AOKI、KADOKAWAに続き、大広やADKにも新たな逮捕者が出て、東京五輪をめぐる贈収賄事件はさらなる広がりを見せている。いずれも組織委員会の元理事・高橋治之容疑者に絡む事件で、組織委員会の中枢や政治家の関与にまで捜査が及ぶのかどうか、まだ明らかではない。
【写真4枚】230坪の大豪邸に2千万円以上のメルセデス・マイバッハ 逮捕された組織委の高橋治之元理事の“上級国民”生活スポーツ・ビジネスの浄化 少し冷めた目で、この事件を俯瞰すると、「日本国民が五輪ビジネスに幻滅し、これまでの五輪への好意的な印象は崩壊した」「いまも続けられている2030札幌冬季五輪招致に反対する人は半数を超えただろう」といった世論の変化につながっている。しかし、実は何がいちばん問題だったのか? 本質は曖昧で、どうすればスポーツ・ビジネスは浄化するのかという改革の方向性は何ら見えていない。

「大広」東京本社を捜査する東京地検特捜部 オリンピックの好感度が下がったことは言うまでもない。無邪気に五輪招致を望む国民は大幅に減っただろう。果たして、それが特捜部の狙いだったのか? 大広と聞いて、私は複雑な感慨に襲われた。容疑の内容を聞けば、他の案件にも増して贈収賄の認識が明確で、悪質なカラクリが用意されていたように感じる。この件に関して同情の余地はない。だが、大広という広告代理店がこれまでスポーツ界に果たしてきた貢献に思いを馳せると、今回の報道でただ悪質な企業として報じられる空しさも覚えるのだ。一体、何の会社か? 私が大広の存在を初めて知ったのは、1983年だった。 1983年に開催された「第一回ヘルシンキ世界陸上」は、スポーツの商業化の序曲ともなったスポーツ・イベントだ。世間では繰り返し、「1984年のロサンゼルス五輪が商業化の始まり」と言われるが、その前年に開催された第一回世界陸上も、その露払いとでも言うのか、かつてない規模で陸上の世界大会が世界に発信され、商業化の可能性を証明した大会だった。 中でも、選手たちが胸と背中につけたゼッケンは、広告関係者たちに大きなインパクトを与えた。選手のゼッケンに企業名が入るのはそれ以前からあった広告手法だが、あの大会のゼッケン・スポンサーほど、世界中にインパクトを与えた前例はなかった。 視聴者の誰もが、ゼッケンに記された「TDK」の文字に目を奪われ、「一体、何の会社か?」ということに関心が集まり、瞬く間に知名度を上げたのだ。ゼッケンに企業名を入れたからといって、どれほどメリットがあるのかまだ半信半疑だった時代に、理屈抜きの広告効果を見せつけた。それが、ヘルシンキ世界陸上のTDKだった。もちろん、日本人なら大半がカセットテープなどのメーカーだと知っていたが、世界的にはまだ知名度が低かった。TDKの名を胸に、カール・ルイスが3冠王に輝き、棒高跳びの鳥人セルゲイ・ブブカが優勝し、地元の星ティーナ・リラクがやり投げで最終6投目に劇的な逆転優勝を遂げた。感動とともに、TDKのロゴが人々に記憶された。第一回だからこそ TDKは当初一度だけの予定だったが、その効果の大きさもあり、以後もずっとゼッケン・スポンサーを続けている(第二回からは男女が別スポンサーになったため、TDKは男子選手の胸と背中に記されている)。すでに2029年まで、ワールドアスレチックス(旧世界陸連)および世界陸上をサポートする契約を結んでいる。 この伝説的な「TDKゼッケン」の仲介役が大広だった。 私は、まだ駆け出しだった1983年秋、世界陸上を終えた直後に大広の担当者らを取材し、広告雑誌『宣伝会議』に次の原稿を書いた。《ヘルシンキ陸上のプロモーションを担当するウエストナリー・ジャパン代表・ジャック坂崎氏が、広告代理店・大広の担当者とTDKを訪ねたのは昨年春のことだった。約1時間の説明を受けたTDKの広報部長・O氏(注・本原稿ではイニシャルで記す)は、その日のうちに「オフィシャル・サプライヤーになる」と決断を下し、しかも「選手全員のゼッケンを買いたい」というリクエストを坂崎氏に出している。(中略)瞬間的に何かを直感したO氏は、わずか数時間のうちにゼッケンにこだわったうえで、オフィシャル・サプライヤーを受ける方針を決めたのである。 TDKを訪ねる前に、坂崎氏はすでに何社もの日本企業に話を持ちかけていた。しかし、「日本企業は初モノに弱い。まずリスクを心配する」――坂崎氏をしてこう嘆かせるほど反応は鈍かった。それに対して、「第一回の大会だからこそ、我われは乗り出す気になったのです」――TDKの積極的な姿勢と判断力が、まず“勝利”の第一歩だったわけである》ただ名前を入れただけではない ちょうどその1年前、ニューヨーク株式市場に上場し、83年には東京電気化学工業株式会社をTDK株式会社と改名 。