こんにちは。伝説のレディース暴走族雑誌『ティーンズロード』3代目編集長をやっていた倉科典仁と申します。ティーンズロードは1989年に創刊され、90年代には社会現象に。現在は休刊となっておりますが、そんな本誌に10年以上携わっていました。 暴走行為(共同危険行為等)は決して許されるものではありませんが、時を経て、編集者として今振り返る「暴走族」の姿とは……。
◆ヤンキーたちが漢字を好んで使う意外な理由
令和の若者たちには理解に苦しむ話だと思いますが、レディース(女性暴走族)はもちろん、昭和、平成時代に生きた“ヤンキー”と呼ばれる不良たちは、「愛羅武勇(アイラブユー)」や「夜露死苦(ヨロシク)」など、英語なども含め、あらゆる言葉を漢字に変換することを好んでいました。特攻服には、チーム名まで漢字で刺繍が施されます。
“ヤンキー界の重鎮”と呼ばれる、青少年不良文化評論家の岩橋健一郎氏をインタビューした際、そこには意外な理由があることがわかったのです。 諸説あることを前置きしたうえですが、今回は岩橋氏が語った「暴走族がなぜ漢字に変換していたのか」というルーツをご紹介します。
◆漢字変換カルチャーのルーツは横須賀?「愛羅武勇」「夜露死苦」「仏恥義理」 みなさんも一度くらいは「愛羅武勇(アイラブユー)」や「夜露死苦(ヨロシク)」などという漢字変換した文字を目にした経験があると思います(今の若者は無いかな……)。
以前、岩橋氏はそのルーツを調べたことがあるそうです。あくまでも「諸説ある」とはおっしゃっていましたが、ヤンキーの「漢字変換カルチャー」は、どうやら神奈川県の横須賀周辺の暴走族から始まったらしいのです。
「当時、横須賀周辺には外国人の金髪の不良がたくさんいました。その多くは横須賀の米軍基地に配属されていた米兵の子どもたちです。そのなかには暴走族をやる人も少なくありませんでした。彼らが、自分たちの使っている英語を漢字に当て込んで遊んでいたようです」(岩橋氏、以下同)
◆100人対100人の抗争で敵と味方をひと目で判別「喧嘩の効率化」
1980年代は暴走族同士の対立も珍しくなく、神奈川の暴走族と東京の暴走族は頻繁に抗争を繰り返していました。びっくりするのは、喧嘩に参加している暴走族も100人対100人というような凄まじい人数で、まさに“抗争”と呼べるものでした。
岩橋氏がこう言います。
「100人対100人という大勢の男たちが一気に喧嘩をすると、興奮状態のなかで敵も味方も区別がつかず、気がついたら味方を殴っていたなんてこともしばしばでした。
神奈川と対立している東京の暴走族のチーム名は英語のところが多かった。そこで神奈川のチームでは、英語のチーム名でも漢字変換して特攻服に刺繍し、敵と味方を区別しやすくしたという説があります」
要するに、神奈川のチームからすれば、「特攻服の背中に英語のチーム名が書いてあれば敵なので、すぐに殴っていい」ということになる。まさに「喧嘩の効率化」です。
◆「横浜銀蝿」の影響で大流行
とはいえ、SNSがなかった頃の話です。神奈川の暴走族がチーム名を漢字に変換することだけでは全国的に漢字変換カルチャーを流行させる(今で言う“バズる”)のは難しかったと思います。それをメジャー化させたのが「横浜銀蝿」の存在です。
正式名としては「THE CRAZY RIDER 横浜銀蝿 ROLLING SPECIAL」ですが、横浜銀蝿を知らない方にざっくりと説明すると、ヤンキーコスチュームで決めた4人の男たちのロックンロールバンドです。

彼らは1980年代に「ツッパリHigh School Rock’n Roll」という大ヒットソングを筆頭に、ヤンキーの気持ちをロックンロールで歌いました。ヤンキー界では「矢沢永吉」さんの次に知らない人はいないというミュージシャンです(※個人の感想です)。 「彼らのジャケットや曲名、歌詞には『仏恥義理(ブッチギリ)』『鞨徒毘(カットビ)』『夜露死苦(ヨロシク)』『愛羅武勇(アイラブユー)』など、英語以外にも当時のヤンキーたちが使っていた言葉が漢字変換して使われており、その独特な書体も含めて当時の不良や暴走族の間で大流行したのです」
それがきっかけとなり、全国の暴走族が自分のチーム名を英語から漢字の表記に変換したというのが諸説あるなかのひとつだそうです。たとえば、 「ブラックエンペラー=武羅悪区江無屁羅悪」「スペクター=寿辺苦絶悪」「アーリーキャッツ=阿李猫達」「シルク=紫瑠狂」「マリア=魔麗夜」 という感じです。自分たちのチーム名を漢字でいかにカッコよく表現するかを必死に考え、漢字の意味を勉強していた……そう考えると、ある意味で感心してしまうのは私だけでしょうか。
◆不良が全国的に「ヤンキー」と呼ばれるようになったワケ 余談ではあるのですが、全国的にメジャーになった「ヤンキー」という呼び方にもルーツがあるそうです。
「80~90年代、不良が東京のテレビ番組でも取り上げられる機会が増えました。東京では不良のことを“ツッパリ”と呼んでいましたが、メディアとしては不良を表現する言葉としてコンプライス的にイメージが悪かったらしく、関西方面で使われていた“ヤンキー”という言葉のほうが柔らかい印象ではないか……ということで、テレビでは、当時の東京では聞き慣れない“ヤンキー”という表現になったそうなのです」 昭和生まれの私も全く知らなかった話なので驚いた次第ですが、そういう側面もあったのかもしれません。
長い歴史のある「不良文化」ゆえに、様々なものが“伝説”となっております。古き良き……と言っては今の時代においては“不適切”と思われることはわかっているのですが、懐かしき“昭和の文化”に目を細めてしまう私です。
<取材・文/倉科典仁(大洋図書)>
―[ヤンキーの流儀 ~知られざる「女性暴走族」の世界~]―