※本稿は、樋田敦子『コロナと女性の貧困2020-2022 サバイブする彼女たちの声を聞いた』(大和書房)の一部を再編集したものです。
現役風俗嬢のハル(33歳)に会った。業界では、かなりの有名人だという。ショートヘアで、小柄。笑うと年齢よりも若く見えた。彼女は理系大学を卒業して大学院に進んだ才女。就活中に風俗に入ったという。今年で10年になる。
「地方にいたので、修士1年生のときに就活が始まりました。東京にある食品関係の会社を目指していて、東京まで就職説明会に行くのに、お金がかかるんですよ。交通費と宿泊費、滞在費。その分のお金を親に頼ることもできなくはなかったけれど、院まで進学させてもらっているので、自分で稼ごうと思ったのです。キャバクラのバイトは少しの間、地元でやっていたものの、コンスタントに勤めないと稼げないことはわかっていました」
週1回、4、5時間だと1万円くらいにしかならない。どうしょうかと悩んでいたという。それならば就活で上京する折に、風俗のバイトをやれば、「知り合いもいないしバレない。そして稼げる」と思って風俗の門を叩いた。
「地方の人の就活は大変。研究室も忙しかったので、東京に出て行くときは自由で、はじけちゃって。その間にパッと稼げればいいかなあと思ったのです。地方は風俗でも賃金が安くて時給2500円。東京は時給1万円くらいになるので割がいい」
風俗でばんばん稼げたのは、20~30年前のことだと先輩から教わった。ソープ嬢はお金も稼げるが、拘束時間も長く、自分には向かないと思っていた。
ハルが始めたのは、SMクラブのM嬢だった。ロウソク、ムチ、縄、本番なし。
「初めからセックスには抵抗がなかったですね。これまでほんとに真面目に生きてきたので、風俗に入って、自由だって感じられる。もちろん我慢しなければいけないことはたくさんあるけれど、金銭的にも自由でいられますし。実は私、母親からは結婚するまで男性とセックスしてはいけないと教えられました。だからその反動かな(笑)。自由で楽しいです。東京ならばバレないしね」
不特定多数を相手にする仕事だけに、最初は抵抗があるものかと思っていたら、ハルの場合は違った。仕事を肯定的にとらえている。風俗嬢は肯定しなければやっていけないからなのか。
就職するまでは、あくまでも就活費用を稼ぐためで、就職したら風俗はやめようと思っていた。風俗店の待機所でエントリーシートを書いて、そこから面接に行っていたという。晴れて内定をもらった。社員数300人ほどの食品会社で、その会社に就職した。当初は会社員一本で働いていたものの、外部とのつながりもでき、交友関係が広がり起業したいと考えるようになっていった。
会社はいやではなかったが、面白くなかった。10ヶ月ほどで退社。資格を生かしてフリーの管理栄養士としてやっていこうと考えたが、それよりも性に関する仕事に興味があった。性の情報発信をしていけたらいいと考えたのである。
「20代だったので、好奇心のほうが強かった。栄養に関しては、たくさんの情報が出ているけれど、性は情報が包み隠されているというか、あまり外に出ていない。20代半ばの女の子が性のことをしゃべっているだけで注目されるから、栄養の業界で戦うのと、性の業界で戦うのでは、性の業界のほうが成功しやすいのではないかと思いました。多分に打算的ですね。目立ちたがり屋のところがそうさせたのかもしれなかった」
現在はデリヘルほか2軒のお店にメインで在籍。裏方でもあり、キャストでもある。AVにも出演している。「どちらかと言えば恵まれていると思う」とハルは話す。コロナ前の年収は、約800万円。すごく稼いでいるというわけでもないが、仕事も多岐にわたり面白いという。2020年はコロナで仕事ができなくて一気に減収した。業界全体が沈んでいて、店にもフリー(新規など)の客は来ず、常連客が何とか助けてくれた。そして発覚した子宮頸がん。手術などで、1カ月半休んだこともあり、大きな仕事は飛ばしたので、減収に減収が重なり厳しくなった。
「手術により仕事が制限されたので100万円以上の減収でした。コロナも怖かったので、PCR検査も高いお金を払って受けました。さすがに怖かったから」
