどん県”といった県のPR活動もあって、『うどん=香川』という現在のイメージが確立されました」 うどん県民もうならせる新勢力「かすうどん」 となると、歴史の古さは大阪、その後の覇権は讃岐ということなのだろうか。 ところで、明石家さんまはなぜ「うどんの本場は大阪」との発言したのか。その真相は大阪に讃岐うどんを流行らせた「川福」に隠されているとの情報も。 「さんまさんは芸人になりたての大阪時代、『川福』に何度も来店するほどお気に入りだったと聞いています」(前出、うどん店店主) 大阪で讃岐うどんを流行らせた「川福流手打うどん 川福本店」のざるうどん。明石家さんまが何度も来店するほどお気に入りとの情報も しかし、きつねうどんを生んだプライドのある大阪は、他県から流入してきた讃岐うどんに浸食されっぱなしではない。 この流れを変えたのが1995年にオープンした“かすうどん”の元祖「加寿屋」だ。 「『油かす』とは大阪の南河内地方で昔から食されてきた郷土料理です。 牛の腸を油でじっくりと時間をかけて揚げ、余分な油分が抜けて肉の旨味が凝縮された、美味でしかも栄養価も高い食材です。 (中略) この『かすうどん』は、1995年の当社店舗のオープンより瞬く間にたくさんのファンを生みました。最近では当社を真似たかすうどん店が多くオープンしているほどです」(加寿屋ホームページより) 「加寿屋」のかすうどん。大阪人にとってはもはやお馴染みのグルメに もはや大阪グルメに欠かすことはできない存在となっており、実際、今回のアンケートでも本場がどこかはともかくとして、かすうどんが一番おいしいと答えた人が複数人いた。 「香川県出身の彼女の両親は『大阪のうどんは(味がいまいちで)食えんなぁ』と言っていましたが、『かすうどんだけは別格でおいしい。また大阪に行ったら食べたい』と言うてました」(30代男性) うどん県民にも認められるほどの、かすうどん。今後、こちらが全国的な覇権を握るようなことがあれば、うどんの本場論争がもうひと盛り上がりすることになるかも。 取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班
うどんの歴史を紐解いてみても、平安時代に空海が中国の饂飩(うどん)を故郷の讃岐国に持ち帰ったことが讃岐うどんの発祥という伝説がある。
しかし、現在につながる大阪うどんと讃岐うどんのどちらの歴史が古いかというと、意外にも大阪うどんのほうが古いとの説もある。大阪のうどん事情に詳しい、とあるうどん店店主はこう話す。 「大阪のうどんの歴史は古く、明治時代に『松葉屋』という店できつねうどんが誕生しています。それが大阪中に広まっていき、当時の大阪はまさしく“うどんの本場”にふさわしい場所でした」 1946年創業の老舗「道頓堀今井」。当時から続く看板メニューは甘辛く煮込んだ分厚い揚げがのる「きつねうどん」。当時はうどんといえば大阪だったそうだ 一方、讃岐うどんが香川県で浸透したのは、大阪のきつねうどんよりはるかに遅い戦後なのだと、別のうどん店店主が話す。 「香川県に名産品をつくろうと、昭和25年から30年にかけて、うどんづくりの名人たちが香川をまわって作り方を広めたのが讃岐うどんの原点です。 その名人のひとり、竹川二短男(ふくお)さんが1950年に香川県高松市で『川福』といううどん店を創業。 その息子さんが独立して1968年に大阪の心斎橋で今も残る『川福流手打うどん 川福本店』をオープンすると、そのコシのある麺を食べた大阪人は驚愕、瞬く間に人気店になりました。これを機に大阪で讃岐うどんの知名度が上がることになり、その後は讃岐うどんの本場、香川県への日帰りうどんツアーや“うどん県”といった県のPR活動もあって、『うどん=香川』という現在のイメージが確立されました」 うどん県民もうならせる新勢力「かすうどん」 となると、歴史の古さは大阪、その後の覇権は讃岐ということなのだろうか。 ところで、明石家さんまはなぜ「うどんの本場は大阪」との発言したのか。その真相は大阪に讃岐うどんを流行らせた「川福」に隠されているとの情報も。 「さんまさんは芸人になりたての大阪時代、『川福』に何度も来店するほどお気に入りだったと聞いています」(前出、うどん店店主) 大阪で讃岐うどんを流行らせた「川福流手打うどん 川福本店」のざるうどん。明石家さんまが何度も来店するほどお気に入りとの情報も しかし、きつねうどんを生んだプライドのある大阪は、他県から流入してきた讃岐うどんに浸食されっぱなしではない。 この流れを変えたのが1995年にオープンした“かすうどん”の元祖「加寿屋」だ。 「『油かす』とは大阪の南河内地方で昔から食されてきた郷土料理です。 牛の腸を油でじっくりと時間をかけて揚げ、余分な油分が抜けて肉の旨味が凝縮された、美味でしかも栄養価も高い食材です。 (中略) この『かすうどん』は、1995年の当社店舗のオープンより瞬く間にたくさんのファンを生みました。最近では当社を真似たかすうどん店が多くオープンしているほどです」(加寿屋ホームページより) 「加寿屋」のかすうどん。大阪人にとってはもはやお馴染みのグルメに もはや大阪グルメに欠かすことはできない存在となっており、実際、今回のアンケートでも本場がどこかはともかくとして、かすうどんが一番おいしいと答えた人が複数人いた。 「香川県出身の彼女の両親は『大阪のうどんは(味がいまいちで)食えんなぁ』と言っていましたが、『かすうどんだけは別格でおいしい。また大阪に行ったら食べたい』と言うてました」(30代男性) うどん県民にも認められるほどの、かすうどん。今後、こちらが全国的な覇権を握るようなことがあれば、うどんの本場論争がもうひと盛り上がりすることになるかも。 取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班
