《曖昧な死刑基準》「7歳の女の子のズボンとパンツを脱がせ、指を…」“あまりに残虐な殺人事件” 遺族は「欲望のままに娘を餌食にした」と極刑を訴えた… から続く
安倍元首相を銃撃し殺害した山上徹也容疑者の減刑を望む声が上がっている。7月15日に署名サイト「Change.org」で始まった活動は、8月27日時点で約7500人が賛同している状況だ。山上容疑者の不遇な家庭環境に対する“同情論”が一部で沸き上がっていると言えるだろう。その一方で、当初は極刑を視野に入れていた検察当局も現在はトーンダウンしているという。
【画像】川崎老人ホーム連続転落死事件で死刑を言い渡された今井隼人死刑囚
起訴後の量刑に注目が集まる中、果たして“情状酌量”の可能性はあるのだろうか。日本の死刑制度では3人以上を殺害すると死刑となるケースが多いため、1人殺害の山上容疑者は無期懲役以下になる可能性が高い。
#1、#2ではどのような場合に死刑が言い渡されるのかを考察してきたが、#3では多人数を殺害した事件を検証することで死刑制度について考えてみたい。(全3回の3回目/1回目、2回目を読む)
◆◆◆
2022年7月26日、加藤智大死刑囚(39・執行時)の刑が執行された。死刑の執行は岸田文雄政権では2回目である。昨年12月から約7カ月ぶりの執行だった。加藤死刑囚は14年前の2008年6月8日に、歩行者天国となっていた秋葉原の交差点にトラックで突っ込み5人をひいた後、ダガーナイフで12人を刺し、計7人を殺害した。世間を震撼させた大量殺人の代名詞とも言える存在だ。
日本の司法制度に根付いた死刑の判断材料とされるのが「永山基準」だ。被害者1人では死刑判決が下ることはほとんどなく、2人だと可能性が高まり、3人以上となると何か特別な理由がない限り死刑が言い渡される。裁判では加藤死刑囚の責任能力が争われたが、被害者の数が重視されて死刑判決が出た。
加藤死刑囚 文藝春秋
こうした「永山基準」が判断の根拠となる日本の司法において、最近でも「3人」を殺害した事件で死刑判決が出た。「川崎老人ホーム連続転落死事件」である。
今年3月9日、2014年に80~90代の入所者3人をベランダから投げ落とした殺人罪に問われた今井隼人被告(29・判決時)に対して、東京高裁は1審に続き死刑判決を言い渡した。
「今井被告は、捜査段階では3人を投げ落としたことを認めていましたが、途中から黙秘に転じ、公判では『3件とも自分はやっていない。嘘の自白をした』と無罪を主張しました。客観的な証拠がなく犯罪を立証するのが難しいなかで、1審も2審も審理に時間をかけ、捜査段階の供述の信用性を確認し、そのほかの間接的な状況からも今井被告の犯行と断定したのです」(司法担当記者)
今井被告が否認に転じたため、判決では動機の認定は不完全なままだが、1人目の殺害については捜査段階の供述などから、「日々の業務から生じていた鬱憤を入居者の言動を契機に高じさせ」犯行に及んだとされている。
3人を殺害し責任能力がありながらも「異例の死刑回避」 高裁判決では、今井被告の自閉症スペクトラム(ASD)の特性が動機形成を促進したという医師の鑑定を挙げ、「被告人に対する責任非難を過度に行うことはできない」としながらも、「責任能力を否定するまではいかない」とした。そのうえで、職員が介護付き老人ホームの入所者をベランダから投げ落とした残酷さなどを挙げて、「最大限慎重な検討を重ねた上、極刑をもって臨むことがやむをえない」とした1審判決を維持したのだ。「殺人など強行犯の事件は、やっていないと無罪を主張するか、精神疾患を理由に減刑するかの2択になることが多い。今井被告はその両方でしたが、弁護側の主張は採用されなかった形です」(同上) しかし、3人を殺害し責任能力を認められながらも、死刑判決とならなかった例もある。 昨年11月9日、横浜地裁で無期懲役を言い渡された久保木愛弓被告(34・判決時)だ。久保木被告の判決については「異例の死刑回避」などと新聞各紙も報じた。供述では「20人以上やった」が、立証できたのは殺人3件と殺人予備罪だけ 久保木被告が起こした「大口病院点滴殺人事件」について振り返ると、2016年7月以降、横浜市神奈川区の旧大口病院の終末期フロアでは2カ月あまりの期間に48人もの患者が相次いで亡くなる異常事態となっていた。 