「びっくりしましたね。ちょうど開山さんの命日だったので、いろんな来客があってその対応をしているときにこの事故が起きたのです」
【画像】車が突っ込み、出入り口にある木製の扉などが壊れた「日本最古のトイレ」の無残な様子 こう語るのは、東福寺の永井慶洲・宝物殿管理室長(72歳)だ。開山さんとは、1236年(嘉禎2年)に東福寺を創建した聖一国師円爾弁円(しょういちこくしえんにべんえん)のことで、まさに命日の法要が取り行われている最中だったからだ。運転を誤って逆進し、お尻からトイレに突入 この事故とは、10月17日午前9時半ごろ京都市東山区本町の東福寺で、文化財の見回りに来ていた京都古文化保存協会の職員(30歳)が、駐車場に止めてあった乗用車の向きを変えようとして、バックのギアを入れたままアクセルを踏んだため逆進し、国の重要文化財に指定されている木造建築物の東司の中まで突入したもので、幸いケガ人はいなかった。

事故によって、入口の扉がめちゃくちゃに壊れ、壁の一部が破損した。実は東福寺では2012~2013年ごろ、本堂と通天橋を通って開山堂に行く途中の柱に乗用車がぶつかる事故が2回起きている。「しかし今回は重要文化財ですからね。すぐに文化庁や市、府の文化財保護課とも協議して今後どうするか、今朝(19日)も相談していたばかりなんです」(永井室長) 被害にあった東福寺は、臨済宗東福寺派の総本山で、京都五山の一つ。創建当時、奈良における最大の寺院であった東大寺と最も盛大を極めた興福寺から1文字ずつとって寺の名前とした。東福寺(Photo by Behrouz MEHRI/AFP) 国宝の禅宗寺院最古の三門をはじめ、重要文化財としては、室町時代前期から残るこの東司だけでなく、常楽庵、月下門(げっかもん)、仁王門など10ヶ所以上を数え、他にも数多くの文化財を所蔵する。東司はただの「便所」ではなく禅僧の修行の場だった 東司は、「とうす」と読み、禅宗の寺の「便所」のことだとすぐにわかる人は、仏教関係者か文化財に詳しい知識人、トイレに精通した事情通だ。新聞、テレビ、デジタルニュースで一躍有名になった東司について、〈寺の100人以上の修行僧が一斉に駆け込んでいたことから「百雪隠(ひゃくせっちん)」という別名を持つ。深さ約30センチの穴でできたトイレ約20個が2列に並んでいる。明治初頭まで実際に使われていたとみられる〉(朝日新聞デジタル版)〈室町時代前期に建てられた禅寺の便所で、現在は使用されていないが現存する東司としては国内最古で最大という〉(京都新聞デジタル版) と、いずれも修行僧が使っていた便所とだけしか伝わってこない。しかしこれでは新聞を読んだり、ニュースを見たりしただけの人は、排泄場所としての便所だと思いがちだが、ここは禅僧の修行の場になっていた。永井室長はこう語る。「東司のことを皆さんはあまりご存じないから、単なる便所程度の認識しかないでしょうが、三黙堂といって食堂(じきどう)、浴室と並んで東司では、喋ることが禁じられている重要な修行の場なのです」東司で用をたす際の6つの作法 実は2014年11月29日に「週刊文春トイレ探検隊」がこの東司を訪れている。この探検隊の隊長が不肖私で、週刊文春の2014年11月から毎月1回2年間にわたって「『トイレ探検隊』がゆく!」を連載した。隊員数は、7歳から90代まで228人の大所帯だった。その第2回探検で訪れたのが此方だった。 その時の模様を再現すると、〈日本最古のトイレの建物は、普段は非公開であり、壁の隙間からほの暗い中をぼんやり眺めることが出来るだけだ。入り口の白壁の天井近くに掲げられた「東司」の大きな表札の下をくぐる。中は7メートル×14メートルの長方形のガラーンとした空間で、目を凝らしてみると地面に丸い穴が行儀よく左右に9つずつ並んでいる〉。 