全国で就業している性風俗嬢は約30万人といわれる。すべて個人営業で、腰掛けでは絶対にお金を貯めることなどできない世界だという。需要と供給のバランスで成り立っているのはどこの業界でも同じで、顔だけでもダメ、技術だけでもダメ。
「プレイの世界観を私たちが作っていかなければいけないんですよ。私はSMから始まってソープ、デリヘルとやってきましたが、店のタイプによっては変化をつけなければいけないのです。そういうイメージというのか、環境を自分で作りながら“おもてなし”する。すべては自分次第なのです。稼げるのも稼げないのも。いろいろなところから呼んでもらえるのも、そうでないのも――」
現在の年収は少し下がって500万円くらいだという。
「AVの仕事が復活してくれたので、なんとかなってる」
コロナで自分自身も変わった。「節約して生きていこう」と決めて断捨離を始めた。家賃19万7000円から14万7000円のところに引っ越した。引っ越しによって往復のタクシー代が浮いた。その浮いたお金で趣味にのめり込んでいる。ポールダンサー。1本の垂直のポールを使い、筋力や柔軟性を駆使しながらダンスをする。ハルはポールダンサーを本気で目指して、レッスンを受けている。
「もはや管理栄養士に戻る気はありません(笑)。風俗業界でしっかり取り組んでいきたい。業界の先行きを不安に思っていてもしかたない。会社員の人だってクビになる可能性もありますしね。将来的には大学院で風俗の研究をしたい。現役の風俗嬢として発信していくつもりです」
風俗嬢、大学院生、ポールダンサー。いくつもの顔を見せるハルだが、どこか寂しそうに見えた。何か満たされないものがあって、それをずっと探しているような感じというのだろうか。1つをクリアしたら、次をクリアしなければ満足しない。満たされない欲求のスパイラルだ。
ハルの話を1時間聞いていて、果たして女性は貧困におちいったら、すぐに風俗嬢になれるものなのだろうかと思った。ハルの場合は、キャバクラのバイトから、SM嬢の仕事へといとも簡単に移行していったのだから。
「なれるとは思うけれど、性に対して探究心がないとダメかな。興味もないと続けられないと思う」
その経歴からは、高学歴風俗嬢というキャッチーなフレーズが浮かぶが、「そんなことは関係ない。風俗嬢は好きでやってる」と淡々としている。
「少し前に風俗嬢であることを母親には話した」のだそうだ。
「母がスマホを買い、SNSをばんばん使うので、いつかはバレると思っていたんです。どうせバレるなら、バレる前に自分から言っておこうと思った。まあ、私としては勇気を出して母に言ったのですが、泣いたり叫んだり、怒ったりすることはなかったですね。厳格な人だったし、私ひとり娘だし、落胆はしたとは思うけれど、受け止めてくれたとは思っています。内心はわからないけれど。父親には、エステで働きながらフリーの管理栄養士としてやっていると話していて、納得しているようでした」
最後にハルに聞いてみた。貧困と聞いて何を思い浮かべるのか、と。
「そこそこ楽しみながら暮らせているし、私は貧乏ではないと思う。“○○の貧困”という意味なら、私の場合は“自己肯定感の貧困”かな。自己肯定感がすごく低いんです。メンタルの貧困もあるなあ。心を解放するのが苦手。大きな厚い鉄壁が他人との間に立ちふさがっている感じかな。あ、結構貧困ありますねえ(笑)」
これまで親に怒られないように、良い子でいようとやってきた。今でもその気持ちが強いという。そんな自分を否定するために風俗が必要だったのだろうか。風俗で稼いで自由でいられるとのこと。この感覚に勝るものはないのだという。その後、AV新法もでき、AV業界も厳しい。AVの収入はあてにできるものではなくなっている。
———-樋田 敦子(ひだ・あつこ)ジャーナリスト明治大学法学部卒業後、新聞記者に。10年の記者生活を経てフリーランスに。女性や子どもたちの問題を中心に取材活動を行う。著書に『女性と子どもの貧困』『東大を出たあの子は幸せになったのか』(ともに大和書房)がある。NPO法人「CAPセンターJAPAN」理事。———-
(ジャーナリスト 樋田 敦子)