しかし、現在につながる大阪うどんと讃岐うどんのどちらの歴史が古いかというと、意外にも大阪うどんのほうが古いとの説もある。大阪のうどん事情に詳しい、とあるうどん店店主はこう話す。
「大阪のうどんの歴史は古く、明治時代に『松葉屋』という店できつねうどんが誕生しています。それが大阪中に広まっていき、当時の大阪はまさしく“うどんの本場”にふさわしい場所でした」 1946年創業の老舗「道頓堀今井」。当時から続く看板メニューは甘辛く煮込んだ分厚い揚げがのる「きつねうどん」。当時はうどんといえば大阪だったそうだ 一方、讃岐うどんが香川県で浸透したのは、大阪のきつねうどんよりはるかに遅い戦後なのだと、別のうどん店店主が話す。 「香川県に名産品をつくろうと、昭和25年から30年にかけて、うどんづくりの名人たちが香川をまわって作り方を広めたのが讃岐うどんの原点です。 その名人のひとり、竹川二短男(ふくお)さんが1950年に香川県高松市で『川福』といううどん店を創業。 その息子さんが独立して1968年に大阪の心斎橋で今も残る『川福流手打うどん 川福本店』をオープンすると、そのコシのある麺を食べた大阪人は驚愕、瞬く間に人気店になりました。これを機に大阪で讃岐うどんの知名度が上がることになり、その後は讃岐うどんの本場、香川県への日帰りうどんツアーや“うどん県”といった県のPR活動もあって、『うどん=香川』という現在のイメージが確立されました」 うどん県民もうならせる新勢力「かすうどん」 となると、歴史の古さは大阪、その後の覇権は讃岐ということなのだろうか。 ところで、明石家さんまはなぜ「うどんの本場は大阪」との発言したのか。その真相は大阪に讃岐うどんを流行らせた「川福」に隠されているとの情報も。 「さんまさんは芸人になりたての大阪時代、『川福』に何度も来店するほどお気に入りだったと聞いています」(前出、うどん店店主) 大阪で讃岐うどんを流行らせた「川福流手打うどん 川福本店」のざるうどん。明石家さんまが何度も来店するほどお気に入りとの情報も しかし、きつねうどんを生んだプライドのある大阪は、他県から流入してきた讃岐うどんに浸食されっぱなしではない。 この流れを変えたのが1995年にオープンした“かすうどん”の元祖「加寿屋」だ。 「『油かす』とは大阪の南河内地方で昔から食されてきた郷土料理です。 牛の腸を油でじっくりと時間をかけて揚げ、余分な油分が抜けて肉の旨味が凝縮された、美味でしかも栄養価も高い食材です。 (中略) この『かすうどん』は、1995年の当社店舗のオープンより瞬く間にたくさんのファンを生みました。最近では当社を真似たかすうどん店が多くオープンしているほどです」(加寿屋ホームページより) 「加寿屋」のかすうどん。大阪人にとってはもはやお馴染みのグルメに もはや大阪グルメに欠かすことはできない存在となっており、実際、今回のアンケートでも本場がどこかはともかくとして、かすうどんが一番おいしいと答えた人が複数人いた。 「香川県出身の彼女の両親は『大阪のうどんは(味がいまいちで)食えんなぁ』と言っていましたが、『かすうどんだけは別格でおいしい。また大阪に行ったら食べたい』と言うてました」(30代男性) うどん県民にも認められるほどの、かすうどん。今後、こちらが全国的な覇権を握るようなことがあれば、うどんの本場論争がもうひと盛り上がりすることになるかも。 取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班
「大阪のうどんの歴史は古く、明治時代に『松葉屋』という店できつねうどんが誕生しています。それが大阪中に広まっていき、当時の大阪はまさしく“うどんの本場”にふさわしい場所でした」
1946年創業の老舗「道頓堀今井」。当時から続く看板メニューは甘辛く煮込んだ分厚い揚げがのる「きつねうどん」。当時はうどんといえば大阪だったそうだ 一方、讃岐うどんが香川県で浸透したのは、大阪のきつねうどんよりはるかに遅い戦後なのだと、別のうどん店店主が話す。 「香川県に名産品をつくろうと、昭和25年から30年にかけて、うどんづくりの名人たちが香川をまわって作り方を広めたのが讃岐うどんの原点です。 その名人のひとり、竹川二短男(ふくお)さんが1950年に香川県高松市で『川福』といううどん店を創業。 その息子さんが独立して1968年に大阪の心斎橋で今も残る『川福流手打うどん 川福本店』をオープンすると、そのコシのある麺を食べた大阪人は驚愕、瞬く間に人気店になりました。