昨年12月26日に宝塚歌劇団を退団した脚本家・演出家の原田諒氏。5月10日発売号の月刊「文藝春秋」に手記を寄稿し、退団に至る顛末と歌劇団に復籍を求め提訴したことを明らかにした。
【画像】「お身体とご予定が可能でしたら、朝ご飯をご一緒させてください」原田氏とA氏とのLINEのやりとり歌劇団の声明に対し、原田氏は手記で反論 原田氏は2003年に宝塚歌劇団に入団。10年に演出家デビューし、『ロバート・キャパ 魂の記録』(12年)、『For the people-リンカーン 自由を求めた男-』(16年)で読売演劇大賞、18年には菊田一夫演劇賞を受賞している。

原田諒氏 文藝春秋 原田氏が退団するきっかけとなったのはハラスメント報道だった。 昨年12月28日発売「週刊文春」の「宝塚有名演出家の性加害とパワハラ」と題する記事で、原田氏が20代の演出助手A氏を執拗にホテルに誘い、セクハラ発言を繰り返していたこと、雪組トップスターの彩風咲奈と雪組トップ娘役の朝月希和(当時)に暴言を吐いていたことが報じられた。 歌劇団は、報道後、「(A氏に対する)ハラスメント事案があったことは弊団として確認しており、関係者から慎重に聞き取りを行い、また弁護士等の見解を参考に、厳正に対処するとともに、ハラスメントを受けた方の心情に寄り添い真摯に対応しております」などと声明を発表した。 こうした歌劇団の発表に対し、原田氏は手記で反論している。LINEの会話や、日記と録音をもとにA氏や歌劇団幹部とのやり取りを再現している。原田氏に届いたA氏からのLINE 原田氏がA氏と初めて会ったのは2022年4月のこと。元宝塚トップスターの真矢ミキ氏が主治医からの相談を受け、演出助手を志望するA氏を原田氏に紹介。原田氏は歌劇団選考試験の相談に乗っていた。7月30日、彼から内定の報告を受けると、頻繁に連絡がくるようになったという。〈「週刊文春」では《憧れの宝塚に入れる喜びから一転、Aさんの恐怖と戦う日々が始まった》と報じられたが、私の認識とは大きく異なる〉(以下、原田氏の手記からの引用) A氏から原田氏にこんなLINEが連日届いていた。「お身体とご予定が可能でしたら、朝ご飯をご一緒させてください」「東京にいらっしゃる時は足にならせてください」「モーニングコールはお任せください」「宝塚に行っても、できる限りお側にいさせてください!」会話の大半は演劇についてだったが、時には冗談も言い合う間柄に「週刊文春」で報じられた「セクハラ」発言は、いつ・どんな場面で発した言葉なのか、いくつか明確に記憶があるという。例えば、「君のことを犯してしまうと思う」は、8月、音楽制作が深夜2時まで続いた或る夜の会話がもとになっていると振り返る。〈この日もAは迎えに来てくれ、2人で軽く食事をして私の滞在先のホテルに着いたのは深夜3時過ぎ。車を降りようとしたとき、Aとこんな会話をした。「先生、明日は何時ですか」「朝イチで打合せがあるから、始発の飛行機で帰るよ」「お迎えに上がります!」「いいよ、タクシーで行くから」「いや大丈夫です!」20時間近い音楽制作後の、真夏の熱帯夜である。私の疲労は極限に達し、迎えに来るの来ないの、そんな押し問答をする体力も気力も残っていなかった。閉口した私は思わず、「大丈夫じゃないやん。君が全然寝られへんやん。それやったらもう泊まっていき。でもベッドひとつしかないから、犯すかもわからへんで」と冗談めかして言った。それで互いに大笑いとなり、ようやくAは帰って行った〉 原田氏は、タイミングが合えば、A氏を食事に誘って演出助手時代の経験談を話し、譜面読みや音出しのコツなどを伝授したという。A氏との会話の大半は演劇についてだったが、打ち解けるようになるにつれ、時に冗談も言い合う間柄に。A氏も、自身の性事情など、下ネタを自ら進んで話題にすることがあった。「恋愛感情や性的欲求を抱いたことは一度としてない」〈私の発言として報じられている「1週間に何回(自慰を)するの?」などは、そうした猥談の中の言葉だが、性行為の要求は身に覚えがない。とはいえ、彼とは冗談で下ネタを言い合える関係だと勘違いしてしまった。演出家と演出助手の関係を考えれば後輩に対してふさわしくない言葉だったと反省している。