静岡県浜松市は、栃木県宇都宮市と並ぶ「餃子の街」として知られる。丸く並べられた餃子の中央に「もやし」が盛られているのが浜松餃子の特長だが、いかにしてこの形に至ったのか。その元祖とされる店の取材に、フードライターの適掃夫氏が成功した。 ***【写真】「浜松餃子」を名乗る気はない…「きよ」の餃子と加藤さん「アイデアは自分が食べたものの中から知らん間に出てくる。だからこそ職人たるものは食い道楽になれ。僕はそう思うね」 およそ80軒の餃子専門店がある浜松に、孤高の料理人がいる。「鍋貼強子 きよ」の主人・加藤幸雄さん(74)だ。浜松餃子の元祖でありながら、加藤さんは浜松餃子を名乗らず、独自の餃子「鍋貼強子(こうていぎょうざ)」を厨房で包んでいる。カウンター7席とテーブル3席の決して広くない店内に、三々五々と常連客が入ってくる。

犖氷發領鼠人瓩語る 今回、取材に同行したのは「浜松市やらまいか大使」で流通アナリストの渡辺広明氏。彼も「きよ」を愛する一人だ。「僕の実家がすぐそこでね、ウチの親父が体調を崩すまでほぼ毎日この店に通っていたんです。親父がお土産を持ってくることもあったから、餃子がうまいのはずっと前から知ってたけど、ひとりで餃子を食べながらここで飲むようになったのは親父が死んでから。大将がときどき僕の知らなかった親父のエピソードを話してくれると、なんだか親父と酒を飲んでいるような気がしてね…(以下略)」 カウンター越しの加藤さんが「渡辺さんのお父さんは、そうやってペラペラ喋らずに黙って男らしく飲んでたよ。いや、おしゃべりするのが悪いってことじゃないけどさ」と笑顔でツッコミを入れる。そうしている間にも近所の人がお皿を持参し「きよ」の餃子を求めにやってくる。地元民に愛され続けて62年。だが、「きよ」の餃子は変わらないどころか、進化し続けてきた味だった。絶妙なニンニク「きよ」のメニューは、餃子、焼き鳥、ホルモン焼きの3つのみ。メニューが少ないのは餃子専門店では珍しいことではないが、なぜ焼き鳥とホルモン焼きがあるのだろうか。渡辺氏が「ぎょうざ大」(15個1120円)とホルモン焼き(750円)を注文する。よく冷えた瓶ビールで喉を潤していると、キャベツの上にぷりぷりのホルモンが乗ったホルモン焼きが供された。甘じょっぱい味つけが病みつきになるウマさで、キャベツと交互に食べればビールがどんどん進む。 カウンターの奥では加藤さんが注文を受けてから餃子の皮に餡を包み、熱々のフライパンに手際よく円形に並べていく。焼きあがったら中央に茹でもやしを添えて、「浜松餃子」スタイルが完成する。 素材の味を噛み締めるためまずは何もつけずに一口。その一瞬で衝撃を受けた。かなりニンニクのパンチが効いているのに邪魔をし過ぎることなく、豚肉とキャベツの甘みが圧倒的に主役でじゅわっと脳に突き刺さる。かなり薄めの皮の焼き目側はパリッと香ばしく、全体としてその存在を主張しすぎることなく旨味を完璧に閉じ込めている。私には何よりニンニクを利かせながら、ニンニク特有のえぐみを一切感じさせない餡の配合が気になったので、恐る恐る加藤さんに尋ねてみた。「ニンニクのバランスだって? いいところに気が付いたね。ウチのニンニクは青森の田子町でとれる最高級の福地ホワイト六片しか使ってない。中国産のニンニクとはもう全然違う。コクがあって味と香りが最高だから。僕は素材にこだわっているから八百屋さんに野菜を教えることだってあるよ。キャベツの水分量なんかは包丁を入れたらだいたいわかる。今の季節は群馬県産が良い、もう少ししたら茨城県産がおいしくなる。だから次は『群馬と茨城のいいキャベツを半分ずつ持ってきて』なんて注文もする。