これを機に大阪で讃岐うどんの知名度が上がることになり、その後は讃岐うどんの本場、香川県への日帰りうどんツアーや“うどん県”といった県のPR活動もあって、『うどん=香川』という現在のイメージが確立されました」 うどん県民もうならせる新勢力「かすうどん」 となると、歴史の古さは大阪、その後の覇権は讃岐ということなのだろうか。 ところで、明石家さんまはなぜ「うどんの本場は大阪」との発言したのか。その真相は大阪に讃岐うどんを流行らせた「川福」に隠されているとの情報も。 「さんまさんは芸人になりたての大阪時代、『川福』に何度も来店するほどお気に入りだったと聞いています」(前出、うどん店店主) 大阪で讃岐うどんを流行らせた「川福流手打うどん 川福本店」のざるうどん。明石家さんまが何度も来店するほどお気に入りとの情報も しかし、きつねうどんを生んだプライドのある大阪は、他県から流入してきた讃岐うどんに浸食されっぱなしではない。 この流れを変えたのが1995年にオープンした“かすうどん”の元祖「加寿屋」だ。 「『油かす』とは大阪の南河内地方で昔から食されてきた郷土料理です。 牛の腸を油でじっくりと時間をかけて揚げ、余分な油分が抜けて肉の旨味が凝縮された、美味でしかも栄養価も高い食材です。 (中略) この『かすうどん』は、1995年の当社店舗のオープンより瞬く間にたくさんのファンを生みました。最近では当社を真似たかすうどん店が多くオープンしているほどです」(加寿屋ホームページより) 「加寿屋」のかすうどん。大阪人にとってはもはやお馴染みのグルメに もはや大阪グルメに欠かすことはできない存在となっており、実際、今回のアンケートでも本場がどこかはともかくとして、かすうどんが一番おいしいと答えた人が複数人いた。 「香川県出身の彼女の両親は『大阪のうどんは(味がいまいちで)食えんなぁ』と言っていましたが、『かすうどんだけは別格でおいしい。また大阪に行ったら食べたい』と言うてました」(30代男性) うどん県民にも認められるほどの、かすうどん。今後、こちらが全国的な覇権を握るようなことがあれば、うどんの本場論争がもうひと盛り上がりすることになるかも。 取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班
1946年創業の老舗「道頓堀今井」。当時から続く看板メニューは甘辛く煮込んだ分厚い揚げがのる「きつねうどん」。当時はうどんといえば大阪だったそうだ 一方、讃岐うどんが香川県で浸透したのは、大阪のきつねうどんよりはるかに遅い戦後なのだと、別のうどん店店主が話す。 「香川県に名産品をつくろうと、昭和25年から30年にかけて、うどんづくりの名人たちが香川をまわって作り方を広めたのが讃岐うどんの原点です。 その名人のひとり、竹川二短男(ふくお)さんが1950年に香川県高松市で『川福』といううどん店を創業。 その息子さんが独立して1968年に大阪の心斎橋で今も残る『川福流手打うどん 川福本店』をオープンすると、そのコシのある麺を食べた大阪人は驚愕、瞬く間に人気店になりました。これを機に大阪で讃岐うどんの知名度が上がることになり、その後は讃岐うどんの本場、香川県への日帰りうどんツアーや“うどん県”といった県のPR活動もあって、『うどん=香川』という現在のイメージが確立されました」 うどん県民もうならせる新勢力「かすうどん」 となると、歴史の古さは大阪、その後の覇権は讃岐ということなのだろうか。 ところで、明石家さんまはなぜ「うどんの本場は大阪」との発言したのか。その真相は大阪に讃岐うどんを流行らせた「川福」に隠されているとの情報も。 「さんまさんは芸人になりたての大阪時代、『川福』に何度も来店するほどお気に入りだったと聞いています」(前出、うどん店店主) 大阪で讃岐うどんを流行らせた「川福流手打うどん 川福本店」のざるうどん。明石家さんまが何度も来店するほどお気に入りとの情報も しかし、きつねうどんを生んだプライドのある大阪は、他県から流入してきた讃岐うどんに浸食されっぱなしではない。 この流れを変えたのが1995年にオープンした“かすうどん”の元祖「加寿屋」だ。 「『油かす』とは大阪の南河内地方で昔から食されてきた郷土料理です。 牛の腸を油でじっくりと時間をかけて揚げ、余分な油分が抜けて肉の旨味が凝縮された、美味でしかも栄養価も高い食材です。 (中略) この『かすうどん』は、1995年の当社店舗のオープンより瞬く間にたくさんのファンを生みました。最近では当社を真似たかすうどん店が多くオープンしているほどです」(加寿屋ホームページより) 「加寿屋」のかすうどん。大阪人にとってはもはやお馴染みのグルメに もはや大阪グルメに欠かすことはできない存在となっており、実際、今回のアンケートでも本場がどこかはともかくとして、かすうどんが一番おいしいと答えた人が複数人いた。 「香川県出身の彼女の両親は『大阪のうどんは(味がいまいちで)食えんなぁ』と言っていましたが、『かすうどんだけは別格でおいしい。また大阪に行ったら食べたい』と言うてました」(30代男性) うどん県民にも認められるほどの、かすうどん。今後、こちらが全国的な覇権を握るようなことがあれば、うどんの本場論争がもうひと盛り上がりすることになるかも。 取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班