ただ、明確に否定したいのは、週刊文春誌上の「何度もホテルに誘い」「一緒に裸で寝よ」といった言動を、常習的に繰り返したとする部分だ。Aに対して恋愛感情や性的欲求を抱いたことは一度としてない。当然、指一本触れたこともなければ自宅に入れたこともない〉 9月に入団したA氏は、原田氏が演出を務める『蒼穹の昴』の演出助手に入りたいと、頼み込んできたという。この頃も、A氏は「色々な方が、僕の師匠が原田先生であることを認知していただいているいみたいで嬉しかったです」「僕は原田先生の演出秘書です」などと、原田氏を慕っている様子がLINEなどから窺える。その後、A氏は別の制作現場に演出助手として加わり、深夜まで稽古場の準備に追われていたようだ。 異変があったのは11月下旬。A氏が原田氏のハラスメントを歌劇団に訴えたのだ。〈総務部長は、A側が面談で提出した2枚のメモ書きを私に見せてきた。(中略)そこには車中で私がAと交わしたという言葉の抜き書きが記されていた。2枚目には「原田の恐怖支配により、宝塚に入団してから8キロ痩せた」、「深夜に原田により過酷なスケジュールで、呼び出しが強制的に行われている」、「〇〇先生(別の演出助手)から原田がバイセクシャルだと聞き、頭痛やめまいがするようになった」などの文言が連なっていた。私の発言は背景事情のある「会話」の一部である。とりわけ、別の演出助手による勝手な性的指向の憶測と流布、それをハラスメントの根拠の一つとすることは人権侵害ではないか。(中略)そもそも突如としてAの人格が変わったようにしか思えなかった。最後に会った日も変わった様子はなく「入団から8キロ痩せた」とは信じ難い。来年の私の担当公演には必ずスタッフに入れてくれと幾度も懇願してきたあの言葉はいったい何だったのか。どうにも合点がいかないことが多かった〉 12月2日、木場健之宝塚歌劇団理事長から、後日開かれる懲戒委員会の場でハラスメントに関する聴取があった後、正式な処分が決まると告げられる。この間、原田氏はA氏との面会を希望していた。手記では〈第三者の立ち会いのもと、きちんと話し、たとえ冗談とはいえそれを不快に思っていたのであれば、真摯に謝り、金輪際そう云うことは言わないと約束したかった〉と、当時の心境を綴る。総務部長を通じてA氏の母からの要望に従い反省文を提出した。懲戒委員会が行われることなく、阪急グループに異動が決定 ところが――。3日後の12月5日の歌劇団幹部との面談でのことだった。〈「この2、3日でA側の態度が硬化している」私が席に着くや否や、木場理事長がそう切り出した。「Aの母親が、あなたを宝塚歌劇団から出さなければ、10日の土曜日に文春に情報を渡すと言ってきた。土曜に情報を渡せば、月曜日には記事にしてもらえるらしい。もう記者ともコンタクトを取っていると言っている。Aの脅しを免れるために、9日付であなたは阪急電鉄の創遊事業本部に異動してもらうことに決定した(中略)異動はもう決まったことだから。業務命令!」(中略)振り返ると、劇団幹部とのやり取りは弁護士などの第三者が立ち会うことはなく、常に密室で行われた〉 結局、懲戒委員会が行われることなく、原田氏は12月9日付で歌劇団から阪急電鉄に異動することとなった。しかし、異動後もA氏側が納得することはなく、手記で〈12月13日の面談では劇団幹部から信じられない言葉が次々と飛び出した〉と、退職までの過程を詳細に明かす。 また、彩風咲奈と朝月希和へのパワハラ報道についても、〈事実無根、大いに心外〉とし、稽古の様子などを記している。 宝塚歌劇団からの回答は得られず 4月7日、原田氏は宝塚歌劇団を提訴した。〈やむなく私は司法の手を借りて復籍を求めることにした。愛する宝塚を相手に訴訟を起こしたが、忸怩たる思いがあるのも事実である。しかしこのまま何もなかったことには出来ない。多くの演劇関係者や友人たちからは「そこまでして宝塚にこだわる必要はない」と諭された。だが宝塚は唯一無二の、何ものにも代え難い世界である。だからこそ宝塚歌劇団は出演者やスタッフに、私が受けたような退職強要を行う組織であってほしくないと心から願う〉 宝塚歌劇団に、原田氏の退団の経緯について尋ねたが、回答はなかった。なぜ原田氏は宝塚歌劇団から“追放”されたのか またA氏の母親は「文藝春秋」編集部の取材に次のように答えた。「深夜運転はETCカード履歴で、原田さんの発言は録音で確認しています。