自分の性格として味に一切妥協しない」「浜松餃子」を名乗る気はない 突如として、加藤さんが料理について語り始めてくれたことは幸運以外の何物でもなかった。隣でビールを飲んでいる渡辺氏も「ここまでマジメに餃子を語る大将、見たことがない」と目を丸くして聞き入った。食材をきっかけに始まった話は浜松餃子の歴史へと続いていく。「遠鉄(遠州鉄道)の新浜松駅、今は暗渠になっちゃったけど昔は川の両岸に屋台がたくさん並んでいた。1960年代、僕の母親はそこで餃子の屋台をやっていてね、夜になると屋台を組み立てて、屋台で使うプロパンガスなんかはそこらへんの道に穴を掘って隠しておいたみたい(笑)。親父はホルモンと焼き鳥の店をやっていて、僕は両方を受け継いだからウチの店のメニューがこうなったわけ。うちの餃子は肉4、野菜6で肉が多めで味が濃いし、当時は今よりも油を多めに使っていたので、ウチの親父がさっぱり食べられるように茹でモヤシの付け合わせを考案した。ウチにはそういうルーツがあるけど、僕は今の『浜松餃子』を名乗る気はない。外見だけパクってモヤシを乗せたらいいんだって餃子が増えすぎた」 “もやしを添えた発祥”を名乗る店は他にもあるが、全く眼中にないようだ。町おこしの狷散餃瓩砲覆辰討靴泙辰 加藤氏がやり玉に上げるのは「浜松餃子公式サイト」の定義だ。同サイトでは〈浜松餃子を一言で表す定義は、『浜松市内で製造されている事』です。現在では、この定義をよりピュアにする為に、『3年以上浜松に在住して』という条件を付加しました。が、つまる所、浜松で作られている事が重要で、それが特徴と結び付くのです」としている。しかし、加藤さんの目にはいつの間にか「浜松餃子」が町おこしの狷散餃瓩箸靴道箸錣譟∩篭版の古さといった歴史と看板にあぐらをかく店が増えてしまっているように映っている。「創業以来変わらぬ味だって誇っている店があるけど、僕から見たらそれは創業以来何もしていない、進歩していない店だってこと。餃子が日本に入ってきたのは終戦後に満州から引き揚げてきた人たちが広めたから。日本各地の餃子がそんな感じだよね。まだまだ、日本での歴史が深いなんて言えないと僕は思う。もっとおいしく進化できるはず。そのためには何が必要なんだろうかって僕は毎日考えてきたし、世界中で食べ歩いた。今まで考えてきたことは全部やってみたよ」「きよ」の店頭にはたびたび「休みます」と臨時休業のお知らせが貼られることがあった。餃子をおいしくするヒントを得るために、加藤さんは香港、台湾、東南アジアに出かけていたのだ。そんなことを知らない常連客は「また休んで遊びに行ってるのか」と苦笑で来た道を引き返した。「最初は好きじゃなかったけど、パクチーなんかも日本で流行する前から食べていたよね。香港のハイアットにある『凱悦軒』のナンバーワンシェフ、周中さんが作ったパパイヤフカヒレ蒸しスープなんか『美味しんぼ』の雁屋哲さんより先に僕が見つけてたから。広東料理は塩味が強いものなのに日本人向けにアレンジして出されたことがあって、『本物を出してくれ』って頼んだこともあったな(笑)。料理でもサービスでも一流を知ることはとても大切なこと」 野菜や肉の配合から、餃子を焼く油とスープのバランス、調味料まで何から何までをこだわり、加藤さんにとってのベストを更新し続けてきた。頑固おやじな気質だから常連客にも努力を明かすことはないし、店舗の拡大を考えたこともない。通い続ける客の味覚も知らぬ間にアップデートされ、「きよ」の餃子以外では満足できなくなっている。和洋中を問わず多くの料理人が加藤さんの餃子を食べるためにやってくる。「カウンターが好き。お客さんの喜ぶ顔が見たいじゃん」と厨房に立ち続ける加藤さんにとって料理とは果てしなく続く道のような存在だ。