【武藤 直子】最期まで女性らしく生きたい…「訪問入浴後のネグリジェとショーツ」にこだわった39歳ALS患者の「辛すぎる別れ」

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日本人は世界に類を見ないほどの“お風呂好き”の民族だと言われている。ところが人生の終盤ともなるとそうはいかなくなる。病気も進行し、当たり前だったお風呂にも、入る体力も無くなり、多くの人たちは死んでいく。死ぬ前にもう一度、お風呂に入りたい――。
そんな患者の願いに、全力で寄り添ってきた看護師がいる。茨城県つくば市で、訪問入浴・湯灌サービスを提供している『ウィズ』の代表看護師、武藤直子さんだ。彼女はこれまで1万人以上の『人生最期のお風呂』に立ち会ってきた。
武藤さんに限らず、救急医療や人生の終末期などに携わる医療従事者は『誰かの死』と隣り合わせの中で仕事をする。武藤さんも、多くの命を見送ってきたが、その中には「どうしても忘れられない利用者」もいるという。『ウィズ』を立ち上げる前、まだひとりの看護師として訪問入浴に携わっていた頃に出会った、ALS患者の石原沙織さん(享年41歳)だ。
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「彼女は高校の同級生だった夫と結婚し、小学生になる2人の息子さんを育てるお母さんでした。39歳の時に、手足や喉や舌など、運動や呼吸に必要な筋肉が痩せて動かなくなっていく難病、ALS(筋萎縮性側索硬化症)を発症しました。ひとりでのシャンプーが困難になってきた頃から、週2回の訪問入浴のために通いました」
沙織さんは、気管切開を伴う人工呼吸器(TPPV)の使用を拒否していた。TPPVを使用すれば10年以上生きられる可能性が出てくるが、家族や介護者に膨大な労力と経済力の負担を強いる事にもなりかねない。何度も話し合われたが、彼女は『家族に負担を掛けたくない。私のために未来を奪うことはできません』と拒み続けた。
そして子供たちの未来を願い、自身は成人した子供たちの姿をみる事を諦める一方で、女性として最後までお洒落を貫いた。武藤さんがお願いされたのは「訪問入浴後はお気に入りのネグリジェとショーツを着させて欲しい」だった。
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「働けなくなる。歩けなくなる。トイレに行けなくなる。食べる事ができなくなる。色々なものが出来なくなる中での彼女にとっての最後のプライドが、ネグリジェとショーツを着る事だったと思います」
訪問入浴の際には、お気に入りのシャンプーとトリートメントを使って髪の毛をケアすることで気持ちをあげていたという。カラーリングの依頼もあったそうだ。
「身だしなみを気にされる女性は多いですが、訪問入浴のサービスでカラーリングや白髪染めをする事は違法行為にあたるため出来ません。
しかし事業者に事前に連絡し、訪問入浴サービスの訪問時間を逆算して、カラーリングや白髪染めをするところまで工程を進めておいてくれれば、訪問入浴時に染料を洗い流してトリートメントで整えてくれる事業者は多いものです。沙織さんからも相談を受けたので、この方法を提案しました」
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手足が不自由になっても、沙織さんはベッドの上で身だしなみを整え、家族と一緒にテレビをみて笑ったり、子供たちに勉強を教えたり、学校での人付き合いのコツを伝えたり、明るく前向きに家族との時間を過ごしていたそうだ。
しかし病気が進行していく中で、新たな問題が発生した。献身的な介護を続けていた夫が体力の限界を迎えたのだ。
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「夫は、沙織さんとの残り少ない時間を、少しでも共有したくて、食事の世話はもちろん、尿器を使ってお小水をとってあげたりと、彼女が出来なくなった多くの事を担っていました。
しかし、身体が不自由になっていく中で、沙織さんはショーツを汚してしまう事が多くなっていき、着替えをさせるだけで苦しがるようになりました。その姿に夫は打ちのめされて、心と身体が限界を迎えました」
これ以上は無理だと判断した武藤さんは、夫の負担を軽くするためにも彼女にショーツを履く事を諦めて貰い、おむつの着用を提案したという。
「彼女の落胆ぶりは見ていられないほどのものでした。了承こそ得られましたが、本当にがっくりとしていました」
そしてその日の晩、彼女は亡くなった。
「夫から『妻が逝きました』という電話が来た時、私はとても動揺しました。夫の状況を考えれば、あのタイミングでのオムツの提案は仕事として間違ってはいなかったと思います。
しかしオムツの提案によって、彼女は最後の誇りを失ってしまった。もしあの時、私がオムツの提案をしなかったら、彼女はもしかしたらもっと生きていたのではないかと思うと、いまでも胸を締め付けられます」
ALSに限らず、人は健康だった頃には出来ていた事がどんどんできなくなって終末期を迎える。患者の尊厳とどう折り合いをつけてサポートしていくべきか。終末期に携わる医療従事者が抱える難問のひとつである。
(取材・文/『週刊現代』記者 後藤宰人)
武藤直子さんの連載〈「旅立つ前にもう一度入れてあげたい」認知症夫を看取った妻が願った「最後のお風呂」〉もあわせてお読みください。

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