1970年代半ばから80年代にかけて、投機目的で分譲されたミニ住宅地。その多くが現在、俗に「限界住宅地」「超郊外住宅地」、あるいは「限界ニュータウン」と呼ばれるような荒れた分譲地となっている。
【画像】陥没した道路、朽ちはてた公園、縦横無尽に生え散らかした草木…「限界ニュータウン」の現在を写真で一気に見る 道路は狭く、アクセスする公共交通手段もなく、上下水道なし──買う人もなく、売れない分譲区画は荒廃していく。千葉県の北東部などで実際にそんな限界ニュータウンに赴き、現状を辿ってきた、吉川祐介氏の著書『限界ニュータウン――荒廃する超郊外の分譲地』より、荒れ果てる現地の今について、一部を抜粋して掲載する。

◆◆◆ ひと口に「限界ニュータウン」「限界分譲地」といっても、ぜんぶで十区画程度の小規模なものから、数百区画にもおよぶ「住宅団地」まで、その規模はさまざまだが、独立した自治会や管理組合が形成されていない小規模な限界分譲地の多くに共通してみられるのが、私道をはじめとした共用部の著しい老朽化である。 自家用車で限界分譲地を訪問するさい、僕は現況をたしかめるまえにいきなり車両で侵入することは避けるようにしている。古い分譲地は道路の幅員が狭く、駐車場所の確保が難しいということもあるが、もうひとつ、管理の悪い分譲地は私道の荒廃が進み、部分的に車両の通行が困難となっている可能性が高いためである。 たとえ販売当初は舗装工事を施されていた分譲地であっても、その後の数十年、いっさいのメンテナンスもおこなわれてこなかったような道路は、舗装がはがれ、多数の陥没箇所が発生しており、そんな道をうっかり速度をゆるめず通過しようものなら、脳天を天井に強打しかねないほど激しくバウンドしてしまう。陥没した道路、朽ちはてた公園。雨のあとに入ろうものなら… また千葉県北東部には、横着して最初から未舗装の砂利道のまま販売された分譲地も少なくない。 仮に雨天後、うかつに二輪駆動車でそのような分譲地に入ろうものなら、坂道でタイヤがぬかるみにとられてスタックしかねない。だれも刈りとることのない伸び放題の路肩の雑草の裏に隠れた、ふたのない側溝で脱輪する危険性もある。周囲に家屋のない道路は、路肩どころか道路全体に、雑草や空き地の雑木の横枝、さらにはツタまでもが縦横無尽に生え散らかし、もはや通行することすら困難なほどだ。 荒れはてているのは私道だけではない。すっかり錆びついた街灯にもツタは容赦なくからみつき、夜になっても灯りがともることはない。それどころか、根元からへし折れて路肩に転がっている街灯を目にしたこともある。側溝も、タイヤが脱輪できる状態であればむしろ正常であり、砂泥が詰まって排水機能がまったく失われていたり、そもそも側溝のコンクリート自体が著しく破損して、土砂に埋まったたんなる瓦礫と化したりしていることもある。 分譲地によっては小さな公園が備えられていることもあるが、朽ちはてて崩れおちた遊具やベンチの存在が視認できれば、そこが公園だとわかるだけまだよいほうである。子育て中の世帯もなく、足を踏み入れる者もなくなった公園は、やはり雑草や雑木が生え放題で、一見するとたんなる雑木林であり、よほど注意深く観察しないかぎり、もはやそこが公園であったことすらわからない。 閉山して住民の姿が消えた鉱山町でもあるまいし、現在も住民が暮らす現役の住宅地が、なぜそのような事態に陥っているのか。そこには千葉県北東部の分譲地がかかえる固有の地域的事情がある。高齢化で迫る“限界” いま、全国各地に、市場価格が低く売却が見込めない、居住地が遠く利用の予定がないなどの理由で、権利者が相続登記をおこたっている不動産がある。 それが「所有者不明土地」と化し、私道の修繕をはじめとした住宅地の環境維持における深刻な障壁と化していることは、以前より識者のあいだで指摘されてきた。老朽化が進み、設備更新の時期を迎えているにもかかわらず、連絡手段が失われた共有持ち分所有者の合意がとれないために、補修が進まない事例が各所でみられるようになっていく。 そうした所有者不明土地の問題は、2011年に起きた東日本大震災によっていっきに噴出し、大きな注目をあびた。復興事業の途上において、所有者を特定できない不動産の存在が、住宅移転事業や公営住宅建設のための用地買収などの障害となる事例がたびたび発生し、大きな問題となった。 被災自治体からのあいつぐ要望を受け、ついには国も本格的な対策に着手し、「所有者不明土地の利用の円滑化等に関する特別措置法」の制定や相続登記の義務化(2024年度施行予定)など、所有者不明土地の流通や再利用をうながすための法整備が進められている。