犯人として捜査線上に浮かんだのが元看護師の久保木被告だった。当初は否認していたが、後に患者の点滴に消毒液を混入して殺害したことを認めている。捜査段階では「20人以上にやった」とも話していたが、遺体は火葬されるなどして調べることができず、立件できたのは計3人に対する殺人と、別の患者の点滴袋に消毒液を混入させた殺人予備罪だけだった。 法廷では消えそうなか細い声で証言した久保木被告。起訴事実をすべて認め「死んで償いたい」とも話した。一方で、3人への混入以前にも同じ事をしたかどうか検察側から尋ねられると「答えたくありません」と証言を拒否したこともあった。 事実関係に争いはなく、争点となったのは久保木被告の責任能力だった。弁護側は「犯行時はうつ病で、統合失調症の前兆の可能性があり心神耗弱だった」と訴え無期懲役を求めた。久保木被告も今井被告と同様にASDと診断 迎えた判決言い渡しの日。傍聴していた記者が振り返る。「事件になったのは3人ですが、久保木被告による被害者はさらにたくさんいます。反省の弁があるとはいえ、被害者の人数から死刑が言い渡される見立てのもと記事の準備をしていました。しかし、裁判長が発したのは『無期懲役』という言葉でした」 久保木被告も、川崎老人ホーム連続転落死事件の今井被告と同様、対人関係がうまくいかないASDと診断されていた。争点だった責任能力について裁判所は「問題なし」との判断を下したが、地裁の家令和典裁判長は予想外の言葉を発した。「本当に慎重に検討しました。生涯をかけて償ってほしいというのが裁判所の結論です」 家令裁判長の決断理由を前出の記者が解説する。「ASDの影響で看護師としての資質が足りない中で、患者の家族に怒鳴られてうつ病になり、『患者を消すという短絡的な動機で犯行に及んだ』のは被告人の力では避けようがなかった、と歩み寄ったのです。さらに『死んで償いたい』と話したことから更生の可能性があるという理由で無期懲役となりました」 この判決に3人の被害者の遺族は反発、検察側も控訴し、今後東京高裁で審理される予定だ。死刑を「廃止してほしいが、世論は違う」と踏み込んだ発言 久保木被告に説諭した家令裁判長は、東京地裁や千葉地裁など、大規模な裁判所で著名刑事事件の1審を多く手がけてきたスペシャリストだ。「実は約20年前、中堅裁判官として福岡地裁に赴任していた家令氏が、公民館で市民と交流するイベントに出席し、『自分の名で死刑を言い渡したい裁判官はいない。廃止してほしいが、世論は違う』とかなり踏み込んだ発言をしたのです。現職の裁判官が死刑の是非について言及するのは珍しいことでしょう」(大手紙社会部デスク) 家令裁判長による久保木被告の死刑回避について、専門家は「異例の判決。高裁でどうなるのか」「永山基準からは逸脱していないといえる」などと評した。 死刑制度については賛否が分かれる。しかし、40年前の「永山基準」という不明確な判断材料だけが一人歩きし、裁判官の心情で「死刑」と「無期」が決まるかのように見える日本の司法では、被害者やその遺族は到底納得できないだろう。(1回目、2回目を読む)(山本 浩輔,「文春オンライン」特集班/Webオリジナル(特集班))
高裁判決では、今井被告の自閉症スペクトラム(ASD)の特性が動機形成を促進したという医師の鑑定を挙げ、「被告人に対する責任非難を過度に行うことはできない」としながらも、「責任能力を否定するまではいかない」とした。そのうえで、職員が介護付き老人ホームの入所者をベランダから投げ落とした残酷さなどを挙げて、「最大限慎重な検討を重ねた上、極刑をもって臨むことがやむをえない」とした1審判決を維持したのだ。
「殺人など強行犯の事件は、やっていないと無罪を主張するか、精神疾患を理由に減刑するかの2択になることが多い。今井被告はその両方でしたが、弁護側の主張は採用されなかった形です」(同上)
しかし、3人を殺害し責任能力を認められながらも、死刑判決とならなかった例もある。
昨年11月9日、横浜地裁で無期懲役を言い渡された久保木愛弓被告(34・判決時)だ。久保木被告の判決については「異例の死刑回避」などと新聞各紙も報じた。
久保木被告が起こした「大口病院点滴殺人事件」について振り返ると、2016年7月以降、横浜市神奈川区の旧大口病院の終末期フロアでは2カ月あまりの期間に48人もの患者が相次いで亡くなる異常事態となっていた。