最初の段階で原田さんからきちんと謝罪があれば良かったのに、『反省するどころか横柄な態度を取っていた』と聞き、何なのと。謝罪が遅すぎました。劇団に対して『文春に言う』と話したかもしれませんが、執拗には言っていません。息子は現在も休職中です。劇団は手厚い復帰プログラムを作ってくれています」 なぜ、原田氏は宝塚歌劇団から“追放”されたのか。「宝塚『性加害』の真相」と題した原田氏の手記は、5月10日発売の「文藝春秋」6月号で19ページにわたって掲載されている。(「文藝春秋 電子版」では5月9日に公開)。(「文藝春秋」編集部/文藝春秋 2023年6月号)
原田氏は2003年に宝塚歌劇団に入団。10年に演出家デビューし、『ロバート・キャパ 魂の記録』(12年)、『For the people-リンカーン 自由を求めた男-』(16年)で読売演劇大賞、18年には菊田一夫演劇賞を受賞している。
原田諒氏 文藝春秋
原田氏が退団するきっかけとなったのはハラスメント報道だった。
昨年12月28日発売「週刊文春」の「宝塚有名演出家の性加害とパワハラ」と題する記事で、原田氏が20代の演出助手A氏を執拗にホテルに誘い、セクハラ発言を繰り返していたこと、雪組トップスターの彩風咲奈と雪組トップ娘役の朝月希和(当時)に暴言を吐いていたことが報じられた。
歌劇団は、報道後、「(A氏に対する)ハラスメント事案があったことは弊団として確認しており、関係者から慎重に聞き取りを行い、また弁護士等の見解を参考に、厳正に対処するとともに、ハラスメントを受けた方の心情に寄り添い真摯に対応しております」などと声明を発表した。
こうした歌劇団の発表に対し、原田氏は手記で反論している。LINEの会話や、日記と録音をもとにA氏や歌劇団幹部とのやり取りを再現している。
原田氏がA氏と初めて会ったのは2022年4月のこと。元宝塚トップスターの真矢ミキ氏が主治医からの相談を受け、演出助手を志望するA氏を原田氏に紹介。原田氏は歌劇団選考試験の相談に乗っていた。7月30日、彼から内定の報告を受けると、頻繁に連絡がくるようになったという。
〈「週刊文春」では《憧れの宝塚に入れる喜びから一転、Aさんの恐怖と戦う日々が始まった》と報じられたが、私の認識とは大きく異なる〉(以下、原田氏の手記からの引用)
A氏から原田氏にこんなLINEが連日届いていた。
「お身体とご予定が可能でしたら、朝ご飯をご一緒させてください」
「東京にいらっしゃる時は足にならせてください」
「モーニングコールはお任せください」
「宝塚に行っても、できる限りお側にいさせてください!」
「週刊文春」で報じられた「セクハラ」発言は、いつ・どんな場面で発した言葉なのか、いくつか明確に記憶があるという。例えば、「君のことを犯してしまうと思う」は、8月、音楽制作が深夜2時まで続いた或る夜の会話がもとになっていると振り返る。
〈この日もAは迎えに来てくれ、2人で軽く食事をして私の滞在先のホテルに着いたのは深夜3時過ぎ。車を降りようとしたとき、Aとこんな会話をした。「先生、明日は何時ですか」「朝イチで打合せがあるから、始発の飛行機で帰るよ」「お迎えに上がります!」「いいよ、タクシーで行くから」「いや大丈夫です!」20時間近い音楽制作後の、真夏の熱帯夜である。私の疲労は極限に達し、迎えに来るの来ないの、そんな押し問答をする体力も気力も残っていなかった。閉口した私は思わず、「大丈夫じゃないやん。君が全然寝られへんやん。それやったらもう泊まっていき。でもベッドひとつしかないから、犯すかもわからへんで」と冗談めかして言った。それで互いに大笑いとなり、ようやくAは帰って行った〉
原田氏は、タイミングが合えば、A氏を食事に誘って演出助手時代の経験談を話し、譜面読みや音出しのコツなどを伝授したという。A氏との会話の大半は演劇についてだったが、打ち解けるようになるにつれ、時に冗談も言い合う間柄に。A氏も、自身の性事情など、下ネタを自ら進んで話題にすることがあった。