1946年創業の老舗「道頓堀今井」。当時から続く看板メニューは甘辛く煮込んだ分厚い揚げがのる「きつねうどん」。当時はうどんといえば大阪だったそうだ
1946年創業の老舗「道頓堀今井」。当時から続く看板メニューは甘辛く煮込んだ分厚い揚げがのる「きつねうどん」。当時はうどんといえば大阪だったそうだ

一方、讃岐うどんが香川県で浸透したのは、大阪のきつねうどんよりはるかに遅い戦後なのだと、別のうどん店店主が話す。 「香川県に名産品をつくろうと、昭和25年から30年にかけて、うどんづくりの名人たちが香川をまわって作り方を広めたのが讃岐うどんの原点です。 その名人のひとり、竹川二短男(ふくお)さんが1950年に香川県高松市で『川福』といううどん店を創業。 その息子さんが独立して1968年に大阪の心斎橋で今も残る『川福流手打うどん 川福本店』をオープンすると、そのコシのある麺を食べた大阪人は驚愕、瞬く間に人気店になりました。これを機に大阪で讃岐うどんの知名度が上がることになり、その後は讃岐うどんの本場、香川県への日帰りうどんツアーや“うどん県”といった県のPR活動もあって、『うどん=香川』という現在のイメージが確立されました」 うどん県民もうならせる新勢力「かすうどん」 となると、歴史の古さは大阪、その後の覇権は讃岐ということなのだろうか。 ところで、明石家さんまはなぜ「うどんの本場は大阪」との発言したのか。その真相は大阪に讃岐うどんを流行らせた「川福」に隠されているとの情報も。 「さんまさんは芸人になりたての大阪時代、『川福』に何度も来店するほどお気に入りだったと聞いています」(前出、うどん店店主) 大阪で讃岐うどんを流行らせた「川福流手打うどん 川福本店」のざるうどん。明石家さんまが何度も来店するほどお気に入りとの情報も しかし、きつねうどんを生んだプライドのある大阪は、他県から流入してきた讃岐うどんに浸食されっぱなしではない。 この流れを変えたのが1995年にオープンした“かすうどん”の元祖「加寿屋」だ。 「『油かす』とは大阪の南河内地方で昔から食されてきた郷土料理です。 牛の腸を油でじっくりと時間をかけて揚げ、余分な油分が抜けて肉の旨味が凝縮された、美味でしかも栄養価も高い食材です。 (中略) この『かすうどん』は、1995年の当社店舗のオープンより瞬く間にたくさんのファンを生みました。最近では当社を真似たかすうどん店が多くオープンしているほどです」(加寿屋ホームページより) 「加寿屋」のかすうどん。大阪人にとってはもはやお馴染みのグルメに もはや大阪グルメに欠かすことはできない存在となっており、実際、今回のアンケートでも本場がどこかはともかくとして、かすうどんが一番おいしいと答えた人が複数人いた。 「香川県出身の彼女の両親は『大阪のうどんは(味がいまいちで)食えんなぁ』と言っていましたが、『かすうどんだけは別格でおいしい。また大阪に行ったら食べたい』と言うてました」(30代男性) うどん県民にも認められるほどの、かすうどん。今後、こちらが全国的な覇権を握るようなことがあれば、うどんの本場論争がもうひと盛り上がりすることになるかも。 取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班
一方、讃岐うどんが香川県で浸透したのは、大阪のきつねうどんよりはるかに遅い戦後なのだと、別のうどん店店主が話す。
「香川県に名産品をつくろうと、昭和25年から30年にかけて、うどんづくりの名人たちが香川をまわって作り方を広めたのが讃岐うどんの原点です。 その名人のひとり、竹川二短男(ふくお)さんが1950年に香川県高松市で『川福』といううどん店を創業。 その息子さんが独立して1968年に大阪の心斎橋で今も残る『川福流手打うどん 川福本店』をオープンすると、そのコシのある麺を食べた大阪人は驚愕、瞬く間に人気店になりました。これを機に大阪で讃岐うどんの知名度が上がることになり、その後は讃岐うどんの本場、香川県への日帰りうどんツアーや“うどん県”といった県のPR活動もあって、『うどん=香川』という現在のイメージが確立されました」 うどん県民もうならせる新勢力「かすうどん」 となると、歴史の古さは大阪、その後の覇権は讃岐ということなのだろうか。 ところで、明石家さんまはなぜ「うどんの本場は大阪」との発言したのか。その真相は大阪に讃岐うどんを流行らせた「川福」に隠されているとの情報も。 「さんまさんは芸人になりたての大阪時代、『川福』に何度も来店するほどお気に入りだったと聞いています」(前出、うどん店店主) 大阪で讃岐うどんを流行らせた「川福流手打うどん 川福本店」のざるうどん。明石家さんまが何度も来店するほどお気に入りとの情報も しかし、きつねうどんを生んだプライドのある大阪は、他県から流入してきた讃岐うどんに浸食されっぱなしではない。 この流れを変えたのが1995年にオープンした“かすうどん”の元祖「加寿屋」だ。 「『油かす』とは大阪の南河内地方で昔から食されてきた郷土料理です。 牛の腸を油でじっくりと時間をかけて揚げ、余分な油分が抜けて肉の旨味が凝縮された、美味でしかも栄養価も高い食材です。 (中略) この『かすうどん』は、1995年の当社店舗のオープンより瞬く間にたくさんのファンを生みました。