そのとき広報主事として案内してくれたのが、永井室長の次男正俊氏だった。その際、「隣の禅堂で暮らす僧たちの集団生活そのものが修行だったので、ここで用をたすのもその一環だったのです」と説明した上で、ここでの作法を詳しく教えてくれた。〈,泙鎖紊瞭った桶を持って入る▲肇ぅ譴淋笋涼罎鮖参した水で、パッパッと清めるトイレをするや屐覆舛紊Α砲噺討个譴訝櫃簗擇悩遒辰織悒蕁覆△襪い郎)でふくセ箸そわったヘラは別の壺に入れるξ戮留の洗い場で土と灰で3回ずつ手を洗い、最後に橘の実を磨り潰したもので手をもみ洗う。これで消毒完了〉 確かに修行の場であったことが垣間見えた。ところが今回テレビや新聞の動画で思いがけず東司の奥までの映像が紹介されてしまい、あの神秘に満ちた荘厳な雰囲気が雲散霧消した感がある。「出来るだけ現状復帰を目指す」修復に掛かる費用は… ことほど左様に重要な建造物だけに修復が気にかかるところだ。永井室長はこう説明してくれた。「完全に元のままというのは無理ですが、出来るだけ現状復帰を目指したいと思っています。壊れた扉でも大きな板や材木でそのまま使えるものを活かしながら、へっこんだところや曲がったものは補正する。粉々になった箇所は使えないので、サラの木ではなく材質が同じようなもので、今の技術では、わざと古く出来るらしいのでそうした木材も使ったりしながらやっていきたいと思っています。それも文化庁と京都市と府、それに施工業者とも協議しながら進めていきます」 とはいえどれくらい経費はかかるのだろうか。「どこまで完全修復できるか、これもまた文化庁など4者と話し合いながらやっていきます」と永井室長。「それでもどれくらいか予想はされているのでしょう」と食い下がると、「まぁ一昨日の話ですからすぐにいくらとは計算できません。まだまだ先のことです」とだけ話した。 同じ質問を府文化財保護課にしてみたが、こちらも同様の回答で、「これから東福寺が毀損届を作成して、市の文化財保護課に、さらに文化庁に提出することになりますから、いつ、いくらというのはそうすぐには出ないでしょう」と説明してくれた。「事件として処理することはありません」 さて所属する京都古文化保存協会主催の「京都非公開文化財特別公開」の視察巡回で来ていて、事故を起こした職員は、果たしてどうなるのだろうか。 京都東山警察署の池野喜彦副署長によると、「本人は、相当ショックを受けていましたね。故意ではなく全くの過失ですし、事件として処理することはありません」とのことである。 今後のことについては、永井室長も「保険で処理されることでしょうし、とにかく人身事故にならずに済んでよかったです」と御仏に仕える方らしい心配りで言葉を結んだ。 東福寺は、2000本の紅葉が有名で、真っ赤に染まる晩秋になると、40万人を超す観光客が訪れることで知られている。中でも人気の夜間拝観は、11月18日から30日まで開催される。残念ながらそれまでに東司が修復されることはない。(坂上遼/Webオリジナル(特集班))
こう語るのは、東福寺の永井慶洲・宝物殿管理室長(72歳)だ。開山さんとは、1236年(嘉禎2年)に東福寺を創建した聖一国師円爾弁円(しょういちこくしえんにべんえん)のことで、まさに命日の法要が取り行われている最中だったからだ。
この事故とは、10月17日午前9時半ごろ京都市東山区本町の東福寺で、文化財の見回りに来ていた京都古文化保存協会の職員(30歳)が、駐車場に止めてあった乗用車の向きを変えようとして、バックのギアを入れたままアクセルを踏んだため逆進し、国の重要文化財に指定されている木造建築物の東司の中まで突入したもので、幸いケガ人はいなかった。
