第二次世界大戦終結後にシベリアで4年3カ月の強制労働を強いられた兵庫県高砂市の田中唯介(ゆいすけ)さん(96)が9月30日、市中央公民館でアコーディオンの音色に乗せてシベリア体験を歌い語った。会場の人たちは自分の今と重ねながら、涙を浮かべてメッセージを受け止めた。
地獄の抑留 アコーディオンの音色に乗せて 96歳が託す平和の祈り 19歳で旧満州(現中国東北部)に出兵した田中さんは敗戦による武装解除後、侵攻してきた旧ソ連軍の捕虜となり、極寒の中央アジア・カラガンダ(現カザフスタン)に収容された。田中さんは重労働と飢餓の中、「身体検査で裸にされても、恥ずかしいという気持ちは失われていた。人間がけだものと化していった」と過酷な暮らしを話した。

帰郷した時、母が玄関で「おー、帰って来てくれた」と出迎えたといい、「私の場合は『岸壁の母』ではなく『玄関の母』でした」と会場の笑いを誘った。「死んでいった戦友を思って歌うから、この年齢になっても声が出るんです」といい、20曲超を披露した。 会場では、父が抑留者だったり旧満州生まれで家族と帰国したりした人ら約50人が耳を傾けた。会場の最前列の端で聴いていた同市の安西(やすにし)和男さん(72)は、旧満州を経験し約50年前に病死した父を思い浮かべて涙を拭った。安西さんが22歳の時、死期が近づいた父は病床で旧満州でのことを打ち明けた。 「お前の兄貴がおって、今の母の前に結婚してて。でも、いずれも死に別れた」。父によく殴られ、中学の頃から口をきいていなかったが、最期に初めて話してくれた。安西さんは「生きている人の話を生で聞き、歴史の延長線に今があると知ることがとても大切だと思う。近現代史教育がおろそかにされているから、次々と社会問題が起きるのではないか」と話した。 2人の子を持つ同市の福本伊世(いよ)さん(38)は「母親の目線で田中さんの歌と話を聞いた。人間がけだものと化す話は壮絶だった。次世代に伝えようと、高齢になっても活動を続ける姿に心を打たれた」と感謝した。 田中さんには歌い続けるための7カ条がある。「食べて出す、動いて寝る、飲まない、吸わない、遊ばない」だ。この日は遠戚だった歌手の故東海林太郎さんが使っていたロイド眼鏡をかけ、大ヒット曲「国境の町」も披露した。11月4日は秋田市のあきた芸術劇場で東海林太郎さんをしのぶコンサートがあり、田中さんもロイド眼鏡とロシアのミンク帽子を着けてプロの歌手とステージに立つ。【阿部浩之】
19歳で旧満州(現中国東北部)に出兵した田中さんは敗戦による武装解除後、侵攻してきた旧ソ連軍の捕虜となり、極寒の中央アジア・カラガンダ(現カザフスタン)に収容された。田中さんは重労働と飢餓の中、「身体検査で裸にされても、恥ずかしいという気持ちは失われていた。人間がけだものと化していった」と過酷な暮らしを話した。
帰郷した時、母が玄関で「おー、帰って来てくれた」と出迎えたといい、「私の場合は『岸壁の母』ではなく『玄関の母』でした」と会場の笑いを誘った。「死んでいった戦友を思って歌うから、この年齢になっても声が出るんです」といい、20曲超を披露した。
会場では、父が抑留者だったり旧満州生まれで家族と帰国したりした人ら約50人が耳を傾けた。会場の最前列の端で聴いていた同市の安西(やすにし)和男さん(72)は、旧満州を経験し約50年前に病死した父を思い浮かべて涙を拭った。安西さんが22歳の時、死期が近づいた父は病床で旧満州でのことを打ち明けた。
「お前の兄貴がおって、今の母の前に結婚してて。でも、いずれも死に別れた」。父によく殴られ、中学の頃から口をきいていなかったが、最期に初めて話してくれた。安西さんは「生きている人の話を生で聞き、歴史の延長線に今があると知ることがとても大切だと思う。近現代史教育がおろそかにされているから、次々と社会問題が起きるのではないか」と話した。
2人の子を持つ同市の福本伊世(いよ)さん(38)は「母親の目線で田中さんの歌と話を聞いた。人間がけだものと化す話は壮絶だった。次世代に伝えようと、高齢になっても活動を続ける姿に心を打たれた」と感謝した。
田中さんには歌い続けるための7カ条がある。「食べて出す、動いて寝る、飲まない、吸わない、遊ばない」だ。この日は遠戚だった歌手の故東海林太郎さんが使っていたロイド眼鏡をかけ、大ヒット曲「国境の町」も披露した。11月4日は秋田市のあきた芸術劇場で東海林太郎さんをしのぶコンサートがあり、田中さんもロイド眼鏡とロシアのミンク帽子を着けてプロの歌手とステージに立つ。【阿部浩之】