〈私の発言として報じられている「1週間に何回(自慰を)するの?」などは、そうした猥談の中の言葉だが、性行為の要求は身に覚えがない。とはいえ、彼とは冗談で下ネタを言い合える関係だと勘違いしてしまった。演出家と演出助手の関係を考えれば後輩に対してふさわしくない言葉だったと反省している。ただ、明確に否定したいのは、週刊文春誌上の「何度もホテルに誘い」「一緒に裸で寝よ」といった言動を、常習的に繰り返したとする部分だ。Aに対して恋愛感情や性的欲求を抱いたことは一度としてない。当然、指一本触れたこともなければ自宅に入れたこともない〉
9月に入団したA氏は、原田氏が演出を務める『蒼穹の昴』の演出助手に入りたいと、頼み込んできたという。この頃も、A氏は「色々な方が、僕の師匠が原田先生であることを認知していただいているいみたいで嬉しかったです」「僕は原田先生の演出秘書です」などと、原田氏を慕っている様子がLINEなどから窺える。その後、A氏は別の制作現場に演出助手として加わり、深夜まで稽古場の準備に追われていたようだ。
異変があったのは11月下旬。A氏が原田氏のハラスメントを歌劇団に訴えたのだ。
〈総務部長は、A側が面談で提出した2枚のメモ書きを私に見せてきた。(中略)そこには車中で私がAと交わしたという言葉の抜き書きが記されていた。2枚目には「原田の恐怖支配により、宝塚に入団してから8キロ痩せた」、「深夜に原田により過酷なスケジュールで、呼び出しが強制的に行われている」、「〇〇先生(別の演出助手)から原田がバイセクシャルだと聞き、頭痛やめまいがするようになった」などの文言が連なっていた。私の発言は背景事情のある「会話」の一部である。とりわけ、別の演出助手による勝手な性的指向の憶測と流布、それをハラスメントの根拠の一つとすることは人権侵害ではないか。(中略)そもそも突如としてAの人格が変わったようにしか思えなかった。最後に会った日も変わった様子はなく「入団から8キロ痩せた」とは信じ難い。来年の私の担当公演には必ずスタッフに入れてくれと幾度も懇願してきたあの言葉はいったい何だったのか。どうにも合点がいかないことが多かった〉
12月2日、木場健之宝塚歌劇団理事長から、後日開かれる懲戒委員会の場でハラスメントに関する聴取があった後、正式な処分が決まると告げられる。この間、原田氏はA氏との面会を希望していた。手記では〈第三者の立ち会いのもと、きちんと話し、たとえ冗談とはいえそれを不快に思っていたのであれば、真摯に謝り、金輪際そう云うことは言わないと約束したかった〉と、当時の心境を綴る。総務部長を通じてA氏の母からの要望に従い反省文を提出した。
懲戒委員会が行われることなく、阪急グループに異動が決定 ところが――。3日後の12月5日の歌劇団幹部との面談でのことだった。〈「この2、3日でA側の態度が硬化している」私が席に着くや否や、木場理事長がそう切り出した。「Aの母親が、あなたを宝塚歌劇団から出さなければ、10日の土曜日に文春に情報を渡すと言ってきた。土曜に情報を渡せば、月曜日には記事にしてもらえるらしい。もう記者ともコンタクトを取っていると言っている。Aの脅しを免れるために、9日付であなたは阪急電鉄の創遊事業本部に異動してもらうことに決定した(中略)異動はもう決まったことだから。業務命令!」(中略)振り返ると、劇団幹部とのやり取りは弁護士などの第三者が立ち会うことはなく、常に密室で行われた〉 結局、懲戒委員会が行われることなく、原田氏は12月9日付で歌劇団から阪急電鉄に異動することとなった。しかし、異動後もA氏側が納得することはなく、手記で〈12月13日の面談では劇団幹部から信じられない言葉が次々と飛び出した〉と、退職までの過程を詳細に明かす。 また、彩風咲奈と朝月希和へのパワハラ報道についても、〈事実無根、大いに心外〉とし、稽古の様子などを記している。 宝塚歌劇団からの回答は得られず 4月7日、原田氏は宝塚歌劇団を提訴した。〈やむなく私は司法の手を借りて復籍を求めることにした。愛する宝塚を相手に訴訟を起こしたが、忸怩たる思いがあるのも事実である。しかしこのまま何もなかったことには出来ない。多くの演劇関係者や友人たちからは「そこまでして宝塚にこだわる必要はない」と諭された。だが宝塚は唯一無二の、何ものにも代え難い世界である。だからこそ宝塚歌劇団は出演者やスタッフに、私が受けたような退職強要を行う組織であってほしくないと心から願う〉 宝塚歌劇団に、原田氏の退団の経緯について尋ねたが、回答はなかった。