共有地の荒廃が続く根本原因は… だが、千葉県北東部の限界分譲地の場合、共有地の荒廃が続いている根本的原因は、不明な所有者の合意がとれないことにあるのではない。たしかに、登記簿上の住所が変更されておらず民間レベルでは連絡がとれなくなっている区画があるのも事実だが、それ以前に、多くの区画所有者・利用者にとって、共用部や設備の維持管理が喫緊の課題となりえないという限界分譲地固有の事情があり、これこそが最大の要因である。 区画所有者の大部分をしめる不在地主のほとんどは地域外の在住で、所有地の管理を地元業者に一任しているが、業者は作業に支障が出る場合をのぞき、基本的には依頼された所有地を整備するのみで、私道などの共用部分の管理はおこなわない。 不在地主自身も、遠く離れた所有地の共用部分が管理不全に陥ろうとも、自身の生活に影響が生じるわけではなく、おそらくほとんどの場合は、その荒廃すら把握していないのではと思われる。 一方、じっさいにその地で生活する居住者にとって、共用部分の荒廃は生活環境に直結する重大な問題のはずだが、この場合もまた、さまざまな問題をはらんでいる。賃貸化が生む「無関心」 そもそも多くの郊外型住宅地と同様、千葉県北東部の限界分譲地も開発時期の古いところでは高齢世帯が多くなっており、体力的な事情で共用部分の自主管理が厳しくなっている。年齢的にも、いまから多額の費用を負担してまで、自宅やその周辺の再整備をおこなおうという気概のある人は少ない。 また、限界分譲地は、分譲後に投機目的の取得者をいったんはさんで流通しているので、一般的な郊外型ニュータウンや大型マンションのような、短期間の集中的な住民の流入が発生しておらず、世帯によって転入時期がバラバラである。 こういった遠郊外部の住宅の購入者のなかには、十分な支払い能力を有しないまま住宅ローンを組んでしまった世帯も少なくなく、八街市や山武市などは一時期、住宅ローン返済の滞納による競売物件数が、全国でもトップクラスにまで跳ね上がった。 加えて、子どもの進学を機に、交通不便な限界分譲地から、通学がもっと容易な地域へ転居してしまうこともあり、こうして手放された住宅は、その廉価さゆえに賃貸オーナーに取得され、新たに貸しにだされることが多い。 賃貸オーナーにせよ、その賃貸物件の入居者にせよ、自己所有の世帯にくらべて共用部への関心は高くない。収益利回りを重視する賃貸経営者は例外なくよぶんな経費を嫌うものであるし、入居者にしても、みずからの所有物でもない貸家の周辺環境の未来までみすえて行動を起こす理由がないからだ。自己所有者は、ときに近隣の空き地を駐車場や菜園用地として取得し整備することもあるが、賃貸の居住者にはそれも期待できない。大掛かりな工事で作られたものを、素人が維持するのは「どう考えても無理がある」 つまり、居住者が少なく空き地を多くかかえる限界分譲地は、区画所有者に連絡がとれるか否か以前に、そもそも合意をとりまとめることができるほどの地域コミュニティが形成されず、また居住者の転出入がくり返されている住戸も多いために、いまなお地域に合意をめざす要請そのものが存在しないのである。 2018年に法務省が公表した「所有者不明私道への対応ガイドライン」は、その名のとおり、私道について一部の持ち分所有者の合意がとれずに補修が難航した場合の対策を示したものであり、合意形成への意思もない地域に対して問題解決の道を示すものではない。 もちろん、すべての分譲地が、朽ちていく共用部分を、指をくわえて見ているだけではない。僕が八街市で暮らしていた分譲地のように(後述するが、僕はその後、引っ越しをして別の分譲地に暮らしている)、地域の自治会とはべつに、分譲地で独自の管理組合をつくり、一定額の管理費をプールしたうえで、定期的に側溝掃除や草刈りなどをおこなって、環境維持に努めているところもある。 だが、それにしても、もともと大がかりな造成工事で建築された道路や側溝などの土木工作物を、けっして多くない住民の手弁当で維持しつづけるのは、どう考えても無理がある。今後ますます、既存住宅の売却や相続が進めば、いずれはそうした自主管理の合意形成すらも困難になっていくことは想像に難くない。 そんな管理不全の分譲地においてすら、地価が安いゆえに、いまもなお貸家や売家の供給は続いており、代謝は止まらない。そのような住宅地を地域社会に組み込んでいかなくてはならない状態が続いていくのである。「値段で勝負! 生活に必要な施設はありません」かつてのニュータウンは今…限界分譲地“40年後の行方” へ続く(吉川 祐介)