最近では当社を真似たかすうどん店が多くオープンしているほどです」(加寿屋ホームページより) 「加寿屋」のかすうどん。大阪人にとってはもはやお馴染みのグルメに もはや大阪グルメに欠かすことはできない存在となっており、実際、今回のアンケートでも本場がどこかはともかくとして、かすうどんが一番おいしいと答えた人が複数人いた。 「香川県出身の彼女の両親は『大阪のうどんは(味がいまいちで)食えんなぁ』と言っていましたが、『かすうどんだけは別格でおいしい。また大阪に行ったら食べたい』と言うてました」(30代男性) うどん県民にも認められるほどの、かすうどん。今後、こちらが全国的な覇権を握るようなことがあれば、うどんの本場論争がもうひと盛り上がりすることになるかも。 取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班
「香川県に名産品をつくろうと、昭和25年から30年にかけて、うどんづくりの名人たちが香川をまわって作り方を広めたのが讃岐うどんの原点です。
その名人のひとり、竹川二短男(ふくお)さんが1950年に香川県高松市で『川福』といううどん店を創業。
その息子さんが独立して1968年に大阪の心斎橋で今も残る『川福流手打うどん 川福本店』をオープンすると、そのコシのある麺を食べた大阪人は驚愕、瞬く間に人気店になりました。これを機に大阪で讃岐うどんの知名度が上がることになり、その後は讃岐うどんの本場、香川県への日帰りうどんツアーや“うどん県”といった県のPR活動もあって、『うどん=香川』という現在のイメージが確立されました」
うどん県民もうならせる新勢力「かすうどん」 となると、歴史の古さは大阪、その後の覇権は讃岐ということなのだろうか。 ところで、明石家さんまはなぜ「うどんの本場は大阪」との発言したのか。その真相は大阪に讃岐うどんを流行らせた「川福」に隠されているとの情報も。 「さんまさんは芸人になりたての大阪時代、『川福』に何度も来店するほどお気に入りだったと聞いています」(前出、うどん店店主) 大阪で讃岐うどんを流行らせた「川福流手打うどん 川福本店」のざるうどん。明石家さんまが何度も来店するほどお気に入りとの情報も しかし、きつねうどんを生んだプライドのある大阪は、他県から流入してきた讃岐うどんに浸食されっぱなしではない。 この流れを変えたのが1995年にオープンした“かすうどん”の元祖「加寿屋」だ。 「『油かす』とは大阪の南河内地方で昔から食されてきた郷土料理です。 牛の腸を油でじっくりと時間をかけて揚げ、余分な油分が抜けて肉の旨味が凝縮された、美味でしかも栄養価も高い食材です。 (中略) この『かすうどん』は、1995年の当社店舗のオープンより瞬く間にたくさんのファンを生みました。最近では当社を真似たかすうどん店が多くオープンしているほどです」(加寿屋ホームページより) 「加寿屋」のかすうどん。大阪人にとってはもはやお馴染みのグルメに もはや大阪グルメに欠かすことはできない存在となっており、実際、今回のアンケートでも本場がどこかはともかくとして、かすうどんが一番おいしいと答えた人が複数人いた。 「香川県出身の彼女の両親は『大阪のうどんは(味がいまいちで)食えんなぁ』と言っていましたが、『かすうどんだけは別格でおいしい。また大阪に行ったら食べたい』と言うてました」(30代男性) うどん県民にも認められるほどの、かすうどん。今後、こちらが全国的な覇権を握るようなことがあれば、うどんの本場論争がもうひと盛り上がりすることになるかも。 取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班
うどん県民もうならせる新勢力「かすうどん」 となると、歴史の古さは大阪、その後の覇権は讃岐ということなのだろうか。 ところで、明石家さんまはなぜ「うどんの本場は大阪」との発言したのか。その真相は大阪に讃岐うどんを流行らせた「川福」に隠されているとの情報も。 「さんまさんは芸人になりたての大阪時代、『川福』に何度も来店するほどお気に入りだったと聞いています」(前出、うどん店店主) 大阪で讃岐うどんを流行らせた「川福流手打うどん 川福本店」のざるうどん。明石家さんまが何度も来店するほどお気に入りとの情報も しかし、きつねうどんを生んだプライドのある大阪は、他県から流入してきた讃岐うどんに浸食されっぱなしではない。 この流れを変えたのが1995年にオープンした“かすうどん”の元祖「加寿屋」だ。 「『油かす』とは大阪の南河内地方で昔から食されてきた郷土料理です。 牛の腸を油でじっくりと時間をかけて揚げ、余分な油分が抜けて肉の旨味が凝縮された、美味でしかも栄養価も高い食材です。 (中略) この『かすうどん』は、1995年の当社店舗のオープンより瞬く間にたくさんのファンを生みました。最近では当社を真似たかすうどん店が多くオープンしているほどです」(加寿屋ホームページより) 「加寿屋」のかすうどん。大阪人にとってはもはやお馴染みのグルメに もはや大阪グルメに欠かすことはできない存在となっており、実際、今回のアンケートでも本場がどこかはともかくとして、かすうどんが一番おいしいと答えた人が複数人いた。 「香川県出身の彼女の両親は『大阪のうどんは(味がいまいちで)食えんなぁ』と言っていましたが、『かすうどんだけは別格でおいしい。また大阪に行ったら食べたい』と言うてました」(30代男性) うどん県民にも認められるほどの、かすうどん。今後、こちらが全国的な覇権を握るようなことがあれば、うどんの本場論争がもうひと盛り上がりすることになるかも。 取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班