ロンドン市場にも上場した時期だった。 結果的に、大会中の日本国内の露出効果だけで11億円と試算され、その後少なくても約1ヵ月以上は続く雑誌などの報道も合わせたら、その数倍の広告価値があった。しかも、国内以上に、海外での効果は計り知れない。国際的な業務用テープの市場でScotchやBASFに後れを取っていたTDKが勢いを伸ばす起点ともなった。スポーツ・ビジネスの世界では伝説となっている「TDKゼッケン」の一翼を担ったのが、大広だった。改めて、宣伝会議の原稿を引用する。《今回、TDKのプロモーションを担当した大広のKプロデューサーは、次のように説明する。「皆さん、『TDKの文字が目立った』とおっしゃって下さいますが、それには理由あるんです。決して、ただ名前を入れただけではないんです。ゼッケンに入れる社名は、日本陸連では天地16ミリ、国際陸連では天地25ミリと決まっています。でも、それではいかにも小さいんです。そこで我われは、国際陸連に働きかけて、天地33ミリにしてもらったんです。『他競技への影響が大きいから……』という理由で交渉は難航しましたが、ようやく特例ということで認められました。だからこそ、あれだけ鮮やかに目立ったのです」》食い物にされるスポーツ 大広は、スポーツ・ビジネスの夜明けのころから、こうした貢献を続けてきた代理店だ。そうした功績については一切評価されることなく、悪者として名前を挙げられることには悲しみを覚える。今回、大広は、取引のある英会話学校が大会スポンサーになれるよう働きかけた疑いを持たれ、スポーツ分野の問題ではない。畑違いで実績がないと言われたらそれまでだが、新たなスポンサーに入るためにスポーツ分野で長い実績のある大広が、高橋容疑者に賄賂を渡さなければならないオリンピックの閉鎖性。またそれを巧妙に利用して私腹を肥やす高橋容疑者の悪辣さは、スポーツに携わる者として激しい憤りを感じる。 スポーツが食い物にされている。スポーツがそのような輩に蹂躙されてきたこと、いまもなお、そのことに怒りを表さず、一掃するための行動も起こさないスポーツ人たちに忸怩たる思いを抑えきれない。逮捕者が増えるだけで、浄化や改革が進むわけではない。現状、日本のスポーツ界がよくなる兆しは感じられない。小林信也(こばやし・のぶや)1956年新潟県長岡市生まれ。高校まで野球部で投手。慶應大学法学部卒。大学ではフリスビーに熱中し、日本代表として世界選手権出場。ディスクゴルフ日本選手権優勝。「ナンバー」編集部等を経て独立。『高校野球が危ない!』『長嶋茂雄 永遠伝説』など著書多数。デイリー新潮編集部
少し冷めた目で、この事件を俯瞰すると、「日本国民が五輪ビジネスに幻滅し、これまでの五輪への好意的な印象は崩壊した」「いまも続けられている2030札幌冬季五輪招致に反対する人は半数を超えただろう」といった世論の変化につながっている。しかし、実は何がいちばん問題だったのか? 本質は曖昧で、どうすればスポーツ・ビジネスは浄化するのかという改革の方向性は何ら見えていない。
オリンピックの好感度が下がったことは言うまでもない。無邪気に五輪招致を望む国民は大幅に減っただろう。果たして、それが特捜部の狙いだったのか?
大広と聞いて、私は複雑な感慨に襲われた。容疑の内容を聞けば、他の案件にも増して贈収賄の認識が明確で、悪質なカラクリが用意されていたように感じる。この件に関して同情の余地はない。だが、大広という広告代理店がこれまでスポーツ界に果たしてきた貢献に思いを馳せると、今回の報道でただ悪質な企業として報じられる空しさも覚えるのだ。
私が大広の存在を初めて知ったのは、1983年だった。
1983年に開催された「第一回ヘルシンキ世界陸上」は、スポーツの商業化の序曲ともなったスポーツ・イベントだ。世間では繰り返し、「1984年のロサンゼルス五輪が商業化の始まり」と言われるが、その前年に開催された第一回世界陸上も、その露払いとでも言うのか、かつてない規模で陸上の世界大会が世界に発信され、商業化の可能性を証明した大会だった。
中でも、選手たちが胸と背中につけたゼッケンは、広告関係者たちに大きなインパクトを与えた。選手のゼッケンに企業名が入るのはそれ以前からあった広告手法だが、あの大会のゼッケン・スポンサーほど、世界中にインパクトを与えた前例はなかった。