道路は狭く、アクセスする公共交通手段もなく、上下水道なし──買う人もなく、売れない分譲区画は荒廃していく。千葉県の北東部などで実際にそんな限界ニュータウンに赴き、現状を辿ってきた、吉川祐介氏の著書『限界ニュータウン――荒廃する超郊外の分譲地』より、荒れ果てる現地の今について、一部を抜粋して掲載する。
◆◆◆
ひと口に「限界ニュータウン」「限界分譲地」といっても、ぜんぶで十区画程度の小規模なものから、数百区画にもおよぶ「住宅団地」まで、その規模はさまざまだが、独立した自治会や管理組合が形成されていない小規模な限界分譲地の多くに共通してみられるのが、私道をはじめとした共用部の著しい老朽化である。

自家用車で限界分譲地を訪問するさい、僕は現況をたしかめるまえにいきなり車両で侵入することは避けるようにしている。古い分譲地は道路の幅員が狭く、駐車場所の確保が難しいということもあるが、もうひとつ、管理の悪い分譲地は私道の荒廃が進み、部分的に車両の通行が困難となっている可能性が高いためである。
たとえ販売当初は舗装工事を施されていた分譲地であっても、その後の数十年、いっさいのメンテナンスもおこなわれてこなかったような道路は、舗装がはがれ、多数の陥没箇所が発生しており、そんな道をうっかり速度をゆるめず通過しようものなら、脳天を天井に強打しかねないほど激しくバウンドしてしまう。
また千葉県北東部には、横着して最初から未舗装の砂利道のまま販売された分譲地も少なくない。
仮に雨天後、うかつに二輪駆動車でそのような分譲地に入ろうものなら、坂道でタイヤがぬかるみにとられてスタックしかねない。だれも刈りとることのない伸び放題の路肩の雑草の裏に隠れた、ふたのない側溝で脱輪する危険性もある。周囲に家屋のない道路は、路肩どころか道路全体に、雑草や空き地の雑木の横枝、さらにはツタまでもが縦横無尽に生え散らかし、もはや通行することすら困難なほどだ。 荒れはてているのは私道だけではない。すっかり錆びついた街灯にもツタは容赦なくからみつき、夜になっても灯りがともることはない。それどころか、根元からへし折れて路肩に転がっている街灯を目にしたこともある。側溝も、タイヤが脱輪できる状態であればむしろ正常であり、砂泥が詰まって排水機能がまったく失われていたり、そもそも側溝のコンクリート自体が著しく破損して、土砂に埋まったたんなる瓦礫と化したりしていることもある。 分譲地によっては小さな公園が備えられていることもあるが、朽ちはてて崩れおちた遊具やベンチの存在が視認できれば、そこが公園だとわかるだけまだよいほうである。子育て中の世帯もなく、足を踏み入れる者もなくなった公園は、やはり雑草や雑木が生え放題で、一見するとたんなる雑木林であり、よほど注意深く観察しないかぎり、もはやそこが公園であったことすらわからない。 閉山して住民の姿が消えた鉱山町でもあるまいし、現在も住民が暮らす現役の住宅地が、なぜそのような事態に陥っているのか。そこには千葉県北東部の分譲地がかかえる固有の地域的事情がある。高齢化で迫る“限界” いま、全国各地に、市場価格が低く売却が見込めない、居住地が遠く利用の予定がないなどの理由で、権利者が相続登記をおこたっている不動産がある。 それが「所有者不明土地」と化し、私道の修繕をはじめとした住宅地の環境維持における深刻な障壁と化していることは、以前より識者のあいだで指摘されてきた。老朽化が進み、設備更新の時期を迎えているにもかかわらず、連絡手段が失われた共有持ち分所有者の合意がとれないために、補修が進まない事例が各所でみられるようになっていく。 そうした所有者不明土地の問題は、2011年に起きた東日本大震災によっていっきに噴出し、大きな注目をあびた。復興事業の途上において、所有者を特定できない不動産の存在が、住宅移転事業や公営住宅建設のための用地買収などの障害となる事例がたびたび発生し、大きな問題となった。 被災自治体からのあいつぐ要望を受け、ついには国も本格的な対策に着手し、「所有者不明土地の利用の円滑化等に関する特別措置法」の制定や相続登記の義務化(2024年度施行予定)など、所有者不明土地の流通や再利用をうながすための法整備が進められている。共有地の荒廃が続く根本原因は… だが、千葉県北東部の限界分譲地の場合、共有地の荒廃が続いている根本的原因は、不明な所有者の合意がとれないことにあるのではない。たしかに、登記簿上の住所が変更されておらず民間レベルでは連絡がとれなくなっている区画があるのも事実だが、それ以前に、多くの区画所有者・利用者にとって、共用部や設備の維持管理が喫緊の課題となりえないという限界分譲地固有の事情があり、これこそが最大の要因である。 