となると、歴史の古さは大阪、その後の覇権は讃岐ということなのだろうか。 ところで、明石家さんまはなぜ「うどんの本場は大阪」との発言したのか。その真相は大阪に讃岐うどんを流行らせた「川福」に隠されているとの情報も。 「さんまさんは芸人になりたての大阪時代、『川福』に何度も来店するほどお気に入りだったと聞いています」(前出、うどん店店主) 大阪で讃岐うどんを流行らせた「川福流手打うどん 川福本店」のざるうどん。明石家さんまが何度も来店するほどお気に入りとの情報も しかし、きつねうどんを生んだプライドのある大阪は、他県から流入してきた讃岐うどんに浸食されっぱなしではない。 この流れを変えたのが1995年にオープンした“かすうどん”の元祖「加寿屋」だ。 「『油かす』とは大阪の南河内地方で昔から食されてきた郷土料理です。 牛の腸を油でじっくりと時間をかけて揚げ、余分な油分が抜けて肉の旨味が凝縮された、美味でしかも栄養価も高い食材です。 (中略) この『かすうどん』は、1995年の当社店舗のオープンより瞬く間にたくさんのファンを生みました。最近では当社を真似たかすうどん店が多くオープンしているほどです」(加寿屋ホームページより) 「加寿屋」のかすうどん。大阪人にとってはもはやお馴染みのグルメに もはや大阪グルメに欠かすことはできない存在となっており、実際、今回のアンケートでも本場がどこかはともかくとして、かすうどんが一番おいしいと答えた人が複数人いた。 「香川県出身の彼女の両親は『大阪のうどんは(味がいまいちで)食えんなぁ』と言っていましたが、『かすうどんだけは別格でおいしい。また大阪に行ったら食べたい』と言うてました」(30代男性) うどん県民にも認められるほどの、かすうどん。今後、こちらが全国的な覇権を握るようなことがあれば、うどんの本場論争がもうひと盛り上がりすることになるかも。 取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班
となると、歴史の古さは大阪、その後の覇権は讃岐ということなのだろうか。
ところで、明石家さんまはなぜ「うどんの本場は大阪」との発言したのか。その真相は大阪に讃岐うどんを流行らせた「川福」に隠されているとの情報も。
「さんまさんは芸人になりたての大阪時代、『川福』に何度も来店するほどお気に入りだったと聞いています」(前出、うどん店店主) 大阪で讃岐うどんを流行らせた「川福流手打うどん 川福本店」のざるうどん。明石家さんまが何度も来店するほどお気に入りとの情報も しかし、きつねうどんを生んだプライドのある大阪は、他県から流入してきた讃岐うどんに浸食されっぱなしではない。 この流れを変えたのが1995年にオープンした“かすうどん”の元祖「加寿屋」だ。 「『油かす』とは大阪の南河内地方で昔から食されてきた郷土料理です。 牛の腸を油でじっくりと時間をかけて揚げ、余分な油分が抜けて肉の旨味が凝縮された、美味でしかも栄養価も高い食材です。 (中略) この『かすうどん』は、1995年の当社店舗のオープンより瞬く間にたくさんのファンを生みました。最近では当社を真似たかすうどん店が多くオープンしているほどです」(加寿屋ホームページより) 「加寿屋」のかすうどん。大阪人にとってはもはやお馴染みのグルメに もはや大阪グルメに欠かすことはできない存在となっており、実際、今回のアンケートでも本場がどこかはともかくとして、かすうどんが一番おいしいと答えた人が複数人いた。 「香川県出身の彼女の両親は『大阪のうどんは(味がいまいちで)食えんなぁ』と言っていましたが、『かすうどんだけは別格でおいしい。また大阪に行ったら食べたい』と言うてました」(30代男性) うどん県民にも認められるほどの、かすうどん。今後、こちらが全国的な覇権を握るようなことがあれば、うどんの本場論争がもうひと盛り上がりすることになるかも。 取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班
「さんまさんは芸人になりたての大阪時代、『川福』に何度も来店するほどお気に入りだったと聞いています」(前出、うどん店店主)