事故によって、入口の扉がめちゃくちゃに壊れ、壁の一部が破損した。実は東福寺では2012~2013年ごろ、本堂と通天橋を通って開山堂に行く途中の柱に乗用車がぶつかる事故が2回起きている。「しかし今回は重要文化財ですからね。すぐに文化庁や市、府の文化財保護課とも協議して今後どうするか、今朝(19日)も相談していたばかりなんです」(永井室長) 被害にあった東福寺は、臨済宗東福寺派の総本山で、京都五山の一つ。創建当時、奈良における最大の寺院であった東大寺と最も盛大を極めた興福寺から1文字ずつとって寺の名前とした。東福寺(Photo by Behrouz MEHRI/AFP) 国宝の禅宗寺院最古の三門をはじめ、重要文化財としては、室町時代前期から残るこの東司だけでなく、常楽庵、月下門(げっかもん)、仁王門など10ヶ所以上を数え、他にも数多くの文化財を所蔵する。東司はただの「便所」ではなく禅僧の修行の場だった 東司は、「とうす」と読み、禅宗の寺の「便所」のことだとすぐにわかる人は、仏教関係者か文化財に詳しい知識人、トイレに精通した事情通だ。新聞、テレビ、デジタルニュースで一躍有名になった東司について、〈寺の100人以上の修行僧が一斉に駆け込んでいたことから「百雪隠(ひゃくせっちん)」という別名を持つ。深さ約30センチの穴でできたトイレ約20個が2列に並んでいる。明治初頭まで実際に使われていたとみられる〉(朝日新聞デジタル版)〈室町時代前期に建てられた禅寺の便所で、現在は使用されていないが現存する東司としては国内最古で最大という〉(京都新聞デジタル版) と、いずれも修行僧が使っていた便所とだけしか伝わってこない。しかしこれでは新聞を読んだり、ニュースを見たりしただけの人は、排泄場所としての便所だと思いがちだが、ここは禅僧の修行の場になっていた。永井室長はこう語る。「東司のことを皆さんはあまりご存じないから、単なる便所程度の認識しかないでしょうが、三黙堂といって食堂(じきどう)、浴室と並んで東司では、喋ることが禁じられている重要な修行の場なのです」東司で用をたす際の6つの作法 実は2014年11月29日に「週刊文春トイレ探検隊」がこの東司を訪れている。この探検隊の隊長が不肖私で、週刊文春の2014年11月から毎月1回2年間にわたって「『トイレ探検隊』がゆく!」を連載した。隊員数は、7歳から90代まで228人の大所帯だった。その第2回探検で訪れたのが此方だった。 その時の模様を再現すると、〈日本最古のトイレの建物は、普段は非公開であり、壁の隙間からほの暗い中をぼんやり眺めることが出来るだけだ。入り口の白壁の天井近くに掲げられた「東司」の大きな表札の下をくぐる。中は7メートル×14メートルの長方形のガラーンとした空間で、目を凝らしてみると地面に丸い穴が行儀よく左右に9つずつ並んでいる〉。 そのとき広報主事として案内してくれたのが、永井室長の次男正俊氏だった。その際、「隣の禅堂で暮らす僧たちの集団生活そのものが修行だったので、ここで用をたすのもその一環だったのです」と説明した上で、ここでの作法を詳しく教えてくれた。〈,泙鎖紊瞭った桶を持って入る▲肇ぅ譴淋笋涼罎鮖参した水で、パッパッと清めるトイレをするや屐覆舛紊Α砲噺討个譴訝櫃簗擇悩遒辰織悒蕁覆△襪い郎)でふくセ箸そわったヘラは別の壺に入れるξ戮留の洗い場で土と灰で3回ずつ手を洗い、最後に橘の実を磨り潰したもので手をもみ洗う。これで消毒完了〉 確かに修行の場であったことが垣間見えた。ところが今回テレビや新聞の動画で思いがけず東司の奥までの映像が紹介されてしまい、あの神秘に満ちた荘厳な雰囲気が雲散霧消した感がある。「出来るだけ現状復帰を目指す」修復に掛かる費用は… ことほど左様に重要な建造物だけに修復が気にかかるところだ。