区画所有者の大部分をしめる不在地主のほとんどは地域外の在住で、所有地の管理を地元業者に一任しているが、業者は作業に支障が出る場合をのぞき、基本的には依頼された所有地を整備するのみで、私道などの共用部分の管理はおこなわない。 不在地主自身も、遠く離れた所有地の共用部分が管理不全に陥ろうとも、自身の生活に影響が生じるわけではなく、おそらくほとんどの場合は、その荒廃すら把握していないのではと思われる。 一方、じっさいにその地で生活する居住者にとって、共用部分の荒廃は生活環境に直結する重大な問題のはずだが、この場合もまた、さまざまな問題をはらんでいる。賃貸化が生む「無関心」 そもそも多くの郊外型住宅地と同様、千葉県北東部の限界分譲地も開発時期の古いところでは高齢世帯が多くなっており、体力的な事情で共用部分の自主管理が厳しくなっている。年齢的にも、いまから多額の費用を負担してまで、自宅やその周辺の再整備をおこなおうという気概のある人は少ない。 また、限界分譲地は、分譲後に投機目的の取得者をいったんはさんで流通しているので、一般的な郊外型ニュータウンや大型マンションのような、短期間の集中的な住民の流入が発生しておらず、世帯によって転入時期がバラバラである。 こういった遠郊外部の住宅の購入者のなかには、十分な支払い能力を有しないまま住宅ローンを組んでしまった世帯も少なくなく、八街市や山武市などは一時期、住宅ローン返済の滞納による競売物件数が、全国でもトップクラスにまで跳ね上がった。 加えて、子どもの進学を機に、交通不便な限界分譲地から、通学がもっと容易な地域へ転居してしまうこともあり、こうして手放された住宅は、その廉価さゆえに賃貸オーナーに取得され、新たに貸しにだされることが多い。 賃貸オーナーにせよ、その賃貸物件の入居者にせよ、自己所有の世帯にくらべて共用部への関心は高くない。収益利回りを重視する賃貸経営者は例外なくよぶんな経費を嫌うものであるし、入居者にしても、みずからの所有物でもない貸家の周辺環境の未来までみすえて行動を起こす理由がないからだ。自己所有者は、ときに近隣の空き地を駐車場や菜園用地として取得し整備することもあるが、賃貸の居住者にはそれも期待できない。大掛かりな工事で作られたものを、素人が維持するのは「どう考えても無理がある」 つまり、居住者が少なく空き地を多くかかえる限界分譲地は、区画所有者に連絡がとれるか否か以前に、そもそも合意をとりまとめることができるほどの地域コミュニティが形成されず、また居住者の転出入がくり返されている住戸も多いために、いまなお地域に合意をめざす要請そのものが存在しないのである。 2018年に法務省が公表した「所有者不明私道への対応ガイドライン」は、その名のとおり、私道について一部の持ち分所有者の合意がとれずに補修が難航した場合の対策を示したものであり、合意形成への意思もない地域に対して問題解決の道を示すものではない。 もちろん、すべての分譲地が、朽ちていく共用部分を、指をくわえて見ているだけではない。僕が八街市で暮らしていた分譲地のように(後述するが、僕はその後、引っ越しをして別の分譲地に暮らしている)、地域の自治会とはべつに、分譲地で独自の管理組合をつくり、一定額の管理費をプールしたうえで、定期的に側溝掃除や草刈りなどをおこなって、環境維持に努めているところもある。 だが、それにしても、もともと大がかりな造成工事で建築された道路や側溝などの土木工作物を、けっして多くない住民の手弁当で維持しつづけるのは、どう考えても無理がある。今後ますます、既存住宅の売却や相続が進めば、いずれはそうした自主管理の合意形成すらも困難になっていくことは想像に難くない。 そんな管理不全の分譲地においてすら、地価が安いゆえに、いまもなお貸家や売家の供給は続いており、代謝は止まらない。そのような住宅地を地域社会に組み込んでいかなくてはならない状態が続いていくのである。「値段で勝負! 生活に必要な施設はありません」かつてのニュータウンは今…限界分譲地“40年後の行方” へ続く(吉川 祐介)
仮に雨天後、うかつに二輪駆動車でそのような分譲地に入ろうものなら、坂道でタイヤがぬかるみにとられてスタックしかねない。だれも刈りとることのない伸び放題の路肩の雑草の裏に隠れた、ふたのない側溝で脱輪する危険性もある。周囲に家屋のない道路は、路肩どころか道路全体に、雑草や空き地の雑木の横枝、さらにはツタまでもが縦横無尽に生え散らかし、もはや通行することすら困難なほどだ。