大阪で讃岐うどんを流行らせた「川福流手打うどん 川福本店」のざるうどん。明石家さんまが何度も来店するほどお気に入りとの情報も しかし、きつねうどんを生んだプライドのある大阪は、他県から流入してきた讃岐うどんに浸食されっぱなしではない。 この流れを変えたのが1995年にオープンした“かすうどん”の元祖「加寿屋」だ。 「『油かす』とは大阪の南河内地方で昔から食されてきた郷土料理です。 牛の腸を油でじっくりと時間をかけて揚げ、余分な油分が抜けて肉の旨味が凝縮された、美味でしかも栄養価も高い食材です。 (中略) この『かすうどん』は、1995年の当社店舗のオープンより瞬く間にたくさんのファンを生みました。最近では当社を真似たかすうどん店が多くオープンしているほどです」(加寿屋ホームページより) 「加寿屋」のかすうどん。大阪人にとってはもはやお馴染みのグルメに もはや大阪グルメに欠かすことはできない存在となっており、実際、今回のアンケートでも本場がどこかはともかくとして、かすうどんが一番おいしいと答えた人が複数人いた。 「香川県出身の彼女の両親は『大阪のうどんは(味がいまいちで)食えんなぁ』と言っていましたが、『かすうどんだけは別格でおいしい。また大阪に行ったら食べたい』と言うてました」(30代男性) うどん県民にも認められるほどの、かすうどん。今後、こちらが全国的な覇権を握るようなことがあれば、うどんの本場論争がもうひと盛り上がりすることになるかも。 取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班
大阪で讃岐うどんを流行らせた「川福流手打うどん 川福本店」のざるうどん。明石家さんまが何度も来店するほどお気に入りとの情報も しかし、きつねうどんを生んだプライドのある大阪は、他県から流入してきた讃岐うどんに浸食されっぱなしではない。 この流れを変えたのが1995年にオープンした“かすうどん”の元祖「加寿屋」だ。 「『油かす』とは大阪の南河内地方で昔から食されてきた郷土料理です。 牛の腸を油でじっくりと時間をかけて揚げ、余分な油分が抜けて肉の旨味が凝縮された、美味でしかも栄養価も高い食材です。 (中略) この『かすうどん』は、1995年の当社店舗のオープンより瞬く間にたくさんのファンを生みました。最近では当社を真似たかすうどん店が多くオープンしているほどです」(加寿屋ホームページより) 「加寿屋」のかすうどん。大阪人にとってはもはやお馴染みのグルメに もはや大阪グルメに欠かすことはできない存在となっており、実際、今回のアンケートでも本場がどこかはともかくとして、かすうどんが一番おいしいと答えた人が複数人いた。 「香川県出身の彼女の両親は『大阪のうどんは(味がいまいちで)食えんなぁ』と言っていましたが、『かすうどんだけは別格でおいしい。また大阪に行ったら食べたい』と言うてました」(30代男性) うどん県民にも認められるほどの、かすうどん。今後、こちらが全国的な覇権を握るようなことがあれば、うどんの本場論争がもうひと盛り上がりすることになるかも。 取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班
大阪で讃岐うどんを流行らせた「川福流手打うどん 川福本店」のざるうどん。明石家さんまが何度も来店するほどお気に入りとの情報も
大阪で讃岐うどんを流行らせた「川福流手打うどん 川福本店」のざるうどん。明石家さんまが何度も来店するほどお気に入りとの情報も

しかし、きつねうどんを生んだプライドのある大阪は、他県から流入してきた讃岐うどんに浸食されっぱなしではない。 この流れを変えたのが1995年にオープンした“かすうどん”の元祖「加寿屋」だ。 「『油かす』とは大阪の南河内地方で昔から食されてきた郷土料理です。 牛の腸を油でじっくりと時間をかけて揚げ、余分な油分が抜けて肉の旨味が凝縮された、美味でしかも栄養価も高い食材です。 (中略) この『かすうどん』は、1995年の当社店舗のオープンより瞬く間にたくさんのファンを生みました。最近では当社を真似たかすうどん店が多くオープンしているほどです」(加寿屋ホームページより) 「加寿屋」のかすうどん。大阪人にとってはもはやお馴染みのグルメに もはや大阪グルメに欠かすことはできない存在となっており、実際、今回のアンケートでも本場がどこかはともかくとして、かすうどんが一番おいしいと答えた人が複数人いた。 「香川県出身の彼女の両親は『大阪のうどんは(味がいまいちで)食えんなぁ』と言っていましたが、『かすうどんだけは別格でおいしい。また大阪に行ったら食べたい』と言うてました」(30代男性) うどん県民にも認められるほどの、かすうどん。今後、こちらが全国的な覇権を握るようなことがあれば、うどんの本場論争がもうひと盛り上がりすることになるかも。 取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班
しかし、きつねうどんを生んだプライドのある大阪は、他県から流入してきた讃岐うどんに浸食されっぱなしではない。
この流れを変えたのが1995年にオープンした“かすうどん”の元祖「加寿屋」だ。