視聴者の誰もが、ゼッケンに記された「TDK」の文字に目を奪われ、「一体、何の会社か?」ということに関心が集まり、瞬く間に知名度を上げたのだ。ゼッケンに企業名を入れたからといって、どれほどメリットがあるのかまだ半信半疑だった時代に、理屈抜きの広告効果を見せつけた。それが、ヘルシンキ世界陸上のTDKだった。もちろん、日本人なら大半がカセットテープなどのメーカーだと知っていたが、世界的にはまだ知名度が低かった。TDKの名を胸に、カール・ルイスが3冠王に輝き、棒高跳びの鳥人セルゲイ・ブブカが優勝し、地元の星ティーナ・リラクがやり投げで最終6投目に劇的な逆転優勝を遂げた。感動とともに、TDKのロゴが人々に記憶された。
TDKは当初一度だけの予定だったが、その効果の大きさもあり、以後もずっとゼッケン・スポンサーを続けている(第二回からは男女が別スポンサーになったため、TDKは男子選手の胸と背中に記されている)。すでに2029年まで、ワールドアスレチックス(旧世界陸連)および世界陸上をサポートする契約を結んでいる。
この伝説的な「TDKゼッケン」の仲介役が大広だった。
私は、まだ駆け出しだった1983年秋、世界陸上を終えた直後に大広の担当者らを取材し、広告雑誌『宣伝会議』に次の原稿を書いた。
《ヘルシンキ陸上のプロモーションを担当するウエストナリー・ジャパン代表・ジャック坂崎氏が、広告代理店・大広の担当者とTDKを訪ねたのは昨年春のことだった。約1時間の説明を受けたTDKの広報部長・O氏(注・本原稿ではイニシャルで記す)は、その日のうちに「オフィシャル・サプライヤーになる」と決断を下し、しかも「選手全員のゼッケンを買いたい」というリクエストを坂崎氏に出している。(中略)瞬間的に何かを直感したO氏は、わずか数時間のうちにゼッケンにこだわったうえで、オフィシャル・サプライヤーを受ける方針を決めたのである。
TDKを訪ねる前に、坂崎氏はすでに何社もの日本企業に話を持ちかけていた。しかし、「日本企業は初モノに弱い。まずリスクを心配する」――坂崎氏をしてこう嘆かせるほど反応は鈍かった。それに対して、
「第一回の大会だからこそ、我われは乗り出す気になったのです」――TDKの積極的な姿勢と判断力が、まず“勝利”の第一歩だったわけである》
ちょうどその1年前、ニューヨーク株式市場に上場し、83年には東京電気化学工業株式会社をTDK株式会社と改名 。ロンドン市場にも上場した時期だった。
結果的に、大会中の日本国内の露出効果だけで11億円と試算され、その後少なくても約1ヵ月以上は続く雑誌などの報道も合わせたら、その数倍の広告価値があった。しかも、国内以上に、海外での効果は計り知れない。国際的な業務用テープの市場でScotchやBASFに後れを取っていたTDKが勢いを伸ばす起点ともなった。スポーツ・ビジネスの世界では伝説となっている「TDKゼッケン」の一翼を担ったのが、大広だった。改めて、宣伝会議の原稿を引用する。
《今回、TDKのプロモーションを担当した大広のKプロデューサーは、次のように説明する。「皆さん、『TDKの文字が目立った』とおっしゃって下さいますが、それには理由あるんです。決して、ただ名前を入れただけではないんです。ゼッケンに入れる社名は、日本陸連では天地16ミリ、国際陸連では天地25ミリと決まっています。でも、それではいかにも小さいんです。そこで我われは、国際陸連に働きかけて、天地33ミリにしてもらったんです。『他競技への影響が大きいから……』という理由で交渉は難航しましたが、ようやく特例ということで認められました。だからこそ、あれだけ鮮やかに目立ったのです」》
大広は、スポーツ・ビジネスの夜明けのころから、こうした貢献を続けてきた代理店だ。そうした功績については一切評価されることなく、悪者として名前を挙げられることには悲しみを覚える。今回、大広は、取引のある英会話学校が大会スポンサーになれるよう働きかけた疑いを持たれ、スポーツ分野の問題ではない。畑違いで実績がないと言われたらそれまでだが、新たなスポンサーに入るためにスポーツ分野で長い実績のある大広が、高橋容疑者に賄賂を渡さなければならないオリンピックの閉鎖性。またそれを巧妙に利用して私腹を肥やす高橋容疑者の悪辣さは、スポーツに携わる者として激しい憤りを感じる。
スポーツが食い物にされている。スポーツがそのような輩に蹂躙されてきたこと、いまもなお、そのことに怒りを表さず、一掃するための行動も起こさないスポーツ人たちに忸怩たる思いを抑えきれない。逮捕者が増えるだけで、浄化や改革が進むわけではない。現状、日本のスポーツ界がよくなる兆しは感じられない。
小林信也(こばやし・のぶや)1956年新潟県長岡市生まれ。高校まで野球部で投手。慶應大学法学部卒。大学ではフリスビーに熱中し、日本代表として世界選手権出場。ディスクゴルフ日本選手権優勝。「ナンバー」編集部等を経て独立。『高校野球が危ない!』『長嶋茂雄 永遠伝説』など著書多数。
デイリー新潮編集部