荒れはてているのは私道だけではない。すっかり錆びついた街灯にもツタは容赦なくからみつき、夜になっても灯りがともることはない。それどころか、根元からへし折れて路肩に転がっている街灯を目にしたこともある。側溝も、タイヤが脱輪できる状態であればむしろ正常であり、砂泥が詰まって排水機能がまったく失われていたり、そもそも側溝のコンクリート自体が著しく破損して、土砂に埋まったたんなる瓦礫と化したりしていることもある。
分譲地によっては小さな公園が備えられていることもあるが、朽ちはてて崩れおちた遊具やベンチの存在が視認できれば、そこが公園だとわかるだけまだよいほうである。子育て中の世帯もなく、足を踏み入れる者もなくなった公園は、やはり雑草や雑木が生え放題で、一見するとたんなる雑木林であり、よほど注意深く観察しないかぎり、もはやそこが公園であったことすらわからない。
閉山して住民の姿が消えた鉱山町でもあるまいし、現在も住民が暮らす現役の住宅地が、なぜそのような事態に陥っているのか。そこには千葉県北東部の分譲地がかかえる固有の地域的事情がある。
いま、全国各地に、市場価格が低く売却が見込めない、居住地が遠く利用の予定がないなどの理由で、権利者が相続登記をおこたっている不動産がある。
それが「所有者不明土地」と化し、私道の修繕をはじめとした住宅地の環境維持における深刻な障壁と化していることは、以前より識者のあいだで指摘されてきた。老朽化が進み、設備更新の時期を迎えているにもかかわらず、連絡手段が失われた共有持ち分所有者の合意がとれないために、補修が進まない事例が各所でみられるようになっていく。
そうした所有者不明土地の問題は、2011年に起きた東日本大震災によっていっきに噴出し、大きな注目をあびた。復興事業の途上において、所有者を特定できない不動産の存在が、住宅移転事業や公営住宅建設のための用地買収などの障害となる事例がたびたび発生し、大きな問題となった。 被災自治体からのあいつぐ要望を受け、ついには国も本格的な対策に着手し、「所有者不明土地の利用の円滑化等に関する特別措置法」の制定や相続登記の義務化(2024年度施行予定)など、所有者不明土地の流通や再利用をうながすための法整備が進められている。共有地の荒廃が続く根本原因は… だが、千葉県北東部の限界分譲地の場合、共有地の荒廃が続いている根本的原因は、不明な所有者の合意がとれないことにあるのではない。たしかに、登記簿上の住所が変更されておらず民間レベルでは連絡がとれなくなっている区画があるのも事実だが、それ以前に、多くの区画所有者・利用者にとって、共用部や設備の維持管理が喫緊の課題となりえないという限界分譲地固有の事情があり、これこそが最大の要因である。 区画所有者の大部分をしめる不在地主のほとんどは地域外の在住で、所有地の管理を地元業者に一任しているが、業者は作業に支障が出る場合をのぞき、基本的には依頼された所有地を整備するのみで、私道などの共用部分の管理はおこなわない。 不在地主自身も、遠く離れた所有地の共用部分が管理不全に陥ろうとも、自身の生活に影響が生じるわけではなく、おそらくほとんどの場合は、その荒廃すら把握していないのではと思われる。 一方、じっさいにその地で生活する居住者にとって、共用部分の荒廃は生活環境に直結する重大な問題のはずだが、この場合もまた、さまざまな問題をはらんでいる。賃貸化が生む「無関心」 そもそも多くの郊外型住宅地と同様、千葉県北東部の限界分譲地も開発時期の古いところでは高齢世帯が多くなっており、体力的な事情で共用部分の自主管理が厳しくなっている。年齢的にも、いまから多額の費用を負担してまで、自宅やその周辺の再整備をおこなおうという気概のある人は少ない。 また、限界分譲地は、分譲後に投機目的の取得者をいったんはさんで流通しているので、一般的な郊外型ニュータウンや大型マンションのような、短期間の集中的な住民の流入が発生しておらず、世帯によって転入時期がバラバラである。 こういった遠郊外部の住宅の購入者のなかには、十分な支払い能力を有しないまま住宅ローンを組んでしまった世帯も少なくなく、八街市や山武市などは一時期、住宅ローン返済の滞納による競売物件数が、全国でもトップクラスにまで跳ね上がった。 加えて、子どもの進学を機に、交通不便な限界分譲地から、通学がもっと容易な地域へ転居してしまうこともあり、こうして手放された住宅は、その廉価さゆえに賃貸オーナーに取得され、新たに貸しにだされることが多い。 賃貸オーナーにせよ、その賃貸物件の入居者にせよ、自己所有の世帯にくらべて共用部への関心は高くない。