永井室長はこう説明してくれた。「完全に元のままというのは無理ですが、出来るだけ現状復帰を目指したいと思っています。壊れた扉でも大きな板や材木でそのまま使えるものを活かしながら、へっこんだところや曲がったものは補正する。粉々になった箇所は使えないので、サラの木ではなく材質が同じようなもので、今の技術では、わざと古く出来るらしいのでそうした木材も使ったりしながらやっていきたいと思っています。それも文化庁と京都市と府、それに施工業者とも協議しながら進めていきます」 とはいえどれくらい経費はかかるのだろうか。「どこまで完全修復できるか、これもまた文化庁など4者と話し合いながらやっていきます」と永井室長。「それでもどれくらいか予想はされているのでしょう」と食い下がると、「まぁ一昨日の話ですからすぐにいくらとは計算できません。まだまだ先のことです」とだけ話した。 同じ質問を府文化財保護課にしてみたが、こちらも同様の回答で、「これから東福寺が毀損届を作成して、市の文化財保護課に、さらに文化庁に提出することになりますから、いつ、いくらというのはそうすぐには出ないでしょう」と説明してくれた。「事件として処理することはありません」 さて所属する京都古文化保存協会主催の「京都非公開文化財特別公開」の視察巡回で来ていて、事故を起こした職員は、果たしてどうなるのだろうか。 京都東山警察署の池野喜彦副署長によると、「本人は、相当ショックを受けていましたね。故意ではなく全くの過失ですし、事件として処理することはありません」とのことである。 今後のことについては、永井室長も「保険で処理されることでしょうし、とにかく人身事故にならずに済んでよかったです」と御仏に仕える方らしい心配りで言葉を結んだ。 東福寺は、2000本の紅葉が有名で、真っ赤に染まる晩秋になると、40万人を超す観光客が訪れることで知られている。中でも人気の夜間拝観は、11月18日から30日まで開催される。残念ながらそれまでに東司が修復されることはない。(坂上遼/Webオリジナル(特集班))
事故によって、入口の扉がめちゃくちゃに壊れ、壁の一部が破損した。実は東福寺では2012~2013年ごろ、本堂と通天橋を通って開山堂に行く途中の柱に乗用車がぶつかる事故が2回起きている。
「しかし今回は重要文化財ですからね。すぐに文化庁や市、府の文化財保護課とも協議して今後どうするか、今朝(19日)も相談していたばかりなんです」(永井室長)
被害にあった東福寺は、臨済宗東福寺派の総本山で、京都五山の一つ。創建当時、奈良における最大の寺院であった東大寺と最も盛大を極めた興福寺から1文字ずつとって寺の名前とした。
東福寺(Photo by Behrouz MEHRI/AFP)
国宝の禅宗寺院最古の三門をはじめ、重要文化財としては、室町時代前期から残るこの東司だけでなく、常楽庵、月下門(げっかもん)、仁王門など10ヶ所以上を数え、他にも数多くの文化財を所蔵する。
東司は、「とうす」と読み、禅宗の寺の「便所」のことだとすぐにわかる人は、仏教関係者か文化財に詳しい知識人、トイレに精通した事情通だ。新聞、テレビ、デジタルニュースで一躍有名になった東司について、
〈寺の100人以上の修行僧が一斉に駆け込んでいたことから「百雪隠(ひゃくせっちん)」という別名を持つ。深さ約30センチの穴でできたトイレ約20個が2列に並んでいる。明治初頭まで実際に使われていたとみられる〉(朝日新聞デジタル版)
〈室町時代前期に建てられた禅寺の便所で、現在は使用されていないが現存する東司としては国内最古で最大という〉(京都新聞デジタル版)
と、いずれも修行僧が使っていた便所とだけしか伝わってこない。しかしこれでは新聞を読んだり、ニュースを見たりしただけの人は、排泄場所としての便所だと思いがちだが、ここは禅僧の修行の場になっていた。永井室長はこう語る。