なぜ原田氏は宝塚歌劇団から“追放”されたのか またA氏の母親は「文藝春秋」編集部の取材に次のように答えた。「深夜運転はETCカード履歴で、原田さんの発言は録音で確認しています。最初の段階で原田さんからきちんと謝罪があれば良かったのに、『反省するどころか横柄な態度を取っていた』と聞き、何なのと。謝罪が遅すぎました。劇団に対して『文春に言う』と話したかもしれませんが、執拗には言っていません。息子は現在も休職中です。劇団は手厚い復帰プログラムを作ってくれています」 なぜ、原田氏は宝塚歌劇団から“追放”されたのか。「宝塚『性加害』の真相」と題した原田氏の手記は、5月10日発売の「文藝春秋」6月号で19ページにわたって掲載されている。(「文藝春秋 電子版」では5月9日に公開)。(「文藝春秋」編集部/文藝春秋 2023年6月号)
ところが――。3日後の12月5日の歌劇団幹部との面談でのことだった。
〈「この2、3日でA側の態度が硬化している」私が席に着くや否や、木場理事長がそう切り出した。「Aの母親が、あなたを宝塚歌劇団から出さなければ、10日の土曜日に文春に情報を渡すと言ってきた。土曜に情報を渡せば、月曜日には記事にしてもらえるらしい。もう記者ともコンタクトを取っていると言っている。Aの脅しを免れるために、9日付であなたは阪急電鉄の創遊事業本部に異動してもらうことに決定した(中略)異動はもう決まったことだから。業務命令!」(中略)振り返ると、劇団幹部とのやり取りは弁護士などの第三者が立ち会うことはなく、常に密室で行われた〉
結局、懲戒委員会が行われることなく、原田氏は12月9日付で歌劇団から阪急電鉄に異動することとなった。しかし、異動後もA氏側が納得することはなく、手記で〈12月13日の面談では劇団幹部から信じられない言葉が次々と飛び出した〉と、退職までの過程を詳細に明かす。
また、彩風咲奈と朝月希和へのパワハラ報道についても、〈事実無根、大いに心外〉とし、稽古の様子などを記している。
4月7日、原田氏は宝塚歌劇団を提訴した。
〈やむなく私は司法の手を借りて復籍を求めることにした。愛する宝塚を相手に訴訟を起こしたが、忸怩たる思いがあるのも事実である。しかしこのまま何もなかったことには出来ない。多くの演劇関係者や友人たちからは「そこまでして宝塚にこだわる必要はない」と諭された。だが宝塚は唯一無二の、何ものにも代え難い世界である。だからこそ宝塚歌劇団は出演者やスタッフに、私が受けたような退職強要を行う組織であってほしくないと心から願う〉
宝塚歌劇団に、原田氏の退団の経緯について尋ねたが、回答はなかった。
なぜ原田氏は宝塚歌劇団から“追放”されたのか またA氏の母親は「文藝春秋」編集部の取材に次のように答えた。「深夜運転はETCカード履歴で、原田さんの発言は録音で確認しています。最初の段階で原田さんからきちんと謝罪があれば良かったのに、『反省するどころか横柄な態度を取っていた』と聞き、何なのと。謝罪が遅すぎました。劇団に対して『文春に言う』と話したかもしれませんが、執拗には言っていません。息子は現在も休職中です。劇団は手厚い復帰プログラムを作ってくれています」 なぜ、原田氏は宝塚歌劇団から“追放”されたのか。「宝塚『性加害』の真相」と題した原田氏の手記は、5月10日発売の「文藝春秋」6月号で19ページにわたって掲載されている。(「文藝春秋 電子版」では5月9日に公開)。(「文藝春秋」編集部/文藝春秋 2023年6月号)
またA氏の母親は「文藝春秋」編集部の取材に次のように答えた。「深夜運転はETCカード履歴で、原田さんの発言は録音で確認しています。最初の段階で原田さんからきちんと謝罪があれば良かったのに、『反省するどころか横柄な態度を取っていた』と聞き、何なのと。謝罪が遅すぎました。劇団に対して『文春に言う』と話したかもしれませんが、執拗には言っていません。息子は現在も休職中です。劇団は手厚い復帰プログラムを作ってくれています」
なぜ、原田氏は宝塚歌劇団から“追放”されたのか。「宝塚『性加害』の真相」と題した原田氏の手記は、5月10日発売の「文藝春秋」6月号で19ページにわたって掲載されている。(「文藝春秋 電子版」では5月9日に公開)。
(「文藝春秋」編集部/文藝春秋 2023年6月号)