収益利回りを重視する賃貸経営者は例外なくよぶんな経費を嫌うものであるし、入居者にしても、みずからの所有物でもない貸家の周辺環境の未来までみすえて行動を起こす理由がないからだ。自己所有者は、ときに近隣の空き地を駐車場や菜園用地として取得し整備することもあるが、賃貸の居住者にはそれも期待できない。大掛かりな工事で作られたものを、素人が維持するのは「どう考えても無理がある」 つまり、居住者が少なく空き地を多くかかえる限界分譲地は、区画所有者に連絡がとれるか否か以前に、そもそも合意をとりまとめることができるほどの地域コミュニティが形成されず、また居住者の転出入がくり返されている住戸も多いために、いまなお地域に合意をめざす要請そのものが存在しないのである。 2018年に法務省が公表した「所有者不明私道への対応ガイドライン」は、その名のとおり、私道について一部の持ち分所有者の合意がとれずに補修が難航した場合の対策を示したものであり、合意形成への意思もない地域に対して問題解決の道を示すものではない。 もちろん、すべての分譲地が、朽ちていく共用部分を、指をくわえて見ているだけではない。僕が八街市で暮らしていた分譲地のように(後述するが、僕はその後、引っ越しをして別の分譲地に暮らしている)、地域の自治会とはべつに、分譲地で独自の管理組合をつくり、一定額の管理費をプールしたうえで、定期的に側溝掃除や草刈りなどをおこなって、環境維持に努めているところもある。 だが、それにしても、もともと大がかりな造成工事で建築された道路や側溝などの土木工作物を、けっして多くない住民の手弁当で維持しつづけるのは、どう考えても無理がある。今後ますます、既存住宅の売却や相続が進めば、いずれはそうした自主管理の合意形成すらも困難になっていくことは想像に難くない。 そんな管理不全の分譲地においてすら、地価が安いゆえに、いまもなお貸家や売家の供給は続いており、代謝は止まらない。そのような住宅地を地域社会に組み込んでいかなくてはならない状態が続いていくのである。「値段で勝負! 生活に必要な施設はありません」かつてのニュータウンは今…限界分譲地“40年後の行方” へ続く(吉川 祐介)
そうした所有者不明土地の問題は、2011年に起きた東日本大震災によっていっきに噴出し、大きな注目をあびた。復興事業の途上において、所有者を特定できない不動産の存在が、住宅移転事業や公営住宅建設のための用地買収などの障害となる事例がたびたび発生し、大きな問題となった。
被災自治体からのあいつぐ要望を受け、ついには国も本格的な対策に着手し、「所有者不明土地の利用の円滑化等に関する特別措置法」の制定や相続登記の義務化(2024年度施行予定)など、所有者不明土地の流通や再利用をうながすための法整備が進められている。
だが、千葉県北東部の限界分譲地の場合、共有地の荒廃が続いている根本的原因は、不明な所有者の合意がとれないことにあるのではない。たしかに、登記簿上の住所が変更されておらず民間レベルでは連絡がとれなくなっている区画があるのも事実だが、それ以前に、多くの区画所有者・利用者にとって、共用部や設備の維持管理が喫緊の課題となりえないという限界分譲地固有の事情があり、これこそが最大の要因である。
区画所有者の大部分をしめる不在地主のほとんどは地域外の在住で、所有地の管理を地元業者に一任しているが、業者は作業に支障が出る場合をのぞき、基本的には依頼された所有地を整備するのみで、私道などの共用部分の管理はおこなわない。
不在地主自身も、遠く離れた所有地の共用部分が管理不全に陥ろうとも、自身の生活に影響が生じるわけではなく、おそらくほとんどの場合は、その荒廃すら把握していないのではと思われる。 一方、じっさいにその地で生活する居住者にとって、共用部分の荒廃は生活環境に直結する重大な問題のはずだが、この場合もまた、さまざまな問題をはらんでいる。賃貸化が生む「無関心」 そもそも多くの郊外型住宅地と同様、千葉県北東部の限界分譲地も開発時期の古いところでは高齢世帯が多くなっており、体力的な事情で共用部分の自主管理が厳しくなっている。年齢的にも、いまから多額の費用を負担してまで、自宅やその周辺の再整備をおこなおうという気概のある人は少ない。 また、限界分譲地は、分譲後に投機目的の取得者をいったんはさんで流通しているので、一般的な郊外型ニュータウンや大型マンションのような、短期間の集中的な住民の流入が発生しておらず、世帯によって転入時期がバラバラである。 