「何事もこれでいいと思っちゃいけないね。妥協するってことは手抜きですよ」 ニンニク以上にガツンとくるひと言をもらって、店を出る。振り返ると、住宅街に「ぎょうざ」の赤提灯が煌々と輝いていた。(鍋貼強子きよ:静岡県浜松市中区鴨江1-33-5)適掃夫(てき・ぱきお)都内に住む30代サラリーマン。小学生のとき、母親の手伝いで料理に目覚め、兄の夜食を作るようになる。大学時代にはカジュアルイタリアンの厨房でアルバイト。就職後は自炊することがなかったが、3年前にアーティストとして働く妻と結婚して家事全般を担当。猛スピードで掃除洗濯をこなす様子から妻に「テキパキオ」と名付けられる。PB食品の食べ比べがスーパーの売り場徘徊が趣味。蛇口とシンクを磨くのが好きで、行きつけの飲み屋の閉店作業に加わりがち。ツイッターは「@tekipakio」渡辺広明(わたなべ・ひろあき)流通アナリスト。コンビニジャーナリスト。1967年静岡県浜松市生まれ。株式会社ローソンに22年間勤務し、店長、スーパーバイザー、バイヤーなどを経験。現在は商品開発・営業・マーケティング・顧問・コンサル業務など幅広く活動中。フジテレビ『FNN Live News α』レギュラーコメンテーター、TOKYO FM『馬渕・渡辺の#ビジトピ』パーソナリティ。デイリー新潮編集部
静岡県浜松市は、栃木県宇都宮市と並ぶ「餃子の街」として知られる。丸く並べられた餃子の中央に「もやし」が盛られているのが浜松餃子の特長だが、いかにしてこの形に至ったのか。その元祖とされる店の取材に、フードライターの適掃夫氏が成功した。
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【写真】「浜松餃子」を名乗る気はない…「きよ」の餃子と加藤さん「アイデアは自分が食べたものの中から知らん間に出てくる。だからこそ職人たるものは食い道楽になれ。僕はそう思うね」 およそ80軒の餃子専門店がある浜松に、孤高の料理人がいる。「鍋貼強子 きよ」の主人・加藤幸雄さん(74)だ。浜松餃子の元祖でありながら、加藤さんは浜松餃子を名乗らず、独自の餃子「鍋貼強子(こうていぎょうざ)」を厨房で包んでいる。カウンター7席とテーブル3席の決して広くない店内に、三々五々と常連客が入ってくる。

犖氷發領鼠人瓩語る 今回、取材に同行したのは「浜松市やらまいか大使」で流通アナリストの渡辺広明氏。彼も「きよ」を愛する一人だ。「僕の実家がすぐそこでね、ウチの親父が体調を崩すまでほぼ毎日この店に通っていたんです。親父がお土産を持ってくることもあったから、餃子がうまいのはずっと前から知ってたけど、ひとりで餃子を食べながらここで飲むようになったのは親父が死んでから。大将がときどき僕の知らなかった親父のエピソードを話してくれると、なんだか親父と酒を飲んでいるような気がしてね…(以下略)」 カウンター越しの加藤さんが「渡辺さんのお父さんは、そうやってペラペラ喋らずに黙って男らしく飲んでたよ。いや、おしゃべりするのが悪いってことじゃないけどさ」と笑顔でツッコミを入れる。そうしている間にも近所の人がお皿を持参し「きよ」の餃子を求めにやってくる。地元民に愛され続けて62年。だが、「きよ」の餃子は変わらないどころか、進化し続けてきた味だった。絶妙なニンニク「きよ」のメニューは、餃子、焼き鳥、ホルモン焼きの3つのみ。メニューが少ないのは餃子専門店では珍しいことではないが、なぜ焼き鳥とホルモン焼きがあるのだろうか。渡辺氏が「ぎょうざ大」(15個1120円)とホルモン焼き(750円)を注文する。よく冷えた瓶ビールで喉を潤していると、キャベツの上にぷりぷりのホルモンが乗ったホルモン焼きが供された。