「東司のことを皆さんはあまりご存じないから、単なる便所程度の認識しかないでしょうが、三黙堂といって食堂(じきどう)、浴室と並んで東司では、喋ることが禁じられている重要な修行の場なのです」
実は2014年11月29日に「週刊文春トイレ探検隊」がこの東司を訪れている。この探検隊の隊長が不肖私で、週刊文春の2014年11月から毎月1回2年間にわたって「『トイレ探検隊』がゆく!」を連載した。隊員数は、7歳から90代まで228人の大所帯だった。その第2回探検で訪れたのが此方だった。
その時の模様を再現すると、〈日本最古のトイレの建物は、普段は非公開であり、壁の隙間からほの暗い中をぼんやり眺めることが出来るだけだ。入り口の白壁の天井近くに掲げられた「東司」の大きな表札の下をくぐる。中は7メートル×14メートルの長方形のガラーンとした空間で、目を凝らしてみると地面に丸い穴が行儀よく左右に9つずつ並んでいる〉。 そのとき広報主事として案内してくれたのが、永井室長の次男正俊氏だった。その際、「隣の禅堂で暮らす僧たちの集団生活そのものが修行だったので、ここで用をたすのもその一環だったのです」と説明した上で、ここでの作法を詳しく教えてくれた。〈,泙鎖紊瞭った桶を持って入る▲肇ぅ譴淋笋涼罎鮖参した水で、パッパッと清めるトイレをするや屐覆舛紊Α砲噺討个譴訝櫃簗擇悩遒辰織悒蕁覆△襪い郎)でふくセ箸そわったヘラは別の壺に入れるξ戮留の洗い場で土と灰で3回ずつ手を洗い、最後に橘の実を磨り潰したもので手をもみ洗う。これで消毒完了〉 確かに修行の場であったことが垣間見えた。ところが今回テレビや新聞の動画で思いがけず東司の奥までの映像が紹介されてしまい、あの神秘に満ちた荘厳な雰囲気が雲散霧消した感がある。「出来るだけ現状復帰を目指す」修復に掛かる費用は… ことほど左様に重要な建造物だけに修復が気にかかるところだ。永井室長はこう説明してくれた。「完全に元のままというのは無理ですが、出来るだけ現状復帰を目指したいと思っています。壊れた扉でも大きな板や材木でそのまま使えるものを活かしながら、へっこんだところや曲がったものは補正する。粉々になった箇所は使えないので、サラの木ではなく材質が同じようなもので、今の技術では、わざと古く出来るらしいのでそうした木材も使ったりしながらやっていきたいと思っています。それも文化庁と京都市と府、それに施工業者とも協議しながら進めていきます」 とはいえどれくらい経費はかかるのだろうか。「どこまで完全修復できるか、これもまた文化庁など4者と話し合いながらやっていきます」と永井室長。「それでもどれくらいか予想はされているのでしょう」と食い下がると、「まぁ一昨日の話ですからすぐにいくらとは計算できません。まだまだ先のことです」とだけ話した。 同じ質問を府文化財保護課にしてみたが、こちらも同様の回答で、「これから東福寺が毀損届を作成して、市の文化財保護課に、さらに文化庁に提出することになりますから、いつ、いくらというのはそうすぐには出ないでしょう」と説明してくれた。「事件として処理することはありません」 さて所属する京都古文化保存協会主催の「京都非公開文化財特別公開」の視察巡回で来ていて、事故を起こした職員は、果たしてどうなるのだろうか。 京都東山警察署の池野喜彦副署長によると、「本人は、相当ショックを受けていましたね。故意ではなく全くの過失ですし、事件として処理することはありません」とのことである。 今後のことについては、永井室長も「保険で処理されることでしょうし、とにかく人身事故にならずに済んでよかったです」と御仏に仕える方らしい心配りで言葉を結んだ。 東福寺は、2000本の紅葉が有名で、真っ赤に染まる晩秋になると、40万人を超す観光客が訪れることで知られている。中でも人気の夜間拝観は、11月18日から30日まで開催される。残念ながらそれまでに東司が修復されることはない。(坂上遼/Webオリジナル(特集班))
