福岡県警と福岡地検が2014年、特定危険指定暴力団工藤会(北九州市)の壊滅を目指す「頂上作戦」に着手し、福岡地裁が昨年8月、トップで総裁の野村悟被告(75)に死刑判決を出したことで、工藤会の退潮が著しい。市民の間にも治安回復の実感とともに、暴力団排除のシンボルである「標章制度」が再び、広がり始めた。
今年7月。県警は、北九州市八幡西区の路上で、不動産会社社長の男性=当時(72)、故人=が刺され重傷を負った10年前の重要未解決事件を立件した。工藤会系組幹部ら5人を逮捕(その後、2人は不起訴処分)。野村被告の裁判が始まった後、関係者から有力な情報提供があったことが出発点となった。「裁判で、工藤会の中枢幹部が自分のことしか考えていない実態がつまびらかにされた。頂上作戦以降、組織に見切りをつけた組員が協力してくれるようになり、事件の内偵が進んでいる」と捜査関係者。
県警によると、工藤会の構成員と準構成員は頂上作戦前の08年末に1210人を数えたが、昨年末時点では370人まで急減。県警幹部は「(野村被告の)死刑判決を受け、組織内部は諦めムードが強まっている」。白い威容で知られた小倉北区の工藤会本部事務所も、20年に撤去され更地となった。ある現役組員は、取材に対し「正直、カタギに戻れるなら戻りたい。ただ、どうしようもない自分を拾ってくれた恩も工藤会にはある。劣勢になったから抜けるというのは、男としてどうなのか…」と揺れる心境を明かした。

片や、12年8月に県暴力団排除条例に基づき導入され、組関係者の立ち入りを禁止する濃紺地に白字の「標章」を掲示する店の数は、復活しつつある。当初、北九州地区では標章店の経営者たちをターゲットにした襲撃事件や不審火が相次ぎ、掲示率が14年に最低の53・7%まで落ち込む紆余(うよ)曲折をたどった。
小倉北区の繁華街にある静かな老舗バーの女性店主(67)。いったん標章を掲げた後、同じビルに入居する飲食店関係者などが刃物で切り付けられ、恐怖にとらわれて外さざるを得なかった。14年に野村被告ら中枢幹部が一斉摘発されると、「繁華街から目に見えて組員の姿が減っていき、やっと安心感を持つことができた」。18年に再び、標章店となることを選んだという。22年5月末時点の掲示率は、71・3%となった。
頂上作戦の指揮を執った一人の元県警幹部は「官民の暴排運動と警察による取り締まりは『車の両輪』と呼びかけてきたが、やはり検挙が先に来ないと市民は怖くて協力できない」と、自戒を込めてこの8年前後の歳月を振り返る。捜査当局は、未解決、重要凶悪事件を引き続き摘発し、情報提供者の安全も徹底して守っていくとしている。
(工藤会事件取材班)