甘じょっぱい味つけが病みつきになるウマさで、キャベツと交互に食べればビールがどんどん進む。 カウンターの奥では加藤さんが注文を受けてから餃子の皮に餡を包み、熱々のフライパンに手際よく円形に並べていく。焼きあがったら中央に茹でもやしを添えて、「浜松餃子」スタイルが完成する。 素材の味を噛み締めるためまずは何もつけずに一口。その一瞬で衝撃を受けた。かなりニンニクのパンチが効いているのに邪魔をし過ぎることなく、豚肉とキャベツの甘みが圧倒的に主役でじゅわっと脳に突き刺さる。かなり薄めの皮の焼き目側はパリッと香ばしく、全体としてその存在を主張しすぎることなく旨味を完璧に閉じ込めている。私には何よりニンニクを利かせながら、ニンニク特有のえぐみを一切感じさせない餡の配合が気になったので、恐る恐る加藤さんに尋ねてみた。「ニンニクのバランスだって? いいところに気が付いたね。ウチのニンニクは青森の田子町でとれる最高級の福地ホワイト六片しか使ってない。中国産のニンニクとはもう全然違う。コクがあって味と香りが最高だから。僕は素材にこだわっているから八百屋さんに野菜を教えることだってあるよ。キャベツの水分量なんかは包丁を入れたらだいたいわかる。今の季節は群馬県産が良い、もう少ししたら茨城県産がおいしくなる。だから次は『群馬と茨城のいいキャベツを半分ずつ持ってきて』なんて注文もする。自分の性格として味に一切妥協しない」「浜松餃子」を名乗る気はない 突如として、加藤さんが料理について語り始めてくれたことは幸運以外の何物でもなかった。隣でビールを飲んでいる渡辺氏も「ここまでマジメに餃子を語る大将、見たことがない」と目を丸くして聞き入った。食材をきっかけに始まった話は浜松餃子の歴史へと続いていく。「遠鉄(遠州鉄道)の新浜松駅、今は暗渠になっちゃったけど昔は川の両岸に屋台がたくさん並んでいた。1960年代、僕の母親はそこで餃子の屋台をやっていてね、夜になると屋台を組み立てて、屋台で使うプロパンガスなんかはそこらへんの道に穴を掘って隠しておいたみたい(笑)。親父はホルモンと焼き鳥の店をやっていて、僕は両方を受け継いだからウチの店のメニューがこうなったわけ。うちの餃子は肉4、野菜6で肉が多めで味が濃いし、当時は今よりも油を多めに使っていたので、ウチの親父がさっぱり食べられるように茹でモヤシの付け合わせを考案した。ウチにはそういうルーツがあるけど、僕は今の『浜松餃子』を名乗る気はない。外見だけパクってモヤシを乗せたらいいんだって餃子が増えすぎた」 “もやしを添えた発祥”を名乗る店は他にもあるが、全く眼中にないようだ。町おこしの狷散餃瓩砲覆辰討靴泙辰 加藤氏がやり玉に上げるのは「浜松餃子公式サイト」の定義だ。同サイトでは〈浜松餃子を一言で表す定義は、『浜松市内で製造されている事』です。現在では、この定義をよりピュアにする為に、『3年以上浜松に在住して』という条件を付加しました。が、つまる所、浜松で作られている事が重要で、それが特徴と結び付くのです」としている。しかし、加藤さんの目にはいつの間にか「浜松餃子」が町おこしの狷散餃瓩箸靴道箸錣譟∩篭版の古さといった歴史と看板にあぐらをかく店が増えてしまっているように映っている。「創業以来変わらぬ味だって誇っている店があるけど、僕から見たらそれは創業以来何もしていない、進歩していない店だってこと。餃子が日本に入ってきたのは終戦後に満州から引き揚げてきた人たちが広めたから。日本各地の餃子がそんな感じだよね。まだまだ、日本での歴史が深いなんて言えないと僕は思う。もっとおいしく進化できるはず。そのためには何が必要なんだろうかって僕は毎日考えてきたし、世界中で食べ歩いた。