その時の模様を再現すると、〈日本最古のトイレの建物は、普段は非公開であり、壁の隙間からほの暗い中をぼんやり眺めることが出来るだけだ。入り口の白壁の天井近くに掲げられた「東司」の大きな表札の下をくぐる。中は7メートル×14メートルの長方形のガラーンとした空間で、目を凝らしてみると地面に丸い穴が行儀よく左右に9つずつ並んでいる〉。
そのとき広報主事として案内してくれたのが、永井室長の次男正俊氏だった。その際、「隣の禅堂で暮らす僧たちの集団生活そのものが修行だったので、ここで用をたすのもその一環だったのです」と説明した上で、ここでの作法を詳しく教えてくれた。
〈,泙鎖紊瞭った桶を持って入る▲肇ぅ譴淋笋涼罎鮖参した水で、パッパッと清めるトイレをするや屐覆舛紊Α砲噺討个譴訝櫃簗擇悩遒辰織悒蕁覆△襪い郎)でふくセ箸そわったヘラは別の壺に入れるξ戮留の洗い場で土と灰で3回ずつ手を洗い、最後に橘の実を磨り潰したもので手をもみ洗う。これで消毒完了〉
確かに修行の場であったことが垣間見えた。ところが今回テレビや新聞の動画で思いがけず東司の奥までの映像が紹介されてしまい、あの神秘に満ちた荘厳な雰囲気が雲散霧消した感がある。「出来るだけ現状復帰を目指す」修復に掛かる費用は… ことほど左様に重要な建造物だけに修復が気にかかるところだ。永井室長はこう説明してくれた。「完全に元のままというのは無理ですが、出来るだけ現状復帰を目指したいと思っています。壊れた扉でも大きな板や材木でそのまま使えるものを活かしながら、へっこんだところや曲がったものは補正する。粉々になった箇所は使えないので、サラの木ではなく材質が同じようなもので、今の技術では、わざと古く出来るらしいのでそうした木材も使ったりしながらやっていきたいと思っています。それも文化庁と京都市と府、それに施工業者とも協議しながら進めていきます」 とはいえどれくらい経費はかかるのだろうか。「どこまで完全修復できるか、これもまた文化庁など4者と話し合いながらやっていきます」と永井室長。「それでもどれくらいか予想はされているのでしょう」と食い下がると、「まぁ一昨日の話ですからすぐにいくらとは計算できません。まだまだ先のことです」とだけ話した。 同じ質問を府文化財保護課にしてみたが、こちらも同様の回答で、「これから東福寺が毀損届を作成して、市の文化財保護課に、さらに文化庁に提出することになりますから、いつ、いくらというのはそうすぐには出ないでしょう」と説明してくれた。「事件として処理することはありません」 さて所属する京都古文化保存協会主催の「京都非公開文化財特別公開」の視察巡回で来ていて、事故を起こした職員は、果たしてどうなるのだろうか。 京都東山警察署の池野喜彦副署長によると、「本人は、相当ショックを受けていましたね。故意ではなく全くの過失ですし、事件として処理することはありません」とのことである。 今後のことについては、永井室長も「保険で処理されることでしょうし、とにかく人身事故にならずに済んでよかったです」と御仏に仕える方らしい心配りで言葉を結んだ。 東福寺は、2000本の紅葉が有名で、真っ赤に染まる晩秋になると、40万人を超す観光客が訪れることで知られている。中でも人気の夜間拝観は、11月18日から30日まで開催される。残念ながらそれまでに東司が修復されることはない。(坂上遼/Webオリジナル(特集班))
