石破政権の「終わり」が見え始めている。両院議員総会を経て、総裁選の前倒しが現実味を帯びる中で、「石破おろし」を主導したのは、麻生派以外は解散したはずの「派閥」を担った面々だった。なぜ「派閥」は亡霊のごとく姿を見せているのか、“派閥なき”自民党は衆参過半数を取り戻し、再び復活できるのか。法政大学の河野有理教授(日本政治思想史)に聞いた。
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自民党の総裁選は党員や所属議員による「公選制」です。公選制である限り、票数を固めた陣営が勝つわけですから、どういう形であれ、多数派形成をするために派閥のようなグループは残っていかざるを得ないでしょう。石破おろしの局面でその旧派閥の枠組みが見え隠れするのは、当然という気がしています。
とはいえ、かつての派閥政治の面影がなくなっているのも確かです。今回、自民党が両院議員総会まで開いたにもかかわらず、退陣への道筋すら描けませんでした。かつての自民党であれば、総会以前に派閥の領袖らによってとっくに引きずり下ろされていたわけで、党内基盤が弱い首相が粘り腰を発揮できたという時点で、かつての派閥のプレゼンスはなくなってしまっている。
かつての派閥は総理・総裁を務めた人が帰っていく、根城でもありました。派閥に戻って、今度は派閥の領袖としてキングメーカーになるという「セカンドキャリア」があった。昔の元老政治のような、総理・総裁経験者が派閥の重鎮として党内で重きをなして、キングメーカーとしてその後の総理・総裁の選出過程に影響力を持ち続ける、という構造がありました。
大きな派閥を根城にしていない石破首相にはもともとキングメーカーとしてやっていく目は薄かったでしょう。「ここで退かないと、後で人がついてこなくなるよ」という説得があまり効きにくい、その意味では「無敵の人」です。総裁にしても総理にしても、最後は石破首相自身が辞めると言わなければ無理やり辞めさせるのは難しいのです。
振り返ると1990年代からの政治改革を経て、自民党内における総裁、幹事長の権力は強まってきています。政党助成金制度ができ、自民党議員にお金を差配するのは派閥の領袖ではなく、幹事長になりました。そうした自民党の構造が変化していく中で、形骸化しながらも派閥はゾンビのように残ってきたのです。
今後、派閥の役割が弱体化していく中で、党内ガバナンスを効かせていくには、幹事長の役割がますます大事になってきます。石破首相以外の議員が総理になったとしても、誰が党内をまとめるのか。特に少数与党の場合は、むしろ政権よりも党内のほか、国会対策など他党と接する役割が重要になってくる。党内をまとめられて、かつ他党とも話ができる人という意味で、幹事長人事は、今後の政権でも極めて重要になってくるでしょう。では、そういう人物がいま自民党内にいるかどうか。
読売新聞主筆だった渡邉恒雄さんが1958年に執筆した著作『派閥 保守党の解剖』は党人派と官僚派の対立を描いていて、大野伴睦と親しかった渡邉さんは党人派を擁護し、戦前に官僚派が台頭した反省から党人派が政治を担うことこそ健全だとしました。最近の自民党では引退した二階俊博さんや森山裕幹事長に代表されるような党人派の政治家が少なくなっているように感じます。
一方、「派閥」とひとことで言っても、かつての派閥といまでは定義が変わってきています。
大まかに言えば、自民党が結党した1955年から93年まで、派閥は金とポストを配分する方向に進化してきました。派閥単位で人事も決めるし、お金も集める。ところが、55年体制の崩壊、政治改革による政党助成金の導入などで、お金を集める単位としての派閥の機能は大きく損なわれました。
ただし、政治改革後も、組閣する時にどの派閥から大臣を何人出すというような、ポストを配分する機能は残り続けました。総裁戦で味方になってくれた派閥は手厚く処遇して、敵対した派閥は冷遇する。そこでうまく立ち回ったのがかつての二階派でした。数は力なり、所属議員の多さを武器にポストをぶんどってきて、二階さんの下に新たな議員が集まってくる。これは55年体制崩壊以降、派閥の新しいあり方でした。
しかし、一連の裏金問題で麻生派以外の派閥は解消された。最初の話に戻りますが、今後も総裁選をやる限りは党内が敵・味方で分かれるので、議員票で何票を集めるか、最後の最後は旧派閥の枠組みで動いていくことになるでしょう。普段からポスト目当てで集まるというわけにもいかないですから、勉強会など政策単位で集まりながら、最後は総裁選で誰につくかという時に結集していく。
かつてのように派閥事務所があるとか、事務局長がいるとか、そうした準公式の組織として存在するのではなく、非公式のグループという単位で総裁を狙う有力者を支えるグループが自然と形成されていくのではないでしょうか。
そうした派閥の存在自体はやむを得ないと思います。派閥を完全になくすということは公選制を否定していくことになるので、結局、自民党が共産党や公明党のような組織になることも意味します。党中央や執行部が党のことをすべて決めて、そこでの決定は原則的に全議員と全党員が従う。そういう政党モデルもあるわけですが、自民党やそれに類する巨大政党で、同じことをやるのは現実的ではないし、望ましくもないでしょう。
では、少数与党に転落し、非公式のグループが党内に乱立する自民党が再び、衆参過半数を取り戻す可能性があるのでしょうか。これは非常に難しい。少なくとも参議院については、議席数が3年間は変わらないわけですし、参院で過半数を取り戻すことは絶望的にも思え、連立拡大か、何かしらの閣外協力によって、協力してくれる政党や議員を取り込んでいく必要がでてきます。すると、自公政権の衆参における単独過半数回復は将来的にも厳しいでしょう。
このことが意味するのは、派閥をはじめとした「自民党システム」が歴史的な耐用年数を超えてきているということかもしれません。55年体制が93年に終焉し、しかし、その後も他党との連立など違うシステムを導入しながら、なんとか自民党システムを残存させてきた。いよいよそのシステムの賞味期限が終わろうとしている。
ただし、当面は自民党が「与党としては弱すぎるけれども、野党としては強すぎる」という状況が続きます。その点、「自民党政治が終わり」と言い切れないのが難しいところで、自民党システムは終わりかもしれないけれども、それに代わる政治の形が見えているわけではない。今後も政治的に非常に不安定な状況が続いていくように思います。
デイリー新潮編集部