こういった遠郊外部の住宅の購入者のなかには、十分な支払い能力を有しないまま住宅ローンを組んでしまった世帯も少なくなく、八街市や山武市などは一時期、住宅ローン返済の滞納による競売物件数が、全国でもトップクラスにまで跳ね上がった。 加えて、子どもの進学を機に、交通不便な限界分譲地から、通学がもっと容易な地域へ転居してしまうこともあり、こうして手放された住宅は、その廉価さゆえに賃貸オーナーに取得され、新たに貸しにだされることが多い。 賃貸オーナーにせよ、その賃貸物件の入居者にせよ、自己所有の世帯にくらべて共用部への関心は高くない。収益利回りを重視する賃貸経営者は例外なくよぶんな経費を嫌うものであるし、入居者にしても、みずからの所有物でもない貸家の周辺環境の未来までみすえて行動を起こす理由がないからだ。自己所有者は、ときに近隣の空き地を駐車場や菜園用地として取得し整備することもあるが、賃貸の居住者にはそれも期待できない。大掛かりな工事で作られたものを、素人が維持するのは「どう考えても無理がある」 つまり、居住者が少なく空き地を多くかかえる限界分譲地は、区画所有者に連絡がとれるか否か以前に、そもそも合意をとりまとめることができるほどの地域コミュニティが形成されず、また居住者の転出入がくり返されている住戸も多いために、いまなお地域に合意をめざす要請そのものが存在しないのである。 2018年に法務省が公表した「所有者不明私道への対応ガイドライン」は、その名のとおり、私道について一部の持ち分所有者の合意がとれずに補修が難航した場合の対策を示したものであり、合意形成への意思もない地域に対して問題解決の道を示すものではない。 もちろん、すべての分譲地が、朽ちていく共用部分を、指をくわえて見ているだけではない。僕が八街市で暮らしていた分譲地のように(後述するが、僕はその後、引っ越しをして別の分譲地に暮らしている)、地域の自治会とはべつに、分譲地で独自の管理組合をつくり、一定額の管理費をプールしたうえで、定期的に側溝掃除や草刈りなどをおこなって、環境維持に努めているところもある。 だが、それにしても、もともと大がかりな造成工事で建築された道路や側溝などの土木工作物を、けっして多くない住民の手弁当で維持しつづけるのは、どう考えても無理がある。今後ますます、既存住宅の売却や相続が進めば、いずれはそうした自主管理の合意形成すらも困難になっていくことは想像に難くない。 そんな管理不全の分譲地においてすら、地価が安いゆえに、いまもなお貸家や売家の供給は続いており、代謝は止まらない。そのような住宅地を地域社会に組み込んでいかなくてはならない状態が続いていくのである。「値段で勝負! 生活に必要な施設はありません」かつてのニュータウンは今…限界分譲地“40年後の行方” へ続く(吉川 祐介)
不在地主自身も、遠く離れた所有地の共用部分が管理不全に陥ろうとも、自身の生活に影響が生じるわけではなく、おそらくほとんどの場合は、その荒廃すら把握していないのではと思われる。
一方、じっさいにその地で生活する居住者にとって、共用部分の荒廃は生活環境に直結する重大な問題のはずだが、この場合もまた、さまざまな問題をはらんでいる。
そもそも多くの郊外型住宅地と同様、千葉県北東部の限界分譲地も開発時期の古いところでは高齢世帯が多くなっており、体力的な事情で共用部分の自主管理が厳しくなっている。年齢的にも、いまから多額の費用を負担してまで、自宅やその周辺の再整備をおこなおうという気概のある人は少ない。
また、限界分譲地は、分譲後に投機目的の取得者をいったんはさんで流通しているので、一般的な郊外型ニュータウンや大型マンションのような、短期間の集中的な住民の流入が発生しておらず、世帯によって転入時期がバラバラである。
こういった遠郊外部の住宅の購入者のなかには、十分な支払い能力を有しないまま住宅ローンを組んでしまった世帯も少なくなく、八街市や山武市などは一時期、住宅ローン返済の滞納による競売物件数が、全国でもトップクラスにまで跳ね上がった。 加えて、子どもの進学を機に、交通不便な限界分譲地から、通学がもっと容易な地域へ転居してしまうこともあり、こうして手放された住宅は、その廉価さゆえに賃貸オーナーに取得され、新たに貸しにだされることが多い。 賃貸オーナーにせよ、その賃貸物件の入居者にせよ、自己所有の世帯にくらべて共用部への関心は高くない。収益利回りを重視する賃貸経営者は例外なくよぶんな経費を嫌うものであるし、入居者にしても、みずからの所有物でもない貸家の周辺環境の未来までみすえて行動を起こす理由がないからだ。自己所有者は、ときに近隣の空き地を駐車場や菜園用地として取得し整備することもあるが、賃貸の居住者にはそれも期待できない。