確かに修行の場であったことが垣間見えた。ところが今回テレビや新聞の動画で思いがけず東司の奥までの映像が紹介されてしまい、あの神秘に満ちた荘厳な雰囲気が雲散霧消した感がある。
ことほど左様に重要な建造物だけに修復が気にかかるところだ。永井室長はこう説明してくれた。
「完全に元のままというのは無理ですが、出来るだけ現状復帰を目指したいと思っています。壊れた扉でも大きな板や材木でそのまま使えるものを活かしながら、へっこんだところや曲がったものは補正する。粉々になった箇所は使えないので、サラの木ではなく材質が同じようなもので、今の技術では、わざと古く出来るらしいのでそうした木材も使ったりしながらやっていきたいと思っています。それも文化庁と京都市と府、それに施工業者とも協議しながら進めていきます」
とはいえどれくらい経費はかかるのだろうか。「どこまで完全修復できるか、これもまた文化庁など4者と話し合いながらやっていきます」と永井室長。「それでもどれくらいか予想はされているのでしょう」と食い下がると、「まぁ一昨日の話ですからすぐにいくらとは計算できません。まだまだ先のことです」とだけ話した。
同じ質問を府文化財保護課にしてみたが、こちらも同様の回答で、「これから東福寺が毀損届を作成して、市の文化財保護課に、さらに文化庁に提出することになりますから、いつ、いくらというのはそうすぐには出ないでしょう」と説明してくれた。「事件として処理することはありません」 さて所属する京都古文化保存協会主催の「京都非公開文化財特別公開」の視察巡回で来ていて、事故を起こした職員は、果たしてどうなるのだろうか。 京都東山警察署の池野喜彦副署長によると、「本人は、相当ショックを受けていましたね。故意ではなく全くの過失ですし、事件として処理することはありません」とのことである。 今後のことについては、永井室長も「保険で処理されることでしょうし、とにかく人身事故にならずに済んでよかったです」と御仏に仕える方らしい心配りで言葉を結んだ。 東福寺は、2000本の紅葉が有名で、真っ赤に染まる晩秋になると、40万人を超す観光客が訪れることで知られている。中でも人気の夜間拝観は、11月18日から30日まで開催される。残念ながらそれまでに東司が修復されることはない。(坂上遼/Webオリジナル(特集班))
同じ質問を府文化財保護課にしてみたが、こちらも同様の回答で、「これから東福寺が毀損届を作成して、市の文化財保護課に、さらに文化庁に提出することになりますから、いつ、いくらというのはそうすぐには出ないでしょう」と説明してくれた。
さて所属する京都古文化保存協会主催の「京都非公開文化財特別公開」の視察巡回で来ていて、事故を起こした職員は、果たしてどうなるのだろうか。
京都東山警察署の池野喜彦副署長によると、「本人は、相当ショックを受けていましたね。故意ではなく全くの過失ですし、事件として処理することはありません」とのことである。
今後のことについては、永井室長も「保険で処理されることでしょうし、とにかく人身事故にならずに済んでよかったです」と御仏に仕える方らしい心配りで言葉を結んだ。
東福寺は、2000本の紅葉が有名で、真っ赤に染まる晩秋になると、40万人を超す観光客が訪れることで知られている。中でも人気の夜間拝観は、11月18日から30日まで開催される。残念ながらそれまでに東司が修復されることはない。(坂上遼/Webオリジナル(特集班))
東福寺は、2000本の紅葉が有名で、真っ赤に染まる晩秋になると、40万人を超す観光客が訪れることで知られている。中でも人気の夜間拝観は、11月18日から30日まで開催される。残念ながらそれまでに東司が修復されることはない。
(坂上遼/Webオリジナル(特集班))