「『油かす』とは大阪の南河内地方で昔から食されてきた郷土料理です。 牛の腸を油でじっくりと時間をかけて揚げ、余分な油分が抜けて肉の旨味が凝縮された、美味でしかも栄養価も高い食材です。 (中略) この『かすうどん』は、1995年の当社店舗のオープンより瞬く間にたくさんのファンを生みました。最近では当社を真似たかすうどん店が多くオープンしているほどです」(加寿屋ホームページより) 「加寿屋」のかすうどん。大阪人にとってはもはやお馴染みのグルメに もはや大阪グルメに欠かすことはできない存在となっており、実際、今回のアンケートでも本場がどこかはともかくとして、かすうどんが一番おいしいと答えた人が複数人いた。 「香川県出身の彼女の両親は『大阪のうどんは(味がいまいちで)食えんなぁ』と言っていましたが、『かすうどんだけは別格でおいしい。また大阪に行ったら食べたい』と言うてました」(30代男性) うどん県民にも認められるほどの、かすうどん。今後、こちらが全国的な覇権を握るようなことがあれば、うどんの本場論争がもうひと盛り上がりすることになるかも。 取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班
「『油かす』とは大阪の南河内地方で昔から食されてきた郷土料理です。
牛の腸を油でじっくりと時間をかけて揚げ、余分な油分が抜けて肉の旨味が凝縮された、美味でしかも栄養価も高い食材です。
(中略)
この『かすうどん』は、1995年の当社店舗のオープンより瞬く間にたくさんのファンを生みました。最近では当社を真似たかすうどん店が多くオープンしているほどです」(加寿屋ホームページより)
「加寿屋」のかすうどん。大阪人にとってはもはやお馴染みのグルメに もはや大阪グルメに欠かすことはできない存在となっており、実際、今回のアンケートでも本場がどこかはともかくとして、かすうどんが一番おいしいと答えた人が複数人いた。 「香川県出身の彼女の両親は『大阪のうどんは(味がいまいちで)食えんなぁ』と言っていましたが、『かすうどんだけは別格でおいしい。また大阪に行ったら食べたい』と言うてました」(30代男性) うどん県民にも認められるほどの、かすうどん。今後、こちらが全国的な覇権を握るようなことがあれば、うどんの本場論争がもうひと盛り上がりすることになるかも。 取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班
「加寿屋」のかすうどん。大阪人にとってはもはやお馴染みのグルメに もはや大阪グルメに欠かすことはできない存在となっており、実際、今回のアンケートでも本場がどこかはともかくとして、かすうどんが一番おいしいと答えた人が複数人いた。 「香川県出身の彼女の両親は『大阪のうどんは(味がいまいちで)食えんなぁ』と言っていましたが、『かすうどんだけは別格でおいしい。また大阪に行ったら食べたい』と言うてました」(30代男性) うどん県民にも認められるほどの、かすうどん。今後、こちらが全国的な覇権を握るようなことがあれば、うどんの本場論争がもうひと盛り上がりすることになるかも。 取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班
「加寿屋」のかすうどん。大阪人にとってはもはやお馴染みのグルメに
「加寿屋」のかすうどん。大阪人にとってはもはやお馴染みのグルメに

もはや大阪グルメに欠かすことはできない存在となっており、実際、今回のアンケートでも本場がどこかはともかくとして、かすうどんが一番おいしいと答えた人が複数人いた。 「香川県出身の彼女の両親は『大阪のうどんは(味がいまいちで)食えんなぁ』と言っていましたが、『かすうどんだけは別格でおいしい。また大阪に行ったら食べたい』と言うてました」(30代男性) うどん県民にも認められるほどの、かすうどん。今後、こちらが全国的な覇権を握るようなことがあれば、うどんの本場論争がもうひと盛り上がりすることになるかも。 取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班
もはや大阪グルメに欠かすことはできない存在となっており、実際、今回のアンケートでも本場がどこかはともかくとして、かすうどんが一番おいしいと答えた人が複数人いた。
「香川県出身の彼女の両親は『大阪のうどんは(味がいまいちで)食えんなぁ』と言っていましたが、『かすうどんだけは別格でおいしい。また大阪に行ったら食べたい』と言うてました」(30代男性) うどん県民にも認められるほどの、かすうどん。今後、こちらが全国的な覇権を握るようなことがあれば、うどんの本場論争がもうひと盛り上がりすることになるかも。 取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班
「香川県出身の彼女の両親は『大阪のうどんは(味がいまいちで)食えんなぁ』と言っていましたが、『かすうどんだけは別格でおいしい。また大阪に行ったら食べたい』と言うてました」(30代男性)
うどん県民にも認められるほどの、かすうどん。今後、こちらが全国的な覇権を握るようなことがあれば、うどんの本場論争がもうひと盛り上がりすることになるかも。 取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班
うどん県民にも認められるほどの、かすうどん。今後、こちらが全国的な覇権を握るようなことがあれば、うどんの本場論争がもうひと盛り上がりすることになるかも。
取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班
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