今まで考えてきたことは全部やってみたよ」「きよ」の店頭にはたびたび「休みます」と臨時休業のお知らせが貼られることがあった。餃子をおいしくするヒントを得るために、加藤さんは香港、台湾、東南アジアに出かけていたのだ。そんなことを知らない常連客は「また休んで遊びに行ってるのか」と苦笑で来た道を引き返した。「最初は好きじゃなかったけど、パクチーなんかも日本で流行する前から食べていたよね。香港のハイアットにある『凱悦軒』のナンバーワンシェフ、周中さんが作ったパパイヤフカヒレ蒸しスープなんか『美味しんぼ』の雁屋哲さんより先に僕が見つけてたから。広東料理は塩味が強いものなのに日本人向けにアレンジして出されたことがあって、『本物を出してくれ』って頼んだこともあったな(笑)。料理でもサービスでも一流を知ることはとても大切なこと」 野菜や肉の配合から、餃子を焼く油とスープのバランス、調味料まで何から何までをこだわり、加藤さんにとってのベストを更新し続けてきた。頑固おやじな気質だから常連客にも努力を明かすことはないし、店舗の拡大を考えたこともない。通い続ける客の味覚も知らぬ間にアップデートされ、「きよ」の餃子以外では満足できなくなっている。和洋中を問わず多くの料理人が加藤さんの餃子を食べるためにやってくる。「カウンターが好き。お客さんの喜ぶ顔が見たいじゃん」と厨房に立ち続ける加藤さんにとって料理とは果てしなく続く道のような存在だ。「何事もこれでいいと思っちゃいけないね。妥協するってことは手抜きですよ」 ニンニク以上にガツンとくるひと言をもらって、店を出る。振り返ると、住宅街に「ぎょうざ」の赤提灯が煌々と輝いていた。(鍋貼強子きよ:静岡県浜松市中区鴨江1-33-5)適掃夫(てき・ぱきお)都内に住む30代サラリーマン。小学生のとき、母親の手伝いで料理に目覚め、兄の夜食を作るようになる。大学時代にはカジュアルイタリアンの厨房でアルバイト。就職後は自炊することがなかったが、3年前にアーティストとして働く妻と結婚して家事全般を担当。猛スピードで掃除洗濯をこなす様子から妻に「テキパキオ」と名付けられる。PB食品の食べ比べがスーパーの売り場徘徊が趣味。蛇口とシンクを磨くのが好きで、行きつけの飲み屋の閉店作業に加わりがち。ツイッターは「@tekipakio」渡辺広明(わたなべ・ひろあき)流通アナリスト。コンビニジャーナリスト。1967年静岡県浜松市生まれ。株式会社ローソンに22年間勤務し、店長、スーパーバイザー、バイヤーなどを経験。現在は商品開発・営業・マーケティング・顧問・コンサル業務など幅広く活動中。フジテレビ『FNN Live News α』レギュラーコメンテーター、TOKYO FM『馬渕・渡辺の#ビジトピ』パーソナリティ。デイリー新潮編集部
「アイデアは自分が食べたものの中から知らん間に出てくる。だからこそ職人たるものは食い道楽になれ。僕はそう思うね」
およそ80軒の餃子専門店がある浜松に、孤高の料理人がいる。「鍋貼強子 きよ」の主人・加藤幸雄さん(74)だ。浜松餃子の元祖でありながら、加藤さんは浜松餃子を名乗らず、独自の餃子「鍋貼強子(こうていぎょうざ)」を厨房で包んでいる。カウンター7席とテーブル3席の決して広くない店内に、三々五々と常連客が入ってくる。
今回、取材に同行したのは「浜松市やらまいか大使」で流通アナリストの渡辺広明氏。彼も「きよ」を愛する一人だ。
「僕の実家がすぐそこでね、ウチの親父が体調を崩すまでほぼ毎日この店に通っていたんです。親父がお土産を持ってくることもあったから、餃子がうまいのはずっと前から知ってたけど、ひとりで餃子を食べながらここで飲むようになったのは親父が死んでから。大将がときどき僕の知らなかった親父のエピソードを話してくれると、なんだか親父と酒を飲んでいるような気がしてね…(以下略)」