犯人として捜査線上に浮かんだのが元看護師の久保木被告だった。当初は否認していたが、後に患者の点滴に消毒液を混入して殺害したことを認めている。捜査段階では「20人以上にやった」とも話していたが、遺体は火葬されるなどして調べることができず、立件できたのは計3人に対する殺人と、別の患者の点滴袋に消毒液を混入させた殺人予備罪だけだった。
法廷では消えそうなか細い声で証言した久保木被告。起訴事実をすべて認め「死んで償いたい」とも話した。一方で、3人への混入以前にも同じ事をしたかどうか検察側から尋ねられると「答えたくありません」と証言を拒否したこともあった。
事実関係に争いはなく、争点となったのは久保木被告の責任能力だった。弁護側は「犯行時はうつ病で、統合失調症の前兆の可能性があり心神耗弱だった」と訴え無期懲役を求めた。
迎えた判決言い渡しの日。傍聴していた記者が振り返る。
「事件になったのは3人ですが、久保木被告による被害者はさらにたくさんいます。反省の弁があるとはいえ、被害者の人数から死刑が言い渡される見立てのもと記事の準備をしていました。しかし、裁判長が発したのは『無期懲役』という言葉でした」
久保木被告も、川崎老人ホーム連続転落死事件の今井被告と同様、対人関係がうまくいかないASDと診断されていた。争点だった責任能力について裁判所は「問題なし」との判断を下したが、地裁の家令和典裁判長は予想外の言葉を発した。
「本当に慎重に検討しました。生涯をかけて償ってほしいというのが裁判所の結論です」
家令裁判長の決断理由を前出の記者が解説する。
「ASDの影響で看護師としての資質が足りない中で、患者の家族に怒鳴られてうつ病になり、『患者を消すという短絡的な動機で犯行に及んだ』のは被告人の力では避けようがなかった、と歩み寄ったのです。さらに『死んで償いたい』と話したことから更生の可能性があるという理由で無期懲役となりました」
この判決に3人の被害者の遺族は反発、検察側も控訴し、今後東京高裁で審理される予定だ。
死刑を「廃止してほしいが、世論は違う」と踏み込んだ発言 久保木被告に説諭した家令裁判長は、東京地裁や千葉地裁など、大規模な裁判所で著名刑事事件の1審を多く手がけてきたスペシャリストだ。「実は約20年前、中堅裁判官として福岡地裁に赴任していた家令氏が、公民館で市民と交流するイベントに出席し、『自分の名で死刑を言い渡したい裁判官はいない。廃止してほしいが、世論は違う』とかなり踏み込んだ発言をしたのです。現職の裁判官が死刑の是非について言及するのは珍しいことでしょう」(大手紙社会部デスク) 家令裁判長による久保木被告の死刑回避について、専門家は「異例の判決。高裁でどうなるのか」「永山基準からは逸脱していないといえる」などと評した。 死刑制度については賛否が分かれる。しかし、40年前の「永山基準」という不明確な判断材料だけが一人歩きし、裁判官の心情で「死刑」と「無期」が決まるかのように見える日本の司法では、被害者やその遺族は到底納得できないだろう。(1回目、2回目を読む)(山本 浩輔,「文春オンライン」特集班/Webオリジナル(特集班))
久保木被告に説諭した家令裁判長は、東京地裁や千葉地裁など、大規模な裁判所で著名刑事事件の1審を多く手がけてきたスペシャリストだ。
「実は約20年前、中堅裁判官として福岡地裁に赴任していた家令氏が、公民館で市民と交流するイベントに出席し、『自分の名で死刑を言い渡したい裁判官はいない。廃止してほしいが、世論は違う』とかなり踏み込んだ発言をしたのです。現職の裁判官が死刑の是非について言及するのは珍しいことでしょう」(大手紙社会部デスク)
家令裁判長による久保木被告の死刑回避について、専門家は「異例の判決。高裁でどうなるのか」「永山基準からは逸脱していないといえる」などと評した。
死刑制度については賛否が分かれる。しかし、40年前の「永山基準」という不明確な判断材料だけが一人歩きし、裁判官の心情で「死刑」と「無期」が決まるかのように見える日本の司法では、被害者やその遺族は到底納得できないだろう。(1回目、2回目を読む)
(山本 浩輔,「文春オンライン」特集班/Webオリジナル(特集班))