3月1日、埼玉県戸田市の中学校に10代の少年が刃物を持って侵入。60代の教員を切りつけて大けがをさせ、警察に逮捕されるという事件が起こった。逮捕後、少年は近隣で発生していた猫殺しについても関与を認めているという。少年の叔母に聞くと、暴走のきっかけは、小学生のときに経験した難関中学校受験のプレッシャーだったというが――。
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【写真を見る】不登校だった“猫殺し少年” 現場となった中学校の様子 少年は両親と、有名私大に通う姉との4人で暮らしていた。両親はともに東京都庁に勤務する地方公務員で、父親は現在課長職にある。

小学校時代の同級生に印象を聞くと、「友達とふざけて学校でプロレスごっこをしたりして、やんちゃな感じでしたね。ご両親がすごく教育熱心だったと聞いたことがあって、お姉さんがとても賢いって評判でした。そうそう、本人は極真空手の教室に通っていたはずです」現場の美笹中 その空手教室の師範が言うには、「たしかに彼が小学1年生と2年生の時に習いに来ていました。初級クラスの在籍で、白帯のひとつ上のオレンジ帯でした。ごく普通のお子さんでしたよ。道場を辞めた理由は学校の勉強を優先したいとか、そういう話だったと思います」小学6年生から不登校気味に だが少年には、小学6年生の頃から不登校の気が見られるようになる。そして、進学先の地元の市立中学校で、いよいよ本格的な不登校に陥っていく。 中学校の同級生の話。「基本的に学校には来ておらず、学年ごとに撮る集合写真も毎回、別枠で顔写真を載せられていました。ただ、保健室には通っていたのか、たまに廊下で見かけることはありました」 生来活発だったはずの少年が学校を避けるようになったのはなぜか。「切りつけられた方のご容体は大丈夫なのでしょうか。なんでこんなことになったんだろう。そんなに悪い子じゃないんですけど」 涙ながらにそう語るのは、少年の叔母である。「トイレに『武蔵中学合格』と書かれた紙が…」「ただ、小学6年生の時に中学受験のプレッシャーで学校に行くのが嫌になってしまったみたいで。その頃から不登校に……。自宅のトイレに『武蔵中学合格』と書かれた紙が貼られていたのを覚えています」 両親の思いを受け、東京の名門男子進学校で、開成中、麻布中と並ぶ“御三家”と称される武蔵中を目指して受験勉強にまい進。だが、思うように学力は伸びず、やがて精神的に追い込まれ、不登校になってしまったというのである。「親から“学校に行け”と言われるのが嫌だったのか、6年生の時に、さいたま市にある私の両親(=少年の祖父母)の家まで逃げてきたこともありました」 こうして祖父母が心の支えになったらしい。「両親が共働きでしょう。寂しい思いもあったんじゃないかな。だからでしょうか、学校に行けなくなってからも、おじいちゃん、おばあちゃんの家には時折顔を見せに行ってました。ただ、昨年5月に私の母も高齢者施設に入居しまして、とうとうあの家には誰もいなくなってしまって……」 3月9日発売の「週刊新潮」では、少年が凶行に至った背景や、専門家が分析する「酒鬼薔薇聖斗」との類似性と併せて詳報する。「週刊新潮」2022年3月16日号 掲載
少年は両親と、有名私大に通う姉との4人で暮らしていた。両親はともに東京都庁に勤務する地方公務員で、父親は現在課長職にある。
小学校時代の同級生に印象を聞くと、
「友達とふざけて学校でプロレスごっこをしたりして、やんちゃな感じでしたね。ご両親がすごく教育熱心だったと聞いたことがあって、お姉さんがとても賢いって評判でした。そうそう、本人は極真空手の教室に通っていたはずです」
その空手教室の師範が言うには、
「たしかに彼が小学1年生と2年生の時に習いに来ていました。初級クラスの在籍で、白帯のひとつ上のオレンジ帯でした。ごく普通のお子さんでしたよ。道場を辞めた理由は学校の勉強を優先したいとか、そういう話だったと思います」
だが少年には、小学6年生の頃から不登校の気が見られるようになる。そして、進学先の地元の市立中学校で、いよいよ本格的な不登校に陥っていく。
中学校の同級生の話。
「基本的に学校には来ておらず、学年ごとに撮る集合写真も毎回、別枠で顔写真を載せられていました。ただ、保健室には通っていたのか、たまに廊下で見かけることはありました」
生来活発だったはずの少年が学校を避けるようになったのはなぜか。
「切りつけられた方のご容体は大丈夫なのでしょうか。なんでこんなことになったんだろう。そんなに悪い子じゃないんですけど」
涙ながらにそう語るのは、少年の叔母である。
「ただ、小学6年生の時に中学受験のプレッシャーで学校に行くのが嫌になってしまったみたいで。その頃から不登校に……。自宅のトイレに『武蔵中学合格』と書かれた紙が貼られていたのを覚えています」
両親の思いを受け、東京の名門男子進学校で、開成中、麻布中と並ぶ“御三家”と称される武蔵中を目指して受験勉強にまい進。だが、思うように学力は伸びず、やがて精神的に追い込まれ、不登校になってしまったというのである。
「親から“学校に行け”と言われるのが嫌だったのか、6年生の時に、さいたま市にある私の両親(=少年の祖父母)の家まで逃げてきたこともありました」
こうして祖父母が心の支えになったらしい。
「両親が共働きでしょう。寂しい思いもあったんじゃないかな。だからでしょうか、学校に行けなくなってからも、おじいちゃん、おばあちゃんの家には時折顔を見せに行ってました。ただ、昨年5月に私の母も高齢者施設に入居しまして、とうとうあの家には誰もいなくなってしまって……」
3月9日発売の「週刊新潮」では、少年が凶行に至った背景や、専門家が分析する「酒鬼薔薇聖斗」との類似性と併せて詳報する。
「週刊新潮」2022年3月16日号 掲載