カウンター越しの加藤さんが「渡辺さんのお父さんは、そうやってペラペラ喋らずに黙って男らしく飲んでたよ。いや、おしゃべりするのが悪いってことじゃないけどさ」と笑顔でツッコミを入れる。そうしている間にも近所の人がお皿を持参し「きよ」の餃子を求めにやってくる。地元民に愛され続けて62年。だが、「きよ」の餃子は変わらないどころか、進化し続けてきた味だった。
「きよ」のメニューは、餃子、焼き鳥、ホルモン焼きの3つのみ。メニューが少ないのは餃子専門店では珍しいことではないが、なぜ焼き鳥とホルモン焼きがあるのだろうか。渡辺氏が「ぎょうざ大」(15個1120円)とホルモン焼き(750円)を注文する。よく冷えた瓶ビールで喉を潤していると、キャベツの上にぷりぷりのホルモンが乗ったホルモン焼きが供された。甘じょっぱい味つけが病みつきになるウマさで、キャベツと交互に食べればビールがどんどん進む。
カウンターの奥では加藤さんが注文を受けてから餃子の皮に餡を包み、熱々のフライパンに手際よく円形に並べていく。焼きあがったら中央に茹でもやしを添えて、「浜松餃子」スタイルが完成する。
素材の味を噛み締めるためまずは何もつけずに一口。その一瞬で衝撃を受けた。かなりニンニクのパンチが効いているのに邪魔をし過ぎることなく、豚肉とキャベツの甘みが圧倒的に主役でじゅわっと脳に突き刺さる。かなり薄めの皮の焼き目側はパリッと香ばしく、全体としてその存在を主張しすぎることなく旨味を完璧に閉じ込めている。私には何よりニンニクを利かせながら、ニンニク特有のえぐみを一切感じさせない餡の配合が気になったので、恐る恐る加藤さんに尋ねてみた。
「ニンニクのバランスだって? いいところに気が付いたね。ウチのニンニクは青森の田子町でとれる最高級の福地ホワイト六片しか使ってない。中国産のニンニクとはもう全然違う。コクがあって味と香りが最高だから。僕は素材にこだわっているから八百屋さんに野菜を教えることだってあるよ。キャベツの水分量なんかは包丁を入れたらだいたいわかる。今の季節は群馬県産が良い、もう少ししたら茨城県産がおいしくなる。だから次は『群馬と茨城のいいキャベツを半分ずつ持ってきて』なんて注文もする。自分の性格として味に一切妥協しない」
突如として、加藤さんが料理について語り始めてくれたことは幸運以外の何物でもなかった。隣でビールを飲んでいる渡辺氏も「ここまでマジメに餃子を語る大将、見たことがない」と目を丸くして聞き入った。食材をきっかけに始まった話は浜松餃子の歴史へと続いていく。
「遠鉄(遠州鉄道)の新浜松駅、今は暗渠になっちゃったけど昔は川の両岸に屋台がたくさん並んでいた。1960年代、僕の母親はそこで餃子の屋台をやっていてね、夜になると屋台を組み立てて、屋台で使うプロパンガスなんかはそこらへんの道に穴を掘って隠しておいたみたい(笑)。親父はホルモンと焼き鳥の店をやっていて、僕は両方を受け継いだからウチの店のメニューがこうなったわけ。うちの餃子は肉4、野菜6で肉が多めで味が濃いし、当時は今よりも油を多めに使っていたので、ウチの親父がさっぱり食べられるように茹でモヤシの付け合わせを考案した。ウチにはそういうルーツがあるけど、僕は今の『浜松餃子』を名乗る気はない。外見だけパクってモヤシを乗せたらいいんだって餃子が増えすぎた」
“もやしを添えた発祥”を名乗る店は他にもあるが、全く眼中にないようだ。