大掛かりな工事で作られたものを、素人が維持するのは「どう考えても無理がある」 つまり、居住者が少なく空き地を多くかかえる限界分譲地は、区画所有者に連絡がとれるか否か以前に、そもそも合意をとりまとめることができるほどの地域コミュニティが形成されず、また居住者の転出入がくり返されている住戸も多いために、いまなお地域に合意をめざす要請そのものが存在しないのである。 2018年に法務省が公表した「所有者不明私道への対応ガイドライン」は、その名のとおり、私道について一部の持ち分所有者の合意がとれずに補修が難航した場合の対策を示したものであり、合意形成への意思もない地域に対して問題解決の道を示すものではない。 もちろん、すべての分譲地が、朽ちていく共用部分を、指をくわえて見ているだけではない。僕が八街市で暮らしていた分譲地のように(後述するが、僕はその後、引っ越しをして別の分譲地に暮らしている)、地域の自治会とはべつに、分譲地で独自の管理組合をつくり、一定額の管理費をプールしたうえで、定期的に側溝掃除や草刈りなどをおこなって、環境維持に努めているところもある。 だが、それにしても、もともと大がかりな造成工事で建築された道路や側溝などの土木工作物を、けっして多くない住民の手弁当で維持しつづけるのは、どう考えても無理がある。今後ますます、既存住宅の売却や相続が進めば、いずれはそうした自主管理の合意形成すらも困難になっていくことは想像に難くない。 そんな管理不全の分譲地においてすら、地価が安いゆえに、いまもなお貸家や売家の供給は続いており、代謝は止まらない。そのような住宅地を地域社会に組み込んでいかなくてはならない状態が続いていくのである。「値段で勝負! 生活に必要な施設はありません」かつてのニュータウンは今…限界分譲地“40年後の行方” へ続く(吉川 祐介)
こういった遠郊外部の住宅の購入者のなかには、十分な支払い能力を有しないまま住宅ローンを組んでしまった世帯も少なくなく、八街市や山武市などは一時期、住宅ローン返済の滞納による競売物件数が、全国でもトップクラスにまで跳ね上がった。
加えて、子どもの進学を機に、交通不便な限界分譲地から、通学がもっと容易な地域へ転居してしまうこともあり、こうして手放された住宅は、その廉価さゆえに賃貸オーナーに取得され、新たに貸しにだされることが多い。
賃貸オーナーにせよ、その賃貸物件の入居者にせよ、自己所有の世帯にくらべて共用部への関心は高くない。収益利回りを重視する賃貸経営者は例外なくよぶんな経費を嫌うものであるし、入居者にしても、みずからの所有物でもない貸家の周辺環境の未来までみすえて行動を起こす理由がないからだ。自己所有者は、ときに近隣の空き地を駐車場や菜園用地として取得し整備することもあるが、賃貸の居住者にはそれも期待できない。
つまり、居住者が少なく空き地を多くかかえる限界分譲地は、区画所有者に連絡がとれるか否か以前に、そもそも合意をとりまとめることができるほどの地域コミュニティが形成されず、また居住者の転出入がくり返されている住戸も多いために、いまなお地域に合意をめざす要請そのものが存在しないのである。
2018年に法務省が公表した「所有者不明私道への対応ガイドライン」は、その名のとおり、私道について一部の持ち分所有者の合意がとれずに補修が難航した場合の対策を示したものであり、合意形成への意思もない地域に対して問題解決の道を示すものではない。
もちろん、すべての分譲地が、朽ちていく共用部分を、指をくわえて見ているだけではない。僕が八街市で暮らしていた分譲地のように(後述するが、僕はその後、引っ越しをして別の分譲地に暮らしている)、地域の自治会とはべつに、分譲地で独自の管理組合をつくり、一定額の管理費をプールしたうえで、定期的に側溝掃除や草刈りなどをおこなって、環境維持に努めているところもある。
だが、それにしても、もともと大がかりな造成工事で建築された道路や側溝などの土木工作物を、けっして多くない住民の手弁当で維持しつづけるのは、どう考えても無理がある。今後ますます、既存住宅の売却や相続が進めば、いずれはそうした自主管理の合意形成すらも困難になっていくことは想像に難くない。
そんな管理不全の分譲地においてすら、地価が安いゆえに、いまもなお貸家や売家の供給は続いており、代謝は止まらない。そのような住宅地を地域社会に組み込んでいかなくてはならない状態が続いていくのである。
「値段で勝負! 生活に必要な施設はありません」かつてのニュータウンは今…限界分譲地“40年後の行方” へ続く
(吉川 祐介)