加藤氏がやり玉に上げるのは「浜松餃子公式サイト」の定義だ。同サイトでは〈浜松餃子を一言で表す定義は、『浜松市内で製造されている事』です。現在では、この定義をよりピュアにする為に、『3年以上浜松に在住して』という条件を付加しました。が、つまる所、浜松で作られている事が重要で、それが特徴と結び付くのです」としている。しかし、加藤さんの目にはいつの間にか「浜松餃子」が町おこしの狷散餃瓩箸靴道箸錣譟∩篭版の古さといった歴史と看板にあぐらをかく店が増えてしまっているように映っている。
「創業以来変わらぬ味だって誇っている店があるけど、僕から見たらそれは創業以来何もしていない、進歩していない店だってこと。餃子が日本に入ってきたのは終戦後に満州から引き揚げてきた人たちが広めたから。日本各地の餃子がそんな感じだよね。まだまだ、日本での歴史が深いなんて言えないと僕は思う。もっとおいしく進化できるはず。そのためには何が必要なんだろうかって僕は毎日考えてきたし、世界中で食べ歩いた。今まで考えてきたことは全部やってみたよ」
「きよ」の店頭にはたびたび「休みます」と臨時休業のお知らせが貼られることがあった。餃子をおいしくするヒントを得るために、加藤さんは香港、台湾、東南アジアに出かけていたのだ。そんなことを知らない常連客は「また休んで遊びに行ってるのか」と苦笑で来た道を引き返した。
「最初は好きじゃなかったけど、パクチーなんかも日本で流行する前から食べていたよね。香港のハイアットにある『凱悦軒』のナンバーワンシェフ、周中さんが作ったパパイヤフカヒレ蒸しスープなんか『美味しんぼ』の雁屋哲さんより先に僕が見つけてたから。広東料理は塩味が強いものなのに日本人向けにアレンジして出されたことがあって、『本物を出してくれ』って頼んだこともあったな(笑)。料理でもサービスでも一流を知ることはとても大切なこと」
野菜や肉の配合から、餃子を焼く油とスープのバランス、調味料まで何から何までをこだわり、加藤さんにとってのベストを更新し続けてきた。頑固おやじな気質だから常連客にも努力を明かすことはないし、店舗の拡大を考えたこともない。通い続ける客の味覚も知らぬ間にアップデートされ、「きよ」の餃子以外では満足できなくなっている。和洋中を問わず多くの料理人が加藤さんの餃子を食べるためにやってくる。
「カウンターが好き。お客さんの喜ぶ顔が見たいじゃん」と厨房に立ち続ける加藤さんにとって料理とは果てしなく続く道のような存在だ。
「何事もこれでいいと思っちゃいけないね。妥協するってことは手抜きですよ」
ニンニク以上にガツンとくるひと言をもらって、店を出る。振り返ると、住宅街に「ぎょうざ」の赤提灯が煌々と輝いていた。
(鍋貼強子きよ:静岡県浜松市中区鴨江1-33-5)
適掃夫(てき・ぱきお)都内に住む30代サラリーマン。小学生のとき、母親の手伝いで料理に目覚め、兄の夜食を作るようになる。大学時代にはカジュアルイタリアンの厨房でアルバイト。就職後は自炊することがなかったが、3年前にアーティストとして働く妻と結婚して家事全般を担当。猛スピードで掃除洗濯をこなす様子から妻に「テキパキオ」と名付けられる。PB食品の食べ比べがスーパーの売り場徘徊が趣味。蛇口とシンクを磨くのが好きで、行きつけの飲み屋の閉店作業に加わりがち。ツイッターは「@tekipakio」
渡辺広明(わたなべ・ひろあき)流通アナリスト。コンビニジャーナリスト。1967年静岡県浜松市生まれ。株式会社ローソンに22年間勤務し、店長、スーパーバイザー、バイヤーなどを経験。現在は商品開発・営業・マーケティング・顧問・コンサル業務など幅広く活動中。フジテレビ『FNN Live News α』レギュラーコメンテーター、TOKYO FM『馬渕・渡辺の#ビジトピ』パーソナリティ。